猛暑の夏も終わり、先月末から早くも秋の気配がしていますが、みなさまお変わりありませんか?

 もうちょっと夏がつづいてもいいんじゃないかという気もするけど、涼しさに慣れてしまうと、暑さがぶり返すのはやっぱりイヤかも。ゆく夏を惜しみつつ、8月の読書日記、ゆるゆるといってみましょう。

■8月×日

 マット・ヘイグの『今日から地球人』は、ある使命を帯びて地球に送りこまれた異星人(ヴォナドリア星人)が、敵である地球人(人間)を愛してしまい、人間になるべく奮闘するSFヒューマンドラマ。主人公は異星人だけど。

 ある使命というのは、ヴォナドリア星人にとって脅威となる「リーマン予想の証明」という事実を抹消すること。なんかよくわからないけど、リーマン予想が証明されると、宇宙の平和が乱されるらしいのだ(ここではだいぶはしょっていますが、読めばちゃんとわかります)。

 ちょっぴり苦手なSFだけど、これはめちゃくちゃおもしろかった(『火星の人』のときも同じこと書いてたな)。

 素っ裸でいきなり出現してしまうところは「ターミネーター」へのオマージュ? のちの世の脅威となるものを排除しにくるところも同じだし。でも、妻子持ちのケンブリッジ大学の数学教授、アンドルー・マーティン(43)の姿で地球上に突如出現したヴォナドリア星人の「わたし」は、すごい勢いで得た知識とハッタリでその本人になりすますうち、「なんか人間っていいかも」と思うようになる。ヴォナドリア星人とちがって寿命があるし、離婚するし、本を読むのに多大な時間がかかるけれど。

 そう、ヴォナドリア星人は本を“読む”ということをしないらしい。ワードカプセルとやらを飲みこむことで、大量の書物を短時間に頭に入れることができるのだ。うらやましいような、うらやましくないような……

 それにしても、《コスモポリタン》で言葉をマスターしたり、ピーナッツバターLOVEだったり、わんこと仲よしになったり、偽地球人「わたし」の行動や嗜好がいちいちツボなんですけど! 最初は人間をおちょくるようなおとぼけ風味〜ドタバタコメディ風だけど、人間を深く知るようになってからは心温まる家族小説風。

 息子に向けて書いた97項目にわたる「ひとりの人間へのアドバイス」もじーんとくる。100項目じゃないところが人間くさくてシブいわ。

■8月×日

 首席警部オリヴァーとその部下ピアのコンビが事件に挑む、ドイツ・ミステリの女王ネレ・ノイハウスの警察小説シリーズ。『悪女は自殺しない』は待ちに待ったそのシリーズ一作目。『深い疵』『白雪姫には死んでもらう』も超絶おもしろかったけど、これが読めるようになって、シリーズファンとしてはすごくうれしい。

 一作目ということで、これがオリヴァーとピアが組んで捜査する最初の事件。

 飛びおり自殺にみせかけて毒殺された若い女性の死体が発見される。使われたのは動物を安楽死させるときに使用する薬物。被害者の夫は獣医で、夫婦関係もこじれていたことから、最初に疑いをかけられてしまう。

 この被害者のイザベルというのが、これ以上ないほどの悪女。美人でセンスがよくて乗馬がうまいけど、とにかく自己中心的で欲深くていやな女なんですよ。ききこみをすれば「最低女」の大合唱で、彼女を嫌い、恨みを抱いている人物は数知れず。ほとんどの人に動機があって、容疑者がゴロゴロしているので、謎解きがめっちゃ楽しかった。

 それにしてもイザベル、死んでるのにすごい存在感だわ。ほかの人たちもみんなキャラが濃くて、オリヴァーとピアがあんまり目立たないくらい。

 そして、やっぱりオリヴァーは一作目からヘタレでした。それとも女に弱すぎるだけなのか? 十代から四十代までと首尾範囲も広すぎるし、なんだかなあ……上司が女関係でフラフラしてるあいだに、しっかり者のピアがいい仕事をしてくれて、大事なところは上司がフォローし、ちょこっといいところを見せる。これがこのコンビのベストバランスなのかも。でも今回は女性関係以外でもちょっとポカが多すぎる気も……イケメン貴族デカだからこそ許されるヘタレ感なのか、なんか憎めないのよね。これってギャップ萌え? 妻コージマの手のひらの上で転がされてる感もすごいオリヴァーっぽい。

 乗馬クラブの事情がくわしく語られるのも興味深い。乗馬といえば、シーラッハの『禁忌』の主人公エッシュブルクの母親が、やたらと乗馬ばかりしていたのを思い出した。貴族のあいだだけじゃなく、ドイツではポピュラーなスポーツなのね。

■8月×日

 M・C・ビートンのアガサ・レーズン・シリーズは、どれを読んでもはずれなしのおもしろさで、大好きなシリーズ。六作目の『アガサ・レーズンの幻の新婚旅行』の舞台は、いつもの英国の小さな村ではなく、地中海に浮かぶ島キプロスです。

 前作で結婚寸前までいったアガサとジェームズ。しかし思いもよらぬ展開から破局となり、ジェームズはひとり北キプロスに旅立つ。当然ながらアガサは追いかけていきます。ウザがられるのは目に見えてるのに、アガサも懲りないなあ。

 でもさ、ジェームズってひどくない? 新婚旅行でアガサと行くはずだった場所に黙ってひとりで行っちゃうんだよ。冷血漢というか、思いやりなさすぎ。悪人キャラというわけではないんだけど、いつも自分のことしか考えてなくて、いらいらするのよね。カースリーの牧師夫人のミセス・ブロクスビーだって「ジェームズ・レイシーって人は、どうも信用できない気がするのよね」と言ってるし、唯一の友だちといえるビル・ウォン部長刑事だって「レイシーという人間はそこまでするほどの価値はないんじゃないかと思いますよ、アガサ」と言ってる。なんだ、みんなわかってるじゃん。でもアガサは聞く耳を持たず、つねに猛アタック。そして玉砕。

 アガサが「フェミニストが登場する前の時代に育った」「そのとおりね、あなた」の世代というのは、言われてみればそうなんだけど、意外だった。だからジェームズを助長させてしまうのかも。惚れた弱みでもあるけど。

 現地で知り合った観光客グループとの交流も、『アガサ・レーズンと貴族館の死』で登場した準男爵チャールズとの再会も、本来はあまり乗り気でないはずが、ジェームズに相手にされない淋しさから、案外楽しんでいる様子のアガサ。あまりなじみのない北キプロスの観光名所や食べ物などもたくさん紹介されていて、こっちまでバカンス気分になれます。いつものように殺人事件に巻きこまれちゃうけどね。

 そして今回のアガサ、なにげにモテ期です。ジェームズには振り向いてもらえないけど、ほかの男性にはけっこうもててます。お金持ちの大人の女性だからというのもあるけど、実はアガサってかなりイケてるんじゃない? 脚がきれいなのもポイント高いし。美魔女というより、中身も含めて年相応の魅力がある人なんだと思う。ジェームズなんかにはもったいないわ。

■8月×日

 死体の描写がリアルすぎて、いつもぞぞっとしてしまうサイモン・ベケットの〈法人類学者デイヴィッド・ハンター〉シリーズ。このぞぞっとする感じがかえってやみつきになって、次の作品はまだかな〜と思っていたら、ポケミスから『出口のない農場』が出ました。おお、単発作品か。やっぱり蛆とか骨とかシリアルキラーが出てくるのかな? と思ったら、まったくベクトルのちがう怖さでびっくり。これがあのベケット作品だとは、言われなかったらわからないと思う。

 訳ありの男ショーンがフランスの片田舎でとある農場にたどり着く。罠を踏んでけがをした彼は、その農場でけがの治療を受けるが、この農場も訳ありらしく、有刺鉄線が張りめぐらされ、そこらじゅうに罠が仕掛けられている。農場主アルノーは野蛮な暴君で、暗い顔つきのマティルドと、小悪魔的なグレートヒェンのふたりの娘、マティルドの息子でまだ赤ん坊のミシェルの四人家族。だがミシェルの父親の影はない。何か事情がありそうだ。

 やがてショーンは世話になっているお礼に農場の仕事を手伝うことになる。だが、アルノー家の人びとを知るにつれ、何とも言えない違和感は増すばかりだった。

 最初から最後まで不穏な小説だ。いつでも出ていけそうなのに、出ていけない。出口がない。農場に捕われているのはショーンだけでなく、マティルドやグレートヒェンも同じだ。

 うだるような暑さのなかで繰り広げられる心理戦は、猛暑のなか読んだせいかすばらしくリアルで、サングロション(猪豚)の臭気や血のにおいが感じられそうなほど。後半はページをめくる手が止まらず、一気読みだった。

 ショーンのロンドンでの生活と、フランスに逃げてくることになった理由についても少しずつわかってくるが、やはり農場での生活の描写のほうがインパクトがある。アルノーとのスリリングな会話とか、やたらとショーンを誘惑するグレートヒェンとか。たのみの綱のマティルドも何を考えてるのかわからないし。R指定がつきそうな豚の屠殺シーンは、〈法人類学者デイヴィッド・ハンター〉シリーズに通じるグロさ。ほのかな希望が感じられるラストに救われる。

上條ひろみ(かみじょう ひろみ)

英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、マキナニー〈朝食のおいしいB&B〉シリーズなど。ロマンス翻訳ではなぜかハイランダー担。八月にリンゼイ・サンズの新ハイランダー・シリーズ第二弾『愛のささやきで眠らせて』が出ました。趣味は読書と宝塚観劇。

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