Signé Picpus, Gallimard, 1944/1/5[原題:署名ピクピュス]長編・中短編合本、メグレシリーズ長編3編[1-3]、ノンシリーズ中短編5編[4-8]収録
Tout Simenon T24, 2003 Tout Maigret T3, 2007
▼収録作
1. Signé Picpus 初出タイトルSigné Picpus, ou la grande colère de Maigret, « Paris-Soir » 1941/12/18-1942/1/21号(1941/12/25, 1942/1/1は休刊。毎週日曜は休刊)(全34回)(1941末 執筆) 『メグレと謎のピクピュス』長島良三訳、《EQ》1983/7(No.34, 6巻4号)pp.207-277*[署名ピクピュス(署名ピクピュス、またはメグレの激怒)]
2. L’inspecteur Cadavre (1943/5/3執筆) 『メグレと死体刑事』長島良三訳、読売新聞社、1986
3. Félicie est là (1942/5執筆) 「メグレと奇妙な女中の謎」長島良三訳、《EQ》1986/5(No.51, 9巻3号)pp.213-280
Nouvelles exotiques[異郷短編集]〔その他〕
4. L’escale de Buenaventura, 1938[ブエナヴェントゥラ寄港] 『メグレとしっぽのない小豚』(1950)所収の同題「寄港地・ビュエナヴァンチュラ」とは別の作品。
5. Un crime au Gabon, 1938[ガボン川の犯罪]
6. Le policier d’Istanbul, 1939 「百万長者と老刑事」中野榮訳、《ロマンス》1946/12(1巻7号)pp.32-39(抄訳)[イスタンブールの警官]
7. L’enquête de Mademoiselle Doche, 1939 「宝石と令嬢」中野榮訳、《ロマンス》1946/11(1巻6号)pp.36-42(抄訳)[ドシュ嬢の事件簿]
8. La ligne du désert, 1939 「情熱の空路」中野榮訳、《ロマンス》1946/9-10(1巻4号-5号)pp.20-26, 36-42* [砂漠の地平線]

雑誌《ロマンス》(ロマンス社)は国立国会図書館プランゲ文庫にあり(資料番号VH1 R425)

映画『署名ピクピュス(Picpus)』リシャール・ポティエRichard Pottier監督、アルベール・プレジャン、ジュリエット・フェーバー出演、1943[仏] [ピクピュス]
・TVドラマ『Maigret und die Wahrsagerin(The Crystal Ball)』ルパート・デイヴィス主演、John Harrison演出、1962(第34話) [メグレと占い師(水晶球)]
・TVドラマ『L’affare Picpus』ジーノ・セルヴィ主演、マリオ・ランディ監督、1965(第2話)(全3回) [ピクピュス事件]
・TVドラマ 同名 ジャン・リシャール主演、Jean-Pierre Decourt監督、1968(第4話)
・TVドラマ 同名 ブリュノ・クレメール主演、Jacques Fansten監督、2003(第44話) ガイド本Jacques-Yves Depoix『Dossier Maigret: Les enquêtes de Bruno Cremer[メグレファイル:ブリュノ・クレメールの事件簿](2008)では第44話とされているが、実際は第43話より本作の方が放送順序は早い。実際にアメリカ版、オランダ版DVD-BOXでは第43話として収録されている。

 おおー、これは面白い! 
 いままで読んだなかでいちばんの出来映えだと思う。初めて★5つの満点をつけたいとさえ思った。第三期に入れば『メグレ罠を張る』(1955)などの有名作、すでに傑作と評価の固まっている作品もあるが、「メグレシリーズでの傑作は?」と訊かれて第二期作品を挙げる人は少ない。だが本作は第一期から通して読んできたとき、初めて満点をつけられる作品だと思った。自信を持ってお薦めする。
 ではなぜ従来のアンケートで本作が挙げられることが少ないのか。そこにもちゃんと理由がある。その点についても具体的に述べよう。

 本作『メグレと謎のピクピュス』は、戦時期にガリマール社から刊行された3冊のメグレ本の2冊目に収められた長編だ。
 1冊目は3つの長編を収録した合本『メグレ帰還…』第64回第65回第66回)(1942)で、いずれも新聞連載後に書籍化された。
 2冊目が本作を含む合本『署名ピクピュス』(1944)で、今回取り上げる長編が表題となっている。メグレものの長編3作に加え、「異郷短編集」と銘打たれた5編のノンシリーズ中短編が巻末に収められた。「異郷短編集」は現在、ガリマール社系列から別個のペーパーバック版として出ており、本連載ではノンシリーズ枠で後に取り上げる。
 そして3冊目が、すでに本連載で読み終えた中短編集『メグレの新たな事件簿』第61回第62回)(1944)である。
 本作『メグレと謎のピクピュス』は1941年12月11日から翌1942年1月21日まで《パリの夜》紙に連載されたのだが、同紙は連載を盛り上げるためにちょっとした趣向を凝らしている。開始前の1941年11月21日にまず作品タイトルを紙面で公表して期待を煽りつつ、21〜22日、24〜27日の計6日間にわたって、5名ずつ計30名の登場人物候補の名前とイメージ写真を掲載し、翌11月28日にはその30名の名を列挙して、「被害者は___。」と書く欄を用意し、誰が被害者となるか予想させた。30名のなかにはリュカ巡査部長やメグレ夫人も含まれていた(メグレ警視自身のイメージ写真も別枠で掲載された)。
 連載開始前日の12月10日号で、これら30名のなかから実際に数名のキャラクターが登場することが写真の再掲載とともに予告された。そうして12月11日号から連載は始まったのである。

 8月半ば、「パリはタールの匂いがした」(長島良三訳)。もうすぐ午後5時になろうというとき、メグレは司法警察局の部屋で、壁一面に掲げられているパリの大きな地図を見上げ、次々とかかってくる事件報告の電話に備えていた。酔っ払いを捕らえたという連絡が多い。だがメグレは待っていた。不動産会社に勤めるジョゼフ・マスクヴァンという男が前日出頭して、不穏な犯行予告状の存在を告げていたからである。
 マスクヴァンは会社の金を横領し、その罪悪感を抱えながらカフェに入って謝罪の手紙を書こうとしたところ、店で借りた吸い取り紙に《明日、午後5時に、おれは女占い師を殺す。署名、ピクピュス》と裏写りしていたのを見つけたのである。ピクピュスとはパリ12区にある通りの名だが、何を意味するのかわからない:フランス語では通常、単語の最後の子音は発音しないが、例外的にPicpusは「ピクピュ」ではなく「ピクピュス」]。だがこの予告状が本物だとしたら、まさにこの午後5時にどこかで女占い師が殺されるはずなのだ。
 午後5時5分、はたしてその知らせが司法警察局に届いた。18区コーランクール通り67番地の2、集合住宅に住む40歳代の女占い師、マドモワゼル・ジャンヌの死体が発見されたのだ。メグレは部下のリュカらとともに現場へ直行する。占い師ジャンヌはナイフで刺されて死んでいた。発見者は彼女の知人で、郊外のモルサンで獲れた魚を手土産に訪れたロワ夫人である。だが現場にはもうひとりの人物がいた。鍵のかかった台所部屋を開けて入ってみると、そこには品のよさげな老人がちょこんと椅子に腰かけていたのである。
 老人の名はオクターヴ・ル・クロアガン、元船医、68歳。住居は8区と17区の間にあるバティニョール大通りで、妻と28歳の娘がいるという。ちょうどジャンヌのもとを訪れていたところ、新しい客がやってきたのでジャンヌに台所へ押し込められたのだそうだ。殺人の様子は何も気づかなかったらしい。だがこの老人はいったい何のために来ていたのか? 老人は自分が馬鹿なふりをして、一向に詳細を語ろうとしない。通報主のマスクヴァンは犯行現場を見ていった。「やっぱりそうでしょう、警視さん、ピクピュスが女占い師を殺したんです!」

 全10章のうち、ここまでが第1章のあらすじだ。一般にミステリー小説の紹介はネタばらしを避けるため他ジャンルの小説よりとりわけ慎重にあらすじ紹介がなされる。そのためかえってあらすじだけでは物語の特徴がつかめず、面白そうなのかどうなのかよくわからない場合も多い。これまで本連載では一般の紹介記事よりもかなり踏み込み、とりわけ第一期作品では全体の7割過ぎまであらすじ紹介する決断を何度も採ってきた。そうしないと物語の魅力が伝わらないと感じることが多かったからだ。これは第一期シムノン作品の特徴だと思う。
 だが第二期作品に入って自分でも気づいた。物語の冒頭を簡潔に紹介するだけでも、読者の皆様に魅力を伝えることができると感じるのである。これはストーリーラインの骨格がより洗練され、一般エンターテインメントの枠組みで充分に評価できるようになったことを示している。たとえば今回の作品も、第2章以降の展開を伏せておいても解説記事は書けるという自信をこちらに与えてくれる。ミステリー評論家が文庫巻末解説を書きやすい物語構造になっている。こんなところからもシムノンの作家性の変化を読み取ることができる。
 さて、あえて第2章以降の展開にも若干触れよう。この後、メグレはバティニョール大通りのル・クロアガン老人宅へ行き、夫人や娘ジゼルと会って聞き込み調査をする。夫人はジャンヌなる占い師など知らないし、なぜ夫がそんなところへ行っていたかもわからないという。だがル・クロアガン家には毎年どこかから20万フランの振り込みがあるとの証言も住宅管理人から得た。金に困っていたはずはないというのである。ル・クロアガン老人の部屋は外側から閂がかけられるようになっている。つまりあの老人はふだん家族に閉じ込められているのではないか。
 さらに事態が転がる。通報者のマスクヴァンをリュカが別の場所へ連行しようとした際、いきなりマスクヴァンは新橋ポン・ヌフから飛び降り自殺を図り、意識不明の重体に陥ったのだ。警察側の大失態である。病院にマスクヴァンの義理の妹だという「感情を持った桃」のようなマドモワゼル・ベルトが駆けつけてきた。しかし彼女はなぜ兄がそもそも会社の金を盗んだのか、さっぱりわからないという。そんなことをする人ではないというのだ。
 さらに証言が上がってくる。占い師ジャンヌが殺される直前、彼女の集合住宅に緑のスポーツカーで乗りつけた男が建物に入って行くのを見たと、近所の牛乳屋の娘エンマが語ったのだ。
 このように次々と登場人物が増え、事件は複雑な様相を呈してゆくわけだが、物語の半ばへ来てメグレは郊外のモルサンへと足を伸ばし、第1発見者のロワ夫人が女将を務める宿屋《美しい鳩》でさらに怪しげな人物たちと出会う。そのうちのひとり、セーヌ川でカワカマス釣りに興じるブレーズ氏の行動から事件の意外な側面へのつながりが判明し、物語は一気に立体的な構図を見せ始める。
 このセーヌ河岸のモルサンという村は、後にメグレが夫人とともに隠居するモルサン゠シュル゠セーヌのことだろうか? たぶんそうだろう。パリから見て南側、セーヌ川の上流域だ。マドモワゼル・ベルトという名も皆様にはすでに馴染みのはずだ。『メグレの新たな事件簿』収載の中編「マドモワゼル・ベルトとその恋人」第62回)で見たように、健気で美しく、しかしどこか薄幸な娘は、シムノンの小説ではベルト嬢と名づけられる! そしてリュカ刑事は変装術がさらに板についてきたようだ。

「もしもし、主任……」
 おや、部長刑事の声がどことなく哀れっぽいではないか。
「いやなことがあったのです。しかし、誓って言いますが、私はいろいろと用心したのです……(中略)私は浮浪者に変装していたんですから……」
「ばからしい!」
「え、何ですか?」
 メグレが変装が大きらいなことは、司法警察局ではだれでもが知っている。しかし、芝居するのがめしよりも好きなリュカに、どうしてやめさせられようか? 

 なるほど、こうしてリュカ刑事のキャラクターが変化していったのか。一方で質実剛健な有能部下の役割はジャンヴィエ刑事が担ってゆくことになる。

 本作がすごいのは、それまでばらばらに思えていたすべての登場人物が、中盤から全員繋がってゆくことだ。どんな些細なキャラクターも、事件全体の輪のなかに組み込まれていたことがわかってくる。まるで横溝正史の世界である。横溝正史の映像化作品ではしばしば人物相関図や家系図が挿入されるが、本作も映像化の際にはそうした工夫があってよかったかもしれない。それほど見事にぱちり、ぱちりと各人物が繋がってゆくのには目を瞠らされるし、壮観でもある。
 つまり本作はこれまでのメグレシリーズのなかで、もっとも本格度の高いミステリー作品に仕上がっている。では、どうしてこれまで、メグレシリーズの代表的傑作として挙げられることがなかったのだろう。その理由も推察できる。
 まず、作品をひと言で表現できるような、強烈なシーンがない。「むざんやな 甲の下の きりぎりす」という俳句は一度聞いたら絶対に忘れられないし、現場に残された薬の瓶を手にした瞬間すべての謎が解けるといった瞬間的インパクトがあれば、たとえ犯人は誰であったか忘れてもその作品が名作であったという印象は残る。残念ながら本作『メグレと謎のピクピュス』にはそういった強烈なインパクトを残すシーンが存在しない。
 タイトルになっている「ピクピュス」という署名の謎の真相は意表を衝くものだが、その謎は事件の全体像を必ずしも象徴するものではない。たとえば「ピクピュス」ではなく他の名前でも話は成立してしまう。ここも弱い点かもしれない。よって本作はすべてを通して読み終えたとき、じんわり「ああ、傑作だなあ」と胸のうちで感じ取る、そういうタイプの小説なのである。だから「まずはこの1冊」といったベスト本企画に選出されにくいのだろう。
(もちろん、これは私の個人的意見である。イギリスで出版されたDavid Carterによるガイド本『Georges Simenon』(2003)は、英語に翻訳されたすべてのシムノン小説作品を5点満点で採点しているが、いつもカーター氏の採点は私の評価とまるで違う。本作のカーター氏の採点は3点。ちなみに2点をつけられた作品はめったになく、1点は存在しない。メグレ第二期作品では『メグレと超高級ホテルの地階』『メグレと奇妙な女中の謎』に5点満点がついている)
 興味深い点をさらにいくつか挙げることができる。まずシムノンの文体が変化しつつある様子がうかがえる。シムノンの小説は後年になるほど省略が多くなり、ぼんやり読んでいるといま誰がしゃべっているのかわからなくなることがある。「彼」「彼女」という代名詞が延々と続くので、「はて、この“彼”とは誰のことだったろう」と、途中で見失ってしまうのである。シムノンは簡潔な文体を用いる作家だとの認識が広くミステリー評論家の間で共有されているようだが、実際はかなり高度な文章の書き手なのである。
 そうした傾向の萌芽が本作に認められる。「彼」「彼女」といった代名詞も使われるが、もっと特徴的なのは、たとえばメグレがある場所から別の場所へ移動して次の行動を始めるといった繋ぎのシーンが、わずか一段落で書かれてしまう箇所が目立つことだ。ぼんやり読んでいると、「あれっ、いまメグレはどこにいるんだ? どうしていまこんなことをしているんだ?」と読みかえす羽目になる。シムノンらしい省略法が確立されつつある。
 一方で、シムノンならではの視座、すなわち登場人物のすべてや物語そのものを突き放すような、一種虚無的な態度にも、いっそう磨きがかかったように思われる。メグレ第一期のいくつかの作品や、あるいは『仕立て屋の恋』第35回)のラストが、これまでもそうしたシムノンの虚無性をまざまざと私たちに見せつけてきた。シムノンという作家は登場人物を包み込むと同時に、まったく無感情に突き放す。シムノンは共感性が高すぎてサイコパスの傾向が見られると以前に書いたが、本作にもその特徴が出ている。物語のラストでメグレはある女性のもとを訪ねるのだが、その女性の応対の仕方は、事件の忌まわしい因縁を根本からひっくり返し、すべてを虚無に帰してしまうものだ。事件に関わる人々が長年それぞれ抱えてきた深い想いが、何もかも無意味だったとわかる瞬間である。しかし女性には何の悪気もない。無邪気にその場の思いつきを発言するだけだ。こうした場面をシムノンはただ淡々と書く。これによって心を動かされるかどうかは、完全に読者側の力量に委ねられている。

 本作は戦時中に新聞連載された。連載第1回が掲載された《パリの夜》紙1941年12月11日号の一面トップには、日本の名があった。実際に電子図書館ガリカで紙面をご覧いただききたい。
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k7643015b.item

 それから連載の最終回まで、合計9回も日本の名が一面トップ記事の見出しに踊っている。

1941/12/11 「二艘の英国戦艦《プリンス・オブ・ウェールズ》《レパルス》、日本軍により撃沈」
1941/12/29「日本軍、マニラ[フィリピン]へ向けて前進」
1942/1/6「日本軍は刻一刻とシンガポールへ近づいている」
1942/1/7「英領ボルネオ島、ニッポンの手に渡る」
1942/1/8「ニッポン、シンガポールにもっとも近い空軍基地を支配」
1942/1/13「日本軍、クアラルンプール[マレーシア]を越えて英軍を追撃」
1942/1/16「ニッポン部隊、ムラカ[マレーシア]に接近」
1942/1/17「日本軍、シンガポール南部のリオ群島[ビンタン島]に上陸か」
1942/1/21「ビルマ[現・ミャンマー]では日本軍がインド洋に到達」

 本作発表の時期がいっそう切実に感じ取れることだろう。「日本軍」Les Japonaisという記述が多いが、一部には「ニッポン」Les Nipponsとの表現も見られる。フランス国民にとって、日本人の特殊性は際立って見えたのだろう。

 本作は戦時中の1943年、アルベール・プレジャン主演で映画化された。単行本化される前の公開だ。冒頭、メグレ役のプレジャンは身元を隠して偽名で登場するので、「えっ、この美男子プレジャンがメグレなのか」と、妙なところで意外性を抱かせる映画である。司法警察局の局長が《パリの夜》紙の名を出して、どこもかしこもピクピュス事件の記事ばかりだと嘆くのは内輪受けのギャグ。
 興味深いのは、本作でメグレがすでに「直感」型だと皆から見なされている点だ。局長がメグレに「直感の王メグレがまんまと翻弄されたわけだ」と文句をいうシーンもある。シムノンの原作ではここまで明確にメグレが「直感」型の探偵役であるとは記述されていなかったはずなので、こうした映画などを通して大衆サイドからメグレの輪郭が形成されていった様子がうかがえる。
 DVD-BOX附属の解説記事ではやはり映画評論家の吉田広明氏が「謎が解かれる鮮やかさよりは、場面場面の雰囲気を楽しむ映画である」と書いているが、決して雰囲気描写に優れた映画ではない。ごく気軽な娯楽犯罪映画だ。むりやり褒めどころを探したらこんな表現になった、くらいに捉えておくのがよい。
 ルパート・デイヴィス版のドラマは相変わらずテンポのよいつくりで、冒頭から犯人が男性か女性かわかってしまう。今回はメグレ夫人役のヘレン・シングラーHelen Shinglerがいいなあと改めて思った。事件解決後、メグレは夫人とともにパーティに出かける。そこで音楽が鳴り出して、集まった人たちが踊り始める。メグレも照れながら夫人と向き合って、慣れないツイストをいままさに踊ろうとする──そんなはにかんだふたりのショットで終わるのだ。メグレ夫人役はそれぞれのドラマ版で少しずつ特徴も違うのだが、やはり夫人役の女優がよいとメグレも映える。
 ジーノ・セルヴィ版は、暑い夏の日、メグレがオフィスで卓上扇風機をつけ、氷で冷やしたビールをジョッキに注ぐユーモラスなシーンから始まる。そこにマスクヴァンが訪ねてくる。いつものようにセルヴィ版は原作に忠実なので、複雑な人間関係もいちばんよくわかり、真犯人の狂気もうまく出ている。変装したリュカの姿が唯一拝めるドラマでもある。ラストも原作を踏襲して、ぐったりと疲れて帰宅したメグレを夫人が優しく労って寝室の灯りを消すシーンで終わり、夫妻の愛情に満ちた絆が伝わってきて温かな気持ちになる。
 ジャン・リシャール版は傑作。シムノンの原作は、連載時に「またはメグレの激怒」という副題がついていた。シムノンは戦後のメグレ復帰長編第一作で『メグレ激怒する』(1947)というタイトルを用いたが、そちらは『Maigret se fâche』で「メグレ立腹する」くらいが妥当であるのに対し、今回は「la grande colère de Maigret」と「grande」がついているので、とても怒っている――「激怒」により近い。この「激怒」は、途中メグレがル・クロアガン老人をオフィスで尋問しているとき、相手が煮え切らない態度を取り続けるので、ついにメグレの怒りが爆発し、突発的に声を荒げ、部下のリュカにル・クロアガン夫人も喚ばせて、老人に詰め寄るシーンから来ている。この激怒シーンをしっかりと再現しているのがジャン・リシャール版だ。原作ではこうしたメグレの尋問は《小唄シャンソネット》と呼ばれるのだと記されている。すなわちメグレの尋問はふだんならまず被疑者と互いに囀り合い、両者でつくり上げてゆく、そんなささやかな手法なのである。ところが今回、老人は「自分は気がおかしいので何もわからないのだ」といった演技を続けている。本当は多くの真相を知っているはずなのに狂人を装っている。それがメグレの感情にスイッチを入れる。そんな態度を続けていたら私だっておまえを擁護しきれないぞ、いつまでも幸せにはなれないぞ、という心底からの怒りが爆発する場面だ。ジャン・リシャール版はそんな本作の核心部分を省略することなくきちんと映像化している(ジーノ・セルヴィ版でも激怒シーンは再現されており、そちらも負けず劣らずの名演技である)。第一期メグレでは作者シムノンの筆が硬直して先行きが見えなくなったときメグレも焦燥の怒りを発していたのだが、ここでは尋問相手への共感が怒りを生んでいる。これも注目すべき重要な作風の変化のひとつだ。なお、ベルト嬢役の女優も、このリシャール版がいちばんかわいい。配役がつねに的確であるのもリシャール版の特色だ。
 ブリュノ・クレメール版は、いつも通り眠たい出来映え。日本でDVD化されていない最後の12作のひとつ。なぜかリュカやジャンヴィエではなく、ぜんぜん知らない役名の刑事たちが登場する。ベルト嬢役の女優も、うーん、こうではないんだよなあ。ミスキャストだと思う。よかったのは原作でいうところの牛乳屋の娘くらいか。
 私はむしろ既存のメグレ愛好者の皆様に、「クレメール版ドラマのどのへんが見どころなのか」教えてもらいたいとさえ思っている。

 メグレ長編全75冊における本作の位置づけとは、たとえば次のような感じではないか。
 横溝正史の金田一耕助ものから3冊選べといわれたら、たぶん私なら順当に『獄門島』『八つ墓村』『悪魔の手毬唄』とする。どれも何度も映像化されていて一般に知名度が高く、しかもいずれの映画版も名作だ。しかし5作か7作選べといわれたら、少し〝色〟をつけたくなる。『本陣殺人事件』『悪魔が来りて笛を吹く』『三つ首塔』あたりが頭に浮かんでくる。知名度が高い点を勘案すれば、まず候補となり得るのは『悪魔が来りて笛を吹く』か。仮にNHK総合で金田一耕助シリーズをドラマ化するなら、1作目はやはり誰もが知る有名作をぶつけたい。だが3作目くらいには『悪魔が来りて笛を吹く』という選択肢もありではないか。
 本作『メグレと謎のピクピュス』は、まさにそのような作品だと思うのだ。

▼他の映像化作品(瀬名は未見)
・TVドラマ『警視と殺人予告』愛川欽也主演、小野田嘉幹監督、1978(第24話) 愛川欽也版のドラマ《東京メグレ警視シリーズ》は映像ソフト未発売。愛川欽也はメグレ役に愛着を持ち、後年にはメグレによく似た「港古志郎警視」というキャラクターを創作し、亡くなるまで個人事務所の自主製作形式でドラマを発表し続けた(未見。映像ソフト未発売)。

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『月と太陽』『新生』等多数。
『石の花』などで知られる漫画家・坂口尚氏の未完コミック作品をリブート、小説化した長篇『紀元ギルシア』が、《WEBコミックトム》にて連載中(http://www.usio.co.jp/read/kigen_greecia/index.html)。


 
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