小説を読む楽しみは人それぞれだけど、わたしの場合、自分の知らない場所を旅できる点をそのひとつとしてあげたい。S・J・ローザンやローレンス・ブロックが描くニューヨーク、ジョージ・ペレケーノスのワシントンDC、デニス・レヘインのボストン、マイクル・コナリーのロサンゼルス、サラ・パレツキーのシカゴ、あるいは、どこにでもあるような小さな田舎町。小説は、そんな土地の空気、におい、そこに暮らす人々の日常を独特の視点と筆致でわたしたちに伝えてくれる。観光名所ですら、作家の手にかかれば、まったくべつの顔を見せることになる。

 今回ご紹介するP・J・パリッシュの “THE KILLING SONG”(2011)もそんな作品のひとつ。マイアミ、パリ、ロンドン、そしてスコットランドが舞台となるが、とくにパリの地下世界の描写がすばらしい作品だ。

 マット・オーウェンズはマイアミ在住の33歳。スポーツ記者を振り出しにキャリアを重ね、現在は《マイアミ・タイムズ》で調査報道を担当し、ピュリッツァー賞の候補になったこともある。まさに順風満帆と言いたいところだが、私生活では別れた恋人が忘れられず、仕事の面でも不景気の影響で経費のかかる調査報道が縮小される方向にあり、と不安な要素を抱えている状態だ。

 そんなおり、故郷のノース・カロライナ州ローリーから12歳下の妹マンディが遊びにやってくる。しかし、マイアミ滞在の最後の晩、マンディはナイトクラブから姿を消し、翌日、死体となって発見される。現場の状況から強姦殺人と思われたが、遺品として返されたiPodにローリング・ストーンズの “Too Much Blood” が入っていたことから、マットは行きずりの犯行という説に疑問を抱くことに。というのも、マンディはストーンズを毛嫌いしていたからだ。嫌いなバンドの曲を iPod に入れるはずがない。しかもダウンロードされたのは、マンディが行方不明になっていた時間帯だ。ならば、犯人がダウンロードした可能性が高い。

 ”Too Much Blood” はローリング・ストーンズが1983年に発表した曲で、アルバム “UNDERCOVER” に収録されている。タイトルから連想されるように内容は猟奇的で、パリ人肉事件や映画『悪魔のいけにえ』が歌われ、ホラー仕立てのビデオクリップは衝撃的な内容を含んでいることから、欧米では放送禁止になったほど。マットはその曲になんらかのメッセージがあるとにらむのだが、あくまで勘でしかない。それでも、歌詞のなかの“パリ”という地名だけを頼りにフランスへと向かうことに。

 当然のことながら、パリの警察ではまったく相手にされず、やはり無駄足だったかと思いはじめた矢先、ブローニュの森で殺された女性の事件とわずかなつながりが見え、マンディの事件は大西洋をまたいだ連続殺人事件の様相を呈しはじめる。担当のイヴ・ベラモント刑事の協力を得て、マットは各現場に残された曲をヒントに、ロンドンの閉鎖されたダンスホールやスコットランドのスレインズ城、パリの地下に広がる巨大な死者の帝国、カタコンベをめぐり、犯人に迫ろうとする。

 実は読者には冒頭で犯人が明かされている。フランス人のチェロ奏者で、名前はローラン。パリにある豪勢なお屋敷に住んでいるらしい。だが、わかっているのはここまで。男がなぜ犯行を重ねるのか、彼がしばしば口にするイレーヌとはいったい誰なのか、それが犯行とどう関わってくるのか。とにかくすべてが謎に包まれているのだ。すぐそこにあるのに、ぼんやりとした輪郭しかわからないような、手が届きそうで届かないような、そんなもどかしい描写で読者をぐいぐい引っ張っていく。

 そして圧巻はマットとベラモント刑事がローランを追って、パリの地下納骨堂を分け入っていく場面だ。パリの地下には巨大な納骨堂が広がっている。内部は600万体もの遺骨が積みあげられ、一般に公開されているという。しかし、崩落してしまった場所もあり、全容はいまだにわかっていないとか。そんな場所での追跡劇は、緊迫感にあふれ読み応えたっぷりだ。

 ところで、P・J・パリッシュの名にぴんときた方もいらっしゃることと思う。そう、エドガー賞最優秀ペイパーバック賞の候補になった『死のように静かな冬』(長島水際訳/ハヤカワ文庫HM)を書いた姉妹コンビだ。『死のように静かな冬』は流浪の警官ルイス・キンケイドを主人公にしたシリーズの2作めだが、このシリーズ、本国では2000年の “DARK OF THE MOON” から2013年の “HEART OF ICE” まで11作(うち1作は中篇)が出版され、ほかにキンケイドの恋人で同じく警官のジョー・フライを主人公にした作品も2作出ており、シェイマス賞を2回受賞したほか、アンソニー賞や国際スリラー作家協会賞にも輝いている。今回ご紹介した “THE KILLING SONG” はパリッシュ初のスタンドアローン作品で、ルイス・キンケイドのシリーズのテイストをのぞかせつつも、かなりスケールの大きな物語に仕上がっており、まさに新境地と言えるだろう。

東野さやか(ひがしの さやか)

兵庫県生まれの埼玉県民。洋楽ロック好き。最新訳書はブレイク・クラウチ『ラスト・タウン—神の怒り—』(ハヤカワNV文庫)。ローラ・チャイルズ『スイート・ティーは花嫁の復讐』(コージーブックス)、ブレイク・クラウチ『ウェイワード—背反者—』(ハヤカワ文庫NV)など。埼玉読書会世話人。ツイッターアカウントは @andrea2121

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