年も明け、今年も、びっくりするようなミステリと出逢えますように。

 文章の最後の方に、「2015年のクラシック・ミステリ」と題する回顧を書いていますので、御笑覧いただければ幸いです。

 さて、最初は、懐かしのフランク・グルーバー

『噂のレコード原盤の秘密』(1949)は、5冊の長編が翻訳されているジョニー・フレッチャー&サム・クラッグというコンビ物の久しぶりの邦訳。旧『宝石』誌で『レコードは囁いた…』として抄訳版があるものの、完全な形での紹介は初めて。

 ジョニーとサム、二人の生業は、いわゆる香具師、テキ屋の類。全米各地を放浪しながら、街頭で実演の上で、インチキなボディビル本を売りつけ、糊口をしのいでいる。頭脳担当はもっぱらジョニーで、体力担当はサムの方、アンバランスな二人だが、その絆は固い。

 毎度、犯罪に巻き込まれるが、今回は、大物歌手が事故死直前に録音した、この世に一枚しかないレコード原盤が絡んだ事件。

 歌手志望の若い女性がニューヨークの安ホテルの一室で殺害される。犯人が欲していた金属製のレコード原盤は、死の直前に、彼女が窓から放り投げ、こともあろうに、サムとジョニーの宿泊する部屋へ。二人は、原盤の争奪戦に巻き込まれ、犯人探しにも手を出すことになる。

 もしかすると、犯人探しよりも面白いかもしれないのが、ジョニー&サムのサバイバル術。職業柄、二人はいつも素寒貧だ。本書のオープニングでは、安ホテル代も尽きて、ジョニーは断りもなくサムの服を質入れしており、サムはベッドから出られない始末。生活費を稼ぐべく、銀行、ショップ、質屋を往復するジョニーの涙ぐましい錬金術は必見で、本書のお楽しみの一つ (といっても負債は増える一方)。

 事件の方は、ジョニーの頭脳と弁舌の冴えで、レコードの秘密と殺人犯の正体に肉薄していくが、その途上では、『フランス鍵の秘密』でのライバルだった私立探偵トッドの登場や、レコード業界の内幕話、サムの誘拐あり、とにぎにぎしい。終幕、会社の株をもった関係者が集まる謎解き場面では、株主総会の様相を呈するなど、創意も凝らされている。ユーモラスで気の利いた会話、笑いをふんだんに盛り込んだストーリーテリングは、このコンビ物の気取らない楽しさを改めて教えてくれる。

 ケネス・デュアン・ウイップル『ルーン・レイクの惨劇』(1933) は、著者の処女長編。といっても、この作者の名を聞いてピンとくる読者がいたら、相当の豪の者だ。アメリカ本国でも忘れ去られている作家が、日本の読者に少しでもなじみがあるとしたら、戦前に、横溝正史の手によって、著者の『鍾乳洞殺人事件』が抄訳されていることによるものだろう。(『横溝正史翻訳コレクション 鐘乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密—昭和ミステリ秘宝』に収録) これは、鍾乳洞が舞台のミステリで、戦後に書かれ、同じく鍾乳洞が重要な舞台となる正史の『八つ墓村』にも影響をもたらしているものと思われる。ウイップルなかりせば、現在の形の『八つ墓村』はなかったわけだ。

 大学時代の旧友で「四匹のキツネたち」と自称する四人は、毎年、ルーン・レイク湖畔で、家族連れで避暑を楽しんでいたが、今年の避暑は血塗られたものになった。湖畔に集う男女十人に殺人鬼の影が襲いかかる。

 探偵役は、「四匹のキツネ」の一人であるブレントウッド弁護士。語り手はその甥で、避暑に参加した「私」。

 本書は、パルプ雑誌に掲載されたそうで、『鍾乳洞殺人事件』同様、通俗味が強い作風。今、書き直せば、スラッシャー・ホラーミステリということにでもなるだろうか。とにかく矢継ぎばやに事件が起こる。冒頭のモーターボートが岸壁にぶつかって大破するシーンから始まり、キャンプ周辺のうろつく影、深夜の銃撃戦、湖底に蠢く怪物らしきもの、殺害されかかる探偵、そして密室二重殺人……。邦訳230頁ほどの短い長編に、これだけのイベントラッシュだから、コクや味わいといったものとは無縁だが、限定された空間での殺人鬼の跳梁に、一気に引っ張られる快感は確かにある。しかし、深海の怪物や二重密室の謎といった展開が派手なだけに、謎解きはいささかあっけなく、フェアプレイや手がかりの妙味といったものには欠ける。

 30年代英米本格というと、スクエアな本格ばかりというイメージだが、昨年のキーラーにしろ、このウイップルにしろ、作風は異なるとはいえ、パルプ風味の本格ミステリが同時に存在していたことには、興味をかきたてられる。

 ジャック・リッチー『ジャック・リッチーのびっくりパレード』は、一昨年の『ジャック・リッチーのあの手この手』に続く、早川ポケミス、小鷹信光編リッチーのオリジナル短編集。

 昨年11月の本欄で、同氏訳のダシール・ハメット『チューリップ』を紹介したばかりだが、小鷹氏は、昨年12月に逝去された。闘病の傍ら、本当に最後まで仕事を続けられたわけで、最大限の敬意を表したい。翻訳ミステリになじんできた人なら、同氏の訳業や評論、アンソロジー等に恩恵を受けなかった人は、まずいないだろう。深く哀悼の意を表する次第です。

 日本オリジナル短編集『クライム・マシン』(2005)以来、6冊目の短編集となるわけだが、編訳者あとがきによると、『あの手この手』と同様、すべてが本邦初訳とあるから、その未訳作の中から珠を渉猟する作業も並大抵ではなかったはず。編者の苦労が偲ばれる。『あの手この手』では、作品配列に趣向が凝らされていたが、本書は、デビュー作、遺作を含め、シンプルに発表順の配列になっている。 

 作品は、これまでの短編集に比べても、遜色のないセレクト。SF風味の作品が幾つかみられること、ワンアイデアを巧みに生かした短編から叙述に余裕のある短編への時代的な作風の変化も読み取れるのが本書の特徴だろうか。

 迷推理で事件をこじらせていくターンバックル部長刑事物が3編、カーデュラ探偵社物が1編収められているのも嬉しい。「村の独身献身隊」「ようこそ我が家へ」「四人で一つ」「帰ってきたブリジット」「夜の監視」とお気に入りを並べても、アイデアや軽妙なタッチ、というにとどまらない作風の幅を改めて知らされる。

 リッチーの最後の短編「洞窟のインディアン」が収録されているが、その遺作にふさわしい内容と、それに対する小鷹氏のコメントをみるにつけ、二人の姿が重なってみえてしまうのをいかんせん。

 昨年末、短編集『なんでもない一日』が久しぶりの邦訳となったシャーリイ・ジャクスンだが、今度は、『丘の屋敷』『ずっとお城で暮らしてる』より前に書かれた長編『日時計』(1958)の登場である。

 なんとも形容しにくい小説である。ジャンル小説とはいい難い。好感がもてる登場人物は、まずいない。ただ、読み出したら、小説中の屋敷の住人のように、囚われてしまう、そんな小説だ。

 舞台は、広壮なハロラン家のお屋敷。幕開けは、当主の息子ライオネルの突然の死だ。当主のリチャードは、車椅子の身で老人ぼけが出ており、屋敷の実権は、その妻オリアナが握ることになる。オリアナは、リチャードの妹ファニーやライオネルの嫁らを屋敷から追い出そうと画策するが、そんなとき、ファ二ーは、既に亡くなっている先代の当主(ファニーの父)から奇妙なお告げを聴く。空から、大地から、海から危険は迫っている。屋敷にいれば安全だ。

 不思議なことに、このお告げの内容は屋敷の住人たちに次第に伝染し、彼らは屋敷にこもることで、世界の崩壊から生き延びようとする。

 主要登場人物の数は多いが、開巻数ページで、不和と秘密が渦巻く屋敷の自己中心的な住人たちが見事に描き分けられる。

 屋敷は、もう一人の主人公ともいえる存在。先代が莫大な資産をつぎ込んで建てたもので、際限なく飾られ、様々なことばが屋敷と敷地のあちこちに刻まれている。屋敷の象徴ともいえる庭の日時計には、『カンタベリー物語』からの引用で「この世はなんなのだろう?」と刻まれている。屋敷の存在感、「内」と「外」のモチーフは、この小説の後の『丘の屋敷』『ずっとお城で暮らしてる』にもつながっていくものだ。

 住人たちは、屋敷を新世代の箱舟のごとく見立て、迫りくる日から逃れるため、必要な物資(若い男まで!)を調達し、村人たちとのお別れのパーティまで企画する。そこには、奇妙な祝祭感すら漂っている。

 本書には、屋敷に刻まれた言葉、ロビンソン・クルーソーからの引用、殺人事件で有名になった村など様々な読みを誘発しそうな要素が散りばめられているのだが、作者は決してひとつの読みに誘導しようとはしていない。物語の背景には、核危機など現実の危機の影響もあるのかもしれないが、取り立てて言及されることもない。

 頭の中が生み出したこの世の終りに右往左往する人たちを、辛辣に、いくばくかの人間的共感をもって描いた神聖喜劇と捉えてみたが、どうだろうか。

 話が話だけに、結末が大きく気になる小説だが、実際に最後の一行を読み終えてみると、なるほど、これしかないかもしれない。

 ロード・ダンセイニ『ウィスキー&ジョーキンズ』

 ロード・ダンセイニといえば、『ペガーナの神々』などで知られる幻想文学の巨匠。ミステリファンには、奇妙な味の代表ともいえる「二壜の調味料」(二壜のソース)で忘れ難い作家だろう。同短編にも登場する探偵リンリー物の短編を収録し、クイーンの定員にも選ばれた短編集『二壜の調味料』が早川ポケミスで紹介されたのも、まだ記憶に新しいところ。

 本書は、ジョーキンズという語り手がビリヤード・クラブというクラブで、自らの体験談を披露するという体裁の短編シリーズ。なぜ、ウィスキーなのかというと、ウィスキー&ソーダが好物だからで、金運には恵まれないジョーキンズは、ウィスキーにありつくために、皆に話を披露しているらしい(本人は何度も否定しているが)。 

 本書には、ダンセイニが四半世紀にわたって書き続けたシリーズ短編120編以上から、23編を収録。精選集だけあって、粒がそろっている。

 ジョーキンズの話は、例えば、最初の一編「アブ・ラヒーブの話」は、アフリカに生息する突拍子もない能力をもつ動物狩りの話、「失なわれた恋」は、地中海の島での顔を見せない美女との恋愛奇譚、といった具合に、主に異国での体験をベースにした愉快でホラ話であり、本人は、ミュンヒハウゼン男爵呼ばわりが、つらいともいっている。その限りで、大いに愉しめる読み物なのだが、「渇きに苦しまない護符」の宿命性、「奇妙な島」や「サイン」の恐怖、「夢の響き」の幻想性など、一編ごとに様々な色合いがあって、単なるホラ話といってすまないものも多い。

 通して読むと、ダンセイニの想像力あるいは幻視力の非凡さには感嘆させられる。

 例えば、「ライアンは如何にしてロシアから脱出したか」の中で、話し手(珍しくジョーキンズではない)は、パリのチェスクラブを訪れる。自分のゲームから顔を上げて他の対戦者の勝負をみると、二人の対戦者はナイトの動かし方をまったく知らないのだと気づく。「これはチェスクラブなんかじゃない」

 この、見知らぬものがぬっと顔を突き出し、世界が歪むような感覚。物語のはじまりにすぎないのだが、常人には予期できない方角から日常の関節を外す力の凄味が伝わるようなシーンだ。同じことは、謹厳な田園生活の裏でサテュロスを雇い人としているという「リルズウッドの森の開発」の題材や、「薄暗い部屋で」のストーリーテリングなど至るところに表れている。

 ジョーキンズのホラ話が、クラブで披露されていることは、重要だ。暇を持て余した安逸の民の足下は、実は、薄い皮一枚で、驚異や幻想、秘跡の世界と地続きになって広がっていることを端的に示しているのだから。

 サキ『けだものと超けだもの』

 サキの短編には、動物が出てくるものが多く、筆者はサキ短編十二支を試みたこともあったのだが、まさにこの短編集が動物尽くしであることに気づいていなかった。これも、短編集完訳の役得というものだろう。『けだものと超けだもの』(1914)は、昨年の『クローヴィス物語』に続くオリジナル完訳短編集。エドワード・ゴーリーの挿絵を収録。

「開けっぱなしの部屋」「話上手」といった名作も本書に収録。語りの技巧的にも、『クローヴィス物語』よりもさらに完成度を増している感がある。お気に入りは、「ローラ」「沈没船の秘宝」「鉄壁の煙幕」あたり。前記ダンセイニの作と思わぬオーバーラップがあるのも面白い。語彙がカラフルで現代的な訳も、従来の訳文と読み比べてみたい。

 もう一つ。サキ『四角い卵』は、風濤社サキ・コレクション第一弾『レジナルド』に続く、第二弾。第5短編集、第6短編集からの作品を中心に、12編を収録。

「警告されて」などの辛辣さは相変わらずだが、本書には、地獄に議会があったという奇想譚「地獄の議会」があったり、「幸福の王子」風の童話めいた「地獄に堕ちた魂の像」があったり、一次大戦に従軍して戦死する直前に書かれた達観したようなエッセイ「西部戦線の鳥たち」があったりと幅広い表情をみせている。塹壕戦の泥濘の話から始まり、断ち切るかのように落とす表題作は名編。 

 ノンフィクションながら、ルーシー・ワースリー『イギリス風殺人事件の愉しみ方』(2013)は、クラシック・ミステリ読書のサブ・リーダーとして有益だ。19世紀の現実の殺人から、黄金時代の紙上の殺人まで英国国民は、殺人をどう愉しみ、消費してきたかを気鋭の女性文化史家が辿った本。いかに、英国国民が現実の殺人に熱狂してきたかは、R.D.オールティックの著書などでも明らかにされているが、同名のTV番組制作と同時に書き進められたようで、豊富なエピソードと取材で楽しく読める概説書となっている。ただ、ミステリ関係の固有名詞などは、従来の訳と異なるものが見られ、違和感をもったことも書き添えておく。

◆2015年のクラシック・ミステリ

 充実の一年だった。

 けれども、筆者のキャパシティの問題で、新訳・再刊などは一部を除き、ほとんど取り上げることができなかったのは、大変残念。

 新訳では、ランドル・ギャレット『魔術師を探せ!』、セバスチャン・ジャプリゾ『新車のなかの女』、マーカレット・ミラー『まるで天使のような』、ディクスン・カー(カーター・ディクスン)やエラリー・クイーンの諸作、再刊ではジェイムズ・ヤッフェ『ママは何でも知っている』やトマス・フラナガン『アデスタを吹く冷たい風』などの傑作・秀作群は、未読の方には、ぜひ手に取っていただきたいものだ。

 2015年刊で本欄に取り上げた本は、50冊ほど。

 論創海外ミステリがコンスタントに毎月複数冊刊行しているのに加えて、原書房のヴィンテージ・ミステリや老舗の創元推理文庫も頑張ってくれた。意外なところでは、ちくま文庫から、ヘレン・マクロイが出たことで、今年も期待できそうだ。電子書籍では、平山雄一氏「ヒラヤマ探偵文庫」も眼が離せない。

 ジャンル分けに異論もあるかもしれないが、便宜上、懐かしの創元マークの分類にならって2015年のクラシック・ミステリを振り返ってみる。

 おじさんマーク(本格)系の作品では、ここまで出してくれるのかと驚きを伴うのが、随分刊行された。クラシック本格の発掘のツルハシが、埋もれた古層まで届いてコツンと音がしたとでもような。ハリー・スティーヴン・キーラー『ワシントン・スクエアの謎』、ヴァージル・マーカム『悪夢はめぐる』、C・デイリー・キング『いい加減な遺骸』、クレイグ・ライス『ジョージ・サンダース殺人事件』。それに、エラリー・クイーンのペーパーバック・オリジナルから本格味が強いものとして『チェスプレイヤーの密室』『摩天楼のクローズドサークル』まで出版された。「狂える天才」キーラーや、マーカムの混沌、キングの人工性は、その突拍子もなさも含めて、「事件」だった。

 ビッグネームでは、パトリック・クエンティン『犬はまだ吠えている』、クリスチアナ・ブランド『薔薇の輪』、ヘレン・マクロイ『あなたは誰?』などが実力を見せつけてくれた。

 その他、英国クラシックでは、ヴァル・ギールドッド&ホルト・マーヴェル『放送中の死』、E・C・R・ロラック『曲がり角の死体』、ジョージエット・ヘイヤー『グレイストーンズ屋敷殺人事件』、クリストファー・ブッシュ『中国銅鑼の謎』、ジョン・ロード『ラリーレースの惨劇』など。イーデン・フィルポッツ『だれがコマドリを殺したのか?』とハリントン・へクスト『だれがダイアナ殺したの?』、同一作がほぼ同時期の刊行になったのはやむを得ないとはいえ、もったいなかった。

 米国では、ロジャー・スカーレット『白魔』の完訳をはじめ、ティモシー・フラー『ハーバード同窓会殺人事件』、ラング・ルイス『友だち殺し』、ベイナード・ケンドリック『暗闇の鬼ごっこ』、ミニヨン・G・エバーハート『スーザン・デアの事件簿』など。いずれも、個性豊かで特筆すべき点がある。アメリカのシャーロック・ホームズのライバル、クレイグ・ケネディ登場のアーサー・B・リーヴ『無音の弾丸』は時代性も含めて楽しめたし、レックス・スタウト『ようこそ、死のパーティーへ』も堪能できた。

 6、70年代の本格では、D・M・ディヴァイン『そして医師も死す』、ハリー・カーマイケル『リモート・コントロール』。カーマイケルは初紹介だが、最小の補助線で最大限の驚きを生んでいるのには唸らされた。

 その他では、エドワード・D・ホック『怪盗ニック全仕事』シリーズの刊行が続いている。

 猫マーク(サスペンス・スリラー)系の作品では、エドガー・ウォーレス『淑女怪盗ジェーンの冒険』『真紅の輪』、サックス・ローマー『悪魔博士フー・マンチュー』、E・フィリップス・オッペンハイム『日東のプリンス』、ジョストン・マッカレー『仮面の佳人』、ハーマン・ランドン『灰色の魔法』、ジョン・P・マーカンド『サンキュー、ミスター・モト』と、随分クラシカルなところが紹介された。特に、『真紅の輪』には、現代にも通じるスリラーの原型をみる思い。

 戦前訳のみだったジョルジュ・シムノン『紺碧海岸のメグレ』や、フレドリック・ブラウンのエド&ハンター物『アンブローズ蒐集家』、パトリック・クエンティンのピーター&アイリス物『死への疾走』とシリーズのラストピースが埋まったのも慶事だった。映画化の影響で、キリル・ボンフィリオリのチャーリー・モルデカイ・シリーズがすべて出たし、マーガレット・ミラーの秀作『雪の墓標』が論創海外ミステリから初刊行されたのもありがたかった。

 拳銃マーク(警察・ハードボイルド)系の作品では、リチャード・S・ブラザー『墓地の謎を追え』、ダシール・ハメット『チューリップ』、ジョルジョ・シェルバネンコ『虐殺の少年たち』と、やや寂しい。

 時計マーク(法廷、倒叙その他)系の作品では、フランシス・ディドロ『七人目の陪審員』。アイロニーに満ちた法廷ミステリとして屈指の作。

 帆船マーク(怪奇と冒険)系の作品で唯一取り上げたのは、アリス&クロード・アスキュー『エイルマー・ヴァンスの心霊事件簿』

 その他、サキ『レジナルド』『クローヴィス物語』『サキ—森の少年』、非ミステリだが、パトリシア・ハイスミスの未訳作『キャロル』、シャーリイ・ジャクスンの短編集『なんでもない一日』もファンを喜ばせた。

 ある映画史家のことばに、「古い映画というのはない」というのがあるそうだが、同様に「古いミステリというのはない」ともいえそうだ。書かれた時代が古くても、創意に富んだミステリは、我々の前に常に新しい姿で立ち現れてくる。今年も、クラシックなミステリがどのような姿を見せてくれるのか括目したい。

では、最後に2015年私的ベスト10+1を。

作者 作品 Amazon
1 ハリー・カーマイケル『リモート・コントロール』
2 ヴァージル・マーカム『悪夢はめぐる』
3 フランシス・ディドロ『七人目の陪審員』
4 イーデン・フィルポッツ『だれがコマドリを殺したのか?』
5 クリスチアナ・ブランド『薔薇の輪』
6 マーガレット・ミラー『雪の墓標』
7 ヘレン・マクロイ『あなたは誰?』
8 E・C・R・ロラック『曲がり角の死体』
9 ジョルジョ・シェルバネンコ『虐殺の少年たち』
10 パトリック・クエンティン『犬はまだ吠えている』
+1 中村融編『街角の書店』
ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

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 ミステリ読者。北海道在住。

 ツイッターアカウントは @stranglenarita

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