稲村文吾と申します。この度は、台湾で開催されているミステリ賞、島田荘司推理小説賞の第三回受賞作、胡傑『ぼくは漫画大王』の翻訳を担当させていただきました。

 思えば、同賞の第一回受賞作、寵物先生(ミスターペッツ)『虚擬街頭漂流記』と第二回受賞作の陳浩基『世界を売った男』は、どちらも現在の中国語ミステリの成熟を示す傑作でした。それに続き、昨年行われたクラウドファンディングを経て満を持して刊行されるのが、今回の『ぼくは漫画大王』です。

 島田荘司推理小説賞の詳細や、クラウドファンディングのことについてはこちらもご覧ください。

 この作品のいきなり冒頭に置かれた「第十二章」で、大学生の盧俊彦(ろ・しゅんげん)は向かいの方(ほう)家で起きた殺人事件に巻き込まれます。刺殺された被害者は家の主人で、一人息子はなぜか子供部屋に閉じ込められていたのです。

 時間を少し遡って、方家の息子「健ちゃん」は、近所に住むお兄さんに読ませてもらった雑誌『週刊漫画大王』をきっかけに、漫画の世界にどっぷりと漬かっていきます。しかし彼の前にはライバルが現れ、漫画熱は次第に子供どうしの誇りを賭けた戦いに発展して——

 作中で描かれるのは、昨年刊行されて話題になった呉明益『歩道橋の魔術師』でも舞台の一つとなっていた、1970年代後半から80年代初頭の台北です。当時、台湾の漫画家たちは検閲によってがんじがらめにされ、代わりに日本から翻訳された漫画が市場を席巻していた時代でした。『マジンガーZ』、『ゲッターロボ』、『サイボーグ009』、『ウルトラマン』、さらに『王家の紋章』『ガラスの仮面』……物語の世界に、そしてそれを収集することに熱中していく「健ちゃん」の姿には、過去の自分を思い出して共感を覚える方も少なくないのではないでしょうか。

 しかし同時に本書は、好きなミステリ作家としてアントニイ・バークリー、アガサ・クリスティ、島田荘司、殊能将之、折原一、我孫子武丸……を挙げる作者が、凝った構成にひねくれた企みを隠したミステリでもあります。平行して語られていく一家の大黒柱、方志宏(ほう・しこう)の物語と「健ちゃん」の物語とはどのように関わり、破局につながっていくのか——一筋縄ではいかない語りを、ぜひお楽しみください。

 今年に入ってから、『歩道橋の魔術師』がTwitter文学賞海外部門2位・日本翻訳大賞最終選考候補・本屋大賞海外部門3位、と各所で高く評価され、さらにエンタメに寄った方面でも、台湾で絶大な人気を誇る作家九把刀(ジョウバーダオ)が日本でのエージェント契約を結ぶという報が流れ、と台湾文学関連では嬉しいニュースが続いています。

 台湾の小説に触れるなら、今こそ絶好のタイミングかもしれません。

稲村文吾(いなむら ぶんご)

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 中国語ミステリ愛好家。元ワセダミステリクラブ所属。国内の本格ミステリばかり読んでいたはずが、いつの間にか現代中国語ミステリを読み進める日々に。中国語短篇を電子書籍で翻訳出版するシリーズ『現代華文推理系列』を2014年から個人で展開中。

●Twitterアカウント: http://twitter.com/inmrbng

●Blog: http://kochotei.blog.fc2.com/

■担当編集者よりひとこと■

 本書の著者・胡傑さんは、少年時代に日本の漫画を読みふけり、長じては日本のミステリにインスパイアされて本作を書き上げました。これは日本のサブカルチャーが台湾ならびに中国語圏の人々に大きな影響を与えてきた証左ではないでしょうか。現状、日本と他のアジア諸国との関係は文化面、特に小説においては輸出過多の感が否めません。しかし、これからは世界人口の四分の一といわれる中国語圏から素晴らしい才能を持った作家たちが出現し、日本でも多くの読者を獲得するでしょう。島田賞の受賞者たちはその先鞭となるに違いありません。

 

 本書の刊行に合わせて、「非英語圏ミステリ世界一周・中国語圏編」というイベントが開催されます。ご興味のある方はぜひご参加ください。

(文藝春秋・荒俣勝利)   

 

(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

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