この3月の「玉手箱」でも、エリザベス・フェラーズ『カクテルパーティー』を「新たなる代表作」と持ち上げたところだが、またしても彼女の代表作といっていいような作品が紹介された。二次大戦終了直後に出版された『灯火が消える前に』(1946) だ。

 物語の骨格は、『カクテルパーティー』(1955)と同様ノン・シリーズ物で、小集団内で起きた殺人事件の真相を素人が探っていくストーリーになっている。Murder Among Friends という原題が端的に内容を言い表している。

 刺繍作家セシリーが自宅で主宰したパーティに現れるはずだった劇作家リッターがパーティに現れず、自室内で撲殺されていた。劇作家の自室は同じ建物の最上階であり、第三者の目撃情報などから、犯人はパーティの出席者で劇作家の著作権代理人であるジャネットとみなされ逮捕される。パーティの客だった主婦アリスは初対面であったにもかかわらず、ジャネットが犯人であることに納得できず、周辺の調査をはじめる。

 読み進めるうちに、読者には、本書が『舞踏会の手帖』的な巡礼形式の物語であることが判ってくる。ジャネットは平凡な主婦であり、捜査当局とのコネもない。できることといえば、パーティの出席者と次々と会って、被害者や容疑者ジャネットを取り巻く人間模様に耳を傾けるだけ。しかし、関係者の話を積み重ねていくうちに、これまで表面には現れなかった関係者の肖像や「フレンズ」たちの間の意外な人間関係が浮かび上がってくる。被害者、容疑者の違いはあるものの、関係者のインタビューを重ねるうちに、意外な悪女の素顔が浮上する、ガーヴ『ヒルダよ眠れ』(1950)を思い出した。かつて女学生として友人同士だった女性三人の対照的な性格と三者三様の人生模様も奥行きがある。

 そういう意味では、現代的なリアリティのある人間像を描くことにじっくり取り組んだ作なのだが、とはいえ、名手フェラーズ。最後まで読むと、意外性を備えた本格ミステリにしてしまう。用いられる手品のタネは小粒だが、伏線が巧妙に張られているし、白刃一閃、それまでの構図をひっくり返してしまうシンプルさは、人間の性格を丹念に掘り下げた本作にはふさわしいものだ。真相の直前に披露されるアクロバティックな推理も捨てがたいし、「灯火管制」という戦時下の特殊状況を素材にしている点で、同じく戦時下でしかなしえないトリックを用いた、ディクスン(カー)『爬虫類館の殺人』と並ぶものだろう。灯火は暗く、主要人物の一人は従軍している。ほの暗いトーンで戦時下の生活と人間の心理を描いた戦時下ミステリとしても出色。

 ところで、『海外ミステリ名作100選』(早川書房)で本書を選定したH・R・F・キーティングによれば、それまでフェラーズの作品を手がけてきた出版社が「探偵小説はこのような汚いものであってはならない」と本書の出版を拒否したという。登場人物の性的奔放さがその理由らしいが、現在の眼からみればどうということないレベルである。そうしたことは見えなくなっている。キーティングは、フェラーズは、1946年という時点で、「ディテクティヴストーリー」から「ディテクティヴノヴェル」というまったく新しいタイプのミステリを提供しはじめたという。

 トビー・ダイク&ジョージの名探偵システムを放擲し、探偵小説のお上品さをかなぐり捨てて、リアリティある人間像を描きつつ、なおかつ謎解き小説であることを志向した本書は、自分なりのミステリを追い求めたフェラーズの闘いの書のようにも読めるのである。

『厚かましいアリバイ』(1938) は、コアな本格ミステリファンには、待望の一冊。〈オべリスト〉3部作、不可能犯罪てんこもりの短編集『タラント氏の事件簿』などの著者として、C・デイリー・キングの名には、やはりときめいてしまう。

 本書は、〈オべリスト3部作〉に続く、〈ABC三部作〉のうち、さきに紹介された『いい加減な遺骸』(原題 Careless Corpse )に続く第二弾(原題 Arrogant Alibi )。

 前作『いい加減な遺骸』では、「仕掛けのある屋敷」や「音楽殺人」論議など、まるで日本の一部の新本格作品を思わせるような突き抜けた人工性を感じさせたが、本書ではやや控えめなものの、洪水で孤立した集落、奇妙な館で起きる連続殺人(密室殺人含む)、エジプト文明に関するペダントリー、神秘めかした章立てや邸内見取り図などのギミックなどをふんだんに盛り込みケレン味あふれる謎解きが展開する。

 前作の事件で疲弊したマイケル・ロード警視とポンズ博士は静養のため、コネティカット州の友人宅へ向かう。春からの洪水が最高潮に達し一帯は周囲から孤立、ロード警視らは、かろうじて水につかっていない邸宅〈パーケット邸〉での音楽会に臨む。屋敷には、女主人の亡き夫が蒐集した古代エジプトの遺品の数々、ミイラさえも収めるエジプト博物館が併設され、謎めいた雰囲気を醸し出している。この音楽会のさなか、女主人が古代エジプトの短剣で首元を刺され殺されてしまう。併設したエジプト博物館の短刀が宙を飛んで女主人を刺したとしか思えない状況で。しかも、発見者である若い魅力的な女性チャーミオン以外には、皆、完璧なアリバイがあった。

 ケレン味ある道具立てと並んで、本書に特徴的なのは、地元の警察とロードの軋轢が物語の縦糸になっているところ。地元警察は、ニューヨーク市警のロードに敬意を払わず、捜査も独走し、チャーミオンを逮捕する。背景には、地元警察をも牛耳る街の政治ボスの存在がある。この辺の現実性は、キングにしては珍しい。チャーミオンに心惹かれたロードがいかに地元警察を出し抜くかという興味の導入は、作者がある程度大衆性を意識した現れかもしれないが、物語の進行への期待を高める。

 本書のメインになるのは、タイトルのとおり「アリバイ」。謎の核になる部分に、書かれた当時ですら専門的知識に乏しい読者には、そうですか、というしかない技術的なトリックが用いられているのは、かなり残念。

 とはいえ、冒頭で「特異で驚くべき特徴を一つどころか、少なくとも四つか五つは備えた事件」と宣言されるように、「全員に完璧なアリバイがある状況」を核に、エジプト学のペダントリーと神秘、不可能犯罪、幾つもの仮説、意外な犯人、ダイイング・メッセージなどなど本格ミステリ特有の要素を分厚く貪欲に組み合わせ、それを試練にさらされたロード警視という柱で支えた本書は堂々たるバロック建築物であり、黄金期晩年からのうれしい贈り物だろう。

 バート・スパイサーは、多くの読者には耳慣れない作家だが、それもそのはず、『ダークライト』(1949)は著者の長編の本邦初訳。1950年度のエドガー賞最優秀処女長編賞候補であり、名作表であるW・B・スティーヴンスン編ナショナル・ブック・リーグ読書案内の探偵小説部門にも選定されている。

 最近ではめっきり紹介されることもなくなった、ハメット‐チャンドラー・スクールといわれるオーソドックスなハードボイルド。

 主人公は、私立探偵カーニー・ワイルド。ニュージャージー州の港町で事務所を構えており、探偵稼業でまあまあしのいでいる。軍の捜査部で5年間働いたのち、開業。事件の捜査中に29歳の誕生日を独り迎える。

 事件は、黒人の男が事務所のドアにもたれて座っているところから始まる。貧しそうな黒人の依頼は、自らが帰属する新興宗教団体の伝道師が失踪してしまったというもの。古く擦り切れた43ドルを差し出され、「金はしまってくれ」と言いつつ、ワイルドは仕事を引き受ける。

 失踪人探しの依頼から始まる——といえば、これぞハードボイルドの王道。ワイルドの台詞や態度は固ゆでだが、貧しい黒人を気遣い、相応の敬意を表するこの探偵に、冒頭の章から好感がもてる。 

 ワイルドは、新興宗教のスポンサーになっていた未亡人の邸に向かい、そこで夫人の娘アリシアと知り合う。アリシアは大学卒業したてで美貌のじゃじゃ馬だが、捜査の同行をワイルドにねだり、二人はニューヨーク行きをともにする。彼女がワイルドを「シャーロック」と呼び、ワイルドがそれを嫌がる、という繰り返しの中で二人の仲は深まっていき、それが物語に彩りを添えている。

 ふとした手がかりから、伝道師は失踪したのではない可能性が浮上する辺りから、物語は急展開し、再び殺人が発生。警察と反目しつつも、ワイルドは、登場人物たちの暗部を明るみに出し、別に進行する事件との関連も明らかにして、関係者が一堂に会する絵解きとなる。謎解きは派手なものではないが、納得のいくものであり、登場人物の光と闇の部分を照らし出す。

 終幕を除き殴り殴られといった暴力はないし、ムダな感傷もない。簡潔な比喩と会話に精彩があり、文章は引き締まっている。キリリと冷えたマティーニの味わいのような佳品。

 意欲的に古典ミステリを紹介している電子書籍のヒラヤマ探偵文庫。今回はそのうちの2冊を。先月には、「訳者自身による新刊紹介」に、平山雄一氏か登場し、抱負や今後の予定を語られている。

 アメリカの作家ロドリゲス・オットレンギ 『決定的証拠』(1898)は、「クイーンの定員」の一冊に選定されている歴史的価値ある短編集。12編収録。

 本書で眼を惹くのは、ダブル探偵の趣向だ。主として活躍するのは私立探偵のバーンズだが、もう一人大資産家で素人探偵のミッチェルが登場する。二人は親友でもあるが、ライヴァル関係にもあって、ミッチェルはバーンズの鼻を明かすのが生きがい。ホームズ/ワトソンの関係ではなく、トムとジェリー的な競い合いが作品の華となっている。(ミッチェルがバーンズをからかうために仕組んだ事件まである)

 冒頭の中編「不死鳥殺人」は、衆人環視の下で火葬されたはずの死体が、イースト川から水死体で発見されるという飛び切り魅力的な謎が提示される。水死体には非常に稀な皮膚病の痕跡があり、それは火葬された死体の特徴とも一致している。捜査が進むに連れ、死体の正体も事件の構図も二転三転していく。作者自身が歯科医であり、医学的知見によって解決がつくのだが、この時代としてはあまり例をみないような充実した謎解きが展開されており、これも探偵の競い合いというフォーマットから生まれた成果だろう。

 この競い合いの構図から生まれた何とも奇妙な作品が二編目の「ミッシング・リンク」。頭部、両手足が切断された女性の死体をめぐる謎解き編。ホームズ譚によくある事件の解決プラス事件に至る因果話といった趣の作だが、意外な犯人と真相には絶句してしまう。まるでパースの狂った謎解き小説とでもいおうか。少し内容に踏み込みたいのだが、それでは面白さが減じてしまうので、変なミステリ好きはぜひご一読を、とだけ。

 最初の二編でやられてしまったが、続く短編も二人のライヴァル関係を軸にして展開し、宝石の盗難事件が多く扱われているのが特徴的。最初の二編ほどのインパクトのある短編は見当たらない。解決の部分で初めて手がかりを示すようなアラも目立ってくるが、19世紀末に書かれたことを考えればやむを得ないだろう。

 本書は、ホームズ譚の影響下で書かれたことは明らかだが、オリジナルな変奏がされた例として記憶にとどめたい作品集。当時の精妙な挿絵が収録されているのも楽しい。

 アーサー・B・リーヴ『エレインの災難』は、『無音の弾丸』に続く、クレイグ・ケネディ教授物の紹介第二弾。前作は短編集だったが、今回は、連作短編というか全体として長編として読める仕立てになっている。

 訳者解説によれば、本作は、アーサー・B・リーヴ脚本の1914年の映画としてまず世に出、それを小説化して、翌年の1915年に単行本になったものだという。(映画の邦題名は『拳骨(エレーヌの勲功)』) その翌年1916年(大正5年)には、『探偵小説 拳骨』などとして3種類もの邦訳が出ているというのだから、いかに映画がわが国でも大当たりしたのかを物語る。

 数回にわたって同じ登場人物が登場し危機また危機のストーリーが展開していくものをシリアル(連続活劇)というが、当時シリアルの女王といわれたパール・ホワイト主演の本編などのシリアルは今でも語り草となっている。映画『拳骨』は、各編の結末に、大きく「?」が浮かび出て、謎の解決は次週となったという(児玉数夫『それはホームズから始まった』(フィルムアート社))

 本作は、ニューヨークの謎の犯罪王「拳骨」と科学探偵クレイグ・ケネディとその恋人エレインの闘争を描く。各編、エレインとケネディに押し寄せる危機また危機。ケネディは新型の科学装置を駆使して危機を乗り越える。(ケネディは死に至ったエレインを「電気蘇生術」で蘇らせたりもする) 『無音の弾丸』では、ホームズのライヴァルらしかったケネディも、本作ではすっかりアクティヴなヒーローだ。「拳骨が繰り出す一癖も二癖もある手下たちにエレインは必ず捕らえられ、ケネディはそれを救出していくという筋が続くとさすがに単調だが、後の特撮ヒーロー物の原型といえないこともない。映画の小説化ということから、カットバックの手法や矢継ぎ早のアクションが盛り込まれ、後のエンターテインメントに与えた影響も大きかったのではないかと思われる。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

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 ミステリ読者。北海道在住。

 ツイッターアカウントは @stranglenarita

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