このコーナーで取りあげる作品を決めるために本書を取り寄せたのが今年の2月。COVID-19の混乱が少しずつ世界に広がりはじめていたときだった。あれから3カ月。まさかここまで感染が拡大するとはその時は思っていなかった。

 不気味なウイルスの所業と国内外の経済的混乱が嫌でも耳に入ってくる。落ちついて本を読む環境とは言い難かったが、本書を読みはじめたらするするとページが進んだ。というわけで今月はK. L. スレーターの Single (2019)を紹介したい。

 本書はシングル・ペアレントの女性ダーシーが主人公である。夫を亡くし、まだ幼い二人の息子を抱えて暮らしている。しばらく心身のバランスを崩し、子育ては夫の実家に頼っていた。しかし、あれから3年が経ち、息子たちにとってたった一人の親として生きていく準備が整ってきた。

 ある日、次男のケインが遊具から落ち、救急車を呼ぶ騒ぎになった。けれども、そのとき、たまたまその場に居合わせた医師のジョージが応急処置をしてくれたおかげで大事には至らなかった。
 ジョージもシングル・ペアレントで幼い娘がいた。あの日はたまたま忙しい仕事の合間をぬって娘を連れて遊びに出かけていたのだ。
 ダーシーとジョージが惹かれあうのに時間は必要なかった。ちょっとコーヒーがランチになり、ランチがディナーになり、やがて毎晩のように会うようになった。
 ジョージは広い庭のある美しい邸宅にダーシーと彼女の息子たちを招き入れる。ダーシーに断る理由はなかった。新しい幸せを手に入れたと思っていた。

 まさか男性との新しい出会いがあるとは。このまま母親として息子たちの成長を見守る人生を送るのだと思っていたのに。ダーシーは急に回りはじめた人生に驚きながらも、その喜びを噛みしめていた。

 ところが、この新生活はダーシーの過去の苦しみを癒やすどころか、新たな苦しみとなっていく。
 あるとき、ダーシーの元に花束が届いた。差出人はジョージの元恋人オパールだ。以来、オパールはダーシーたちにつきまとうようになり、自分はジョージが娘の親権を失うような情報を持っているとダーシーに告げる。ジョージはオパールはどうかしている、気にしなくていいと言うものの、何かを隠している気配もある。
 親権を失うほどの秘密とは何だろう?
 執拗なオパールとどことなくあやしいジョージ。ダーシーは何を信じていいのかわからなくなり、不安が募っていく。そして、とうとうダーシーの不安が現実のものとなりーー

 冒頭はロマンス小説さながらの大人の恋愛が描かれている。シングル・ペアレントどうしの男女が、親である自分ではなく一人の人間としての自分を取り戻していく。ジョージには勤務先の病院での出世競争に巻き込まれるなど、心休まらない現実もあったが、ふたりは新たな幸せを築いていく。

 しかし、オパールの登場以来、その幸せは少しずつ崩壊していく。ダーシーは次第にジョージに疑いの目を向けるようになる。一方、ダーシーにも亡夫にまつわる秘密があった。

 目には見えない疑念や不安が次第に深まっていき、完璧に見えた幸せは瞬く間に冷たい恐怖と紙一重のものとなる。ダーシーが経験したのはどんな過去だったのか。そして、手に入れたはずの幸せの正体とは。 

 著者K. L. スレーターは心理スリラーを得意とし、主な作品に The Silent OnesThe SecretFinding Grace など。公式サイトによるとヤング・アダルト小説を書いていたこともある。家族とともにイングランド在住。

片山奈緒美(かたやま なおみ)

翻訳者。大学非常勤講師。大学で日本語、コミュニケーション異文化理解関連の科目を教えながら、大学院で日本語教育学/多文化共生論の研究中。最近の関心は、大学の授業で海外文学を読むことで異文化理解や社会の多様性の受けとめにどんな影響があるかということ。そのため、現代社会の多様な姿を描いたできるだけ新しい作家の作品をつねに探している。
最新の著訳書はリア・ワイス著『スタンフォードが教える本当の「働き方改革」』、日本語口語表現教育研究会著『社会を生き抜く伝える力 A to Z』(第3章担当)

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