いったい全体、どうしてフランク・シナトラって人があんなにもビッグな存在だったのか、自分にはその魅力がまるでわからなかった。たとえば大好きだった名曲揃いのミュージカル名画『上流社会(High Society)』(1956年)にしたって、ビング・クロスビーとフランク・シナトラとでグレイス・ケリーを争うんだったら、どう考えても野卑なシナトラより紳士なクロスビーだろう。そもそも歌声にしたって、少々しゃがれた鼻につく響き。どうにも理解できなかったのである。

 ところが、そんな自分がいまやコロンビア・レーベル時代のコンプリート12枚組木箱入りCDボックス、リプリーズ・レーベル時代のコンプリート20枚組豪華レザー・バッグ風仕様の20枚組CDボックスまで所有しているという始末。どう考えても、一般のリスナーの方々よりファンだと言ってもいいだろう。というのも、ある日、その魅力というのが皮膚感覚的にわかってしまった、天啓をうけたとも思える瞬間が訪れてしまったからなのである。

 それはシナトラの3枚組大作アルバム『トリロジー(Trilogy: Past, Present &Future)』(1980年)に針を落としたときにやってきた。曲は、そこに収録された後期代表作ともいえる「ニューヨーク・ニューヨーク(New York, New York)」だ。タッタッタララ、タッタッタララ、タッタッタララ、タ、という楽団のホーン・セクションの後、シナトラの歌声が満を持して登場してくる。その瞬間、ひとりぼっちのわびしい部屋の空気が、ゴージャスなショービズの世界に様変わりしたかのような華やかさで埋めつくされたのである。ハリウッドを体現する男のその圧倒的なオーラ。シナトラの声にはそんな強烈な存在感があった。

 以来、反発心を完全には拭い去れないものの、彼の歌を積極的に耳を傾けるようになっていった。そしてその人柄のユニークさにも。

 たとえば、故アントニオ・カルロス・ジョビンとの共演による名盤『フランク・シナトラ&アントニオ・カルロス・ジョビン(Francis Albert Sinatra & Antonio Carlos Jobim)』(1967年)での逸話。ブラジルに天才作曲家がいると知ったシナトラは、飛行機が苦手なジョビンをアメリカまで呼びつけて、しかもギターを弾いてくれと頼んだという(そう、ジョビンはギターも弾くけれど、本来はピアニストだ)。大人なジョビンは文句ひとつ言わずにギターを演奏したらしい。そんなんやら、晩年大ヒットした企画盤『デュエット(Duets)』(1993年)では、孫娘のおねだりに根負けして、コール・ポーターの名曲「君はしっかり僕のもの(I’ve Got You Under My Skin)」を知りもしないU2のボノといやいやデュエットしただの、傲慢な性格を裏付けるようなエピソードにはこと欠かない。

 シカゴ生まれの新人作家ジョン・サンドロリーニのデビュー作『愛しき女に最後の一杯をOne For Our Baby)』(2013年)は、そんなシナトラが、その性格そのままにばりばり登場する小説である。なにしろ主人公がシナトラの親しい友人だという設定なのである。

 イタリア系アメリカ人のジョー・ブオモーノは、第二次世界大戦では撃墜王の名をほしいままにしていた辣腕の戦闘機パイロット。現在は友人と航空会社を経営しながら、友人である大スター、フランク・シナトラのトラブル処理係として、ときおり危ない橋を渡ったりしている。いつものようにシナトラから頼みごとの電話がかかってきて、物語は幕をあける。現在の恋人である女優が重要なスクリーン・テストを受けねばならず、急ぎ彼女をその現場まで飛行機で送り届けてほしいというのだ。

 むろん断れるわけもなく、最優先でその仕事を引き受けさせられるのだが、今回は勝手がちがった。件の新恋人だという女優が、過去に自分の婚約者だったヘレンだとわかったからである。かつて熱病のような蜜月を経て、ある日突然に彼の前から姿を消した最愛の女。再会を果たした彼女は、いまもジョーのことを愛しているといい、復縁を迫ってくる。ところが、無事目的地に到着したはいいが、彼女は忽然と姿を消してしまう。さらには、物騒な男たちの影もちらほらと見え隠れし、彼女の女優仲間も殺害され、ジョーの身にも危険が差し迫っていた。

 どうやら、ヘレンがシナトラの自宅から持ち出したとあるフィルムをめぐって、シカゴ、メキシコ、台湾の犯罪組織が入り乱れての大騒動が持ち上がっていたようなのだった。かくして、愛する女性を救い出すべく、ジョーはまさに命を賭しての冒険へと追い込まれていく。

 これじゃまるで、映画『カサブランカ(Casablanca)』(1942年)のハンフリー・ボガートじゃないか、とか、既視感てんこ盛りのハードボイルド・アクションじゃないか、とかさまざまなご意見がおありかと思われる物語ではあります。が、しかし、本書のリーダビリティたるや、半端ないのであります。天才的な飛行技術に格闘技の能力、痛めつけられても何度も這い上がってくる不屈の精神。饒舌さを兼ねそなえた不死身のタフガイが主人公なわけだから、面白くないわけがない。実際に、著者は空軍でパイロットの訓練を受けた経験を持つだけあって、飛行機の操縦シーンなど、尋常でない臨場感なのである。

 とはいえ、邦題も似せたのだろう、レイモンド・チャンドラーの名作『さらば愛しき女よFarewell, My Lovely)』(1940年)をはじめ、ハードボイルドにはつきものの美女といったら「ファム・ファタル(運命の女)」。ヒロインであるヘレンが男たちの運命を期せずして操ることになるというのは、もはやネタバレとも言えない約束事なのだろう。

 ある意味ステレオタイプと言えなくもない、この偉大なる定型を踏まえながらも、魅力的なキャラクター造型で彩りを添えるあたり、著者のサンドロリーニも並みの新人ではない。なかでも、ヘレン奪還計画を最後まで共にする犯罪組織からの助っ人ヴィトは、女たらしながら仲間想いで沈着冷静という、大物感たっぷりの傑物。ヘレンの過去を知るメキシコ・ギャングのボス、マリオ・ブラボーもまた、これまでの悪役にない複雑な性格の持ち主で、ジョーに対する友情らしきものを垣間見せたりもする。ほかにも、ジョーを助けるチャイナタウンの親玉サム・ウーとその部下ロー・チーなど、要所要所に印象深いキャラクターが配されている。

 シナトラを主要人物として登場させるだけあって、もちろん、作中には古き佳き時代の音楽が満ちあふれている。「君の華奢な翼で月までひとっ飛びしてもらう」と、シナトラ本人に彼の十八番「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン(Fly Me To The Moon)」と引っ掛けた台詞を言わせたり、フランク・パーキンス作曲、ミッチェル・パリッシュ作詞の「アラバマに星落ちて(Stars Fell On Alabama)」を替え歌にしたり、コール・ポーターの名曲「ビギン・ザ・ビギン(Begin The Biguine)」や、パッツィ・クラインが歌った「夢は遥かに(Just Out Of Reach)」にあわせてジョーとヘレンが踊ったりと、音楽好きなら思わずニヤリとしてしまう場面も多い。

 さらに、タイトルの『One For Our Baby』だが、シナトラの人気曲「あの娘のために(One For My Baby〔One More For The Road〕)」をもじったもの。ヘレンがジョーとシナトラの(だけでもないのかもしれないのだけれど)共通の恋人だということから、“われわれのベイビー”としたのだろう。原曲はハロルド・アーレン作曲、ジョニー・マーサー作詞によるスタンダード・ナンバー。エドワード・H・グリフィス監督による1943年のミュージカル映画『青空に踊る(Sky’s The Limit)』のために書かれ、作中ではフレッド・アステアが歌って踊っていたが、1947年にシナトラがカヴァーしたことから人気を博し、スタンダードにまでなった。

 なんやかんや言っても、シナトラ人気は衰えていない。ここ最近の目ぼしいところだけでも、エンターテインメント界のベテラン、バリー・マニロウや、シナトラ同様にマフィアとの関係をよく取沙汰されていたルー・ロウルズも、彼へのトリビュート・アルバムを発表している。実力派シンガーのマイケル・ボルトンも、そしてなんとボブ・ディランも、2015年に発表された新作『シャドウズ・イン・ザ・ナイト(Shadows In The Night)』と翌年発表の『フォールン・エンジェルズ(Fallen Angels)』はは、シナトラのカヴァー集だった。

 本書『愛しき女に最後の一杯を』でも大胆に描かれていたが、マフィアとの癒着、ジョン・F・ケネディとの関係など、闇の部分も含めて、シナトラの持つ強大なオーラは形成されていたのではあるまいか。そして、彼の存在そのものがハリウッドやあの古き佳き時代を表していたのではないか。だからこそ、シナトラを登場させたことだけで、本書は当時の空気をつくりあげることに成功していたのではないか。

 生半可なファンかもしれないけれど、もう少し深く彼の魅力を研究したいと思う今日この頃なのである。そう、できればシナトラにも一杯を。

◆YouTube音源

“One For My Baby (One More For The Road)” by Frank Sinatra

*1943年のミュージカル映画『青空に踊る』の作中ではフレッド・アステアが歌っていた。1947年にシナトラがカヴァーして人気を博した。

“Theme from New York New York” by Frank Sinatra

*映画のタイトル曲としては話題にならなかったが、シナトラのカヴァーによりいまや非公式のニューヨーク市歌とされている彼の代表曲。シナトラのコンサートDVDボックスセット収録の画像。

“Fly Me To The Moon” by Frank Sinatra

*代表曲のひとつ「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」。1964年のライヴ映像。

◆CDアルバム

“Complete Reprise Recordings” by Frank Sinatra

*リプリーズ・レーベル時代の作品をコンプリートした豪華20枚組CDセット。人工皮革のブリーフ・ケース仕様で鍵までついている。

“Manilow Sings Sinatra” by Barry Manilow

*バリー・マニロウによるシナトラ・カヴァー集(1998年)。

“Rawls Sings Sinatra” by Lou Rawls

*シナトラ同様、マフィアとの関わりを噂される(?)実力派シンガー、ルー・ロウルズによるシナトラ・カヴァー集(2003年)。

“Bolton Swings Sinatra” by Michael Bolton

*人気ロック・シンガー、マイケル・ボルトンによるシナトラ・トリビュート・アルバム。2006年発表。

“Shadows In The Night” by Bob Dylan

*事件と言ってもいい、ボブ・ディランによるシナトラ・カヴァー集(2015年、2016年)。ディランの「枯葉」を聴く日がやってくるとは!

“Sin-Atra” by Various Artists

*Mr. BIGのエリック・マーティン、元ディープ・パープルのグレン・ヒューズらがシナトラのナンバーをカヴァーした、メタル版トリビュート・アルバム。チープ・トリックのロビン・ザンダーによる「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」など、注目曲満載。2011年発表のコンピレーション。

◆関連DVD

『上流社会』

*グレース・ケリー、ビング・クロスビー、フランク・シナトラの共演で知られる1956年のミュージカル名画。

『ニューヨーク・ニューヨーク』

*マーティン・スコセッシ監督、ライザ・ミネリ、ロバート・デ・ニーロ主演による1977年作品。作中でミネリが歌ったタイトル曲は話題にもならなかったのだが、旧友シナトラが翌年カヴァーして大ヒット。シナトラの代表曲となった。

佐竹 裕(さたけ ゆう)

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 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。

  好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。

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