書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 さあ、みなさん山の日ですよー、って、実は今朝まで今日が祝日であることを知りませんでした。連日の猛暑日、山に避暑に行くもよし、海辺で寝転んで本を広げるもよし。夏休みのお供になる本をお探しですか? では今月も、七福神をお届けします。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

北上次郎

『暗殺者の反撃』マーク・グリーニー/伏見威蕃訳

ハヤカワ文庫NV

 今月は、ジョン・ハート『終わりなき道』という傑作があるので、これをあげるのが筋なのかもしれないが、グリーニー復活に祝儀の◎。クランシーとの共著は、始め快調だったものの、途中から低迷し、やきもきしたが、ついに復活だ。なぜCIAがグレイマン抹殺指令を出しているのか、との謎に正面から取り組む。なんだよそんなことなのかよ、といいたくなる気持ちもあるが、グリーニーの美点は、そのプロットではなく、ディテールにある。緊迫感が持続するアクションの切れが素晴らしい。やはり他人のヒーローなど借りず、自前のヒーローでどこまでもいくべきだったと痛感。

霜月蒼

『暗殺者の反撃』マーク・グリーニー/伏見威蕃訳

ハヤカワ文庫NV

 現在最高の冒険小説《グレイマン・シリーズ》第1シーズン終了!とでも言うべき渾身の大作である。なぜCIAが彼に対して「発見しだい射殺」の命令を出したのか。その謎を解明すべく、グレイマンは単身、ワシントンDCに潜入する。というわけでアメリカ政府を敵に回し、序盤は資金と武器の調達、アジトの構築にはじまって、多彩な戦闘場面がこれでもかと詰めこまれている。アイデア満載なので知的なスリルも充分だし、戦闘員、スパイマスター、官僚、ジャーナリストなど多視点による語りも完璧で、陰謀をめぐる意外な真相まで仕掛けられてスティーヴン・ハンターの『狩りのとき』を思わせる。まさにread or dieの傑作である。僅差で追うのがリー・チャイルド『61時間』(講談社文庫)。これも見事な一作なので(北上次郎氏も認めるのではないかと思うがどうか)必読。《グレイマンvsジャック・リーチャー》を読んでみたくなった。

千街晶之

『拾った女』チャールズ・ウィルフォード/浜野アキオ訳

扶桑社ミステリー

 前回の書評七福神がアップされた時には「『拾った女』の奥付、七月じゃん! 三人もフライングしてるじゃん!」と思ったものだが、フライングしたくなるのもやむなしの高い完成度を誇る逸品なのも事実。初読ではアル中で貧しい男女の破滅的な恋愛の哀しさに心を削られ、再読では隅々まで神経が行き届いた著者の技巧を堪能できるという、真の意味で二度読み必至の小説である。ミステリとして書かれたわけではないのかも知れないが、この小説作法はミステリのそれに他ならない。

川出正樹

『探偵ブロディの事件ファイル マトリョーシカと消えた死体』ケイト・アトキンソン/青木純子訳

創元ライブラリ

 シリアスに展開する物語に、突然斜め上からひねりの利いたユーモアを降臨させる一筋縄ではいかない作家ケイト・アトキンソン。彼女の新刊、しかも探偵ブロディ・シリーズの続編が出たからには、何はさておき読まずにはいらません。

 「貴族階級と狩猟番がわんさと出てくる、レトロな英国のユートピア社会——セックスなんて誰もしていなさそう」なスコットランドを舞台にした熱血少女探偵ものの作家マーティン、ルールが大好きで天国の門番になりたいと本気で思っている建設会社社長の妻グロリア、万引き常習犯の息子と老いた飼い猫を愛するシングル・マザーの新任警部補ルイーズ、そして恋人が出演する実験演劇のスポンサーとしてかの地を訪問中のブロディ。

 国際フェスティバルに沸く真夏のエディンバラで、急ブレーキを踏んだためにオカマを掘られた男が、怒り狂った追突車のドライバーに殺されかけるシーンがブレイク・ショットとなり、単純に白と黒に割り切れないこれら個性的な男女の運命が、思いもよらぬ方向へ動き出す。

 「偶然の一致というのは、まだ説明がつかない状態というにすぎない」というブロディの台詞通り、前作に比べてミステリ度がぐんと上回った本書は、あっちとこっちが一周回って繋がる諧謔と哀感に彩られた立体ジグソーパズルだ。きれいに円環を綴じる構成は、まさに作者の本領発揮といえましょう。

 それにしても、ケイト・アトキンソンの登場人物に対する愛を伴う意地の悪さときたら。終始ニヤニヤしながら至福の時間を過ごしてしまったよ。シリーズの残り二作を一日も早く読みたいです。

酒井貞道

『悪徳小説家』ザーシャ・アランゴ/浅井晶子訳

創元推理文庫

 主人公をはじめ、主要登場人物の内面描写がすこぶる秀逸である。誰も彼もが自己中心的であり、都合の悪いことからは目を逸らしたり逃げたりしつつ、うまく立ち回ろうとエゴを強く出す。だが、同時に情や矜持、そればかりか愛他精神や博愛精神すらしっかり持っていることもまた再三描写されるのだ。本書に示されるのは、人間の愛すべき矛盾に他ならない。露悪的なだけの小説——いやもうオブラートに包むのはやめよう、《イヤミス》には描き得ない世界がここにある。

吉野仁

『拾った女』チャールズ・ウィルフォード/浜野アキオ訳

扶桑社ミステリー

 遅れて読んだ『拾った女』、ふたネタ紹介しておくと、深刻なアルコール中毒とその果ての自殺の話といえば、アカデミー賞受賞作「失われた週末」(1945)が知られているが、小説家志望者のアル中男を献身的に支える恋人の名は同じくヘレンなのだ。下敷きにしているというより、逆手にとったというべきかも。もうひとつは、某巨匠が1933年に発表した短編と同じアイデアで、その小品に触発されて書いたのでは、という指摘がある。ともあれ、今月のというより今年のベストに入るような傑作。ほか、ノスタルジックな良品のキング『ジョイランド』、シリーズの第一期をしめくくる長編ともいえるマーク・グリーニー『暗殺者の反撃』など、楽しませていただきました。

杉江松恋

『イーヴリン・ウォー傑作短篇集』イーヴリン・ウォー/高儀進訳

白水社エクスリブリス・クラシックス

 なんといってもイーヴリン・ウォーを高儀進の名訳で読める幸せですよ。初訳4篇を含む15作が新訳で提供されるのだから、この機に読んでおかない手はないのである。もちろんウォーはプロパーの作家ではないが、彼の書く短編の中にはミステリー・ファンに随喜の涙を流させるものが多い。本書収録作のうち「戦術演習」は、かつて「ミステリマガジン」にも訳載されたことのあるドメスティック・ミステリーの傑作で、幕切れの鮮やかさは何度よんでもぞくぞくさせられる。また、私がウォーの長篇でいちばん好きな『一握の塵』の結末部分に流用された短篇「ディケンズを読んだ男」は、書狂小説にして秘境小説、そして黒い笑いと共に寒気が忍び寄ってくる恐怖小説の傑作でもあります。ちょうど今発売中の「ミステリマガジン」でロアルド・ダール特集が組まれているのだけど、ダールがお好きな読者だったら絶対にこの短篇集の虜になるはずだ。

 それ以外の作品ではエルヴェ・コメール『その先は想像しろ』が出ていたので、前作『悪意の波紋』がおもしろかった人は読んだほうがいいでしょう。語り口としては前作のほうが緊密で好きだったが、今回も油断ならない内容で楽しめる。第一部の結末で私はしゃっくりが出ました。

 なんと先月は三名もフライングをしていたことが判明。まったく気づかなったデスヨ(解説も書いたのに)。そして今月も北上冒険小説理論の申し子マーク・グリーニーやケイト・アトキンソンなど、わくわくする名前が並びました。猛暑が続きますが、どうぞ健康に気を付けて、読書を楽しんでください。来月もお楽しみに。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧