今年の夏はリオ五輪に熱中した方も多いのではないだろうか。「熱中」の反対語は「退屈」だそうだが、この辺で「退屈なミステリ」はどうだろうか。

 ジュリアン・シモンズがその評論集『ブラッディ・マーダー』で「退屈派」(Humdrum)と呼んだ作家たちに、近年、再びスポットが当たっているようだ。今回ご紹介するJ.J.コニントン『九つの解決』(1929)の訳者あとがき等によれば、2012年上梓されたカーティス・エヴァンズという人による Humdrum の研究書が上梓され、ジョン・ロード、フリーマン・W・クロフツ、そしてこのコニントンという英国のミステリ作家三人を大きく扱っているという。個人的には、クロフツの作品は一冊ごとに表情豊かで工夫も凝らされており、地味であっても退屈は感じないだけに、Humdrum(平凡な、退屈な)というシモンズの悪口が一群のミステリの肯定的なサブジャンル名として定着するならば、これはなかなか愉快なことではないだろうか。

 本書は、そのコニントンの初期代表作という触れ込み。戦前訳があるが、我が本格ミステリのマイスター鮎川哲也がベスト表に入れているという作品である。

 冒頭はこんな感じ。

 霧深い夜、呼び出された代診医が誤って踏み込んだ家で、瀕死の男に遭遇したことには始まり、さらに立て続けに、二つの死体が発見されて……

 捜査に当たるのは、『レイナムパーヴァの災厄』と同様、警察本部長であるクリントン・ドリフィールド卿。

 事件の前提として、二重の死があり、そのどちらも、他殺とも事故とも判別がつかない錯綜した状況。『九つの解決』というタイトルからは『毒入りチョコレート事件』のような多重解決ものを想像してしまうが、本書の趣向はそうしたものではない。ドリフィールド卿の指摘によれば、二つの死それぞれに「殺人」「事故」「自殺」の3とおりの解決の可能性があるから、3×3、すなわち9とおりの可能性があり、そのいずれかが真実であるというもの。事件に関わる状況や証拠が明らかになるにつれて、可能性が絞られていき、真実に近づいていく過程が一つの読みどころ。 

 事件の進行とともに、ドリフィールド卿と部下の警部のディスカッションが繰り返されるのも要注目。警察本部長自らが捜査に乗り出すことは現実にはないだろうが、ここでのドリフィールド卿は名トレーナーでもあり、警部の見落としや独善をしばしば指摘し、水際立った捜査の指揮をみせる。

 これらに限らず、退屈・単調を避ける工夫は各所に施されており、そのうちの大きなものが、「ジャスティス」を名乗る人間の密告者の存在。捜査の急所で密告の手紙を寄越し、その正体も含めて、捜査陣の悩みのタネとなる。暗号で寄せられた密告を解読するドリフィールド卿の推理はなかなか爽快だ。

 登場人物が限定的なだけに犯人の想定はできるかもしれないが、その根拠となると大方の読者にとっては怪しいものだろう。本書の結末には、十数ページにわたるドリフィールド卿のノートが付されており、ディクスン『孔雀の羽根』クロフツ『ホッグズ・バックの怪事件』の手がかり索引のような効果を挙げている。この部分が本書の精華であり、推理がもたらす意外性にはいささか欠けるにしても、初期の段階から多くの手がかりが稠密に配置され、卿の推理が真相に近づいていることに唸らされる。異色の道具立てと奇抜な真相の『レイナムパーヴァの災厄』とはまた異なり、フェアプレイと推理の愉しみに徹した好編だ。

 国書刊行会から刊行されていたが、この度、白水Uブックスから再刊され手軽に手にとれるようになったウィリアム・ゴドウィン『ケイレブ・ウィリアムズ』(1794)にも触れておこう。

 著名なミステリベスト表、ジュリアン・シモンズ選の『サンデータイムズベスト99』の冒頭に掲げられている長編で、一般に探偵小説の祖とされているポー「モルグ街の殺人」より50年近くの前の作品だ。ゴドウィンは、『政治的正義』などで知られる社会思想家でもあるが、小説も書き、『フランケンシュタイン』の作者メアリー・シェリーの父君でもある。

 農民の息子ケイレブは両親を亡くし、名望家の地主フォークランドの秘書となる。次第に学問を身に着けていくケイレブ。やがて、好奇心にかられ、主人の不可解な性格に興味を抱き、秘密を探りあててしまった彼に、耐え難い苦難の連続が襲う。

 18世紀の小説だが、侮るなかれ、やや大仰な一人称のナレーションは気になったとしても、ストーリーテリングだけでも、現代の読者を惹きつけるものがある。

 裁判、投獄、脱走、夜盗集団との生活、ロンドンでの息を潜めた生活などケイレブの変転する運命を描きながら様々な階層の人間が彩なす様々なエピソードも豊富だ。

 この小説は、法の正義が実現しないことを告発するプロパガンダ小説、殺人と秘密と恐怖に彩られたゴシック小説、愛情と憎悪が複雑に交錯する心理小説、追う者と追われる者を描いた冒険物語、冤罪を晴らすべく不屈の闘争を描く『レ・ミゼラブル』のような作品の先行作……と、どのようにでも読め、そのいずれでもあるという混沌の魅力がある。 

 探偵小説的には、殺人とその解明が前半の関心事になっている点が興味深いが、デュパン探偵のような推理がみられるわけではない。むしろ、謎とサスペンスを軸にして、主人公の運命のみならず社会の告発すべき一断面をリアルに描き出している点では、黄金期以降のミステリに近いともいえる。「逃亡と追跡」を描いた第三巻の構想が先にあり、劇的迫力をもつ状況設定のために、第二巻「殺人事件と解明」を必要としたとする作者自身の説明(すなわち、迫力あるサスペンスのために「殺人と解明」という形式が「発見」された)、ケイレブを追い苦しめるジャインズという探偵が盗賊を出自としていることなどは、ミステリ水脈の源の作品として、示唆に富むと思う。

 ケイレブは、何度、脱出を試みても連れ戻される。仮に肉体的には自由であっても心理的には虜囚にされる。その主人公を襲う繰返しの不条理に、迫害する側の「超人的な力」、「良心の呵責に苦しむ罪人を追う全知の神の視線」を感じさせずにはおかない。筆者としては、「神」への愛と憎悪が渦巻く争闘、虜囚の運命への抵抗を描いた作品としての側面に大きな興趣を覚えた。

「父」によって育てられ知恵を授けられたものが、その知恵により「父」に反逆し、その結果、条理に合わない、苦難に満ちた放浪をするというオイディプス的モチーフには、娘メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』との共通性も感じさせ、この点でも興味は尽きない。

 思わぬところから、エラリー・クイーンのジュニア・ミステリが出た。

 角川つばさ文庫『幽霊屋敷と消えたオウム』(1944) 。1970年代後半にハヤカワ文庫Jrからシリーズ8冊が紹介されているが、とうに入手は困難になっている。本書は、早川版では『緑色の亀の秘密』として出されていたものの新訳。原典は、エラリー・クイーンJr名義で発表されているが、クイーンは基本設定にだけに関与し、執筆は別の作家によるものらしい。

 主人公は少年ジュナ。この話では、ふだん一緒に暮らしているアニー・エラリーおばと離れて、おばの姉の街に住んでいる。ジュナが幽霊屋敷の噂を聞きつけて訪ねると、女の子が現れ、次に訪れたときには空き家になっていて、おかしな言葉をしゃべるオウムが出現する。謎を探っていくうちに、街を騒がせる偽札事件が絡んできて……。

 不思議な亀を飼っている新たな友人や腕ききだが怠け者の新聞記者との交流、離れて暮らす愛犬チャンプとの再会なども織り込みながら展開する明るくのどやかな探偵物語。幕切れのジュナの推理も児童に配慮した行き届いたものだ。続刊があるのか不明だが、この辺りを入門編にして、エラリー・クイーンの世界に誘われる若い読者が増えれば嬉しいことだ。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

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 ミステリ読者。北海道在住。

 ツイッターアカウントは @stranglenarita

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