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【写真1】

Georges Sim, Les voleurs de navires, Tallandier, 1927/4 [海賊]

「海賊島」松村喜雄訳 《探偵倶楽部》1956/7(7巻8号)pp.140-172* 抄訳【写真1】

Georges Sim, Les voleuers de navires, «Aventures» 1949/12/15(No.39)pp.111-120(連載第1回) 後年の再録

Georges Sim, Les voleuers de navires, Tallandier, 1954* 再刊《Les romans d’aventures de Georges Sim》

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【写真2】

Christian Brulls, La prêtresse des Vaudoux, Tallandier, 1925/9/3(1925/5/24契約)*[ヴードゥーの巫女]【写真2】

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【写真3】

Christian Brulls, Un drame au pôle sud, Fayard, 出版年未記載(1929/7/15)*[南極のドラマ]【写真3】

仏文壇の巨匠が、シムの別名で発表した冒険シリーズの一篇。初夏の机上に送る爽快きわまりなき海の一大ロマン!!

 上に掲げたのは《探偵倶楽部》1956年7月号に一挙掲載された「海賊島」の冒頭煽り文である。《探偵倶楽部》は戦後シムノンの紹介にもっとも熱心だった雑誌で、メグレものの第一期長編や同時期の硬質長編小説(ロマン・デュール)を数多く読者に届けており、いまなおこの雑誌でしか邦訳が読めない作品がいくつかある。

 そのなかでとりわけ貴重なのがペンネーム時代の2長編だ。ひとつは今回紹介する「海賊島」【註1】で、原典はジョルジュ・シム名義の秘境冒険小説『Les voleurs de navires』[海賊](1927/4)である。もうひとつは初めて「メグレ」というキャラクターが登場する記念すべき作品「マルセイユ特急」で、原典はクリスチャン・ブリュル名義の『Train de nuit』[夜の列車](1930)【註2】。「海賊島」は現時点で邦訳のあるもっとも古いシムノンの長編作品ということになる。

 シムノンがペンネーム時代に健筆を振るったジャンルのひとつが秘境冒険小説だった。それまでシムノンはもっぱらごく短いコントや、あるいは小冊子体裁の中編恋愛小説を書いていたのだが、この秘境冒険小説分野に進出することで初めて長編を書くようになったのである。シムノンが作家として大きく成長を遂げる礎となったジャンルだといえる。

 今回は邦訳のある「海賊島」を軸に紹介してゆくが、まずは当時の書影をご覧いただきたい(【写真2, 3】)。いかがだろう、めちゃくちゃ面白そうではないか!

 秘境冒険小説を書くとき、シムノンはジョルジュ・シム Georges Sim ないしクリスチャン・ブリュル Christian Brulls の筆名を使っていた。ブリュルとは母の旧姓 Brülls であろうから、中編純愛小説を書くときより自分により近い筆名を採用していたことになる。

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【左:写真4/右:写真5】

 戦後、この分野の作品はいくつか復刊されている。まずはタランディエ社版《Les romans d’aventures de Georges Sim》[ジョルジュ・シム冒険長編小説集]全6冊(1954)で、この統一デザインは悪くない【写真4】。またプレス・ド・ラ・シテ社版《Les introuvables de Georges Simenon》[ジョルジュ・シムノン稀覯作品集]全12冊(1980)のうち6冊は恋愛・心理小説だが、残る6冊はやはり冒険小説だ【写真5】。ペンネーム時代のシムノンを語るとき、秘境冒険小説の分野は絶対に外せないのである。

 当時これらの長編はすぐさまスペイン語にも翻訳された。こちらのページ( http://eldesvandelabuelito.blogspot.jp/2012/03/simenon-rey-del-pulp.html【註3】に書影がある。上手とはいえないが「読みたい」気持ちを掻き立ててくれるイラストだ。

 そこで私はこの分野に関して万全の準備を整えて臨んだ。戦後の復刊本を揃え、海外古書サイトを何度も調べて、表紙イラストがとりわけ素晴らしいものを少しずつ購入してきた。本連載は基本的にシムノンの作品を順番に読んでゆくことになっている。そのため秘境冒険小説を取り上げる時期がやって来るまで大切に手元に置いていた。さあ、いまこそ読むときが来た! 

 期待に胸を膨らませて、まずは抄訳の「海賊島」に手をつけたのである。訳者は著書『怪盗対名探偵』で熱くシムノンを語っていた松村喜雄氏。だがここで恐ろしい現実が待ち受けているとは、いったい誰が予想したであろうか! 

「つ、つまらない……!」

 読んで愕然とした。訳者の松村氏は『怪盗対名探偵』で本作にも簡単に触れているのだが、慌ててページをめくってそのコメント部分を読み直し、さらに愕然とした。

 このように、シムノンをして、コンプレックスを感じさせていたシム名義の大衆小説とは、どのような内容のものであろうか。

 筆者が所持するシム名義のシリーズのなかから、一冊を抜きだして、簡単に粗筋を紹介しよう。[あらすじ部分省略]

 ジュール・ヴェルヌの「海底二万哩」を思わせる筋である。月に四冊も長篇を書くのでは、他人の書いたものを拝借するしか仕方がなかったのであろう。

 いやいや、松村先生、あなたは自分で《探偵倶楽部》に訳しているでしょう。そんな他人事のような感想を書かないでくださいよ! 

 このつまらなさは抄訳だからなのか? それともシムノンの原典自体がつまらないのか? もし、この作品がだめだとしても、他に面白い作品はあるのだろうか。

 そこでシムノンの原典を、グーグル翻訳で読むことにしたのである。

『海賊島』1927

 リヴァプールのブリティッシュ・チリアン商会で、社長のハーバート・ファイアランクが、フランス出身の若き社員アルベール・ヴィエルや出資家ジョン・マクサンと相談していた。商船が2艘もマゼラン海峡のホーン岬付近で消息を絶ったのである。それ以外にも最近、火の土地と呼ばれるティエラ・デル・フエゴ付近では商船の消失事件が相次いで生じている。彼らは今度リヴァプールを発つ《サンチャゴ号》に乗船し、現地へ行って原因を探ることになった。社長の愛娘ジェニーも同行した。彼女はフランス人の母を持ち、パリジェンヌとして育ち、英仏両国の気質を備えた冒険好きな女性だったのである。そしてミステリアスなヴィエルに憧れを抱いていた。

 船員が原因不明の高熱で次々と倒れ始めた。ジョン・マクサンの提案により、船はマゼラン海峡のプンタ・アレーナス港に一時停泊する。マクサンはジェニー嬢を気に入っており、ここでも強引に求愛するが、ジェニーは「無理強いするならヴィエルを呼びます!」と突っぱねる。「はは! あの素人探偵気取りの男か!」とマクサンは笑う。ヴィエルは船長マック・オカンと共に医師の手配に奔走していたが、そのとき《指のない男》という言葉を耳にする。また彼らは港の酒場で、現地の地理に詳しい大男ディック=ル=ルージュとその仲間を雇い入れる。

 地球の南端フエゴ諸島へ向けて船は出立する。途中で暴風雨に見舞われ、夜にマクサンが甲板で無造作に葉巻の火を点けるのを見てヴィエルは驚く。いまだ知らぬ敵に見つかったらどうするのか。しかしすでに遅く、謎の船が接近してくる。《サンチャゴ号》も揺れ始めて混乱が広がる。ディックが裏切って襲ってきた。彼らはマクサンの仲間だったのだ。ヴィエルとジェニーは海に飛び込んで逃れ、見知らぬ島に漂着する。

 そこはフエゴ諸島のひとつだった。ふたりは現地民であるフエゴ人と遭遇する。「文明から取り残された人々だ……」赤みがかった白い肌で、鼻は潰れており、女たちはみな子供を背負っている。「化け物だわ」とジェニー。スペイン語で話しかけるが言葉は通じない。フエゴ人は地図を描き、ふたりをカヌーの船団に乗せて海へ出る。首長の名はティ・ホー。「どうやらきみのお父様がホーン岬の近くで囚われの身だといっているらしいぞ」とヴィエルは察する。

 一方、マクサンらに支配された《サンチャゴ号》は、社長と船長を捕虜にしてホーン岬の岩壁へと近づきつつあった。岩の中腹にトンネルがあり、なんとそこを抜けるとマルセイユほどもある都市が広がっていた! マクサンはこれぞわがマクサン市だと得意げに嘯く。潜水艦や水雷艇もある。彼はこの都市を拠点に、世界征服を企む男だったのだ。そして料理人を演じていたバードという男に、社長と船長を拘留するよう告げる。バードは副頭領であった。

 マクサンは島の頂に《鷲の巣》なる豪邸を構え、美術品を所蔵していた。ディック=ル=ルージュは船長マック・オカンを水責めにする。だが船長は辛くも逃れ、漂流する。カヌーでやってきたヴィエルたちが、岩場に流れ着いた船長と遭遇を果たし、経緯を知る。だがここでフエゴ人がヴィエルたちに向かってきた。彼らも味方ではないのだ。ヴィエルたち3人は逃れて岩影に身を潜める。だが刻々と水位が上がる。

 マクサンはヴィエルたちの存在に気づき、大砲で殺せと部下に命じる。だが副頭領のバードはジェニーに恋しており、マクサンの指示に従いたくはなかった。そのためボートで向かい、3人を捕虜にしたのである。バードが3人をマクサンのもとへ連れてゆくと、マクサンはまたもジェニーを妻にするのだといい出す。それに耐えかねたバードが飛びかかる。そのときマクサンの親指が義指であることがわかる。それを見たヴィエルは、かつて自分の母を捨てて消えた父が、いま目の前にいるマクサンだと思い至る。

 だがそれは間違いだった。ヴィエルの本当の父はバードだったのだが、マクサンはこの間違いを利用しようと考える。

 先に囚われていた社長はすでに正気を失い、ジェニーの顔もわからない状態になっていた。マクサンは強引にジェニーと挙式を執りおこない、市民に新妻を披露し、祝福を受ける。だがその夜、達成感に酔ったマクサンは、島が攻撃されていると妄想し、部下たちに砲撃を命じる。突如の砲声に市民も仰天し、島は大混乱に陥る。だが実際にフエゴ人たちの急襲が始まった。船長マック・オカンはこの機を捉えて獄を脱出し《鷲の巣》のジェニーたちの救出に向かう。またバードは自分こそがヴィエルの父だったと気づき、賊の仲間に悟られぬよう彼らの救出を手助けする。

 頭領のマクサンの姿が見えない。バードは急遽代わりとなって、フエゴ人との戦いを指揮する。ようやく崖にマクサンの姿を認めたが、彼にフエゴ人の矢が突き刺さるのをバードは目撃する。50艘以上ものカヌーが侵攻してくる。「トンネルに爆薬を仕掛けろ!」だがやがてバード自身も矢を受ける。

 殺戮と混乱の果てに、ヴィエルらははたして島を脱出できるのか。

http://www.association-jacques-riviere-alain-fournier.com/reperage/simenon/notice_pseudo/note_pseudo_Voleurs%20de%20navires.htm

 本作はタランディエ社の《Grandes aventures et voyages excentriques》[大冒険と奇矯の旅]叢書から刊行され、戦後の《ジョルジュ・シム冒険長編小説集》にも収められた。

 めまぐるしく場面が転換する物語だが、シムノンの原典には《探偵倶楽部》に訳出された以上の物語があった。

 松村氏の翻訳はかなりの圧縮版だと感じられた。基本はそのまま訳しつつ、あちこちのシーンをついばむように削除するかたちで全体を整えている。《探偵倶楽部》版を読んでがらんどうのように味気ないと感じた部分も、原典にはそれなりの展開があったことが確認できた。

 とくにクライマックスの攻防戦と並行して繰り広げられるヴィエルたちの脱出劇は大幅に省略されていたのだとわかって、ここがちゃんと読めたのは嬉しかった。《探偵倶楽部》版だと終盤はどたばたするばかりで何の感慨もなく進んでしまうのだが、原典はまだ厚みがある。これは《探偵倶楽部》版だけで判断されてしまうには惜しい。当時松村氏が日本へ紹介してくださったことは貴重な成果だったと感謝しつつも、さらに魅力的な紹介の仕方はあったかもしれないと思わせる。

 最後まで植民地主義的な物語だが、トンネルを抜けると巨大な都市があったという展開など通俗的すぎて、かえってひと回りして「アニメにしたらひょっとして面白いのかも」と感じる。ただヴィエルの本当の父、というせっかくの伏線が、あらすじの通り原典でもまったく効果を示さず、すぐさま地の文で種明かしされてしまうのは困りものだ。あまりに簡単にばらされるので最初は飲み込めず何度も確かめたほどである。

 クライマックスの攻防戦の後、原典ではだらだらと後処理の展開が続く。ヴィエルは島を脱出したところでバードが遺した手紙を読み、彼が本当の父だったとようやく知る。《指のない男》とはマゼラン海域でバードが率いる海賊集団の名前だったのだ。ええっ、そんなのあり? 

 松村版ではカットされているが、原典ではさらにエピローグがある。文明の地へ戻ったヴィエルはジェニーと結婚する。社長も正気を取り戻し、ふたりを認める。ジェニーはいった、「牧師様も祝福してくださるわ、帰還の旅が私たちのハネムーンになる……。時間の節約になるわ!」

 最後の1、2ページでこちらの理解が追いつかないほどばたばたと話を畳むのはいつものシムノンだ。そしてまさに、絵に描いたようなハッピーエンドなのであった。

    *

 1927年後半はいくらか出版点数が減退したシムノンだったが、1928年に入ってペースを取り戻す。この年にシムノンは《ジネット号Ginette》というモーター船を駆って、妻ティジー、愛人家政婦ブール、犬のオラフ、そしてタイプライターとともに旅へ出かけ、その先々で原稿を量産していった。

 わずか全長5メートルで、写真で見れば幌がついているだけのごく小さな船である。4月18日にパリを発ち、マルヌ川でランスの南部へ。ソーヌ川でリヨンへ。さらに南下し、夏の間はモンペリエ近くの地中海の町ル=グローデュ=ロワに滞在。さらにミディ運河で仏南西部のトゥールーズへ。ガロンヌ川でボルドーへ。陸路も利用してマルセイユ=レ=オービニーへ。ロアール川やブリヤール運河でモンタルジへ。ロワン運河でサン=マメスへ。そしてセーヌ川で9月にパリへ戻る。

 それまでも1926年夏には南仏のイエール諸島ポルクロールで、1927年夏には大西洋沖合のエクス島でバカンスを過ごしていたシムノンだったが、小さいころから船の生活に憧れていた彼にとって、これが初めての本格的な旅になった。シムノンはスティーヴンソンやコンラッド、ジャック・ロンドン、アラン・ジェルボー Alain Gerbault を愛読していたらしい。ジェルボーは1920年代に世界一周旅行を成し遂げた航海士・作家で、日本では『世界教養全集』第24巻(平凡社、1962)に『たった一人の海』が収められている。

 旅はよい刺激になっただろう。後の作品の題材となる多くの体験を積んだと見られる。この間、シムノンはすさまじい勢いでタイプライターを叩いている。1928年はシムノンがもっともペンネーム作品を刊行した時期だ。この年に書かれながら叢書の中断により刊行に至らなかったものや、翌年以降に出版が持ち越されたものすらある。中編小冊子の純愛小説の仕事は変わらず続いていたが、全体的には徐々に長編の恋愛小説・冒険小説・犯罪心理小説が目立つようになり、コントの数は減ってゆく。またこの年から恋愛小説や冒険小説が次々とスペイン語に翻訳されていった。

 シムノンは北の港町フェカン(メグレ第一作『怪盗レトン』の主要舞台となった場所)でさらに大きな船を建造し、この《オストロゴス号 Ostrogoth 》は翌1929年3月5日に完成する。全長10メートル。3人乗れば手狭になりそうな《ジネット号》に比べると、堂々たるクルーザーである。シムノンは4月初旬から再び船旅に出て行った。今度の行き先は北である。運河を辿ってベルギーのマース川(フランス風ならムーズ川)、オランダのゾイデル海へ。オランダのデルフザイル(デルフセイル)、ドイツのエムデンやヴィルヘルムスハーフェンに逗留。とくにデルフザイルには夏から秋にかけて長く滞在し、ここでメグレの名が初登場する『夜の列車』を書いたものとみられる。その後もパリには帰らず、オランダ・エイセル湖のスタフォーレンStavorenに船を停泊させて越冬した。

 執筆ペースは衰えなかった。徐々に犯罪心理小説の分野が増えてくる。コントの手法と探偵小説を合わせた短編を書くようになるのもこのころからだ。《リックとラック Ric et Rac 》紙にソンセット刑事 Inspecteur Sancett eのシリーズを、『昼顔』『ライオン』の著者ジョゼフ・ケッセルの弟ジョルジュ・ケッセルが主催する《探偵 Détective》誌に犯罪コント『13の秘密』[Les treize mystères](1932)や『ダンケルクの悲劇』[13の謎Les treize énigmes](1932、論創社近刊)を、それぞれ連載している。後にメグレもので活躍するトランスやリュカといった名前も、やはり1929年の作品から登場してくる。イタリアでも翻訳が続々と進んでいった。

 翌1930年4月、シムノンたちは《オストロゴス号》でフランスに戻り、パリから見てセーヌ川上流の停泊地、モルサン=シュル=セーヌMorsang-sur-Seineなどで暮らした。メグレ第一作の『怪盗レトン』は、後年のシムノン自身の記憶に拠ると1929年9月にオランダのデルフザイルで書かれたとのことだったが、実際には1929年冬から1930年春の時期、つまりスタフォーレンかモルサン=シュル=セーヌ滞在中に《オストロゴス号》で書かれたのではないかとする説が有力らしい(前述のようにメグレ初登場作『夜の列車』はデルフザイルで書かれたようなので、これと取り違えたのだろうか)。続いて『メグレと運河の殺人』『死んだギャレ氏』も1930年夏にモルサン=シュル=セーヌで書かれた。そして冬にはブルターニュ地方のコンカルノー近くへと居場所を移す。コンカルノーは後に『黄色い犬』の舞台となった場所だ。1931年になるとパリのホテルに戻る。1931年2月20日の『死んだギャレ氏』『サン・フォリアン寺院の首吊人』同時刊行までもうすぐだ。この2冊で初めてシムノンは、本名の「ジョルジュ・シムノン」で書籍を刊行するのである。

 1928年と1929年の船旅が、シムノンにとって大いなる転換点となったことは間違いない。

    *

 シムノンが最初に出版した秘境冒険小説は『La prêtresse des Vaudoux』[ヴードゥーの巫女](1925/9/3)だ。初のクリスチャン・ブリュル名義の書籍であり、またシムノン初の長編である。後年に再刊されていないので出来映えは一段階落ちるのかもしれないが、それでも記念すべき一冊だ。これを同じくグーグル翻訳作業で読んでみよう。

 ピントの合わない人工翻訳の英語は、読んでいると相当に体力を消耗するので、無理をしないことが肝心である。フランス語講座に通い始めたおかげで、原文もわずかだが文章として目に映るようになってきたのは幸いだ。

■『ヴードゥーの巫女』1925

 カナダに住んでいたジョルジュ・セルヴォンと妹エレーヌは、叔父の手紙に誘われてバミューダのハイチにやってきた。叔父エクトル・ブラージュはずっと家族とハイチに住んでおり、18世紀の伝説の宝をずっと探し求めていた。しかし手紙に拠れば、かつて幼かった娘も誘拐され、ふたりの息子も何者かに毒を盛られて亡くなり、そして数日前にはついに妻も失踪した。森へ捜しにゆくつもりだが、恐ろしい事態が迫りつつある……そう手紙にあったのである。

 ふたりはハイチの港で、ジョン・バードという白髪の老いた黒人と合流する。バードはかつてカナダの叔父の農場で働いており、この捜索に志願したのだ。彼らは都市ジェレミーの地区長である黒人のブカラを訪ねる。「私は彼の唯一の友人だった」とブカラはいうが、叔父はひとりで森に入ったまま消息を絶ったとのことだった。

 叔父は地図を残しており、そこにある赤い丸印が宝物の在処だと推測された。まだ叔父が死んだという確証はない。ジョルジュはブカラの家に仕える若い黒人娘タキタの道案内を受けつつ森へと踏み入る。タキタはジョルジュに思いを寄せたのだ。蛇の急襲に遭うが、飼っているマングースに助けられる。そしてジョルジュは森のなかで、やはり宝を追い求める若きフランス人のデステール子爵と遭遇し、行動を共にするようになる。

 彼らは森のなかに奇妙な小屋を見つけ、そこで黒人の召使いを従えた白肌の美女の姿を見る。彼女はまさにヴードゥーの巫女なのだ。

 あまたの危機がジョルジュと子爵を襲う。実は地区長ブカラはヴードゥーの祭司であり、現地民を意のままに操ることができた。エレーヌやジョン・バードは身の危険を感じ、ジョルジュを追って森へと入る。ブカラは人夫頭のスペイン人ゴンザレスや地元の黒人らを動員して、宝を追う彼らに迫ろうとする。

 祭司ブカラと現地民が森深くヴードゥー寺院で繰り広げる?悪魔の踊り?。ジョルジュと子爵は囚われの身となる。一方、エレーヌは森のなかでヴードゥーの巫女と巡り会う。彼女はビリナといい、いままで白人を見たことはなかったが、すぐさまふたりは同じだと感じて心を通わせ合う。さまざまな苦難を超えて一行はついに合流を果たすのだが、そのとき蛇の肌を持つ呪術師が迫ってきた……。

 彼らは叔父の宝がヴードゥー寺院へと通じる地下道に隠された金の延べ棒であることを知る。ブカラもまたその事実に気づいたが、彼は探索に従う現地民を非情にも樹液で毒殺し、宝を独り占めしようともくろむ。いつしか子爵はエレーヌを、またジョルジュは巫女ビリナを愛し始めていた。一行は叔父の宝を持ってハイチを出て、みなで幸せになりたいと願うようになる。地下道でブカラとの決戦が繰り広げられる。

http://www.association-jacques-riviere-alain-fournier.com/reperage/simenon/notice_pseudo/note_pseudo_Pretresse%20des%20Vaudoux.htm

 予想していた以上にちゃんとプロット構築された長編であることが、まず驚きであった。後のメグレシリーズよりもはるかにしっかりとストーリーをつくろうとしていたことがわかる。

 シムノンはもともとディテールを積み重ねるタイプの書き手ではなく、本作でもたとえばハイチの森の情景が何か具体的に描かれるわけではない。ヴードゥーの秘祭、襲い来る蛇、どれも記号的である。文章はあくまでストーリーを進めるためのもので、そっけない。妄想の爆発が見られないのだ。その意味では前回読んだ純愛小説と同じなのだが、勢いで押し切るこのような通俗秘境小説ならば、書き方としてそれなりに許される気もする。

 ヴードゥーの巫女がかつて攫われた叔父の娘だというのは誰でも見当がつくところで、実際なんのひねりもなくその通りなのだが、もうひとつ中盤に意外な展開があって、そちらは心の準備をしていなかったので意表を衝かれた。主人公たちが何度もマングースに救われるのは微笑ましい。またずっとそっけない描写が続いていたのに、終盤「毒の木」と呼ばれる樹木の幹を切って毒液を取り出すところだけは不思議とディテールが細かく、若きシムノンのよいこだわりをやっと垣間見た気がした。

 一行が揃ってから物語は間延びしてしまう。もうひとつ山場が盛り込まれたなら、と思わせるが、そのあたりは後の『海賊島』でそれなりに改善されていたかもしれない。ただ主人公がクライマックスでいまいち活躍しないのは『海賊島』でも同じだ。プロットは複雑でも登場人物があちこち動くだけで充分に機能していないように思えるのはシムノンの作家性ゆえか。

 ラストはやはり絵に描いたようなハッピーエンディングで、こうまで定石通りだとかえって清々しく、当時のシムノンは通俗物語の定型に忠実なマシーンであったのだなと改めて思う。それでもまあ、通俗冒険小説レーベルの書き下ろしの仕事としては、これはこれで「あり」ではないか。あえていまの時代に翻訳する必要があるとはまったく思えないものの、シムノンのルーツのひとつとして興味深かった。

 もう一冊、1929年の『Un drame au pôle sud』[南極のドラマ](Fayard, 出版年未記載, 1929/7/15)を読んでみたい。シムノンが《オストロゴス号》で船旅をしていた時期に出た作品だ。本の表紙に大きく複葉機が描かれている。私はプライベートパイロット免許を持っているため、若きシムノンが航空をどのように描いていたのか、ぜひとも知りたいと思っていた。

■『南極のドラマ』1929

 1926年、35歳の飛行士ジャン・サン=リュスは、大いなる情熱を持って南極探検用の航空機を建造していた。彼は13年前にモルトン博士の南極調査隊に参加したのだが、その探検はモルトン博士の死という悲劇に終わっていたのである。

 サン=リュスは新しい仲間のバロー博士と2年かけて《邁進!号》[原文は Quand-Même! で、それにもかかわらず、の意味がある]を完成させた。若い優秀な飛行士や科学者ら隊員を集め、ついに9月、ル・アーヴルから旅立つときが来る。だがその朝、青い目をした金髪の若者が現れる。彼は映画技師のフィリプ・トルンと名乗り、これまでスピッツベルゲンやグリーンランドで撮影経験があること、予定の技師が病気のため映画協会から急遽自分が選抜されたことを話す。サン=リュスは彼を搭乗させ、大勢の人々が見守るなか飛び立つ。

《邁進!号》は全長45メートル、翼幅9メートル、高さ3.5メートル。頑強さが特長で、機体は3本のマストで支持され、200トンを積載できる。サン=リュスは背が高く、冒険のために突き進む雄牛のような男だ。一行はマゼラン海峡からニュージーランドを経て、ついに10月、南極大陸へと到達する。

 科学者らはアザラシや地磁気の観察に余念がない。調査隊は飛行機を飛ばしながら南極点へと進む。機体の操縦はサン=リュスを始め数名の飛行士の役目だ。しかし11月に入って隊員の健康診断をおこなったとき、映画技師のフィリプが女性であると判明する。彼女の本当の名はモニクだった。サン=リュスはこの事実を隊員に告げるが、今後もフィリプは男装のままで、他の隊員もいままで通り男として接するようにと通達する。そして機内での恋愛は禁止だと。だが航空士のひとりは恋に落ち、そして気がつくとサン=リュス自身もモニクに愛情を覚えるようになっていたのだ。

 隊員は1ヵ月かけて機体の格納庫とバンガローを設営し、越冬する。春の到来と共に隊は精力的に調査を再開した。サン=リュスは《邁進!号》とは別の小型飛行機でテスト飛行に挑み、長い冬からの開放感と、翼でどこまでも飛んで行けるのだという自由に浸る。彼は氷上にかつてのモルトン探検隊の小屋跡を発見した。モルトン博士が自分の腕のなかで亡くなった場所だ! そして彼は自分が南極点上を制覇していたことに気づく。極地点だ、夢のパノラマだ! 科学調査で人類初の極地点飛行を達成したのだ。この偉業に仲間も歓喜する。

 その後も一行は調査を続けた。ときには寒さのため飛行が命がけとなることもあった。離陸の際、周囲の手助けが必要だが、そのとき巻き込まれて隊員のひとりが事故死する悲劇もあった。次々と苦難が降りかかる。嵐がやって来て、隊員は《邁進!号》内に避難するが、格納庫や《邁進!号》は被害を受けてしまう。この不幸を乗り越えるため、サン=リュスとフィリプのふたりが小型飛行機《S. 2号》でさらなる南極点調査に向かうことになった。その出発直前、サン=リュスは女性である彼女の強さを讃えながらも、映画協会がきみを推薦した書類は見つけられなかったと問い質す。「きみは誰だ?」「スピッツベルゲンやグリーンランドで仕事をしてきたのは事実です」「何が望みでやって来た?」「いいたくありません!」それでもふたりは離陸する。

 ふたりは帰還しなかった。他の隊員は《S. 1号》で捜索を試みるものの破損に見舞われ、5名が犬橇で行方を追った。それは過酷な道中となった。嵐に遭遇し、ひとりは病気になる。22日目でついに彼らは機体を発見し、旧モルトン隊の小屋からサン=リュスとモニクを救出した。ふたりは抱き合うような姿で、ほとんど生死を彷徨う状態だった。いったい何があったのか。

 一刻も早くふたりをキャンプへ連れて行かなければならない。飛行士がふたりを《S. 2号》に乗せて果敢に帰路につく。着陸の際、機体は激しく破損し、操縦していた飛行士もダメージを受ける。だが救出は成功したのだ。

 事実はこうだった。《S. 2号》が飛び立った後、突然にモニクが拳銃をサン=リュスに突きつけ、旧モルトン隊の小屋へ降りろと命じ、サン=リュスの右肩を撃ったのだ。モニクは彼を小屋へ連れて行き、自分はモルトン博士の娘であること、当時のモルトン隊のチーフ・エンジニアから母は恐ろしい話を聞いて亡くなり、小さかった自分もその話で衝撃を受けたのだと告げる。父は保存食も尽きた極寒のこの場所で、あなたに食べられて死んだのだと。あなたとふたりでここに来るときまで、自分はずっとこの話を胸にしまっていたのだと。

 それは事実ではない、そのチーフ・エンジニアは酒癖が悪く、自分に叱責されたこともあるので復讐をもくろんだのだろうとサン=リュスは述べる。埋葬したモルトン博士の遺体を掘り出して確認し、モニクは彼の無罪をようやく知り、負傷した彼を介抱する。

 死のドラマは終わったが、氷上での孤立という別のドラマはまだ続いている。サン=リュスは発熱し、ときに譫妄状態に陥る。モニクは彼の求めに応じて彼の言葉を口述する。「ぼくはきみが嫌いだった! 搭乗してきたきみを愛することを恐れたから……」彼は顔を背け、頬に流れる涙を隠そうとする。「ぼくらは死ぬだろう……。きみは来世を信じるかい?」「信じるわ!」「ぼくも信じたい! 美しいじゃないか、ぼくらの愛はこの小屋を超えて続くんだ……。モニク、ぼくを愛しているといってくれ……。お互いの腕のなかで死ぬんだ、こんなふうに……」モニクの頬も涙で濡れる。

 翌年1月、一行はサン=リュスとモニクの救出後、《邁進!号》を修復してフランスへと凱旋する。

http://www.association-jacques-riviere-alain-fournier.com/reperage/simenon/notice_pseudo/note_pseudo_Un%20drame%20au%20pole%20Sud.htm

 ……これ、ひょっとして一発書きの作品で、推敲もしていないのではないだろうか。全体の半分は一文ずつの改行という拙速な文章で、熱に浮かされたような「!」つきの部分も目につく。隊員の氏名や備品名を一行ずつ列記してゆくところなど、さすがにページ稼ぎとしか思えない。

 作中で何度も1903年のスコット隊への言及がある。シムノンはスコット隊の記事を読んでいただろう。実際の飛行機による極地探検は、アメリカの探検家リチャード・バード Richard Byrd が1926年に北極点到達を成し遂げており、本書刊行後の1929年11月には南極点への往復も成功している。シムノンはバードの業績を参考にしつつ、作品の年代を1926年に設定して、北極から南極へ舞台を移したのだろう。

 調査隊の仕事の様子はいろいろと書かれるのだが、なんというか早送りの映像を延々と見せられている感じで、地の文で状況が飛び去ってゆくに過ぎない。登場人物は互いにほとんど言葉を交わすこともないし、彼らの感動や不安感が具体的に描かれるわけでもない。ただページを埋めるためにイベントが発生し続けるかのようだ。先ほどシムノンはディテールを積み重ねるタイプではないと述べたが、ここではディテールはあるのかもしれないが、ほとんど読者の前に生きて留まることがない。

 肝心な部分を曖昧にぼかすクセは今回も顕著で、グーグル翻訳で読んでいるせいかもしれないが、たとえばモルトン博士の遺体をふたりで確認するところなどもっと葛藤があってよいはずなのに、本当に確認したのかどうかさえ読んでいるとよくわからない。後半いきなりメロドラマの展開になるのには驚いた。モニクはずっと影が薄かったのにいきなり上空で発砲し、過去をぶちまける。しかし作者は伏線でシーンを盛り上げることもなくすぐさま否定し、モニクも即座に改心する。サン=リュスはふだんから超人的な男性ヒーローとしてふるまうリアリティのないキャラクターなので、譫妄状態に陥ったとき、かなり奇妙な感じを受ける。ひょっとすると彼は本当にモニクの父を食べたのではないか、チーフ・エンジニアの話の方が真実だったのではないか、と読んでいて疑念に駆られかけたが、もちろんシムノンがそんな凝った展開を用意しているはずもないのであった。終盤から地の文で繰り返し「ドラマ」「ドラマ」というのもどうかと思う。そのたびにどんどん気持ちが冷めてゆく。サン=リュスは救出後ずっと寝ているだけで、《邁進!号》の修復は他の隊員がおこなう。物語を畳む際に主人公がまったく活躍しないのはこれまで通り。

 調査隊は多くの困難に直面するものの、行動は行き当たりばったりで、理屈の上でよくわからない部分も多い。《S. 1号》と《S. 2号》がいつ現れたのか、どうやって南極へ持ち込んだのかも私にはわからなかった。……ああ、私が全部書き直したいほどだ! これより短い枚数で、もっと面白く書いてみせるよ!

 ただ、興味深いと思った記述もある。譫妄状態のサン=リュスが自分の過去を振り返り、自分は少年期に旅行記を読んでいた、体育・化学・数学が好きだった、無駄な時間を恐れていた、一日のなかで空いた時間があると考えることさえいやだった、と語る部分は、ひょっとするとシムノンの少年時代そのものかもしれない。女性に複雑な二面性を求める発言も作者自身の投影に思えた。

 また「ペミカンpemican」という携行保存食が何度も出てきて、私はいままで知らなかったので面白かった。「pemmican」とも書き、干した牛肉に乾燥果実と脂肪をつき合わせて固めた、ネイティヴ・インディアンの食べものなのだそうだ。『ヴードゥーの巫女』でもそうだったが、こういう奇妙な一点に引っかかりを覚えさせるのが、若きシムノンの不思議な特徴だ。

 ミシェル・ルモアヌ氏の研究書『シムノンの別世界』『シムノン黎明期の輝き』を見ると、ペンネーム時代の秘境冒険小説はジャングル、極地、海洋などを舞台としつつ、おおむね似たような定型小説だったように思える。『海賊島』の舞台がティエラ・デル・フエゴだったのは意外だった。シムノンはこの前に同じ舞台の『Le monstre blanc de la terre de feu』[ティエラ・デル・フエゴの白い怪物、昔風に題名をつけるなら火焔島の白魔](ジョルジュ・シム名義, Ferenczi, 1928, 1926/12/15契約)も書いている。表紙イラストが気に入って購入してあるので読み比べてみたいが、もう少しフランス語が読めるようになってからの楽しみに取っておこう。今回はこれぞという作品に辿り着かなかったが、もしかすると戦後復刊された他の作品のなかには、もっとよいものがあるかもしれない。

 シムノンは本名の活動に移ってから、このような秘境冒険小説を書くことをやめてしまった。だが、それではこれらが後年のシムノンと無関係かといえば、そうではないと思う。というのもシムノンはずっと戦後まで、異郷小説作家としての側面を持っていたからである。

 シムノンの人生においては旅が大きな意味を持っていたと考えられる。後の話になるが、メグレの第一期が終わるころからシムノンは再び船を駆って旅に出かけていった。今度はアフリカへと向かうのである。いままで実際の世界を見ずに秘境を書いてきたシムノンは、それから実際に世界を知って書くようになってゆく。

 シムノン全集のオムニビュス社はいくつかシムノンのテーマ別選集を刊行しており、そのなかのひとつに《Romans du monde》[世界長編小説集](全2冊、2010)がある。異郷を扱った作品ばかりを集めたものだが、収録作のうち『フェルショー家の兄 L’aîné des Ferchaux 』(1945)以外はどれも未邦訳で、この分野はほとんど日本の読者に馴染みがない。メグレシリーズでも遠い異国の地が舞台になる印象はないため、シムノンといえば日本ではやはりパリ、フランスのイメージが強い。だがシムノンはノンシリーズのロマン・デュールで繰り返し異郷を書いていた。シムノンにとって異郷は重要なテーマだった。

 そのルーツはペンネーム時代の秘境冒険小説にあると思われるのだ。「秘境」が「異郷」へと変化したのである。

 短編の異郷小説なら私たちもいくつか読める。1944年初版の『Signé Picpus』[署名ピクピュス]はメグレものの長編3編に「Nouvelles exotiques

[異郷の短編集]」と銘打たれた短編5編を収録した合本で、このうち3編(1939)が戦後の雑誌《ロマンス》に訳出されている【註4】『メグレとしっぽのない小豚』(1950)所収の「命にかけて」(1946)も異郷小説といえる。アメリカの冒険小説誌《ブルーブックBlue Book》に挿絵入りで英訳「Under Penalty of Death」が出ているほどだ。広義のミステリーであるこれらの小説には、ペンネーム時代の面影が残っている。

 少しずつ本名のシムノンとメグレに近づいてきた。次回は初期探偵小説編である。

【註1】

 トビラ部分には手書き文字で「かいぞくじま」とルビが記されているが、本文中のルビでは「かいぞくとう」になっている。おおむね《探偵倶楽部》誌では本文の記述の方が正しいようなので、「かいぞくとう」の読み方を採用したい。

【註2】

「海賊島」「マルセイユ特急」はどちらも松村喜雄訳。松村氏は後年、著書『怪盗対名探偵』(1985)のなかで、シムノンのペンネーム時代の作品からこの2作を取り上げ、それぞれ「海賊」「夜汽車」としてあらすじを含めて紹介しているが、かつて自分がこれらの翻訳を手掛けた事実を示す記述はなぜかどこにもない。あたかもその場で蔵書のなかから抜き出してきたような体裁を取っている。

【註3】

 いちばん上に掲載されているスペイン語版『El monstruo blanco』[ティエラ・デル・フエゴの白い怪物]の書影をよく見ると、著者名がGeorges Simではなく「Jorge Sim」と誤記されているのがわかるだろう。当時これに類する表記の間違いはイタリア語版でもいくつかあったらしい。

 本邦でも名前の間違いがある。『運河の秘密』(京北書房、1952/9/25)(『メグレと運河の殺人』『北氷洋逃避行』の合本)の表紙もGではなく「J・シムノン」と書かれているのである。

【註4】

  • Le policier d’Istanbul, 1939 [イスタンブールの警官] 「百万長者と老刑事」中野榮訳、《ロマンス》1946/12(1巻7号)pp.32-39(抄訳)
  • L’enquête de Mademoiselle Doche, 1939 [ドシュ嬢の事件簿] 「宝石と令嬢」中野榮訳、《ロマンス》1946/11(1巻6号)pp.36-42(抄訳)
  • La ligne du désert, 1939 [砂漠の地平線] 「情熱の空路」中野榮訳、《ロマンス》1946/9 -1946/10(1巻4号-5号)pp.20-26, 36-42

 このうち「宝石と令嬢」「情熱の空路」は森英俊編『世界ミステリ作家事典[ハードボイルド・警察小説・サスペンス篇]』(2003)に記載がなく、おそらくは新発見の訳業である。

【ジョルジュ・シムノン情報】

▼2016年7月、PIDAX film社からルパート・デイヴィス主演のドイツ吹替版メグレTVドラマDVD、『Kommissar Maigret』第5集が発売された。これにて完結。未収録のエピソードもあり、やはり本家BBC英語版の映像ソフト化が待たれるところだ。( http://www.pidax-film.de/Serien-Klassiker/Kommissar-Maigret-Vol-5::937.html

▼映画『めぐりあう時間たち』の脚本などでも知られるイングランドの劇作家・映画監督デイヴィッド・ヘアー David Hair が、シムノンの長編『La main』[手](1968)を『The Red Barn』として脚色した。10月6日よりロンドンのナショナル・シアター(リトルトン・シアター)で上演される。またこれに合わせてペンギン・クラシックスより新英訳が『The Hand』として刊行の予定(古い英題は『The Man On the Bench in the Barn』)。( https://www.nationaltheatre.org.uk/shows/red-barn

瀬名 秀明(せな ひであき)

 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『月と太陽』『新生』等多数。

 https://www.facebook.com/hsena17/

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