お待たせいたしました!

 もう、本当に、こんなに待ったのだから、面白くなかったら承知しませんからね! と、じりじりしているあなた、大丈夫です。ご期待を裏切ったりはいたしません。

 だって、あのエドワード・ケアリーですよ。『望楼館追想』で、物語の(いや、むしろ物の)面白さ怖さ切なさ愛しさを、これでもかと表現してくれた作家ですよ。『アルヴァとイルヴァ』で、壊れていくエントラーラという町と奇妙な人たちとの関係を切なく謳い切った作家ですよ。この人の作品が面白くなかったら、この世に面白い小説などないことになってしまうんですから、大変です。

 舞台となっているのは、十九世紀後半のロンドン郊外のフォーリッチンガムという架空の区。その中にとてつもなく大きなごみ捨て場があります。そこはロンドンから出されるさまざまなごみ、がらくた、廃材、屑が山をなしていて、その悪臭だけでも体が麻痺するほど。山のまんなかには、ごみで財を成したアイアマンガー一族が暮らす巨大な館「堆塵館たいじんかん」が建っています。この大きな館の地上階には、両親ともアイアマンガーである純血アイアマンガーが、地下階には、親や祖父母が非アイアマンガーと結婚した子孫たちが召使いとして大勢暮らしています。どれだけの人数がいるのか正確にはわかりませんが、地上階に百五十人くらい、地下階に二百人くらいかと思います(訳者の勘というのはけっこう当たるものです)。

 この一族には、自分の誕生の品を肌身離さず持っていなければならないという不思議な習慣があります。生まれたときに与えられる誕生の品というのは、小さなものではマッチ箱から大きなものではマントルピースまで、種類も大きさも重さもさまざまです。

 主人公の十五歳のクロッドは、その誕生の品の声を聞くことができる異能の人です。誕生の品たちは、ジェームズ・ヘンリーとかアルバート・ポーリングといった名前を叫んだり囁いたりします。どうやら誕生の品にはひとつ残らず名前がついているらしいのです。そればかりか家具やタオルといったほかの物にも名前があります。クロッドの耳にはそうした声がすべて入ってきてしまいます。そのせいか、生まれつき病弱で青白い顔をしています。クロッドの誕生の品はジェームズ・ヘンリー・ヘイワードという浴槽の栓です。

 さて、ある日ロザマッド伯母さんの誕生の品、ドアの把手とってがなくなってしまい、館は上へ下への大騒ぎになります。誕生の品をなくしたらとんでもないことがその身に降りかかるからです。クロッドはその誕生の品の声を求めて館中を探し回るのですが、いっこうに見つかる気配がありません。

 ところ変わって、フォーリッチンガム区フィルチングという町にある孤児院には、ルーシー・ペナントという赤毛の女の子がいます。鼻っ柱が強くて自尊心があり、そばかすだらけの子です。その彼女にはアイアマンガーの血が流れていることがわかり、堆塵館で召使いとして働くことになります。堆塵館での、普通では考えられない習慣に驚きつつも、みんなと仲良くなろうと努めます(英国のテレビドラマ「ダウントン・アビー」にすっかり惚れ込んだ方なら、身分の違い、執事や下僕や召使いの役割、仲間同士の連帯などの描写に、わかるわかる、と首を上下に振ってくださることでしょう)。

 ところが、ある日ルーシーは、問題のドアの把手を偶然手に入れてしまいます。それがきっかけでクロッドとも巡り会うことになるのですが、このふたりの出会いがとんでもない事態を次々と招いてしまうのです。

『望楼館追想』では、アンナ・タップという女性が、閉じられた空間の共同住宅に入ってくることで、そこに住む七人の過去が暴かれ、新しく時間が動いていきました。『堆塵館』も、同じようにルーシーの登場によって館のバランスが崩れていきますが、今回は館の規模も謎も、目眩がするほど桁外れです。

『望楼館』では、巻末におかれた「愛の展示品」九九六点をつぶさに読んで涙した方も大勢いらしたと聞いています。そうしてみると、本書に登場する品と名前と由来を知って、いったいどれだけの方々が涙で溺れてしまうのか、想像するだに恐ろしくなります。

『堆塵館』はアイアマンガー三部作の第一部に当たり、英語圏ではすでに第三部まで出版されています(第二部 FOULSHAM、第三部 LUNGDON)。向こうのお国ではヤングアダルトに分類されていますが、子供たちにだけ読ませておくなんて、そんなもったいない。ファンタジーでもミステリでもSFでも歴史小説でもホラーでもない、けれどもそういった要素がすべて含まれている「ケアリーの世界」としか言いようのない魅力溢れる作品です。イラストもたくさん入っています。日本版の表紙の館とクロッドもケアリーの作品です。裏表紙にはそばかすルーシーがいます。

 すでに勘のよい方はお察しかもしれませんが、はい、本作は愛の物語です、もちろん。

 蛇足になりますが、日本語版にだけ原作と違う部分があります。訳していたときに、ある部分がおかしい、辻褄があわないと気づいてケアリーに問い合わせたところ、「うわあ! 赤面ものの間違い!」との返事で、その部分を訂正してもらいました。小さくない間違いなので、あちらのエージェントや編集者が気づいていなかったとに驚きました(訳者のちょっとした自慢あるある)。

 あ、それから、子供たちにどしどし読んでもらいたくて、目障りにならない程度にですが、漢字にルビを振ってあります。 

 さらに蛇足ですが、ケアリーは短篇も一作発表していて、それが『もっと厭な物語』(文春文庫)に載っています。「私の仕事の邪魔をする隣人たちに関する報告書」は、共同住宅に引っ越してきた少々おつむのおかしい作家の繰り言が、作家自身を追い詰めていくというなんとも後味の悪い、でも妙に愉快な作品です。よろしければ是非。それにしても、どうしてケアリーは共同住宅がこんなにも好きなの?

 蛇足がこんなにあってはおかしいのですが、本書刊行にあたって10月からイベントをいくつかおこなう予定です。ご都合がよろしければ、ぜひいらしてください。

 長々ととりとめのない文章、大変失礼いたしました。

 でもまだまだぜんぜん話し足りないので、また機会をください。

 どうぞみなさまお元気で。

古屋美登里(ふるや みどり)

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 訳書にM・L・ステッドマン『海を照らす光』、イーディス・パールマン『双眼鏡からの眺め』(以上早川書房)、ラッタウット・ラープチャルーンサップ『観光』(ハヤカワepi文庫)、エドワー・ケアリー『望楼館追想』(文春文庫)、ダニエル・タメット『ぼくには数字が風景に見える』(講談社)、デイヴィッド・フィンケル『帰還兵はなぜ自殺するのか』(亜紀書房)など。明治大学商学部兼任講師。倉橋由美子作品復刊推進委員会会長。倉橋由美子『最後の祝宴』(幻戯書房)を監修刊行。「BURRN!」で22年間書評を担当。

 Twitterアカウントは @middymiddle

◆東京創元社〈Webミステリーズ!〉内:『堆塵館』に至るまで エドワード・ケアリー『堆塵館』訳者あとがき(古屋美登里)

■担当編集者よりひとこと■

 一目惚れって、本でもあるんですね。

 この『堆塵館』がまさにそれ。原書 HEAP HOSUSE の表紙をひと目見て、これは凄い! と思いました。嵐のように暗い雲が垂れこめる下に広がる一面のごみの原、その上に建つ奇天烈な屋敷と、手前には顔色の悪い男の子(老けていますが、半ズボンなので多分……)。とにかく強烈なのです。

 そして見返しには堆塵館の見取り図が。これがまた想像力を刺激します。つまり内容を読むまえに、すでに堆塵館の世界に引き込まれていたのですね。

 もちろん、内容も期待に違わぬ凄さです。詳しい内容につきましては、翻訳の古屋美登里先生が余すところなく語ってくださっていますので、ここで付け加えることはないのですが、とにかく、ケアリーが描く細密で、奇妙に歪んだ、愛おしい世界。一歩足を踏み入れたら、絶対に引き返せないことは請けあいです。どうかご堪能下さい。

(東京創元社 K)   

◆東京創元社〈Webミステリーズ!〉内『堆塵館』紹介ページ

 ↑「堆塵館の見取り図」をごらんいただけます。

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