一部のSNS等で原著が評判になっているピーター・トライアス『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』(以下、USJと略)。日本が太平洋戦争に勝って、アメリカ西海岸に「日本合衆国」を建国しているという筋立てのこの話の翻訳は、ミリタリーSFを専門に訳している私にまわってきました。

 この作品はフィリップ・K・ディック『高い城の男』の舞台設定を下敷きにしていて、著者は献辞と謝辞でそのことに言及しています。とはいえ続篇ではなく、まったく別の話として書かれています。第二次世界大戦で連合国が敗北し、アメリカの西海岸が日本に、東海岸がドイツに占領され、アメリカ人の抵抗組織はロッキー山脈にたてこもっているという歴史設定が借用されています。

『高い城の男』では、アメリカが戦争に勝つという架空小説『イナゴ身重く横たわる』が登場しますが、『USJ』でこれにあたるのが『USA』というタイトルのビデオゲームです。米国が戦争に勝ってアメリカ合衆国が維持されるという笑止千万な内容のアングラゲームを追う特高警察の女性課員と、それに同行する検閲官の主人公。この戦争シミュレーションゲームはアメリカ復興をめざすレジスタンスの活動と直結していて、2人はその中心地をめざすというストーリーです。

 さて、本稿では『高い城の男』『USJ』の歴史設定を検証、比較してみたいと思います。それぞれどのように史実から分岐し、日独勝利という逆転した世界史になっているのか。

 まず『高い城の男』。アメリカでの分岐点は、大統領暗殺の成否というわかりやすいものです。フランクリン・ローズベルトは1932年の大統領選に勝利しますが、就任前の翌年2月15日に、マイアミでイタリア移民のジュゼッペ・ザンガラにピストルで襲撃されます。史実では、銃弾はそれて、隣にすわっていたシカゴ市長アントン・サーマックを死亡させます。ローズベルトは無事に大統領に就任し、終戦直前まで在職してアメリカの戦争を指導しつづけたのはご存じのとおり。

 一方、『高い城の男』の世界では、銃弾はローズベルトを死亡させます。そのため憲法の規定にしたがって、副大統領として当選していたジョン・N・ガーナーが代わって大統領に就任。彼が無能だったために日本との戦争に負け、西海岸に傀儡国家のアメリカ太平洋連邦(PSA)が建国されたというストーリーになります。

 ではヨーロッパはどうか。史実では、北アフリカ戦線におけるエルヴィン・ロンメル将軍のドイツ装甲軍は、エルアラメインで英軍の反撃に敗れて東進を阻止されます。『高い城の男』では、ロンメルはこの戦いに勝って予定通りにカイロへ侵攻。中東へ進んで油田地帯を押さえ、さらにインドまで進んで日本軍と合流したことになっています。こうして第二次大戦は枢軸国が連合国を破り、日独が世界を分割統治。ドイツはアメリカの東海岸を支配します。

 ただ、ローズベルトの早すぎる死がヨーロッパの戦いまで左右したとするのはさすがに無理があるでしょう。こちらの分岐点はエルアラメインの戦いですが、ロンメルが負けなかった理由は書かれていません。というわけで、『高い城の男』では日米戦と英独戦における二つの偶然が重なって世界史が逆転したと解釈するしかなさそうです。

 しかし、トライアスの『USJ』は、一つの事象から日米、英独二つの戦いを逆転させることに成功しています。

 まず史実として、開戦前の日本と東アジアの状況を見ておきましょう。日本は来たるべき世界戦争で欧米列強に抗して生き延びるために、アジアに軍事ブロックを築くことをめざします。そのためには軍備を整えなくてはいけませんが、日本列島には資源がない。そこで鉄鉱石と石炭が豊富な中国大陸に進出し、満州国を築きます。第一次大戦直後の常識なら鉄を確保して一安心でしょう。しかし軍事技術の進展にともなって、航空戦力の充実が喫緊の課題になってきます。航空機の製造と運用に必要なのは石油、ゴム、ボーキサイト(アルミの原料)です。石油は友好国のアメリカから輸入してきましたが、できれば依存を解消したい。しかし中国北部には石油もボーキもありません。あるのは東南アジア。なかでもオランダ領東インド(蘭印、現インドネシア)です。

 日本は古臭い大艦巨砲主義だったから戦争に負けたという俗説がありますが、正確ではありません。たしかに参謀部は陸軍が主導していましたが、航空戦力の戦略的重要性を理解していたからこそ、この南方資源の獲得が日本の命運を左右するとこだわったのです。

 しかし蘭印の手前には英領マレーがある。日本が進出すれば、イギリスを刺激する。すると対独戦で同盟関係にあるアメリカが黙っていない。日米開戦を避けつつ英国利権を侵す英米分離の道を外交的に探りますが、やはり英米不可分という結論になる。そして日米開戦をシミュレーションすると、国力の差からどう見ても必敗。動けません。

 一方で満蒙国境では、日本はソ連軍と対峙しています。油断するとソ連は満州に攻め込もうとする。日本としては南北二正面作戦は避けたいところ。参謀部内では、まずソ連軍を叩いて追い払うべきという北進論と、南方資源に戦力を集中すべきだという南進論が対立します。

 そんな緊迫した状況の1941年6月22日、ドイツが対ソ侵攻作戦を開始。日本に対して、三国同盟にもとづいて東方より対ソ参戦されたいと呼びかけてきます。これを受けて松岡洋右外相は、対ソ宣戦(北進)を主張します。

 松岡は、リットン報告書をめぐって国際連盟で怒りの演説をして脱退した日本代表として高校の教科書にも出てくる、あの松岡です。帰国後は満鉄に戻ったりしていましたが、1940年の近衛内閣で外務大臣に招かれます。しかし対ソ戦の主張では近衛と対立。最終的には更迭されます。

 決断を迫られた日本は、ドイツの要求には応えず、25日の大本営と政府の連絡会議で南進論を採用。南部仏印(現在のベトナム南部)への進駐を決定します。

 その後、ドイツは10月までにソ連の首都モスクワに接近するものの、攻めきれず、冬の到来で後退をよぎなくされます。翌年のスターリングラード攻防戦でも苦戦し、劣勢に追いこまれます。

 日本は南進によって予想どおりにアメリカの怒りをかい、命乞いに近い日米交渉を続けます。しかし11月には最後通牒同然のハル・ノートを突きつけられ、万策尽きて、必敗と予測したはずの日米開戦に進まざるをえなくなります。そしてシミュレーションどおりの敗北が待っていたわけです。

 さて、史実の解説が長くて申し訳ありませんでしたが、これをもとに『USJ』の改変歴史を見ていきましょう。

 話のなかに歴史的経緯を説明するところがあり、そのなかで松岡外相が「対ソ開戦を陸軍に求めた」ところまでは史実どおり。そのあと、「松岡の主張は賛同を集めた」というところからがフィクションです。つまり6月22日のドイツの対ソ侵攻から、25日の日本の決断までの4日間を、歴史の分岐点としたわけです。

 北進を選んだ日本軍は、満蒙国境でソ連東方軍に攻撃をしかけ、ドイツとともに東西からソ連を挟撃します。戦力を分散させられたソ連軍はドイツ軍の猛攻のまえになすすべなく後退。冬になるまえにモスクワ陥落、ソ連崩壊となります。日独はソ連を分割統治。そのあとはふたたび軍備増強期にはいります。

 この時期に日独は原子爆弾を共同開発。日本はこれを弾頭にした原子魚雷を製造します。さらに日本はメカと称する人型ロボット兵器を独自開発。ドイツはバイオモーフというクローン兵士を開発します。

 日米開戦は史実より6年遅れの1947年。原子魚雷でアメリカ西海岸の主要都市を壊滅させ、さらに巨大な人型ロボットの投入でアメリカ人の戦意を喪失させます。戦争は1年で決着し、1948年7月4日(これがアメリカで何の日かはいうまでもありません)、ロサンジェルスじゅうに旭日旗を掲げて戦勝パレードがおこなわれます。

 実際問題として、日本の決断一つでそこまで世界史がひっくり返ったかどうかはかなり疑わしいところです。そこはまあ娯楽作品としてお許しください。しかし小説の構成としては、たしかに歴史上の一点の改変で東西二つの戦争の結果を逆転させています。そして若い著者が当時の日本の政治状況をよくリサーチし、咀嚼していることに感心せざるをえません。

 歴史的背景を長々と解説しましたが、あくまで背景であってネタバレにはまったくなっていないのでご安心ください。『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』は、基本的には奇想天外なバカ話です。アメリカに進出した日本文化のいかにも過剰な描写や、ツンデレ特高女と能天気主人公の珍道中を笑って読んでいただければさいわいです。

中原尚哉(なかはら なおや)

 1964年生まれ。ミリタリーSFを訳してますが、兵器も戦史も一般的知識しかありません。最近の訳書はマイク・シェパード〈海軍士官クリス・ロングナイフ〉シリーズ等。車を運転していないと死んでしまう体のため、群馬に引っ越してもうすぐ20年。赤城山麓のワインディングに生息しています。

■担当編集者よりひとこと■

 2カ月ほど前のことですが、本書『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』を「10月に刊行します」とツイッターの「早川書房 翻訳SFファンタジイ編集部」アカウント(@hykw_SF)でつぶやいたところ、なんとリツイート数が4桁に! ふつうは数十もリツイートしてもらえれば、反響が多かったと喜んでいるのに。

 予想以上の反応の大きさに、当初は新☆ハヤカワ・SF・シリーズ(「銀背」とも呼ばれる、ポケミスと同じサイズのシリーズ)のみで発売の予定でしたが、急遽、SF文庫も同時発売することになりました。文庫版は、お手頃価格(2016/10/11 08:40時点)で手に取りやすい上下巻にして、多くの読者のみなさまに。新☆ハヤカワ・SF・シリーズ版は、お値段は少し高くなるけれど、装画を描いた John Liberto 氏によるカラーイラストを口絵としてつけるという、お楽しみを用意しています。

 第二次世界大戦で日独の枢軸側が勝利し、アメリカ西海岸が日本の支配下にある。その「日本合衆国」では、治安維持のため巨大ロボット兵器「メカ」が街を睥睨している、という独創的な舞台設定が話題となった本書。ただ、本書の解説で大森望さんが書かれているように、「そういうキャッチーで派手な要素は、この傑作長篇のほんの一面でしかない」。

 たとえば……帝国陸軍の石村は、ある日、元上官の将軍が消息不明になったこと、そしてその将軍の娘が亡くなったことを知らされる。妹のようにかわいがっていた娘との約束を果たすべく、石村は将軍の足跡を追うことになる……。こうまとめると、この石村はハードボイルドか謀略サスペンスの主人公っぽく感じませんか? たとえ、本当は美味しい食べ物に目がない、うだつのあがらない万年大尉であっても。本書は巨大ロボットアクションであり、改変歴史SFであり、日本風味のポストサイバーパンクSFでもありますが、ハードボイルド要素もあり、またサスペンスとしても楽しめる作品です。

 予想を裏切る衝撃の面白さが堪能いただけることかと思います。

(早川書房編集部・T)   

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