ミステリ試写室 film 16 われらが背きし者

『世界が終わってしまったあとの世界で』『エンジェルメイカー』が相次いで紹介された息子のニック・ハーカウェイが日本でも注目を集め、孫娘にあたるジェシカ・コーンウェルも『蛇の書』でデビュー。まさに血は争えないの言葉どおり、ここのところの“ル・カレ”ファミリーの快進撃には目を瞠るしかないが、次世代、次々世代の活躍を横目に、ご本尊もまた、この秋、回顧録的なノンフィクション The Pigeon Tunnel: Stories from My Life を上梓したばかりだ。

 そして、冷戦終結を経て、21世紀の今も健筆衰えない巨匠は、自作の映画化にも深い関心を寄せていると思しい。原作の提供だけでなく、「テイラー・オブ・パナマ」(2001年、原作は『パナマの仕立屋』)では脚本チームに名を連ね、「誰よりも狙われた男」(2014年)では、製作総指揮者としてクレジットされている。

 映画化作としては最新の「われらが背きし者」でも、その係わり方は原作者として通り一遍のものではない。過去のエピソードを冒頭にもってきた原作とは異なるイントロも、そんなル・カレのお墨付きのものといっていいだろう。では、まず予告編からどうぞ。


D

20161011150923.jpg

 休暇でモロッコを訪れていた大学教授のペリー(ユアン・マクレガー)と法廷弁護士のゲイル(ナオミ・ハリス)の夫婦に、見知らぬロシア人ディマ(ステラン・スカルスガルド)が近づいてきた。彼もまた、妻や子どもたちとバカンスを過ごしていたが、札びらを切るような金遣いと周囲のものものしい警護に不信感を募らせながらも、ディマの豪放磊落な性格に、ペリーは好感を抱いていく。

20161011150922.jpg

 滞在最後の晩に、気の進まない妻を伴い、彼の娘の誕生パーティに顔を出したのも、そんな理由からだったが、そこで恐るべき話を聞かされる。ロシアン・マフィアの社会に属する彼は、世代交代でその座についた現在のボスから命を狙われているという。自分と家族の亡命を受け容れてくれれば、ボスが賄賂を送っている相手の情報をイギリス政府に提供すると言い、マネーロンダリングの情報が入ったUSBを強引にペリーに託した。そんな彼の帰国を待ち受けていたかのように、空港で接触してきたのはMI6の工作員ヘクター(ダミアン・ルイス)だった。

20161011104957.jpg

『パナマの仕立屋』以降、早川書房だけでなく、集英社や光文社からも刊行されてきたル・カレの作品だが、本作が古典や学術書の老舗・岩波書店から刊行された時にはさすがに驚いた記憶がある。(蛇足になるが、同社からは、今年になってシリーズ紹介が軒並みストップしているオレン・スタインハウアーの作品(スタンドアローン小説の『裏切りの晩餐』)も出ている。密かに期待を寄せる所以である)

20161011150921.jpg

 小説の『われらが背きし者』は、以前の作者ほどの手強さではないにせよ、登場人物表は3ページにもわたり、時系列が頻繁に入れ替わるなど、読者はある程度じっくりと腰を据えてページをめくらざるをえない。しかし、この映画の特筆すべきところは、単行本で500ページをこえる饒舌な物語を、鮮やかな手際で再構築し、107分というきわめてコンパクトな尺に収めているところだろう。

20161011150924.jpg

 脚本を担当したのは、ジェイムズ・サリスの原作にさらに磨きをかけた映画「ドライヴ」で一躍有名になり、その後「ギリシャに消えた嘘」では自らメガホンもとったイラン出身のホセイン・アミニで、刊行前にいちはやく原作を読み、エージェントに売り込んだという。そして、そのアミニに白羽の矢を立てたのは、製作総指揮者のひとりとして参加したル・カレだったそうだ。

 冒頭の舞台がカリブ海のアンティグア島からモロッコに、また主人公とそのパートナーの関係が結婚前のカップルからある理由で問題を抱える夫婦に変更になっているのをはじめとして、原作と映画の間には大小さまざまな改変がある。しかし、ル・カレ作品の通奏低音ともいうべき、諜報の世界は胡散臭いものだ、という主張は少しもトーンダウンしていない。そのことひとつをとっても、アミニとル・カレの間には綿密なやりとりがあったことは間違いないだろう。

 監督のスザンナ・ホワイトは、ベネディクト・カンバーバッチ主演の連続大河ドラマ『パレーズ・エンド』などTV畑で活躍してきた人で、劇場用長編映画はクリスチアナ・ブランドの『ふしぎなマチルダばあや』を下敷きにした「ナニー・マクフィーと空飛ぶ子ブタ」(2010年)に続く本作が、2作目となる。

20161011150925.jpg

 亡命劇の舞台裏を克明に描いたル・カレの原作を、ロシア人一家の亡命までの長い道のりを描いたロード・ムービーに仕立てたのは、おそらく彼女のアイデアだろう。ペリーとゲイル、ディマとその一族、そしてヘクターとその息子というそれぞれの家族の物語を、三つ巴で重ね合わせたあたりは、ル・カレの世界の変奏曲としてきわめて新鮮。小道具の使い方が巧みな物語のしめくくりも、実に鮮やかな印象を残す。 

作品タイトル:『われらが背きし者』(原題:Our Kind Of Traitor

公開:10月21日(金)より、TOHOシネマズ シャンテほかにて全国公開

配給: ファントム・フィルム

コピーライト:©STUDIOCANAL S.A.2015

公式サイトhttp://wareragasomukishimono-movie.jp/

三橋 曉(mitsuhashi akira)

20160617141735.jpg

 書評等のほかに、「日本推理作家協会報」にミステリ映画の月評(日々是映画日和)を連載中。

blog(ミステリ読みのミステリ知らず) http://d.hatena.ne.jp/missingpiece/

【映画レビュー】三橋曉のミステリ試写室【不定期連載】バックナンバー