——大人版トムとハックの大冒険に胸熱なのだ!

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:いやー、いろいろあった2016年も押し詰まりましたねー。

 今年も面白い本をいっぱい教えてもらったし、楽しい酒も飲んだし、山に登ったし、道にも迷ったし(比喩ではない)で、1年間、皆さまにはホントにお世話になりました。ありがとうございました。

 でも、こんなもんで満足していちゃ駄目ですよ。

 来年はもっとお世話してもらいますからね。あっはっはっ。(<どんなテンションなんだ)

 さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』をテキストに、年代順に翻訳ミステリーを学ぶ「必読!ミステリー塾」。

 ついにやって来ましたよ、ロス・トーマス回!

 実は僕、mixiで「ロス・トーマスの全訳を夢みる会」というコミュニティーの管理人をやっているほどロス・トーマスが大好きなのです。

 今回のお題はロス・トーマスのデビュー作『冷戦交換ゲーム』、1966年の作品です。

 1966年と言えば、本作で重要なモチーフにもなっている「ベルリンの壁」完成から5年後、キューバ危機からは4年後、そして米軍が本格的にベトナム戦争に介入し、北爆を開始した翌年という、東西冷戦の緊張感もピークといった時代です。

 そんな空気感がとてもよく描かれているのも本作の読みどころ。

 こんなお話です。

西ドイツ、ボンの郊外にある「マックの店」はアメリカでよく見るような喫茶バア。そこの店主である「わたし」マッコークルにとって、パディロは10年来の友人であり頼りになる共同経営者だが、また西側屈指の凄腕諜報員であることも薄々感づいていた。ある日、いつものように「ちょっと出かける」と言ってボンを離れたパディロから東ベルリンで危機に陥っているとの報せを受け、マッコークルは救出に向かうが……。

 ロス・トーマスは1926年生まれのアメリカ人作家。オクラホマ大学を卒業後、太平洋戦争でフィリピンに従軍。退役後はジャーナリストを経て、政治活動に身を投じました。1966年に『冷戦交換ゲーム』でデビューし、MWA最優秀新人賞を受賞。1984年には『女刑事の死』でエドガー賞(MWA長篇賞)を受賞しました。1995年没。

 ロス・トーマスはホントに外れのない作家なのに(と言い切るのに躊躇はありませんとも)、日本ではなんだか不遇です。

 長編25作のうち日本で翻訳されたのは17作で、そのうち今amazonで買えるのはたったの3冊。立風書房から出ていた7作に至っては古書市場でさえめったにお目にかからない、ほとんど稀覯本という状態。

 ああ歯痒い。こんなに面白いのに。みんなに読んで欲しいのに。

 こーなったら、いま流行りのクラウドファウンディングで日本全国200万人のロス・トーマスファンから出資を募って早川さんに復刊や新訳をお願いしようか、とか真剣に考えちゃうくらいなのです。

 さて、そんな僕の超絶大好き作家ロス・トーマスのデビュー作にして、パディロ&マッコークル・シリーズの第1作である『冷戦交換ゲーム』は、タイトル通り、冷戦真っ只中の1960年中頃、ベルリンの壁を挟んで、アメリカとソ連による亡命者返還を巡る策謀を描いたスパイスリラー。

 長く東西冷戦の象徴でもあった「ベルリンの壁」ができるまでの経緯や、それによってもたらされたベルリン市民の悲劇にも言及されており、イデオロギーによって民族を分断した近代の暗い歴史に(もちろんお隣り朝鮮半島の今の在り様にも)思いをいたさずにはいられません。

 本作『冷戦交換ゲーム』は、ソ連へ亡命した二人のNSA(米国家安全保障局)職員の返還の条件にされ、アメリカによって売られることになったパディロと、そんな世界の思惑とは関係なく友人を救おうとするマッコークルの話。

 ああたまらない。僕はロス・トーマスの、クールで淡々とした「男の友情」の描き方が大好きなのです。

 そして、当時の緊迫した世界情勢の裏で、実際に繰り返されてきたであろう非情で冷酷な政治的駆け引きやそれに振り回される人々の物語に、ページをめくる手は止まらないのであります。

畠山:あ、熱いのね、加藤さん……(ちょっと引いてる)

 ロス・トーマスは『五百万ドルの迷宮』だけ読んだことがあります。あの時、主人公二人のイマイチ理由のわからない友情に腐女子のアンテナがビンビン振れた、と言ったら加藤さんにめっちゃ怒られたんだっけ。

 今回もかなりいいとこついてる気はするのだけど、それはちょっと置いときましょう。

 東西冷戦下でベルリンの壁を越える越えないというお話しですから、スリリングにならないわけがない。

 誰が何を目的に動いているのか、真か嘘か、敵か味方か。これは謀略モノの醍醐味。

 とはいえけっこう混乱したなぁ。まず似てる名前が多すぎる。

 マッコークル(=マック)/マイケル(=マイク)/マース/マックスでしょ、それからバームサー/ハッチャー/バーテルズ/バーチウッド、でもってヴェンツェル/ヴィルヘルム/ウェザビイ/ヴォルゲート……ってなにこの知能テスト。誰がどれだかわからなくなったのって私だけ? おかしいな、おそ松さんたちはわかるのに。

 行動描写だけで話が進んでいくところも多く、ああこのちょっとしぐさの中に「オトコノキモチ」を汲み取ればいいのね……って、わからんわ! とひとりでツッコミながら(それはそれで楽しいけど)私のお得意のパターンで「えーっとえーっと、とりあえずピンチ!」みたいなざっくりの理解で読み進めました。

 最後に事件の全貌が明らかにされても、なるほど! と思えないくらいの混乱ぶりで、「多分アイツが一番悪い」って程度の認識。ごめんね、ロス・トーマス&シルヴィア(それはインディオス)

 それよりも壁を越えるための「穴」の由来なんかの方が楽しく読んでいたなぁ、枝葉のお話で、人によっては「そこは要らん!」と言うのかもしれないけど。

 そう考えると案外読書会向きの本なのかもしれないですね。あれはどーなった? この人誰? えっどうでもいいの? という確認をしあったり、ノッて読めるポイントが全然違ったりして発見が多そうです。

 途中は迷走しましたがエピローグはよかった! 粋な文章構成でかつちょっとおセンチ(死語?)。映画にしたらさぞかし素敵なシーンだろうなぁと思う。

 できればマッコークルの恋人にもう少し活躍してほしかった。せっかく才女で記者なんだもの。大きな役割を振ってあげてほしかったなぁ。

加藤:おお、畠山さん『五百万ドルの迷宮』を読んでいたのか! って驚いたけど、よく考えたら菊池光訳だからか。そんなブレない貴方はやっぱり凄い。

「ロス・トーマスはわかりづらい問題」は昔から言われていて、登場人物の名前が総じてヘンテコなのはわざとだと思うんだけど、文章がまさにハードボイルド文体で、(初期は一人称記述であったにもかかわらず)内面描写がほとんどないものだから、登場人物が何を考えているのか、そもそも言っていることが本当なのか嘘なのかがサッパリわからないというのが大きな理由だと思う。

 またプロットも結構入り組んでいるため「難解だ」とか「玄人好み」だとか評されます。

 とはいえ、そもそもスパイスリラーってのは、ジョン・ル・カレに代表されるように分かりづらいというか虚々実々の世界観が魅力なのだし、(自分で言うのもナンだけど)加藤が好きだっていうくらいだから普通の人が手に負えないほどプロットが複雑なわけもなく、仮に途中で迷子になったとしても十分に楽しめるのがロス・トーマスのリーダビリティー。

 内面描写を省いたクールな文体は、とりもなおさず、ロス・トーマスの魅力でもあるのです。

 パディロ&マッコークル・シリーズは、『冷戦交換ゲーム』から始まり、『暗殺のジャムセッション』『クラシックな殺し屋たち』『黄昏にマックの店で』と続くのですが、タイトルが印象的なシリーズ4作目(というかスピンオフ)の『黄昏にマックの店で』は読んだという方も多いかも知れませんね。

 僕はロス・トーマスの魅力の一つに「男の友情の描き方」と書きましたが、もう一つ、このシリーズに関しては隠れテーマとして「男にとっての日常からの逃避」「奥さんの居ぬ間の大冒険」も挙げておきたいと思います。

 誤解を恐れずに言うならば、家族や仕事から解放されて束の間の冒険を楽しむ「男の夢」の物語。

 畠山さんは「マッコークルの恋人(フレドル)にもう少し活躍してほしかった」と書いているけど、このシリーズはフレドルがマッコークルの冒険を邪魔しないというのもお約束。たまたま旅行に出かけていたり、誘拐されたりして、彼は後ろめたさを感じずに出かけられるのですね。

 とにかく格好いいパディロは「マックの店」の共同経営者という身分を隠れ蓑に世界を飛び回る西側の凄腕スパイ。

 一方、相棒のマッコークルは、平凡な喫茶バアのマスターなのですが、大戦中は特殊任務にも就いたこともある元軍人。

 いい歳をしてなお、ヤバイものに心惹かれ、危険に身を晒したいと願い、果ては大義に殉じる自分を甘美に夢見てしまうのは、男なら誰にでも備わった幼稚ではあるが抗しがたい願望なのではないでしょうか。

 このシリーズはそんな願望をマッコークルの目を通して痛快に叶えてくれているのです。

 まさに大人版トム・ソーヤー(マッコークル)とハックルベリー・フィン(パディロ)の大冒険。

 この年末年始、家族とゆっくり過ごしながら、密かに別世界の冒険を堪能してみるというのはいかがでしょうか。

畠山:加藤さんの説でいくならフレドルは永遠の少年(?)の冒険心を上手に満たしてやろうという立派というか見上げたというかずいぶん懐の深いカノジョだな。“たまたま旅行”はまだしも(「亭主元気で留守がいい」ってくらいだから)“誘拐”はどうよ? なぜオマエの冒険の為に私が危険な目にあわねばならんのか、と私なら異議を唱えるゾw

 まぁでも「男子の冒険心の小説」……なるほど、そう考えるとマッコークルがやや能動的に巻き込まれていった理由がわかる気がする。冒険を求めつつ、一番の願いはパディロとともに帰ってまた楽しく店をやりたいってところが、なんか子供みたいだもんね。

 そんな愛すべき子供っぽさのせいなのか、わかりにくいだのなんだの言いつつも、あのエピローグを読んだ後は、彼らをもっと見ていたいと思いました。

 できればあの喫茶バアの従業員さんもそのまま登場して欲しいんだけど、実際はどうなんだろう? ピンチの時にちゃっちゃと話を合わせて、きちんと抜かりなくやってくれるいいキャラ揃いなんですよ。それを確かめる意味でも、シリーズを読んでみたいですね。

 ベルリンの壁についてマッコークルは「あの壁はなくならない、ということだな。少なくともおれたちの生きてる間にはね」と言っていましたが、彼も無事に長生きしていたら、あのハンマーでどっかんどっかんと壁を叩いている映像を見たことでしょう。

 この数十年の間にどれほど多くの「絶対」が見事に覆ってきたことか、と感慨深いものがあります。(あらやだ、アタシ永遠の18歳だったわ

 あの壁が崩壊してそろそろ30年。東西冷戦を知らない若い世代の方にはぜひ本書を読んでいただきたい。(だからアタシは永遠の……以下略

 他にもベルリンを舞台にしたスパイ小説を古山裕樹さんが紹介なさっていますので、ご参考までに。

 ☞ ベルリン限定・冷戦下パイ小説ベスト5

 多くの方に読んでもらうためにも復刊はもちろんながら、新訳も期待したいなぁ(>とりあえず言ってみる)「物の見方が狭うござんしてね」なんて言い方はさすがに古いもんね。古いといえば本書ではLGBTについても時代を感じさせる表現がされています。現代の感覚からするとキツいな〜と思われるかもしれませんが、それもまたベルリンの壁と同様に歴史を見つめるといったスタンスで読んで下さるとありがたいです。

 今年は映画「ブリッジ・オブ・スパイ」がありましたね。私も公開時に観まして、おかげでベルリン市街の雰囲気を想像しやすかった気がします。テーマも近いので、小説にとっつきにくい方にはまずこちらから入るのもオススメかも。

 お正月にスパイ小説や映画でスリルとサスペンスを楽しむのもまた一興ですね。

 今年も月に一度のこの「必読!ミステリー塾」にお付き合い下さって、ありがとうございました。回を重ねているわりには成長の証がイマイチ感じられない我々ではありますが、来年も果敢に課題の本を読んでいきたいと思います。マスターオブミステリーの称号(いつ作った?)は遠い! 頑張るゾ!

 それでは皆様、よいお年を!

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 ロス・トーマスの作家デビューは1966年の本作で40歳のときでした。彼は学生時代、第二次世界大戦中に兵役を務めフィリピン諸島に滞在(そのときにレイモンド・チャンドラーの小説に出逢います)、終戦後は復学してジャーナリズムの世界に入り、各国で記者として活動しました。『冷戦交換ゲーム』にはそうした経験が活かされていますが、忘れてはいけないのは二十代でマッカーシズム、すなわちアメリカ合衆国を吹き荒れた赤狩りの狂奔を体験していることです。彼の作品全般を覆うひねくれたユーモアのセンスは、そうした全体主義的傾向を自国で体験したことにも起因しているのではないでしょうか。正義を標榜する者、暴力によって自分の我を通そうとする者に最後まで反抗し続けることが、トーマスの作家としての信念だったのではないかと思います。そうした意味では今こそ彼の作品はもっと読まれるべきなのです。

 ロス・トーマスの仕事でもう一つ大事なのは、ジョー・ゴアズ原作でヴィム・ヴェンダースが監督した映画『ハメット』の共同脚本を書いていることです。ちょい役で出演しているとのことなのですが、私は彼の姿をまだ発見できていません。関心ある人は探してみてください。

 さて、次回はハリイ・ケメルマン『九マイルは遠すぎる』ですね。楽しみにしております。

加藤 篁(かとう たかむら)

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愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

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札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N

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