書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 今月も書評七福神がやってまいりました。花曇りといいますか、なかなか気持ちよく春になってくれない日々が続きます。こういう日は家で読書がいちばんですね。

 そしてまたもや宣伝ですが、本のサイトbookaholicにおいて二分の七福神である川出正樹氏と杉江松恋が、その月に読んで最もおもしろかった翻訳小説(ミステリー以外の場合もあり)を三作ずつ紹介するという対談をしております。ポッドキャストで音声配信もしているので、書評七福神と併せてお聞きくださいませ(最新版はこちら)。通学・通勤のお供にダウンロードをして聴いていただければ幸い。こちらの連載との被りなども予想していただければおもしろいと思います。毎月やっておりますので、公開収録も一度覗いてみてください。

 はい、始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

北上次郎

『終わりなき戦火』ジョン・スコルジー/内田昌之訳

ハヤカワ文庫SF

「老人と宇宙6」となっているので、これまでこのシリーズを読んでない方は絶対に手に取らないだろう。しかも訳者あとがきには、『戦いの虚空 老人と宇宙5』で残された謎が明らかになるので前作から読んだほうがわかりやすいとあるのだ。ここまで念を押されているのに、いきなりこれを読み始める人はまず、いない。しかし、このシリーズを読んだことのないにもかかわらず、いきなりこれを読む読者がもしもいたとしたら、あなたのカンは鋭いと称賛したい。

 前作を読んでいなくても、このシリーズを初めて読む人でも、本書は大丈夫なのだ。もちろん、読んでいるにこしたことはない。そのほうがあるいは、面白いのかもしれない。しかし未読だからといって鑑賞の妨げになることはないのだ。私、シリーズ全作を読んできているが、覚えているのは第1作の最高に素敵な冒頭部分だけで、あとはまったく覚えていない。それでも本書を面白く読了したから、それは保証する。これまでの作品を未読でも、だいたいのことはわかるように書いてあるから安心して読まれたい。それがジョン・スコルジーなのだ。これを読んで面白ければ、シリーズを遡ればいいのである。理由の2は、今回は語り手の異なる4編の中編構成であることだ。つまり入門編にぴったりである。そして理由の3は、活劇あり謎解きありと、ミステリー読者も楽しめること。これだけ揃っているので推薦する次第。

川出正樹

『コードネーム・ヴェリティ』エリザベス・ウェイン/吉澤康子訳

創元推理文庫

 素晴らしい本を読んだ、2017年も四半期が経ち、ミステリ年度的には早折り返し地点に差しかかろうとしている中、自信を持ってお薦めする。『コードネーム・ヴェリティ』は今年度はおろか、ここ数年のうちでもベスト・クラスの物語だ。謎と冒険と企みに充ち、苛酷な状況下にあってお互いを信じ闘う女性同士の紐帯を描いた生き生きと輝く物語だ。

 第二次世界大戦の最中、ナチス占領下のフランスに降下潜入した特殊作戦執行部の諜報部員と彼女を送り届ける空軍婦人補助部隊のパイロット。戦時でなければ出会うことのなかった、まるで異なる境遇で生きてきた二人の若き女性が出会い、友情を育み、命がけの任務へと飛び立つ。瑞々しい青春小説として、気持ちの良い成長小説として、胸躍る冒険小説として、そして企みを秘めたミステリとして堪能したのち、おとずれるラストをゆっくりと嚙みしめて巻を擱いた。これがヤングアダルト部門受賞作と知り、驚くと同時にMWAの懐の深さを再認識した。年齢・性別を問わず長く読み継がれて欲しい傑作だ。

 今月は、父の痕跡をたどるマロリーと子どもを失った親たちのキャラバンが、ルート66(マザー・ロード)上で交錯するキャロル・オコンネルのロード・ノベル・ミステリ『ルート66』(創元推理文庫)も、曖昧模糊とした悲劇の真相をじれったくなるくらいじっくりと明かしていく手際に引きずりこまれる、ローリー・ロイの〈魔女の血脈〉の紐帯を描いた南部ゴシック・ミステリ『地中の記憶』(ハヤカワ・ミステリ)もお薦めです。

千街晶之

『完璧な家』B・A・パリス/富永和子訳

ハーパーBOOKS

 延々と続く絶望よりも、一旦希望をつかんだ後に突き落とされる絶望のほうがより心理的ダメージは大きい。『完璧な家』の語り手グレースの夫ジャックは、そのことを知り抜いている悪魔的な人物である(エンジェルという姓なのに)。殆ど暴力も用いずに少しずつ外部との連絡手段を奪って妻を幽閉、その妻の反撃さえも予測し、脱出が成功したと思わせておいて最後の瞬間に罠だと明かす手口のたちの悪さ……しかも他人の目には完璧な紳士としか映らない敏腕弁護士なのだ。こんな最凶の夫から、グレースはいかにして自由になれるのか? このサスペンス小説、私が読んでも怖かったのだから、女性が読むともっと怖い筈だ。

吉野仁

『死を告げられた女』イングリッド・デジュール/竹若理衣訳

ハヤカワ文庫NV

 舞台はテロ事件で騒然としたパリ。元軍人のラースは、イスラム国から死刑宣告された女性活動家ハイコを守るべく雇われた。となれば通常は「姫を守る英雄」譚かと思いきや、まったく異なる展開へ。疑惑を示す針が右左に大きく揺れ、物語は予断を許さず、真実と嘘の見極めが難しい現代を映し出したサスペンス。フランスミステリならではのひねくれぶりを堪能した。今月はもう一作、エリザベス・ウェイン『コードネーム・ヴェリティ』が傑作で、この作者の小説を全部読みたいと強く思ったほどである。戦時中における女性パイロットの描き方が素晴らしい。そのほか、南部ゴシックサスペンスの王道を行くローリー・ロイ『地中の記憶』やコンラッドの名作のごとく、消えた男を探しに十九世紀インドの闇の奥をゆくM・J・カーター『紳士と猟犬』など、読みごたえのある作品が多かった。

霜月蒼

『コードネーム・ヴェリティ』エリザベス・ウェイン/吉澤康子訳

創元推理文庫

 帯やあらすじを読むと、例えば『その女アレックス』のような、メタ的な、構成上の驚きをもたらすミステリに見える。それは間違いではない。だけれども、往々にして低体温になりがちなメタ系ミステリと違って、本書は熱い感情が脈動する高体温の傑作であると強く言っておきたい。

 全体の8割ほどを占めるのは、フランスのレジスタンスを支援するために潜入したイギリスの若い女性が、ナチスに捕らわれて書かされている手記——死の恐怖に対抗して意志を貫こうとする克己の物語を冒険小説と呼ぶのであれば、これはまぎれもない冒険小説である。男たちの絆ばかりが語られてきた冒険小説だが、シスターフッドも冒険小説の矜持の核心となりうる。読み終えて、私はキャロル・オコンネルの名作『クリスマスに少女は還る』を思い出した。

 なお、「Kiss me, Hardy!」は、ネルソン提督の最期の言葉として、イギリスでは非常に有名な言葉である。

酒井貞道

『紳士と猟犬』M・J・カーター/高山真由美訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 19世紀前半のインドを舞台に、東インド会社の士官である一人称主人公と、元士官のアウトローとが、行方不明の作家を追う。凸凹コンビの珍道中かと思いきや、中身はどが付くシリアスさである。東インド会社イギリスに支配された当時のインドの状況がまざまざと、克明に、鮮明に描かれており、西洋と東洋の支配/被支配の関係の歪みと闇を、作品は直視し、主役に直視させる。そのストレートな社会派っぷりは圧巻だ。インドの風俗描写のリアリティもめざましく、読者の世界を必ずや広げてくれるだろう。超現実的な要素はもちろん皆無なのだが、私にはダン・シモンズ『カーリーの歌』が思い出されてならなかった。

杉江松恋

『地中の記憶』ローリー・ロイ/佐々田雅子訳

ハヤカワ・ミステリ

 自分で解説を書いた本なのだが、抜群におもしろいのだからここは主張させていただく。1936年と1952年という二つの時間で起きている出来事を、等身大の登場人物の視点から描いていく小説だ。視点人物は両方とも16歳周辺の年齢で(そして16年の開きがあることに留意いただきたい)、少女から大人の女性に変わる境界の年頃ということが物語の基幹になっている。1952年の出来事はアニーという少女がハーフバースデーという行事の最中に死体を発見してしまうことから始まる。彼女にはジュナという魔女のように住民たちから忌避された叔母がいたことが明かされるのだが、そのジュナと姉のサラを中心として話が進んでいくのが1936年のパートだ。ジュナが忌避の対象となるのは、彼女によって一人の男が処刑されたからで、それはアメリカ合衆国で最後に行われた公開の絞首刑であったという(史実を土台にしている)。生殖に関する事柄を病的な厳しさで戒め、それゆえに女性性が理不尽に差別されるというアメリカ南部州的な倫理観が物語を動かしている法則の中にある。唐突かつ無慈悲な死が作品の重要な構成要素として扱われる点などはサザン・ゴシックの骨法に則っているのだが、ロイの書きぶりは抑制が効いており、俯瞰で事態を見渡せる箇所がほとんどない。したがって読者は先の見えない物語を読み進めることになり、汗ばむような緊張感をずっと味わい続けることになる。ロイの過去作もそうだったが、さくさくと読める、というような小説ではないので、そうした快適さを求める方にはあまり向いていないかもしれない。しかし、初めは見えなかったものが次第にわかってくる快感を好み、行間に秘められた登場人物たちの思いを探り当てるためにページを繰るのがお好きな方には、何物にも代えられない悦びを与えてくれる一冊となるだろう。ロイはこれでMWA最優秀長篇賞を獲得した。当然すぎるほどに当然である。

 上のほうで他の七福神たちが書いていると思うが、今月は大豊作の月であった。おそらく誰も言及しないはずなので書いておくが、掘り出し物としてオリン・グレイ&シルヴィア・モレーノ=ガルシア『FUNGI 菌類小説選集 第1コロニー』を挙げておきたい。本多猪四郎『マタンゴ』によってキノコの魔力にとりつかれた編者による、世にも珍しいキノコ小説アンソロジーである。巻頭のジョン・ランガン「菌糸」がとにかく気持ち悪い。あと、これは新刊ではないのだがヒップホップ・カルチャーに多大な影響を与えたポン引き小説、アイスバーグ・スリム『ピンプ』が再刊されている。アメリカ犯罪小説史上の重要作でもあるので、関心がある人は絶対読むこと。

 どれもこれもおもしろい作品ばかりが揃った三月でした。さて、次回はどんな小説が出てきますことか。どうぞお楽しみに。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧