「あなたの常識は世間の非常識」という言葉がありますが、海外で長く生活していると他国の文化や環境に慣れてしまい、帰国しても母国に馴染めず世間ズレを起こしてしまうことがよくあるらしいです。

 しかし、北京在住者として私は最近、自分たち北京在住者が知っている中国知識と日本で暮らしている日本人の中国知識にあまりにも差があることに気付いてショックを受けました。

 その発端は最近 Twitter で話題になっているというマンガです。

『同僚の中国人お姉さんを描いたマンガに「惚れる」「強くてかわいい」と反響の声』

 この漫画では作者の同僚の中国人社員(チャイナさん)の言動から感じたカルチャーショックが可愛らしいイラストで描かれています。会社でリンゴ丸かじりとか、レストランなのにその日の料理人によって味が違うなんていう「中国あるある」に思わず「あーはいはい、アレね」と頷いてしまう内容なのですが、私が驚いたのは漫画のコマ外にある四川料理とは何かを説明した解説文です。

 福建料理や浙江料理ならいざ知らず、料理という比較的身近な文化ですら、日本は四川料理に説明がいるほど中国に対して理解が浅かったのかと非常に驚きました。しかし、私がアメリカや韓国の朝食がどのような内容であるのか知らないように、当たり前と思うようなことでも海外事情は案外知られていないのだなと実感し、「自分の(中国)常識は世間(日本)の非常識」なんだなと納得しました。

 さて、5月10日、JBPRESSで『中国人が日本のミステリー小説に驚き、ハマるワケ』というタイトルの記事を見つけました。

「ふーん」と読み進めていたのですが、次の文章に自分の目を疑いました。

「……(中略)……中国には本当にミステリー作品がないのか疑問に思い、改めて現代小説やドラマ、映画などを見渡してみました。すると確かに推理やトリックを中心に据えたミステリーと呼べそうな作品が見当たりません」

 中国では2017年に「我可能XX假YY」(私は多分、ニセYYをXXした)という言葉がネットで流行りましたが、まさか私が今まで読んでいた中国ミステリとは「ニセ中国ミステリ」だったのでしょうか。

 とは言え、この文章を読んだ私が感じたのは「またか…」という諦観でした。

 中国国内で海外ミステリの翻訳出版を多く手掛けている新星出版社の編集者・褚盟氏(現在退職済み)が2013年にインタビューで「中国ミステリのレベルはまだとても劣っている」、「幼稚園レベルである」と評したことがあります。

(参照:http://culture.people.com.cn/n/2013/0423/c172318-21243760.html / http://www.chinanews.com/cul/2013/07-16/5048773.shtml

 先月も中国人の同僚に私が中国ミステリを読むことを伝えたら「えっ? 中国にもミステリがあるんですか?!」と非常に驚かれたので、私としてはメジャーだと思う作家の名前を挙げてもまったくピンと来てもらえず、結局「そんなことより『三体』※1は読みましたか?」と話を逸らされました。

※1:中国の超有名SF小説。今年10月中国で映画公開予定。

 私自身が毎月小説を読んでおり、様々なイベントに顔を出し、交友関係に関係者が多いのでつい誤解してしまいがちですが、褚盟氏が「中国ミステリは幼稚園レベルだ」と断言した2013年から4年経った現在においてもなお、中国ミステリはまだマイナージャンルなのです。

 しかし、私ども中国ミステリ読者はこの先いったい何年間「またか……」と気を落とさなければいけないのでしょうか? そして、中国ミステリはまだ「とても劣っている」段階にあるのでしょうか?

 そこで今回は、日本在住の日本ミステリ翻訳者・張舟氏と中国ミステリ翻訳者・稲村文吾氏から特別にコメントをもらい、更に中国大陸の評論家・華斯比氏のコラムを引用して、中国ミステリに関係の深い3人により中国ミステリの現在について語ってもらいます。

(ここでは便宜上、中国大陸、香港、台湾のミステリ作品をまとめて『中国ミステリ』と呼んでいます)

■中国での受容

 まず中国における国産ミステリの現状はどういうものなのでしょうか。華斯比氏『2015年度中国懸疑小説精選』の序文『足枷をつけて踊る—中国大陸サスペンス・ミステリ小説の創作と出版について』でこのように書いています。

 反対に、大陸のオリジナルの「ミステリ」はますます狭まっていっているイメージがある。崇高な「本格」や「トリック」至上のミステリ小説家や読者は原理主義的な傾向にあり、大勢の人にミステリ小説が「本格であらずばミステリにあらず」という誤解を生み出している。このような排他性がオリジナルミステリをますます狭義なものにし、サスペンス小説と完全に線を引いている。これが大陸でサスペンス小説の読者が多くなる一方で、ミステリ小説がよりマイナーになる主な理由である。

(中略)

 ミステリ雑誌(短編作品が主)で育った作家の大部分は本格ミステリマニアであり、トリックを重視し、ストーリー性や人物描写を無視する傾向にある。これが、作家たちが大勢の人間を引きつける長編ミステリを生み出しづらい原因である。書いたとしても長編の謎解きであり、味気ない文章で魅力が少なく、出版社のお眼鏡に叶うこともなく、市場に恵まれない。

 中国ミステリは短編が主で長編はまれ。作者が限られ、良質なリソースも不足し、原稿料も低い。これが目下の中国大陸のミステリの現状である。

 それに比べ、大陸のサスペンス小説はほぼ正反対の状況であり、長編ミステリが繁栄し、逆に短編ミステリは凋落している。

 華斯比氏は「懸疑小説」(ここではサスペンス小説と呼ぶ)と「推理小説」(ミステリ小説)を分けて、ミステリ小説がマイナーな理由を作家と読者のこだわりにあると分析し、また出版環境もそれに輪をかけているとしています。

 張舟氏は「なぜ中国ミステリは一般読者に知られていないか」という問いに対して、作者と読者双方の問題をこのように述べています。

●作者側
  1. 短編が多く、長編が少ない理由としてはやはり長編ミステリを書ける作者が少ないからだと思われる。その理由は、若い作家は時間があって熱心だが見識が狭く筆力も足りないせいでなかなか長編を書き上げられないし、長編を書くまで成長したときには重い家計負担と安い原稿料が釣り合わず、ミステリを本職にすることが難しいからだ。
  2. 中国の「検閲」制度がミステリを刊行しにくい状況を作った。ミステリはどうしても警察・凶悪犯罪・社会問題などに触れるため、別のジャンルよりも検閲に引っかかるリスクが高い。引っかかっても「敏感」(中国にとってデリケートな問題)な箇所を削除すれば検閲を通る可能性は高いが、それは面倒である。この点について出版社や作者を責めることはできない。他のジャンルより労力を費やすミステリが検閲のためになかなか出版できなかったり、何度も修正をさせられたりするのであれば、よほどミステリに執着する作者でなければ、さっさと諦めて別のジャンルを書こうと思ってもおかしくはない。
  3. 中国ではISBNコードを自由に取得できず、大手出版社にしか分配されない。それ以外の会社が本を出版するためには大手出版社からISBSコードを買う必要があるが、その値段も安くなく、売れる見込みのある作品でない限り刊行に至ることは難しい。また、中国ミステリの出版に熱心な大手出版社は、今のところ新星出版社しかないように思われる。
●読者側
 中国のミステリファンは決して少なくないが、国産ミステリの研究者はほぼいない。一応、SNSサイトの「豆瓣」などでレビューを書く人がいるが、系統的な研究はないに等しい。つまり、中国ミステリはアピールする材料があまりに乏しいため、ミステリファン以外の読者がその存在を知るルートが確保されていないのである。ミステリに関する評論・研究における日本と中国の差は、創作における差よりも大きいと言って良い。
 そもそも中国ミステリファンは国産ミステリより海外ミステリに注目する。海外ミステリの方が全体的にレベルが高いからそれも無理はない。出版社も海外ミステリを刊行する際の宣伝に労を惜しまない。また英語や日本語のできる一部のファンは海外のミステリ評論まで目を通し、それを自分で翻訳して中国国内のファンに読ませる。その結果、中国のミステリファンは自国のミステリより他国のミステリに詳しいという現象が起きている。ミステリ読者がこういう状態なので、一般人に中国ミステリを知ってほしいと期待してもそれは無理な注文だろう。

 張舟氏は、中国は長編ミステリを書く環境が整っておらず、書き上げたとしても検閲が邪魔をし、検閲を通っても刊行できるかわからない、という中国ミステリ小説家に立ちはだかる3つのハードルを紹介してくれました。

 また国産ミステリと海外ミステリの受容の甚だしい違いも指摘してくれましたが、これこそまさに「中国にミステリはない」と誤解される原因であり、「中国にもミステリがあるんですか?!」と驚かれる原因、ひいては「なんで中国ミステリを読むんですか?」と変人扱いされる原因です。

 では中国大陸外の状況はどうなのでしょう。

 稲村文吾氏は台湾の状況についてこのように述べています。

 中国(大陸)のミステリのことを知らない中国人が少なくない……というのは、この分野に関わる人々にある程度共通する悩みのようです。

 対して、大陸とは距離を置きながら雑誌や公募の賞を中心に着実に華文ミステリが発展してきた台湾でも、どうやら近い状況が続いてきたように思われます。

例えば、昨年刊行された何敬堯『怪物們的迷宮』。どちらかと言うと一般文芸寄りの作者が初めてミステリを意識して書いた高品質な連作ですが、何氏はあとがきで、ミステリは好きだが、台湾のミステリはほとんど読んでこなかったと打ち明けた上で、台湾ミステリ史のおさらいに数頁を割いています。数十年間の積み重ねが決して広く共有されているとは言えない、いい例でしょう。

 また、台湾で有名な匿名掲示板であるPTTなどでも「どうして台湾にミステリはないの?」という質問は定番らしく、台湾のミステリ小説家・林斯諺氏は自身のFacebookで定期的に言及しています。

 ですがここ数年で、作品の出版と評価をめぐる状況は好転しています。

 複数の出版社の奮闘によって、5年ほど前では考えられなかった台湾ミステリのひと月複数刊行も当たり前になってきました。またその中でも、他言語版が順調に刊行されている陳浩基『13•67』を筆頭に、新日嵯峨子『臺北城裡妖魔跋扈』天地無限『第四名被害者』のようにミステリのファンダム外からも評価を受ける作品が増えています。

 そしてこれらの作品は、例えば熱心なミステリファンである作家の集まりから生まれた作品が、香港警察の数十年を描く連作に発展した『13•67』、妖怪殺しの謎が中心になり、歴史改変と伝奇小説の要素が作品のトーンを決定している『臺北城裡妖魔跋扈』、大きな逆転を用意しながらも、作品の焦点は過熱報道の告発というテーマにあると作者が言い切る『第四名被害者』というふうに、謎解き本位か、そうでないかという区分がうまく機能しない存在であり──便利な言葉を使えばミステリの「拡散と浸透」が起きているというわけです。

 台湾でも大陸と同様の現象が起きており、作者であっても台湾ミステリを読んだことがなく、日本や欧米など海外ミステリを読み、それを参考にしていることが伺えます。しかし、「どうしてうちにはミステリがないのか?」という共通の疑問が出版社の奮闘により解消され、ミステリファン以外からも評価されるジャンルを超えた作品が生まれているという現状は大陸在住者として羨ましい限りです。

今回の協力者のみなさま
 張 舟
  • 上海出身、福岡在住の日本ミステリ翻訳者
  • 訳書:麻耶雄嵩『翼ある闇』、『隻眼の少女』。三津田信三『首無の如き祟るもの』、『凶鳥の如き忌むもの』、『水魑の如き沈むもの』。吉永南央『名もなき花の』。松本清張『強き蟻』。岡嶋二人『クラインの壷』。権田萬治『日本探偵作家論』など
 華斯比
 稲村 文吾

●第34回 中国ミステリ界で活躍する人々(後篇:■中国ミステリラインナップ)につづく——

阿井 幸作(あい こうさく)

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中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

・ブログ http://yominuku.blog.shinobi.jp/

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現代華文推理系列 第一集

(御手洗熊猫「人体博物館殺人事件」、水天一色「おれみたいな奴が」、林斯諺「バドミントンコートの亡霊」、寵物先生「犯罪の赤い糸」の合本版)

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