f:id:honyakumystery:20170424104359j:image:w360

【写真1】

Georges Simenon et Germaine Krull, La folle d’Itteville, Jaques Haumont, 1931(1931/8か)(1931/5執筆)[原題:イットゥヴィル村の狂女] G.7【写真1】

「イトヴィル村の狂女」長島良三訳、《ハヤカワミステリマガジン》2000/2(No.527、45巻2号)pp.192-228*

Tout Simenon T18, 2003

Les sept minutes, Gallimard, 1938[原題:七分間] G.7

Tout Simenon T20, 2003 Nouvelles secrètes et policières T1 1929-1938, 2014

▼収録作

    1. Le Grand Langoustier[グラン・ラングスチェ邸]1930/6, 1931/5-6か 執筆)«Marianne» 1933/10/4号 – 10/11号(nOS 50 – 51)(全2回)
    2. La nuit des sept minutes[七分間の夜](1930/6, 1931/4執筆)«Marianne» 1933/3/29号 – 4/12号(nOS 23 – 25)(全3回)
    3. L’énigme de la Marie-Galante[《マリー・ガラント号》の謎](1930/6, 1931春執筆)

f:id:honyakumystery:20170424104400j:image:w360

【写真2】

(原題)La croisière invraisemblable, «Marianne» 1933/8/16号 – 9/6号(nOS 43 – 46)(全4回)[信じがたき航海]

▼邦訳

「あり得べからざる航海」岡田眞吉訳、《スタア》1934/11下旬(2巻22号, 37号)pp.24-26, 1934/12上旬(2巻23号, 38号)pp.24-26, 1935/新年増大号(3巻1号, 39号, 奥付ページ内には新年特別号とあり)pp.56-57(全3回)[3]*【写真2】(37, 38号は国立国会図書館デジタルコレクションにあり)

「マリイ・ガラント号の謎」松村喜雄訳、《探偵倶楽部》1955/11(6巻11号)pp.313-350[3]* 雑誌表紙と目次欄は「マリー・ガラント」表記。扉、柱、本文は「マリイ・ガラント」表記。雑誌奥付の「第九巻第十一号」は誤り

「将軍暁に死す」松村喜雄訳、《探偵倶楽部》1955/12(6巻12号)pp.150-182[2]*

「消失三人女」松村喜雄訳、《探偵倶楽部》1956/1(7巻1号)pp.314-350[1]*

 シムノンはメグレシリーズの正編を書き始めると、それまで書いていたペンネーム時代のヒーローをほぼ忘れてしまった。本名の仕事にシフトしてメグレのみに注力したわけだが、そのなかでたったひとり、ペンネーム時代から本名時代を跨いで書き続けられた探偵役がいる。『13の謎』連載第29回)に登場した行動派刑事G.7だ。

『13の謎』はもともとジョルジュ・シム名義で1929年に《探偵》誌に掲載された連作で、シムノンがメグレものの書き下ろしで成功してから、他の13シリーズとあわせて本名名義で出版されている。だからいまでも仏語圏で読めるのだが、実はその後、シムノンの本名名義で刊行されたG.7ものの本がさらに2冊ある。それが今回取り上げる『La folle d’Itteville[イトヴィル村の狂女](1931)と『Les sept minutes[七分間](1938)だ。ペンネーム時代から本名時代への変遷を見る上で無視できない貴重な作品群だ。

 大衆小説研究家のフランシス・ラカサン氏が『シムノン以前のシムノン:ソンセット刑事の功績』巻末解説で事情を説明している。他の情報と照合しつつ、私なりに整理・再構築してみる。もしも間違った部分があったらごめんなさい。

 まだシムノンが正編のメグレシリーズに本格的に取り組み始める前、ファイヤール社がシリーズ作品4作の概要提出を要請した。そこで船旅から戻りながらもまだモルサン=シュル=セーヌで《オストロゴート号》船上の生活をしていたシムノンは、メグレ第1作『怪盗レトン』やさらなる続編の執筆と類似の時期に、後の『七分間』収録作となるG.7ものの中編3作の下書きを書いたようだ。1930年6月ころだったらしい。

 だが結局G.7ものの企画は Jaques Haumont 社[発音はジャッコーモンか?]に行くことになった。女性写真家ジェルメーヌ・クルルGermaine Krull(1897-1985)がストーリーに沿った写真を撮り下ろして犯罪実録読みもの風の冊子に仕立てる企画である。そこでシムノンは1931年初夏に中編『イトヴィル村の狂女』を書く。すでにメグレシリーズの刊行は始まって、成功への階段を駆け上がっていた時期だ。G.7ものはメグレと違って気軽で書きやすかったのではないかとラカサン氏は推測している。

 シムノンはすでにジェルメーヌ・クルルを知っていたようだ。ファイヤール社のメグレシリーズの表紙はどれも犯罪実録写真風だが、そのうちの1冊『メグレと深夜の十字路』の写真はクルルのものだ。彼女はポーランド/ドイツ出身のフォトジャーナリストで、エッフェル塔などのモダンな都市建築風景や、街路の事物・人物写真を得意とした。以前に紹介したヴィジュアル誌《Vu見た》でも活躍した。20世紀末から再評価が進み、いまは写真集が手に入る。日本語では今橋映子『〈パリ写真〉の世紀』(白水社)に紹介がある。

 シムノンは本名名義で『イトヴィル村の狂女』を刊行した1931年8月4日(火)、サン=ルイ島につけた自船《オストロゴート号》にクルルを始め著名人20人以上を招いて、やはりメグレシリーズ刊行時と同じように馬鹿騒ぎのパーティをやったという。バグパイプの楽隊が場を盛り上げた。1冊で企画が終わってしまったのは、クルルが政治的活動に時間を取られるようになったからではないかとラカサン氏は書いている。

 シムノンは残りの3作を箪笥の肥やしにしていたが、後の1933年に改稿の上《Marianneマリアンヌ》という娯楽紙に本名名義で掲載された。そのときクルルの写真が紙面を飾っており、『イトヴィル村の狂女』と同様にシーンを忠実に再現する写真が使われている。フランスの電子図書館ガリカで閲覧できるので、ぜひご覧いただきたい。各話の第1回掲載紙面を示しておこう。

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb328116004/date

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k7644937b/f9.item

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k7644910p/f9.item

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k7644930f/f5.item

 これら中編3作が『七分間』のタイトルで1冊の本に纏まったのは、かなり後の1938年のことである。

『イトヴィル村の狂女』1931

 小説家の「わたし」は、パリ司法警察局の有能な刑事G.7の活躍をこれまで何度か書いてきた。彼は30歳。育ちのよい少し内気な青年のような外観で、グレーの地味なスーツにベージュのレインコートを着ている。G.7という通称は、髪の色がタクシー会社《G7》の車のように赤いことからきている。

 台風で荒れる4月の深夜、私たちはおんぼろ車で、パリから南へ50キロのイトヴィル村近くへと出向いた。《死んだ馬》の十字路で奇妙な事件が発生したのだ。

 午後9時半に郵便局長が辻を通りかかったところ、辻の旧家に住む若いブロンド娘が「彼が殺された!」と助けを求めてきた。近くに病院を構えるカニュ医師が倒れているではないか。息がない。だが慌てて憲兵隊を呼んで戻ってきたところカニュ医師の姿はなく、なんと別の見知らぬ男が心臓にナイフを刺されて死んでいた。

 驚いて憲兵隊がカニュ医師に電話すると、彼は生きて病院におり、しかも目撃のあった時間は別の村に出産の立ち会いに行っていたという。ともかく死体はカニュ医師の病院に運ばれた。ブロンド娘の名はマルト・タンプリエ。証言は要領を得ず、精神の発達に障害があるという。

 わたしとG.7はカニュ医師の病院に赴き、死体を確認しようとした。だが安置所から死体は消え失せていた。

 翌日、わたしたちは《死んだ馬》の十字路の旧家に住むマルト嬢を訪ねる。わたしは豊かなブロンドと少女のような声の彼女に魅了される。家の窓から広大な麦畑と、いくつもの案山子が見える。G.7はわたしに拳銃を手渡すといった、「地平線から目を離さずに見張ってくれ、もし午後5時になっても何もなければ、右から3番目の案山子を撃て」と。

 マルト嬢が背後のベッドに座ってわたしを見続けている。途中、不意にわたしに襲いかかってきて、彼女の拳銃を取り上げる。だがわたしはすぐさま気を取り直して窓辺へと戻る。そしてじりじり時間が過ぎ、5時になって、わたしは案山子を撃った。そして外へ出て案山子のもとへと辿り着いたとき、驚くべき事態を目の当たりにした。G.7が「こっちだ!」と叫ぶ声が聞こえる。事件の痛ましい真相とは? 

 話者である「わたし」の淡い恋心が描かれるのが特徴だが、実は最後になって、G.7もブロンド娘に好感情を抱いていたのだとわかる。

 イトヴィルという村は実在するが、本当にこのような十字路があるかどうかは不明。十字路で事件が展開し、その辻に謎めいた美女が住んでいるというシチュエーションは、『メグレと深夜の十字路』(1931/4執筆)を容易に想起させる。本作はその直後(1931/5)に書かれたと思われる。このようにG.7ものの中編はたいてい原型作品がある。

 とはいえ、冒頭のヘンなシチュエーションはこれまで『不安の家』連載第23回)や「マリー橋の夜」連載第30回)でも見てきたようにシムノンならではのもので惹きつけられるし、いっときの娯楽ミステリーとしてなら充分に楽しめるものだと思う。

 本作はもともとコラボレーション企画だったためか、後の全集にテキストのみ収録されたことを除いて仏語圏で復刊の機会がなかった。シムノンだけでなく相手の写真家ジェルメーヌ・クルルも著名なので、かなり古書価が高い。実際、私の所持している最も高額なシムノン本だ。

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【←写真3】【写真4→】

 クルルの写真はほぼ全ページにわたって掲載されており、ストーリーを忠実に再現していて、ほとんど絵物語や実録紙芝居のようだ。とくにマルト嬢役の生々しい表情を捉えたシーンは惹きつけられる。【写真3】の右ページに見えるのが《G.7》で、《ハヤカワミステリマガジン》訳出時の205ページ上段に当たる。【写真4】は同211ページ下段、「涙で洗われたような澄んだ瞳で、われわれを虚ろに見つめている。/わたしは魅了されはじめていた!」(長島良三訳)の部分。

 書籍の裏表紙には、同じくシムノンとクルルのコラボによる企画第2弾『L’affair des sept minutes[七分間事件]のタイトルが大きく予告されていた。これは未刊に終わったが、後述の「将軍暁に死す」だったのだろう。ミシェル・ルモアヌ氏の著書『Simenon: Écrire l’homme[シムノン:人間を書く](Gallimard, 2003)はカラー写真がたくさん掲載されたコンパクトかつ密度の濃いお薦めの作家ガイド本で、見ているだけで楽しいが、その38ページに幻の『七分間事件』の表紙レイアウトが載っている。

 ひょっとすると、クルルはこの時点ですでに次回用の写真も撮っていたのかもしれない。書籍が1冊で終わってしまったのは惜しまれるが、後の新聞掲載版でクルルとのコラボは復活したのである。

「消失三人女」1933

 わたしと司法警察局のG.7は南仏ポルクロール島を訪れた。この砂浜で相次いで3人の女性が行方不明になっており、「グラン・ラングスチェ邸を調べろ」という奇妙な噂話が広まって、パリまで届いていたのである。

 6月のポルクロール島は太陽が燦々と輝く楽園のような場所で、ミモザなど百花が咲き乱れ、ユーカリやバナナの樹も見える。グラン・ラングスチェ邸に住むのは40歳前後のアンリという男で、普段から数人の情婦を家に引っ張り込んで暮らしており、消えた3人の女も彼のもとにいたのだった。邸宅には他にアミラルという白髪の老人も同居している。

 けだるい島の生活。G.7やわたしはハンモックで過ごし、情婦のリリーと話したりする。あるとき叫び声が聞こえ、アンリを始めわたしたちは森へ分け入ったが、わたしは何者かから発砲を受けて軽傷を負ってしまった。

 夜にはツーロンの艦隊が海上で実砲射撃演習をする。その夜、わたしたちはアンリらと夕食後、邸宅の2階に上がったが、具合が悪くなった。ふたりとも睡眠薬を盛られたのだ。アンリも眠ってしまっている。射撃演習の音が響く夜、わたしたちは懸命に睡魔と闘っていたが、そのとき森の狐罠に何者かが掛かり、それを知らせる激しい電鈴が邸内に響いた。わたしたちは現場へと駆けつける。誰が何の目的で3人の女を消したのか。犯人はアンリだろうか? 事件の背景となった過去の出来事とは? 

 ポルクロール島の情景描写がなかなか眩しくて印象的だ。異郷小説の趣がある。ミステリーとしての結構よりも、けだるい島の情景が読みどころだろう。

 これまでも紹介してきたようにイエール沖ポルクロール島はシムノンが1926年夏にバカンスを過ごし、異郷の雰囲気を満喫した場所だ。『13の謎』収載のG.7ものの短編「ハン・ペテル」でも舞台になっている。

【註1】

 ラストのG.7の述懐が、通俗ミステリー作品らしからぬ妙に深遠な内容で、かえって浮き立っていて興味深い。まるで後年のシムノンの特徴をそのまま自己分析しているかのようだ。

「事件は、君の立派な推理によって、ものの見事に解決したわけだ」

(中略)「君までが、そう信じているのか……小説家なら、ボクと同じようにかならず解決するよ……推理とか、それに似かよったものなんて、じつは、なんにもなかったんだ……しかたがしないので[ママ]、私は、人間を見つめていただけだ……私は、あそこの人間どもの体臭をかいだんだ……そして、ほかの事件を、あれこれと思い出した……とくに、過去の犯罪事件をひとつひとつ吟味した……」(松村喜雄訳)

「将軍暁に死す」1933

 オルフェーヴル河岸の司法警察局のオフィスで、G.7がわたしに匿名の投書を見せる。そこには「イヴァン・ニコライヴィッチ・モトロゾフがセーヌ河岸の自宅で6月19日に殺害されるだろう」と書かれてあった。

 冷たい雨の夜、わたしはG.7とセーヌの対岸からくだんの家を見張った。他にもオビエ刑事が監視に立っている。モトロゾフはもとロシア帝国将軍で、55歳ほど。老人はレストランから戻り、自宅に入った。その後もわたしたちは見張ったが、わたしは午前2時の時報の後、ついうっかりとその場で寝入ってしまい、はっと目を覚ますと2時7分過ぎだった。G.7はすぐそばにいる。

 何事もなかったかのようだったが、明け方5時にわたしたちが鍵の掛かった家に乗り込むと、なんと将軍は2階の寝室のベッドで心臓を撃たれて死んでいたのだ! 凶器のピストルも見当たらない。

 まだ犯人は家のどこかに隠れているのではないか。だがG.7は自分の拳銃を構えて周囲を警戒する様子もない。寝室のストーブのダクトは下階の食堂まで延びている。ダクトを通してわたしたちの会話を犯人は聞いているのではないか。だが急いで食堂へ降りてみたが、ダクトは天井を這っているだけで、怪しい人影はどこにもない。

 現場検証に立ち会い、オルフェーヴル河岸のオフィスに戻ったわたしは、G.7の机上の写真に気づいた。モトロゾフともうひとり、こんなに美しい娘は見たことがないというほどのロシア女性の写真だ。モトロゾフの娘ソニアだった。

 その後しばらくして、不可解なことにG.7は辞職願を司法警察局の部長に提出し、わたしの前からいなくなってしまった。

 ひょっとして、わたしが眠ってしまった7分間にG.7は将軍を撃ち、また戻って何食わぬ顔をしていたのではないか。わたしは友人に対し疑念に駆られる。元保安部刑事の探偵に依頼し、わたしはG.7の動向を探った。すると彼が最近、ソニアらしきロシア女性とたびたび食事を共にしていることがわかった。彼はソニアと恋に落ちたのか? なぜ彼は辞職したのだろう?

 わたしは司法警察局の部長の名を騙ってG.7に連絡し、彼と会うことに成功した。あの事件から1ヵ月半が経っていた。彼は驚くべき経緯を語り、わたしを将軍の家へと連れて行く。密室事件の真相は? そしてG.7の決断とは?

 原題は「七分間の夜」で、語り手であるわたしがつい眠ってしまった空白の時間を示している。本作はシムノンのペンネーム時代の探偵役L.53が活躍する短編「“ムッシュー五十三番”と呼ばれる刑事」(連載第23回)の焼き直しだ。トリック自体も実在の事件をもとにした有名なもので、このトリックはさらに変奏され、後にメグレシリーズの一編『死んだギャレ氏』になっている。

 つまりトリック自体にオリジナリティがあるわけではないが、その後の処理にシムノン独自のアイデアがあるのだと思う。トリックを早々に見抜いた探偵役が、その真相を知ったことで事件の当事者らに対してどのような態度を見せるのか、というところに面白みがある。その部分での応用が、『13の秘密』連載第28回)所収でやはり同じく密室ものであるジョゼフ・ルボルニュものの短編「クロワ=ルウスの一軒家」ということになる。

 今回のヴァージョンは、モトロゾフ将軍の過去の物語が終盤に大幅に書き加えられていることが特徴だ。語り手がG.7と再会した後、その痛ましい経緯がG.7の口から語られる。ここはたぶんシムノンが後で加筆したところで、まるで映画『砂の器』で終盤にいきなりピアノ協奏曲「宿命」に乗って過去の物語が延々と語られるかのように、突然モトロゾフの悲しきこれまでの宿命が、ちょっと見違えるほどの筆致で紡がれてゆくのである。ここは読み応えがある。

「マリイ・ガラント号の謎」1933

 9月はじめ、わたしとG.7は港町フェカンに赴いた。この時期のフェカンは雨模様ではなく、珍しく健康的な陽射しが注ぐ。

 G.7はパリ司法警察局を辞職し、ベリー通りの小さな事務所で私立探偵業を開業したばかり。来月にはロシア女性ソニアと結婚する。そんな彼にフェカンの裕福な商人モリノー氏から調査依頼があったのだ。モリノー氏の古い持船《マリイ・ガラント号》が、夜中に誰の姿もないのにひとりでドックから沖合へと出て行った。翌日英仏海峡で発見されたが無人で、ウィスキーの空瓶が転がっていただけだ。しかも曳船されて戻ってきたので調べると、タンク内から身元不明の女の死体が見つかったのである。絞殺だという。曳船先から多額の金を要求されたモリノー氏は、船を出航させた者を見つけたいと考えていた。

《マリイ・ガラント号》は巨大な船で、すでに現地ではリュカ警視le commissaire Lucas が捜査に当たっている。腕利きで、幅広い肩を二度揺するのが癖だ。

 モリノー氏の妻はノルマンディの典型的美人だったが、10年ほど前に若い男と逃げて行方知れずになり、しかも3年前にブレーメンで亡くなったという。娘は父に似て器量が悪く、夜に自宅で弾くピアノの音がやるせなくもの悲しい。息子は神経質なところがあり、モリノー家の家庭環境は幸福とはいえない。

 もしかすると死体の女はモリノー氏の妻で、モリノー氏が殺したのではないか。わたしはそう考えたが、どうやら死体は別人のようだ。わたしたちは《マリイ・ガラント号》やモリノー氏の自宅が見えるホテルに宿泊したが、G.7は窓を開けて寝入ったのが祟ったのか風邪気味となり、ホテルから動かない。わたしがかわって外へ出て、曳船の船長などを連れて来てG.7に引き合わせたりする。モリノー氏の息子もやって来たが、父親から死体の女と面会するなと釘を刺されたという。彼は母の面影をずっと探して生きてきたのだ。G.7はきみの母親をきっと見つけると請け合う。

 モリノー氏が調査の進捗状況を心配し、G.7を訪ねてくる。だがG.7はわたしたちを置いて、パジャマ姿のまま退席してしまった。10分経っても彼は戻ってこない。わたしがそっとドアノブを確かめると、外から鍵が掛かっている。G.7はモリノー氏を閉じ込めるのが目的だったのだ。しかし、なぜ? そこへG.7から電話があり、ようやく女中に解錠してもらい、わたしたちは外へ出た。モリノー氏の事務所へ行くと、そこに着替えを済ませたG.7が待ち構えていた。事件の真相は? 

 おお、リュカ警視(!)が登場。ちょっとメグレに似ている。またモリノー氏とG.7の関係は、後の『霧の港のメグレ』を連想させる。

 G.7がパリ司法警察局を辞して私立探偵になったばかりという設定がミソで、これが事件の解決に大きな意味を持つ。まるでエラリー・クイーンのようだ! これは面白い趣向で、連作の構成の妙が楽しめる。先の「将軍暁に死す」ではG・K・チェスタートンそっくりの逆説も出てくるので、本連作は本格ミステリーファンの心をつかむ要素が多いかもしれない。

《マリイ・ガラント号》という名前は前回ちょっと触れたように、西インド諸島のマリー・ガラント島から採っているのかもしれない。無人船が漂流しているという設定は、1872年の伝説「マリー・セレスト号事件」がヒントなのだろう。既読ペンネーム作品では「ソンセット刑事の事件簿」連載第24回)第14話「三人の波止場の溝鼠」が近い。もっと近似したペンネーム時代の先行作があるのではないかと直感するが、見つけられていない。

 実は本作は日本におけるシムノン受容史で意外と重要な位置づけにある。私の知る限り、初めて本名名義で邦訳紹介された作品なのだ。これ以前のシムノンの邦訳は、既出の通り《猟奇》掲載のペンネーム作品のコント4編(1931)が見つかっているだけだ(連載第20回連載第21回)。

 本作は戦前の映画雑誌《スタア》で1934/11下旬号(2巻22号, 37号)、1934/12上旬号(2巻23号, 38号)、1935/新年増大号(3巻1号, 39号)の計3回にわたり、岡田眞吉訳「あり得べからざる航海」として掲載された(1934/12下旬号は年末で休号のため存在しない)。後の本国書籍版(1938)の題名「L’énigme de la Marie-Galante」ではないから、《マリアンヌ》掲載版(1933)の「La croisière invraisemblable」から直接翻訳されたことになる。【写真2】で示したように、「シメノン」ではなくはっきり「ジョルジュ・シムノン」と書かれている。「シメノン」表記で出た初の邦訳書籍『モンパルナスの夜 ─男の頭─』(永戸俊雄訳、西東書房、1935/11/16発行)より早く、書籍の背表紙に初めて「シムノン」と書かれた『黄色い犬』(別府三郎訳、黒白書房、1936/1/25発行)よりも、もちろん早い。日本のシムノン受容史は「シメノン」表記ではなく「シムノン」表記から始まっていたのだと、ここで声を大にして指摘したい。これは新発見のはずである。

 実はこれ、国立国会図書館デジタルコレクションに最初の2号分しか登録がなくて、2回で完結だと思っていたら、途中で切れているのだよ。次号に続くとも何も書かれておらず、ページの最後でぷっつり終わってしまう。《探偵倶楽部》版「マリイ・ガラント号の謎」でいえば344ページ上段のところ。読んでみて初めて次号にも続きが載っているのではないかと気づいた次第。

 ようやく同志社大学に次号があるとわかって取り寄せて読んだのである。いやあ、見つかってよかった。無事に物語は完結していて、そんなに翻訳も悪くない。

 シムノンは一度作品を発表すると後は頓着しないタイプの作家だったようだ。後年に筆を加えた作品というのをほとんど聞いたことがない。雑誌掲載作品を単行本化するときも、たぶんまったく手を加えていなかった。

 そうしたなかで、『七分間』収載の中編3作は、いったんペンネーム時代に書いてから本名時代に改稿した非常に珍しい例だと思う。このような作例は私の知る限りだと他に長編『北氷洋逃避行』(1932)しかない。

 どの部分をどのように改稿したのかわからないが、邦訳を読むと文章の質感がまだらであるという印象は受ける。「将軍暁に死す」終盤の映画『砂の器』っぽい部分は後の加筆のような気がするし、「マリイ・ガラント号の謎」では台詞に「……」が多くなっていて、この台詞の溜め具合は第一期メグレの特徴に近いようにも思える。

 ストーリーは全般的に通俗的な探偵小説の枠組みに留まっているのだが、文章はところどころで私たちの知るシムノンらしさが効いているように思える。未熟な時期のアイデアを、いくらか筆力がついた時期に書き改めて、それなりに読める作品に仕立てている、という印象を受ける。まあたんに印象なので本当のところはどうかわからないが、ペンネーム時代と本名時代の合作のように読める興味深い連作だ。

   

 今回メグレものの『死んだギャレ氏』に通じる作品「将軍暁に死す」を取り上げたので、それに関連して日本人作家の小説にも言及したい。

 角田喜久雄(つのだきくお)の先駆的本格長編推理小説『高木家の惨劇』(1947)はシムノン『ロアール館』[死んだギャレ氏](春秋社、1937)の影響を受けているのではないか、との指摘をときおり目にする。戦後日本の本格ミステリーとシムノンの交差である。角田喜久雄はメグレ警視ものが好きだったそうだ。

 そこで『高木家の惨劇』を読んでみた。中島河太郎監修『日本探偵小説全集3 大下宇陀児・角田喜久雄集』(創元推理文庫、1985)に収録されている。

 前半の物理トリックと心理トリックのせめぎ合いはなるほど『死んだギャレ氏』っぽいが、それだけでなく中盤は『ダンケルクの悲劇』[13の謎](春秋社、1937)所収の「引越の神様」のようで、しかも後半の一部は『モンパルナスの夜 ─男の頭─』[男の首](西東書房、1935)っぽい。だが最後にはそのどれでもない独自の世界観になっていると感じた。戦後日本の情景描写がとてもいい。

 山前譲氏は「必読本格推理三十編」に『高木家の惨劇』を選んでいる[この評論は鮎川哲也編『硝子の家 本格推理マガジン』(光文社文庫、1997)所収]

 他の加賀美敬介捜査一課長シリーズ作品は『奇蹟のボレロ』(国書刊行会、1994)にまとめられており、新保博久氏が心の籠もった巻末解説記事を寄せている。こちらも読んだ。中編「緑亭の首吊男」(1946)は、シムノンの『聖フォリアン寺院の首吊男』[サン・フォリアン寺院の首吊人](春秋社、1937)とタイトルがよく似ている。だが短編「怪奇を抱く壁」(1946)はもうそれ以上にはっきりと、トランクすり替えというシチュエーションが『サン・フォリアン寺院』そのものだ。

 他にも先達の海外傑作ミステリーに敬意を払った短編が散見され、当時の作者の意気込みが伝わってくるが、なかでも興味深かったのは短編「五人の子供」(1947)だ。この物語の決着は、まさにシムノンが「“ムッシュー五十三番”と呼ばれる刑事」「将軍暁に死す」「クロワ=ルウスの一軒家」『死んだギャレ氏』で示した方向性とよく似ている。物理トリックではなく、そのトリックを見破っていた探偵役がどのような決断をしたか、という心理面での決着だ。シムノン『死んだギャレ氏』からの影響ということなら、ひょっとするとこの「五人の子供」がいちばんかもしれないし、そして作品自体も出来がいい。シムノンからの影響が浮いておらず、こなれている。

 長編『奇蹟のボレロ』(1947-1948)も奇術団のなかで起こった凶行を扱って一見シムノンとは無関係に見えるが、途中で登場人物のひとりが「自分がやった」と告白して、それをきっかけに次々と容疑者の目星が変わってゆくスリリングなシークエンスは、ちょっとばかり後年のシムノンの『メグレ罠を張る』(1955)にも似ている。もちろん当時の角田が読んでいたはずはないが、いかにもシムノンが書きそうな展開なのだ。角田は意外にずばりとシムノンの本質を見抜いて、無意識のうちにそのスタイルと作法を会得していたのではないか。ついそんな空想を広げたくなる。

 全般的になかなか面白く、これを機会に角田喜久雄を読めたのは嬉しかった。題材が自分の趣味と近そうな『折鶴七変化』『風雲将棋谷』もいつか読んでみたい。

【註1】

 ベルギーに事務局を置く「Les Amis de Georges Simenon ジョルジュ・シムノン友の会」から、シムノン研究家であるピエール・ドリニーPierre Deligny、クロード・マンギー両氏の共著で『Simenon de Porquerolles: Cinq séjours dans « une île idéale »』[ポルクロール島のシムノン:「完璧な島」への5回の滞在](2003)という研究同人誌が出ている。

 これに拠るとポルクロール島には実際に《Le cabanon du Langoustier ラングスチェ別荘宅》という家があって、シムノンは1926年のときそこに滞在していたそうだ。

 シムノンはポルクロール島を愛し、その後も1934年、1936年、1937年、1938年と計5回滞在した。最後に訪れたのは戦後の1955年だったそうだ。

瀬名 秀明(せな ひであき)

 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『月と太陽』『新生』等多数。

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