Welcome to the Hotel California

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

畠山:あの殺人的酷暑はどこへやら、すっかり秋めいてまいりました。なんでも今年の夏は史上最も暑かったのだとか。内地の皆様の前で言いにくいのですが、北海道でもヤバイと思う日が何日もありました。ところがこの冬はラニーニャ現象のせいで平年より寒くなりそうなんですって?  聞き捨てならん!(怒)そも「温暖化」とはなにか。こども電話相談室に訊いてみたい。

 涼しくなって皆様の読書のペースも上がりましたでしょうか? では、早速参りましょう、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」、第78回目のお題はドン・ウィンズロウの『ボビーZの気怠く優雅な人生』。1997年の作品です。

 海兵隊あがりの泥棒ティム・カーニーは、刑務所内でヘルズエンジェルスの男を“計画的な正当防衛”で殺してしまった。あとは終身刑になるか、報復で殺されるかしか道はない。麻薬捜査官のタッド・グルーザはそんなティムに目をつけ、ラグーナビーチの伝説的サーファーにして麻薬組織の帝王ボビーZの替え玉にしようと思いつく。北メキシコの麻薬王に囚われている捜査官を取り戻すために、偽ボビーZを差し出すのだ。どうせ死ぬ運命なら、一か八か乗ってみようと肚(はら)をくくったティム。そしていよいよ人質交換のその瞬間、一発の銃声とともに事態は思いもよらぬ方向へ転がりはじめる。

 ニューヨーク出身のドン・ウィンズロウは現在66歳。アフリカ史と軍事史を学んだあと、さまざまな仕事を経験したのち、政府系の調査員になりました。仕事中に背骨を折るという大怪我をし(一体なんの調査なのか)、入院中の暇つぶしに書いたのがデビュー作『ストリート・キッズ』なんですって。元ストリート・チルドレンにして、知的で繊細な若き探偵ニール・ケアリーを主人公にしたこの作品は、ミステリー界に驚きと興奮をもたらしました。
 そしてメキシコの麻薬戦争を描いた弩級の傑作『犬の力』は、2009年の「このミス1位」に支持され、第1回の「翻訳ミステリー大賞」を受賞しました。特筆すべきは、この年にスティーグ・ラーソンのミレニアム三部作が出ているってこと。あれを、あの北欧の大傑作を、火の玉娘リスベットをねじ伏せての堂々1位ですからね。どんだけ強烈な作品かおわかりいただけるでしょう。

 というわけで、『ボビーZの気怠く優雅な人生』です。私自身、ドン・ウィンズロウ作品完全制覇にはほど遠いので、あまりエラそうなことは言えないのですが、もしまだ一冊も手に取ったことがないという方がいらしたら、この本をお薦めしたいです。ノン・シリーズで300頁というとっつきやすさ。これ大事。
 そしてこの300頁にスリルとサスペンス、血と炎と麻薬、極悪残虐な悪漢ども、知恵と運、壮絶な殺し合い、そしてホロっときちゃうセンチメンタリズムなどなど、いろーーーーんなものがぎっしり詰まっているのです。ウィンズロウ作品は多分ほとんどがそうだと思いますが、読み終わったらぐったり疲れるほどの熱量と情報量で、しかもそれが苦もなくジャンジャンと自分の中に流れ込んでくるような文章なんですよねぇ。これは翻訳者の皆々様にも感謝です。とくに東江(あがりえ)さん。訳者あとがきも名調子でした。東江さんが当サイトに執筆された「初心者のためのドン・ウィンズロウ講座」を読み返すと、ため息が出ちゃいますね。「“こしらえごと”の香気」、ハァァこんな表現があるんだ……。

 さて、悪の英雄ボビーZに扮したティムですが、待っていたのは気怠くも優雅でもない人生。わけもわからぬままに、北メキシコの麻薬王ウェルテーロに命を狙われるはめに陥ります。さらにボビーZの腹心の部下や、腐った警官、敵討ちに燃えるヘルズエンジェルスなどなど、四方八方から魔の手が伸びるなか、ティムはキットという6歳の男の子を連れて、南カリフォルニアの砂漠を、洞窟を、海を、必死に逃げまわります。
 ティムはドジばかり踏んでいるケチなコソ泥なのですが、実は侮れないんですよ。海兵隊員として赴いたイラクで、窮地に陥った部隊を一人で救出し、英雄となった経歴があるのです(のちに暴行事件を起こして除隊になるのも、また彼らしいのですが)。
 次々と追ってくる不気味な刺客たちを、泣く子も黙る海兵隊のスキルで迎え撃つティム。しかも6歳児を怖がらせないように、あれやこれやと心を砕くんですね。ハラハラドキドキで、しかもハートウォーミング。面白くないわけがないでしょう?

 ドン・ウィンズロウなら、どんぶり3杯はいけるであろう加藤さんのご意見やいかに。

 

加藤:断じて「早く涼しくならないかな」とか言うべきではなかった。
 いやー、本当にいきなり涼しくなりましたね。こうなってしまうと異常に暑かった夏が恋しかったりするから人間って勝手。

 さて、今年の夏は海水浴にもビアガーデンにも行かなかったけど、夏の終わりに読んだ『ボビーZの気怠く優雅な人生』は最高でしたよ。伝説の男・ボビーZにそっくりの主人公ティムが、あらゆるヤバいやつらから命を狙われ、成り行きで一緒になった6歳の子供と一緒に逃げまわるという、言ってしまえばそれだけの話なのに、滅法面白い。何が僕らをこんなに惹きつけるのか。どうして最後は幸せな気持ちが溢れて泣きそうになったりするのだろう。それはもうウィンズロウだからとしか言いようがないのかも。
 僕にとってドン・ウィンズロウは新作が出ると必ず読む作家の一人くらいにしか思っていなかったけど、こんなに好きだったんだと今回気づかされました。

 我々の世代にとって、ドン・ウィンズロウといえば、『ストリート・キッズ』のニール・ケアリー・シリーズですよね。繊細で青臭くて面倒臭いくらい意地っ張りなニールの成長が、瑞々しい筆致で描かれる青春譚。と思っていたら、途中からはニールがこれでもかってくらい酷い目に会う怒涛の展開に驚かされました。

 そんなウィンズロウも、いまやアメリカを代表する犯罪小説の大家。すみません今月のお家賃少し待っていただくわけには、の大家(おおや)ではなく、大家(たいか)の方です念のため。確かに『犬の力』は凄かった。アート・ケラーとメキシコの麻薬カルテルの壮絶な戦いを描いた3部作の第1作。傑作です。もう、グウの根も出ない傑作であることは認めつつ、でも正直「ちょっとハードすぎる」と感じた読者も多かったのではないかと思うのです。実は僕もそのクチ。あえて言わせてもらうならば、「俺がウィンズロウに求めていたモノとはちょっと違う」と当時は感じたのですね。

 僕のイメージするウィンズロウは、クライムノベルなのに登場人物が(悪役も含め)皆チャーミングで、どこか楽観的で気持ちいい不思議な世界。ウェストレイクやエルモア・レナードにちょっと通じる、非情さと大らかさが同居するいかにもアメリカンなエンターテイメント。
 そして、『ボビーZの気怠く優雅な人生』は、まさにそのイメージ通りの話ではないかと思うのですよね。

 

畠山:えっ? 加藤さん、今までドン・ウィンズロウのファンという自覚がなかったの?ちょっと待って、「新作が出ると必ず読む」のって大ファン以外の何?

 確かに『犬の力』とか『ダ・フォース』とかはガチの腐れ外道がいっぱいで、途中から無感覚になるほどです。それに比べると『ボビーZ』はコミカルな人情ものと言えるかも。超気持ち悪い悪役もなんとなく憎めないし、残虐な拷問や殺人もスラップスティックコメディの雰囲気があって、エグいけれど引きずらない。そしてどんなピンチの時でもくすっと笑えるティムの軽口も魅力です。同じ軽口でもニール・ケアリーとはちょっと違って、ひねくれてはいても嫌味がないんですね。基本的にお人よしなのです(あっ、さり気なくニール・ケアリーが嫌味だって言っちゃったw)

 語らずにいられないのはキュートな6歳児のキット! 彼の存在が血と暴力の世界から読者を救ってくれますね。周りの大人が麻薬とセックスに浸りきっている環境に置かれ、親との縁も薄く、日々を孤独に過ごしていたであろう男の子が、ティムと行動をともにするようになると無邪気さと可愛らしさが一気に開花。厳しい逃避行の中で逞しさも身につけていきます。この二人のやりとりは、切なくなるほど思いやりに溢れていて、それだけでもぴえんなのに、ラスト近くは呆れるほどのベタなシーン満載で、ぴえんを超えて、ぱおんになるのでした。

 南カリフォルニアの温かくて甘い香りの空気と波の音、BGMは「ホテル・カリフォルニア」……過ぎゆく夏の夕暮れにぴたりとハマる本でした。

 そういえばドン・ウィンズロウは7月に中編集『壊れた世界の者たちよ』が出ましたね。私はまだ未読なのですが、なんでも懐かしのキャラが登場したりするらしい。ということは、過去作品を少し知っていた方がいいのかな? 加藤さんは既読でしょう? どう?

 

加藤:『ボビーZ』で6歳のキットの健気さに打ちのめされた人は、いますぐ『壊れた世界の者たちよ』を読むべし。『壊れた世界の者たちよ』で18歳のキットのかっこ良さに痺れた人も、いますぐ『ボビーZ』を読むべし。今回、僕が言いたいことはコレが全てかもw 実際、『壊れた世界の者たちよ』を読んだら、メッチャ『ボビーZ』が読みたくなったもん。そして今回のこのタイミングの良さ。ありがとう神様、ありがとう勧進元。

 ティムとキットの血の繋がりのない即席親子が、逃避行のなかで絆を育くみながら、信頼を力に敵を撃退してゆく流れは爽快そのもの。女性や子供が余計なことをして足を引っ張るみたいなよくある展開は一切ないのは当然です(あれって、興醒めですよね)。あ、これもウィンズロウの大きな特徴ですね。彼の描く女性はとにかく肝が据わっていて格好いい。『犬の力』に始まるアート・ケラー3部作も「チャーミングで人間味あふれる悪役」「女性が格好いい」の2点がブレていないのが、血生臭い世界のなかで余計にキラリと光りました。
『ボビーZ』はウィンズロウらしからぬ(?)計算された二転三転する展開がとにかく気持ちいい上に、話の長さもウィンズロウらしからぬ300ページというコンパクトさ。畠山さんも書いていた通り、ウィンズロウの入門には最適かも。去り行く夏を惜しみながら、まだ間に合う最高の読書を、ぜひどうそ。
 ちなみにこの本の僕のBGMはイーグルスでもビーチボーイズでもなく、山下達郎の「The Theme From Big Wave」でした。
 あと、今回久しぶりに『ボビーZ』を読んで発見したのが、この頃はまだ、現在のウィンズロウの特徴である「現在形の文体」になっていないってこと。どのあたりから変わっていったのか、過去作を順番に読み返して確かめてみるのも面白いかも。

 そして最後に、今年の7月に出たウィンズロウ初の中篇集『壊れた世界の者たちよ』の話を少しだけ。この中篇集の凄いところは6作それぞれが「ウィンズロウの異なった魅力」を抽出したような話であることだと思うのです。どれもタイプが違うんだけど、どれも確かにウィンズロウで、それぞれ違った読みごたえがある。

 ウィンズロウが初めての方も、古くからのファンも楽しめる仕掛けが心憎いこちらも、強く強くお薦めします。ニールも出るでよ。

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 気づけばこの連載も1990年代の作品に突入し、いよいよ現在への距離が近くなってきましたね。あともう少し、お二人にはがんばっていただきたいです。

 さて、ドン・ウィンズロウが1993年に『ストリート・キッズ』で日本に初紹介された際、犯罪小説作家としてここまで大きな存在になることを予想できた方はほとんどいらっしゃらなかったのではないかと思います。当時の反応は、私立探偵小説の様式を洗練した形で突き詰めた都会派作家というようなもので、人気のあったハーラン・コーベンなどの受容のされ方に近かったと記憶にしています。初期作品の反響があまりにも大きかったため、しばらくはニール・ケアリー・シリーズの作家と呼ばれたウィンズロウでしたが、もちろん彼自身は一作ごとに変貌を遂げていました。

 ニューヨーク生まれの彼が初めて西海岸を舞台にして書いたのが本作『ボビーZの気怠く優雅な人生』です。前年の『歓喜の島』で初めてノンシリーズ長篇を手掛け、ストーリーテリングの冴えを見せつけましたが、本作は麻薬組織のボスに瓜二つという主人公を利用して、キャラクターの特性とプロットが合致した理想的なクライム・コメディとなりました。ニール・ケアリー・シリーズも後半『ウォータースライドをのぼれ』『砂漠で溺れるわけにはいかない』の二作では性格喜劇の要素が前面に出てきて、シリーズの縛りが窮屈になりつつあることが伺えました。ニール・ケアリー・シリーズにはピカレスクを意識したと思しき側面が多々あります。ピカレスクは社会の中に投げ込まれた無垢な個人が舐める辛酸を描くという小説様式ですから、ニールが作中で成長するのはともかく、「お馴染み」のヒーローとして定着していくのは作者にとって耐えがたいことだったのではないかと推察します。ウィンズロウが書きたかったのはあくまで社会であり、現象としての犯罪なのでした。

 ウィンズロウが住み慣れた東海岸を離れてカリフォルニアに移住したのは、次作『カリフォルニアの炎』で扱った火災保険詐欺について取材する意図があったためと言われています。西へ向かうことは合衆国民にとって建国以来の開拓精神の体現を意味します。言葉を選ばずに言えば文化の中心地から周縁へと生活空間を移すことによって、彼は自分が身を置く社会の全体性を見たのではないでしょうか。犯罪が野卑な形で存在する場所で彼が書き始めたのは、それまでの洗練されたクライム・コメディではなく、暴力が剥き出しの形でつきつけられる『犬の力』でした。

 アメリカの犯罪小説作家は意外に住み慣れた地から動こうとしません。特にニューヨーカーは。本来は洒脱なクライム・コメディの書き手であるはずのウィンズロウが圧倒的な暴力小説を近年になって書き続けているのは、作家としての成熟もありますが、どちらかというと辺境に近い場所からアメリカという国の全体像を捉えなおした経験が影響しているのではないかと思います。初期作品と近作の違いは、小説の中に作者が自らを投企し、犯罪という行為、それを引き起こす人間のエゴに対して抱いている想念、湧き起こる感情を、なるべく原型をとどめた状態で描こうとしている点でしょう。その意味でウィンズロウは他の誰も到達しえなかった犯罪小説作家としての頂点を極めた書き手なのです。登場人物を動かす作家から、登場人物の動きの中にとどまってそれを書き留める作家へと彼は変貌しました。『ボビーZの気怠く優雅な人生』はウィンズロウの転換期に書かれた、初期の洒脱さと現在の酷薄さを共に備えた作品であり、作家の入門書として最適の一冊です。

 さて、次回はジェフリー・ディーヴァー『ボーン・コレクター』ですね。これまた期待しております。

 

 

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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