書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がその月に読んだ中から三冊ずつをお薦めする動画配信「翻訳メ~ン」、ちょっと今はお休み中。まだちょっと再開は難しいのですが、2020年度ベストテンをこちらで公開しております。よかったらご覧ください。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

川出正樹

『マイ・シスター、シリアルキラー』オインカン・ブレイスウェイト/粟飯原文子訳

ハヤカワ・ミステリ

 『マイ・シスター、シリアルキラー』が面白い。「ねえコレデ、殺しちゃった」というあっけらかんとした連絡が入る幕開けから、思わず苦笑いが漏れる幕切れまでさらりと読める小味なスリラーだ。奔放な妹アヨオラが父の“形見”のナイフで恋人を刺殺するたびに、真面目な看護婦の姉コレデが呼び出されて後始末する羽目になるのもこれで三度目。いつものように完璧に犯行を隠蔽したはずだが、今回なぜか次々と予想外の事態が発生し姉妹はピンチに陥る。

 殺す妹と隠す姉――共依存の関係にある二人の紐帯は、より縺れるのかそれともついにほどけるのか。テーマは重く、されど語り口は軽く。ナイジェリアを舞台にしながら、世界中のどこでも起きうる物語に仕上げている点も今の時代にふさわしく、楽しませてもらいました。

 

北上次郎

『燃える川』ピーター・ヘラー/上野元美訳

ハヤカワ文庫NV

 山火事の描写が素晴らしい。音で表現するのだ。
 空気がばちばちと爆ぜ、岩がうなり、大地のそこから岩の層が
擦り合う音が響いてくる。
「機銃掃射して急降下する飛行機のエンジン音、騎馬行進する無数の蹄の音、人々のどよめきと楯がぶつかりあう音、突然の大雨でかき消された群衆の拍手喝采。雨。土砂降り。谷を洗い、狭い峠に集中する水の音」
ベテランの消防士は「やつらはおしゃべりをするんだ」と言うが、本当にその
通りで、こんな山火事は、初めてだ。
 二人の青年がカナダ北東部の川を下るカヌー旅を描く長編で、最初から不穏な空気が漂っているので、どんどん物語に引き込まれる。シンプルな話をここまで緊張感たっぷりに描く筆致も素晴らしい。

 

千街晶之

『咆哮』アンドレアス・フェーア/酒寄進一訳

小学館文庫

『弁護士アイゼンベルク』のシリーズでお馴染み、ドイツの作家アンドレアス・フェーアのデビュー作である。凍った湖の中から、屋根の上から、次々と見つかる少女の他殺死体。その口の中に押し込まれた数字入りのバッジ。地元署の敏腕警部ヴァルナーが姿なき犯人を追いつめる……と紹介すると、よくある捜査小説のように思えるかも知れない。だが、この作品をユニークなものとしているのは、第一の死体の発見者であるクロイトナー巡査の存在だ。冒頭の二ページを読んだ時点で「こいつが警察官で大丈夫なのか」と不安になる人材だが、その場のノリで気ままに動いて捜査を引っかき回し、それでいて意外な手柄を立てたりするあたりは完全にコメディで、主人公の筈のヴァルナーを食うほど印象に残るキャラクターとなっている。作中では別にコンビを組んでいるわけでもないヴァルナーとクロイトナーがその後の作品(シリーズは八作もあるらしい)でどんな活躍を披露しているのか、大いに気になるところだ。

 

霜月蒼

『ラスト・トライアル』ロバート・ベイリー/吉野弘人訳

小学館文庫

 まずみなさまに土下座したい。2019年に刊行されていた本シリーズ第1作『ザ・プロフェッサー』を読み逃していたことをである。これは硬骨の法学部教授として鳴らした主人公が大企業を被告とする裁判の弁護人となる法廷サスペンスで、圧倒的に不利な状況、悪辣な敵側(殺し屋までいる)を向こうにまわして傷だらけの勝利を勝ち取るという素晴らしい徹夜本だったのだ。続く『黒と白のはざま』も人種差別を焦点においた力作だった。そして最新作である本書である。

 実は『ザ・プロフェッサー』には、一点、「このキャラの扱いはフェアではないのではないか。潔癖な南部作家だから仕方ないか」と思わせる要素があったのだが、それを本書はすくいあげる物語になっている。殺人の容疑で逮捕された母親を弁護してほしいという少女の依頼で、主人公はみたび、不利な裁判に挑む。前2作の人物や事件が影を落とすので、そちらも読んでおいたほうがお得。さまざまな感情や問題を最終的に善と悪の法廷劇に落とし込むベイリーの手腕は着実で、例えばディック・フランシスのファンには強くオススメできるし、「とにかく今、ハラハラドキドキする小説を読みたい!」という方には、「この3作を読んでおけ」と胸を張っていえる作品である。

 ちなみに南部小説のファンにもおすすめ。明暗双方の「南部」のありようが本シリーズのもうひとつの大きな味わいになっている。今月の新刊では『刑事失格』も南部ミステリで、後半に突如噴出する奇怪な要素がおもしろく、一種のサザン・ゴシックとして楽しめた。

 

酒井貞道

『マイ・シスター、シリアルキラー』オインカン・ブレイスウェイト/粟飯原文子訳

ハヤカワ・ミステリ

 この小説の「売り」は、主人公の妹が連続殺人者という特殊設定ということに、なってはいる。しかし私が魅力的に感じたのは、この姉妹の絶妙なあわいだ。看護士の姉が片思いしている医師は、しかし美しい妹に一目で魅入られ、妹も乗り気となって交際を開始してしまう。妹は連続殺人者なのに。犯行を隠しているのは姉なのに。しかし姉が妹に対して恨み骨髄に達すかというと、そうではない。姉は妹を愛しているのだ。そして妹もまた、姉をしっかりと愛しているのである。短めの長篇一本をかけて描かれるのは、この二人の関係性であり、ページを手繰るとグラデーションが変わっていく。その様を楽しむべし。
 なおミステリ好きとしては、ナイジェリアの警察による捜査が非常にいい加減なことにも注目したい。我々《日本のミステリ読者》は、概して先進国の犯罪物語しか知らず、よって警察の捜査もそれを基準に考えてしまう。しかしこの小説で描かれる警察は違う。この姉妹、先進国であればとっくの昔に捕まって裁判も終わっていたんだろうなあ。

 

吉野仁

『燃える川』ピーター・ヘラー/上野元美訳

ハヤカワ文庫NV

 カヌーによる川下りの旅をつづけていた大学生ふたりが事件に巻き込まれ、生きのびるため闘いを果たすという、きわめてシンプルな活劇物語ながら、そこに冒険小説の原型ともいえる力強さが感じられる小説だ。カナダの大自然を背景としており、ネイチャー・ライティングの趣きが濃いだけでなく、非常時に対処していくサバイバル小説の迫力がある。なにより銃をたずさえ馬にまたがり荒野をゆき敵と闘うかわりに、カヌーをあやつり川をくだる現代ウェスタン小説という面を打ち出していることで、評価がぐっと高くなった。本作はエドガー賞長篇賞の最終候補となりながら受賞を逃した。たしかに粗削りな作品かもしれないものの、ぜひ別の賞をあげたい。

今月はもう一作、冒険活劇を堪能した作品があり、それはイモジェン・キーリー『解放 ナンシーの闘い』で、第二次大戦期のナチスドイツ占領下のフランスでレジスタンス組織を率いて闘った実在の女性ナンシーを描いた物語である。昨今流行の「銃を携えたヒロイン」ブームに乗った一面があるのかもしれないものの、彼女がおこなったナチとの闘いの冒険行を読むと、そんなことはどうでもいいほど夢中になってページをめくってしまった。もともとは戦争の素人だったヒロインによる訓練・克服・実戦、もしくは潜入・工作・脱出という戦争冒険小説のプロセスとディテールがたっぷりと描かれているのだ。

 

杉江松恋

『平凡すぎる犠牲者』レイフ・GW・ペーション/久山葉子訳

創元推理文庫

 アルコールの匂いをぷんぷんさせて、トイレに行った帰りなのかズボンのチャックが半分空いたままの爺さんが、鍋の蓋らしき凶器で頭を潰されて死んでいる。これはアル中同士の仲間割れだね、そうだね、じゃなかったら物盗りだよ、と刑事たちが安心して呑気に捜査を進めていると、思いもよらなかった情報がだんだん判明してきて、なんだこりゃとんでもない事件だぞ、と慌てふためく、というお話。とんでもない事件であることが判明するのが500ページ近い分量のちょうど半分ぐらいのところなのだが、そこまでも中だるみすることなく読んでいける。つまり初めからおしまいまでおもしろいところばかりの警察小説なのである。エド・マクベインの87分署シリーズに、ときどきトンチキな警察官が出てくるでしょう。ああいう感じの登場人物がいっぱいいると思っていただきたい。コミカルな警察捜査小説で実に楽しい。

 本書は『許されざる者』で本邦初紹介された北欧ミステリーの大物、レイフ・GW・ペーションのエーヴェルト・ベックストレーム警部シリーズ第二作である。前作『見習い警官殺し』を読んでいない人は今すぐ書店に走ろう。ベックストレームはドーヴァー警部よりは多少賢いかもしれないが、底意地の悪さと品性の下劣さはどっこいどっこいの人物で、周囲のまともな警官たちは蛇蝎の如く忌み嫌われている。その彼が、なぜだか事件をすいすい解決していってしまうという性格喜劇の要素のある連作なのだ。彼だけではなくて同僚の刑事たちも濃いキャラクターばかりである。登場人物は多いのだけど、いちいち名前を覚える必要はない。特徴があるから名前なしで識別可能である。それにベックストレームがきっと変なあだ名をつけるし。「膝ポンポン」とか「呪われたでくのぼう」とか。一点だけ注意しておくと、ベックストレームという主人公はとんでもない差別主義者なので、呼吸をするたびに罵詈雑言をまき散らす。そういう主人公を使った喜劇小説なのだけど、性に合わない方はいらっしゃると思うので、念のため。

 

 ナイジェリア発のスリラーと正統派の冒険小説が人気を集めました。そしてドイツとスウェーデンとアメリカ南部小説。多士済々で楽しい一月となりましたね。来月はどのような作品が出てくるか。どうぞお楽しみに。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧