ブレンダン・ビーアンというアイルランドの小説家・詩人・戯曲家がいた。
 日本での認知度は低くて、『アイルランドの反逆者Confession of an Irish Rebel)』(1965年)のみ邦訳されているだけなのだけれど、欧米では数多くの評伝が書かれている存在だ。
 1937年に14歳でアイルランド共和軍(IRA)の若手組織「フィアンナ・エイリアン」のメンバーとなり、16歳で正式にIRAに参加。リヴァプールの埠頭爆破未遂に関与したとして英国側に逮捕されホレスリー・ベイ少年院にて3年間服役する(当時の体験は小説『Borstal Boy』〔1958年〕に綴られている)。18歳のときに今度は殺人未遂で逮捕され、アイルランド最大級の規模を持つマウントジョイ刑務所に投獄される。その時の経験から刑務所を舞台とした戯曲を執筆し、『The Quare Fellow』(1954年)として発表。高評を得て、その後の『The Hostage』(1958年、『An Giall』の英語版)などで成功を収め、1960年代にニューヨークへ移ってからは、アーサー・ミラーやハーポ・マルクス、ボブ・ディランらと親交を深める。
 そのデビュー戯曲の劇中に使われた挿入曲「老いぼれトライアングル(The Auld Triangle)」は人気を博して、現在までに数多くのアーティストに歌い継がれる有名曲となった。ビーアン自らこの歌を初披露したのは舞台公演に先んじた1952年のラジオ番組なのだけれど、最初に正式なレコーディングをしたのは彼の実弟ドミニク・ビーアンで、1958年のアルバム『Irish Songs』に収録。以来、リーアム・クランシー、ザ・ダブリナーズ、ザ・ポーグス、バート・ヤンシュ、キャット・パワー、そして2014年のライアン・ボルトまで、じつに多くのシンガーに取り上げられている。
 歌詞の内容はというと、前述のマウントジョイ刑務所内のことを歌ったもので、その所内では囚人を起こすときに大きなトライアングルのようなものを鳴らしていたらしく、刑務所暮らしの象徴的な小道具としてそれに注目した詞だった。
 前回、モダンホラー界の帝王スティーヴン・キングが実息オーウェン(『20世紀の幽霊たち20th Century Ghosts〕』〔2005年〕のジョー・ヒルの弟のほう)と共作した『眠れる美女たちSleeping Beauties)』(2017年)についてちらっと触れたけど、この超大作モダンホラーの第1部に冠せられた表題は「老いぼれトライアングル」。そう、このビーアンの歌から取られたもので、エピグラフにも使われていたのでした。

“あっちの女刑務所にゃ/七十人も女がいるぞ/あそこでいっしょに暮しせれば/老いぼれトライアングルだって/ちりんちりんと鳴りそうだ/ロイヤル運河の土手ぞいで”

 じつはこれ、物語の導入として絶妙すぎる。この歌がまるで小説の発想のヒントになったかのようなのです。『眠れる美女たち』の舞台となるのはアパラチア地方にあるドゥーリングという田舎町で、さらにそのメイン会場(?)のひとつとなるのが、そう、その町にある女子刑務所なのだから。

 物語の発端はいきなり陰惨だ。静かなこの田舎町に、イーヴィと名乗る謎の女が麻薬密売に使われているトレーラーハウスを襲って二人の男を惨殺するという凶悪事件が発生する。しかも被害者の一人はトレーラー側面の壁に打ち付けられて首だけが外に出ていた。
 警察署長であるライラは彼女を逮捕し女子刑務所へ送り込むが、それと前後するかのように、女たちだけが罹る疫病のようなものが世界各地に蔓延し始めていた。眠りについた女たちが一様に繭状の物質に包まれて永い眠りにつき、目覚めなくなってしまうというものだった。しかも、この繭を無理に剝がして目覚めさせようとすると、起こされた女性は狂暴化して起こそうとした相手を殺害しようとする。そうなると、自衛を言い訳に女性たちを繭のまま焼き殺そうという男たちの集団までもが現れることになった。
 そんななか、イーヴィだけがこの病に罹らず普通に眠り普通に目覚めるということが刑務所の外部にまで知れ渡り、妻や娘を眠りに奪われた男たちは、魔女狩りさながら彼女を奪おうと、動物管理官フランクをリーダーに徒党を組んで刑務所を襲う計画を立てる。一方、女子刑務所付の精神科医でライラの夫クリントは、眠りについてしまった所長の代理となって、人知を超えた存在かもしれないイーヴィを、そして刑務所の女性囚たちを守ろうとする――。

 某ベテラン政治家による極端な性差別発言が大いに世を騒がせた折も折、前半だけを読めば、コンプラすれすれとも言える危うい題材を選んじまったなあ、というのが正直な感想だろう。が、そこは御大キング師匠とそのご子息のこと、読み進めていけば、全世界を相手に壮大なる試練を仕掛けたのには、それだけの意味があると納得させられるはず。
 長く歴史を支配してきた女と男という性差をめぐる地位や境遇の問題。そのあまりに大きすぎる問題に切り込んでいきながら、誰もが頷かざるを得ないラストを用意しているのはお見事。これまでにも人類は、多大な犠牲を払いながらもこの問題に何一つ明確な解答を見いだせずに来たのだから。
 こんなにも大がかりなテーマであっても、その代表として小さな町に焦点をしぼって詳らかにそんな人間関係を描いていくあたりの、マイノリティに対する温かい視線は相変わらず。全世界という巨大な器と主人公夫妻というミニマルな器を用意して、並行して対比を描いていくあたりも巧みだ。一見、善悪の構図で対立しているかのように思えるクリントとフランクも、自己抑制の効かない怒りを内包するという同じ懊悩を抱えていて、家族への愛につき動かされているという点では何ら違いはない。
 その人物造型の複雑さこそが物語に深みを加えている。勧善懲悪という尺度では測りえない皮膚感覚のリアルな人間関係を描くことに成功しているのだ。個性的な町の人々がより複雑により丹念に描かれているあたりに、すでに中短篇集『We’re All in This Together』(2005年)と長篇『Double Feature』(2013年)を発表しているという愛息オーウェンの新しい感覚が寄与し功を奏しているように思える。

 さて、前述のようにビーアンと親交のあったノーベル文学賞受賞詩人ボブ・ディランもまた、ビーアンのこの歌を愛したアーティストの一人で、ザ・バンドとのセッションで1967年にレコーディングされたアルバム『ザ・ベースメント・テープス・コンプリート(The Basement Tapes Complete)』が、2014年にオフィシャル・リリースされ、そこではディランの歌声でこの歌詞を聴ける。そのディランを愛してやまなかったアーティストで、ディランもまた認めていた存在が、ウォーレン・ジヴォンだ。
 ロシア系移民の家に生まれたシカゴのシンガー・ソングライターで、若い頃はクラシック音楽を学び、かのストラヴィンスキーに師事していたが、フォークやロックに憑りつかれ、ニューヨーク、ロサンゼルスと拠点を移す。ギター&キーボード奏者ながら骨太のロック・ナンバーで知られ、1978年には「ロンドンの狼男(Werewolves of London)」がヒット。グレイトフル・デッドに何度も取り上げられた人気曲となった。2003年に56歳の若さで肺癌のために死去しているのだけれど、ニール・ヤング、ブルース・スプリングフィールドらに影響を与えたミュージシャンズ・ミュージシャンだった。
『眠れる美女たち』第2部の表題には、今度はこのジヴォンの歌「アイル・スリープ・ホエン・アイム・デッド(I’ll Sleep When I’m Dead)」から「眠るなら死んだあとでも充分だ」という一節が選ばれていて、エピグラフに使われているのだ。

“ちょっとくらいの疲れはへっちゃら/眠るなら死んだあとでも充分だ”

 これまた、プロットにぴったり寄り添うかのような一節だ。1部にビーアン、2部にジヴォンと、二人の骨太の詩人による、物語を象徴するエピグラフが配され、そこに短い第3部を加えた構成となるこの大作。この2つの歌がこの大作の一部を形づくるきっかけとなったとも、あながち考えられなくはない。
 それに、訳書下巻の巻末にある編集部による解説にもあるように、母タバサとオーウェンと3人でひとつの絵から物語を書くという遊びから、父キングの短篇「メイプル・ストリートの家」が生まれたという逸話がある。
 1960年から歌い継がれる「老いぼれトライアングル」、1976年発表の「アイル・スリープ・ホエン・アイム・デッド」という、言ってみれば古典的なハード・ナンバーが、もしかするとこの壮大なドラマの元になったと考えると、キング家の作家家族らしいこの遊びはいまなお続けられていて、父の与えた歌というお題から、親子の途方もないイマジネーションが紡ぎ出されていったのではないか。そんなことを想像するのも、ファンにとっては愉しいではないか。

 自らもバンドを組むほどの音楽ファンであるキング。「いかしたバンドのいる街で(You Know They Got a Hell of a Band)」(1992年、『Nightmares and Dreamscapes』収録)みたいなロック愛から生まれた作品のみならず、どの作品にも小道具として音楽を巧みに配していることが多いのはファンならばご存じだろう。もちろんのことながら今回も、アレサ・フランクリン、フレイミン・グルーヴィーズ、アーケイド・ファイア、ベック、ロバータ・フラック、ワイドスプレッド・パニック(オーウェンの趣味か?)、トラヴィス・トラット、スーパートランプ、ヘレン・レディ、ザ・クラッシュ、ジミー・ディーン、ブルックス&ダン、アラン・ジャクソン、ザ・ダブリナーズと、作品を巧みに彩る音楽を多数ちりばめている。
 なかでもとりわけ目についたのが、この2曲。マーサ・シャープ作のサンディー・ポージー「ボーン・ア・ウーマン(Born a Woman)」(1966年)と、ジェイムス・ブラウンの「イッツ・ア・マンズ・マンズ・ワールド(It’s a Man’s Man’s World)」(1966年)。
 前者は、冒頭に3つ掲げられた引用のひとつとして、“女の居場所は決まってる。どこかの男の手のなかさ。いったん女に生まれたら、傷つくものと決まってる”という、虐げられてきた女性の立場を訴えている。
 そして後者は、女たちが永い眠りの間に行きつく“とある場所”と対比するかのように、男社会である現実の世界を指しての表現として物語中盤に使われるのだけど、この世は男の世界だというマッチョなタイトルの歌詞の結びは、じつはこうである。

“だけど男だけじゃなんにもならない/女がいなけりゃなんにもならない――”

 この一大テーマが何も解決されない世において、普遍の真理をこの歌に託して、壮大な物語の中間部にそっと挟みこんでおくとは……いやはや、喰えない親子です。

 いつものように余談ですが、「老いぼれトライアングル」からのエピグラフを見ていて気付いたことがある。ん、待てよ。キング親子の引用では“七十人”だけど、もともとのビーアンの詞では“七十五人”で、しかも“女刑務所”にあたる言葉を“the female prison”としていたような気が。キング版(というか、おそらくこちらはもっと最近のザ・ポーグス版あたりか)では“the women’s prison”になってる。これは、昔から伝わる童謡だとかフォークロアなんかが時を経て言い回しが違ってきたりするのと似たようなことなのだろうか。
 そう思うのも、長くブレンダン・ビーアン作とされてきたこの人気曲、じつは別に作者がいるのだという。それはビーアン本人も明かしていて、自身の歌唱で1960年に発表した『Brendan Behan Sings Songs from the “The Hostage” and the Irish Ballads with a Commentary』のレコーディングの際に、「この歌の作者は残念ながらこのレコードを聴けないんだ。というのも、蓄音機なんか持ってない貧しい浮浪者でね」とか何とかいうコメントを残しているらしい。ひょっとしたら獄中仲間からの聴き伝えから完成させた歌だったのかもしれない。
 だけれども、さらに、作品後半で酒場のジュークボックスから流れていたのは、ザ・ダブリナーズのバージョン。これはたしかブレンダン版の歌詞だったから“七十五人”だと思うんだけどなあ……?

◆YouTube音源
■”The Old Triangle” by Brendan Behan

*作者とされるブレンダン・ビーアン本人による「老いぼれトライアングル」の歌唱。アルバム。1960年発表のアルバム『Sings Songs from the “The Hostage” and the Irish Ballads with a Commentary』に収録。

■”The Auld Triangle” by The Dubliners

*アイルランドのフォーク・バンド、ザ・ダブリナーズによる「老いぼれトライアングル」のライヴ演奏(1976年)。

■”The Auld Triangle” by Bono & Glen Hansard

*U2のボノが、映画『ザ・コミットメンツ』でのバンド・メンバーで元ザ・フレイムズのグレン・ハンサードのギターをバックに「老いぼれトライアングル」を披露。2012年、NYのリヴィング・ルームでのライヴより。

■”I’ll Sleep When I’m Dead” by Warren Zevon

*再デビューとなったセカンド・アルバム『さすらい(Warren Zevon)』(1976年)収録のヒット「アイル・スリープ・ホエン・アイム・デッド」。

■”Born a Woman” by Sandy Posey

*パーシー・スレッジの「男が女を愛するとき(When a Man Loves a Woman)」のバック・ヴォーカルで知られるポップ・シンガー、サンディ・ポージーのヒット曲。同題のセカンド・アルバム『ボーン・ア・ウーマン(Born A Woman)』(1966年)に収録。

■”It’s a Man’s Man’s World” by James Brown

“ゴッドファーザー・オブ・ソウル”ジェームス・ブラウンの大ヒット曲。同題のアルバム『イッツ・ア・マンズ・マンズ・ワールド(It’s a Man’s Man’s World)』(1966年)からのシングルカット。

◆関連CD
■『More Of The Hard Stuff』The Dubliners

*1967年に発表されたアイルランドのバンド、ダブリナーズの4枚目のアルバムで、「老いぼれトライアングル」のカヴァーを収録。

■『Warren Zevon』Warren Zevon

*1969年のソロ・デビュー作『Wanted Dead or Alive』が鳴かず飛ばずで一線をしりぞいていたジヴォン。ジャクソン・ブラウンのプロデュースにより復帰作となったセカンド・アルバム『さすらい』からは、「アイル・スリープ・ホエン・アイム・デッド」がヒット。

■『Born A Woman』Sandy Posey

*カントリー・ポップ・シンガー、サンディ・ポージーのセカンド・アルバム(1966年)。タイトル曲「ボーン・ア・ウーマン」がヒット。

■『It’s A Man’s Man’s World』James Brown

*ヒット曲「イッツ・ア・マンズ・マンズ・ワールド」をタイトルに冠した1966年発表のヒット・アルバム。

佐竹 裕(さたけ ゆう)
 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。
 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。







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