・Christian Brulls, L’amant sans nom, Fayard, 出版年記載なし(1929)(1928/7/15契約)[名もなき愛人]イーヴ・ジャリーYves Jarry、N. 49
・Christian Brulls, L’amant sans nom, Presses de la Cité, 1980 再刊《ジョルジュ・シムノン稀覯作品集Les introuvables de Georges Simenon》【写真】
・フランシス・ラカサン編, Simenon avant Simenon: Yves Jarry, détective aventurier, France Loisirs, 2001 [シムノン以前のシムノン:探偵冒険家イーヴ・ジャリー]
・同名, Omnibus, 2005/5*

 前回(第71回)紹介したペンネーム作品『殺す女』(1929)について、その後興味深いことがわかった。ほとんど同じ内容の小説を、当時のシムノンはさらに2冊出していたのである。
 ショートコントを除くある程度の長さのペンネーム作品は、そのほぼすべてがミシェル・ルモアヌ氏によって研究書籍にまとめられ、紹介されている。本連載「番外編1 シムノンを調べる(前篇)(後篇)」で言及した通り、ルモアヌ氏の『シムノンの別世界:ペンネームで発表されたポピュラー作品完全ガイドL’autre univers de Simenon: Guide complet des romans populaires publiés sous pseudonyms(Éditions du C.L.P.C.F., 1991)は書籍化された全ペンネーム作品のあらすじと読みどころを紹介したもので、さらに『シムノン黎明期の輝き(1920-1931)Lumières sur le Simenon de l’aube (1920-1931)』(Céfal, 2012)はそれらの書影をカラー掲載して雰囲気を伝えており、どちらもペンネーム時代のシムノンを調べるには必携書だが、これらをめくっていて『殺す女』とよく似た作品があることに気づいた。
 まずはジャン・デュ・ペリー名義の『女が殺したUne famme a tué』(Ferenczi、1929/7/4)。ルモアヌ氏も「プロットは『殺す女』を簡略化したもの」と述べているが、タイトルまで似ていて初級フランス語の勉強にもなる。海外の裕福な家庭に生まれた女性クロードが、恋人を死に追いやった男爵とその息子や使用人に復讐すべく、彼らを殺そうと目論む。彼女を見初めたパリ司法警察局のジョルジュ・オービエ警視が、彼女の抱えていた秘密を解きほぐし、最終的には彼女を救うためふたりでアメリカへ渡る、という内容だそうだ。クロードはまず復讐相手の男爵を列車内で殺すということだから、『殺す女』の基本プロットにそっくりである。
 もう1作はジョルジュ・シム名義の『悲嘆の女La famme en deuil』(Tallandier、1929/12)。画家ルネ・ベシュレルとその妻ジャクリーヌは快速小型帆船(カッター)を購入し、エクス島に赴いて暮らしていた。その沖合でふたりは1813年の沈没船と、すばらしい宝物を発見する。しかしハンガリー人のプトロフ伯爵が、彼らの財宝を独り占めしようと、ヨットをぶつけて妨害してきたのだった。その後、ジャクリーヌは男に変装してパリへと伯爵を追うが、逆に囚われの身となってしまう。モニケという名の警視に救助された彼女はラ・ロシェルへ戻り、再び海へと向かう。彼女に仄かな想いを抱いたモニケ警視もやって来て、彼女を援助する。だが彼らの船は敵の帆船と衝突し、激しい爆発によってモニケ警視は海に投げ出され、ジャクリーヌも負傷してしまう……。『殺す女』から中盤と終盤の、エクス島沖に沈んだナポレオン時代の宝物船を巡るエピソードを抜き出したかたちだ。ルモアヌ氏の解説に拠れば造船所がリアルに描写されている部分もあるそうで、シムノンがフェカンの造船所で自船《オストロゴート号》を建造した経験がうかがえるという。またエクス島の描写は『殺す女』と同様、シムノンが1927年にそこでバカンスを過ごしたことが活きているようだ。
 どちらも具体的な執筆時期は明らかではないが、ルモアヌ氏は『殺す女』の後にこの2作が書かれたと推測している。つまりシムノンは『殺す女』の成分をふたつに分けて、新たな2作をでっち上げたのである。いや、「でっち上げた」といっては失礼かもしれないが、要するにこのころのシムノンは自分のなかにある成分を何通りにも組み合わせて、次々と作品を書き飛ばしていたということだ。
 そうした作業のなかから、シムノンの個性が生まれてきたのである。船を購入して運河や川を巡り、さらには自船を建造してフランスを超え、隣国の川や港で暮らすことで、新しい体験を増やし、自らのものとして文章に落とし込めるようになっていった。シムノンの船が次の目的地へ向かうごとに、シムノンの筆致はひとつ、またひとつと、新たなリアルを獲得していった。まるで陽を浴びて日ごとにぐんぐん背丈を伸ばしてゆく若草のごとく、そのころの急速な成長ぶりが、1927年から1929年ころの作品を並べてゆくだけでくっきりと浮かび上がってくるという次第なのである。

 さて今回取り上げるのはイーヴ・ジャリーものの第3作『名もなき愛人』(1929)だが、実際は前作の『殺す女』より早く刊行された。イーヴ・ジャリーものはこの3作目までファイヤール社の《一般小説Le Livre Populaire》叢書というペーパーバック本の体裁で出たのだが、背表紙に通し番号がついており、第2作『殺す女』が251番なのに対して今回の『名もなき愛人』は238番であるから、後者の方が早く出たことがわかる。シムノンは『仕立て屋の恋』第35回)や『ドナデュの遺書』第58回)のように、他のストック作品の順番を飛ばしても自信作を率先して早く出版する傾向があるのだが、今回はそれだけでなく物語自体の年代も前2作に先んじており、イーヴ・ジャリーの20代の冒険が描かれるので、シムノンは読者のことを慮ってこちらを前に持ってきたのだろう。
 そして読んで驚いたのだが、これはまさにシムノン版『カリオストロ伯爵夫人』、すなわち若きジャリーが初めて真剣な恋愛を体験し、そして盗賊として最初の大仕事を成す、明らかに偉大なる先達アルセーヌ・ルパンの人生を意識した物語になっていたのだった。

■『名もなき愛人』1929■

 全体の長さは、これまでの『美の肉体』第23回)、『殺す女』第71回)と同じくらい。

プロローグ パリのもうひとりの男

 5月。パリ郊外のル・ブールジェに、ロンドンからの飛行機が着陸した。降り立ったその男は、背が高く、ほっそりとした、24歳にもならない若者で、仕立てのよい羊毛のスーツを着こなしている。青い瞳と茶色の髪。彼はパリのホテル《シャンゼリゼ》に泊まり、《タイムズ》誌を買う。実にさまざまな事件が取り上げられている──彼の胸に懐かしさが込み上げてきた。若いのに、まるで年寄りのような感想だ! 彼はかつてオクスフォード大学の学生だった。《タイムズ》は彼の国籍を隠していたが、それも無理はない、彼は明らかにしていなかったからだ! いま彼は無一文だが──彼は宿泊料を受け取りに来たホテルのマネージャーに告げる、「明日、莫大な価値の旅行鞄が届くよ!」と。そして悠々と小切手に署名し、夕食を所望したのだ。──そして、いまは鞄も何もない彼は、パリでひとり、クリームチーズを食べる人を羨ましそうに見つめるのだった。

第一部 ブリュス未亡人の愛人

 8月、ノルマンディーの港町ドーヴィル。アメリカの富豪ハリー・ブリュスが所有する白亜のヴィラに、イーヴ・ジャリーと名乗る若者が「ブリュス夫人はいますか?」と訪ねてきた。エレオノール・ブリュス夫人は40歳。背が高く、赤毛で、チャーミングな目をしている。1年前からこのヴィラに、夫のハリー・ブリュスや姪のジェシー・デズモンドとともにに住んでいるのだ。
「ぼくのことを忘れたかと思ったよ」「忘れてなんかいないわ!」
 いくらか時を隔てての対面だった。かつて15日間、ジャリーはエレオノールの愛人だった。ノルマンディーのアパルトマンで、ふたりは愛の日々を過ごしたのである。夫人はそれまでも多くの情事を経験したことだろう。だがひょっとするとあれが初めての愛だったかもしれない……。しかしいまふたりの会話はぎこちない。「あなたが捜しているのはジェシーでしょう!」と夫人は姪のジェシーに嫉妬して、彼を遠ざける素振りをする。だがそれでも本心では、彼とふたりきりになりたいと思っていた。
“美しきブリュス夫人”であるエレオノールは、ときにまた“燃えさかるブリュス夫人”とも呼ばれてきた。髪色のせい? あるいは目が金色に輝いているから? ともあれジャリーはちょっとしたきっかけで夫人と知り合い、年下の愛人となったのだった。しかしふたりでゴルフに興じ、ビーチへ出掛け、そしてカジノで遊ぶうち、ジャリーは姪のジェシーの存在も知ったのである。19歳のアメリカ娘ジェシーはドーヴィルで毎日自由を謳歌している。ジャリーはたびたびカジノでジェシーと会い、やがて彼女の手にキスをするまでになっていた。つまりジャリーは年上の美しきエレオノール・ブリュス夫人と若きアメリカ娘ジェシーという、まったく異なるタイプの女性ふたりを愛するようになっていたのである。
 エレオノールは夫のハリーに隠してジャリーとの逢瀬を楽しんでいたが、やがて「結婚なんて関係ない! この家を出てあなたについてゆくわ、どこまでも!」とジャリーに打ち明けるほどになっていた。「でもあなたはぼくのことを何も知らない……」とジャリーはいったが、夫人は「知ってるわ!」と譲らず、ときには口論となった。「どうしてわたしのもとから去ろうとするの? あなたが愛しているのはジェシーなのね?」と夫人は詰め寄る。
 そうして事件は起こったのだった。
 普段から夫のハリー・ブリュス氏はカジノに通っており、夫人のことは放っている。だからこそジャリーはヴィラで夫人と逢瀬を重ねることができたのだが、ジャリーはいったんアパルトマンで従者のフランソワと会い、後日パリで落ち合う手はずを整えると、夫人へ贈る宝石をポケットに入れてヴィラへ戻り、車を駆って夫人とフェカンまで逃避行したのだ。夫人は「ついに愛する若者とふたりきりで遠くへ行けるのだ」と目に涙を浮かべたが、そのころヴィラではハリー・ブリュス氏が寝室で殺されていたのである。
“ドーヴィルの犯罪 アメリカ富豪殺害さる”と新聞は大々的に書き立てた。宝石や小切手がヴィラから消失しており、その小切手をジャリーがホテル代として使ったことが判明し、ジャリーはたちまちのうちに富豪殺しの容疑者となったのである。彼の行方を追い始めたのが、アメリカからやって来たN.49なる匿名の刑事だ。パリの機動隊にも籍を置くエージェントである。その男の存在にまず気づいたのは従者フランソワで、「ご主人様、注意なさってください」と彼は若きジャリーに警告していた。
 事件を知ったジャリーとエレオノールはいったん離ればなれになる。そしてジャリーはN.49の追跡から逃れるため、従者フランソワの導きに従って、フランソワの義弟が営むエトルタの農場に匿われることとなった。彼はそこで数日を無難に過ごせたが、あらゆる新聞は事件の展開を書き立て、その熱気は田舎の彼らのもとまで聞こえるほどだったのである。「犯人逮捕は間近」と新聞は報じていた。
 捜査を指揮するのはル・アーヴルに所属する予審判事シャモーである。彼がついにジャリー逮捕の認可を下したと新聞にはあった。判事シャモーとアメリカ刑事N.49の手がジャリーに届くのはもうすぐかもしれない。

第二部 イーヴ・ジャリーの秘密

 ヴィラに戻ったエレオノールの無事を確かめるため、ジャリーは密かに彼女と連絡を取りつけ、再びドーヴィルに舞い戻った。しかしその朝、ホテルで彼が目醒めたとき、目の前に立っていたのはエレオノールではなく、意外なことにジェシーだった。彼女は叔母がヴィラでジャリーと電話で話すのを聞いていたのである。「早く逃げて」と彼女は諭すが、すでに警察の手はホテルまで迫っており、ジャリーはついに逮捕された。
 ル・アーヴルの司法宮にて、予審判事シャモーによる取り調べが始まる。ジャリーは「ハリーを殺したのは自分ではない」と繰り返すのみで、おのれの素性を明かそうとはしない。判事はエレオノールやジェシーを迎えてジャリーに面会させるものの、一向に彼の正体は明らかにならず、また彼が殺したという確証も得ることができない。そもそも女性たちふたりもジャリーの正体を知らないのだ。シャモー判事はいったいジャリーが何者なのか突き止めようとするが、成果はない。そうしているうち従者フランソワの計らいによってジャリーは逃走し、ヴィラにいるはずのエレオノールのもとへ向かった。しかしヴィラに彼女の姿はなく、そこにはボブというアメリカ人らしき者からの手紙と、待ち合わせ場所を書いたとおぼしき灰色のノートがあった。
 その場所でジャリーは彼女と再会する。エレオノール自身もまた夫殺害の容疑者ではあったが、この数日で彼女はまるで雌獅子に変貌したかのように情熱を迸らせ、「イーヴ!」とファーストネームで呼びかけ、改めて愛の逃避行を願った。「あなたは姪のジェシーのことを愛しているのでしょうけれど、あの娘は永遠にあなたのものにならないわ。わたしはどこまでもあなたについてゆく!」と。だが今度もやはりジャリーは「あなたはぼくのことを何も知らない。醜聞はいけない!」といって振り切り、従者フランソワとともに去って行くのだった。

 新聞はアメリカ富豪ハリーの死に加えて、イーヴ・ジャリーなる謎の男に夢中になっていた。まったくもってジャリーの行動は不可解だった。逃走から3日後、なんと彼はル・アーヴルの司法宮に自ら出頭し、シャモー判事を呼び出したのである。煙草をくわえる彼の姿はエレガントで、新聞は熱狂的に報じた。“これは、いつでもまだ自由になれるということだろうか? 人々は彼に共感するだろう。彼が殺人者であることを忘れてはいけない。だが、彼は大衆のヒーローになり得る”と。彼は本当に犯人だろうか? いや、無実だ──さまざまな推測が世間で飛び交い、そのなかにはアマチュア探偵シャーロック・ホームズのものまで含まれていた! 
 審判の日が来る。エレオノールは病に伏せって動けず、ジェシーが青い顔で同席するのみだったが、当のジャリーはにこにこと笑みを絶やさず、最後の答申の機会にも言葉をつけ加えることはなかった。有罪が確定した後、しかしシャモー判事はいまなおこの正体不明の若者の本心がわからず、ふたりきりになれる場をつくって彼に質した。
 ジャリーはまるで昔話を謳うかのように、すばらしい名を授かって生まれたある男の人生を語り始めた。それは歴史書にも残る名前だが、母はおらず、父も彼が12歳のときに死んだ。父が放蕩家であったため、彼のもとに金は残らず、浮浪者同然の生活をしながら学校に通った。やがて彼は名を選んだ、イーヴ・ジャリーと! 
「そしてきみは殺した!」と判事が質す。だがジャリーは「殺していない!」と主張し、物語を続けた。彼はそして冒険家になった、そして恋に落ちたのだと……。シャモー判事はジャリーに対して友人のような感覚を抱き始めていたが、すでに有罪は確定している。おそらく、ジャリーは夫人を庇うために、自らすすんで罪人になったのだ。これもまだ彼にとっては冒険の一環なのだ。その証拠にジャリーは告げた。「ぼくがブリュス夫人に会ったとき、終着点はなかった。ぼくはこれから奴隷になるが、受動的な奴隷じゃない! ぼくには誇りがある」のだと。ジャリーは自分が本当に夫人を愛しているのか、それとも若いジェシーのほうを愛しているのか、おのれ自身でもわからない様子だったが、それでも夫人をジェシーに託して、自ら罪を負ったのだ。
 ジャリーはラ・ロシェルの港へ送られ、そこから南米のフランス領ギアナまで流されることになる。判事は別れ際にジャリーと握手を交わした。
 フランス領ギアナの首都、カイエンヌから50キロメートル離れた海沿いの牢舎。いまやジャリーは罪人としてそこにいた。周囲には鉄条網が張られており、50人の有罪者と12人の監視員が暮らすのみだが、洋上にはガストン・ボワシエ船長率いる《アナクンダ号》が停泊している。船長は牢舎の監督でもあり、近くのバンガローに住んでいる。ジャリーは牢舎で腕っぷしの強さを発揮し、他の罪人から「ボス」と呼ばれるほど有名になっており、船長はときおりジャリーに事件の経過が書かれた新聞を見せて、「ここから逃げたいか?」と尋ねるのだった。
 そのカイエンヌに、一艘のヨット《スパーク号》が到着する。船長はロシア人ウラジミール・・アサチュロフ、数名の船員はさまざまな国籍から成り立っており、そして船にはエレオノール・ブリュス未亡人がいた。なんと彼女はギアナまでやって来たのだ。
 彼らはボワシエ船長を家で縛り上げ、ジャリーを連れ出して海へと逃げる。行く先はジャリーにもわからなかったが、彼を愛するエレオノールはようやく彼とともに自由を摑めたことを喜んでいた。そして彼女はジャリーに向けて、おのれの驚くべき出自を明らかにした。なんと彼女はオセアニアやマレーシア諸島に暮らす純粋で野性的な民族、アレオイAreoïsの血筋を引く女だというのだ。彼女はティモール島というところで生まれたのだが、あるとき白人の探検家がやって来て、彼女の母親はその男と結婚し、彼女を生んだのだという。しかしやがて両親は亡くなり、財産だけが遺された。15歳ですでに女へと成長していた彼女は宝石店へ行った。店の主人は若く、何でも彼女の欲しいものをくれた。そうして彼女は愛人となり、やがては人を騙して生きるようになった。
 彼女は語る。ハリーはわたしの最後の愛人で、誰よりもわたしのことを愛してくれた。そうしてわたしはアメリカ一の富豪の妻となった──けれどもわたしは不幸だった! わたしは自由を求めていたのに、いまこの自由は夫が与えてくれたものに過ぎない。ハリーは他にも愛人をつくりながら、わたしのことは束縛した。孤児のジェシーを引き取って育てるようになってからは、表面的にはつつがなく暮らしてきた。でも──そうしてドーヴィルであなたを知った! わたしは初日からあなたの奴隷となった! 
「わたしはアレオイに留まるべきだったのよ」と彼女は悔いる。荒々しい彼女の愛は、アレオイの血を受け継いだがゆえのものだったのだ。
「イーヴ、わたしを閉じ込めて! アレオイの子孫のわたしを! 本当の人生のために!」
 エレオノールは訴える。だが彼女はジャリーの心が姪のジェシーに向いていることを承知していた。そこで最後にこういった。「あなたをお好みの港で降ろしてあげる、そしてわたしがハリーを殺した張本人だと証言するわ。そうすればあなたは自由の身となってジェシーと結婚できる」と。いまなお彼女はジャリーを愛していたが、そうすることが彼女にとって本当の人生なのだった。

第四部 ジェシーとそのエージェント

 パリ、冬。新聞は脱獄したジャリーがエレオノールの船に乗って逃げたが、それはエレオノールが夫の殺人者に復讐しようと彼を連れ去ったためなのかどうかわからないこと、またジャリーを追って《エティンスル号》がカイエンヌから出港したものの捕獲の報せはなく、《スパーク号》が海洋で炎上するのが目撃され、《エティンスル号》もまた消息を絶ち、船員のひとりが岸で遺体として発見されたのを除けば、乗員たちの行方はわからなくなっていることも伝えていた。
 ジェシー・デズモンドは弟のボブ・エドワードとパリのアパルトマンで暮らしていたが、そんな彼女の前にジャリーが元気な姿で現れる。従者フランソワの仲介のおかげだった。ジェシーはジャリーがハリー殺害の犯人ではないと考えており、何とか彼を助けられないかと密かに行動しており、そしていまジャリーはロンドンから飛行機でフランスに戻ったのだ。プロローグ場面からのつながりである。
 一方、エージェントN.49は、空港に降り立ったジャリーを認め、追跡を開始していた。
 実はジャリーはウラジミール船長の助けを借りてエレオノールとともに生き延び、しばしニューヨークで暮らしていたのである。
 そしてジャリーは従者フランソワと接触し、初めて本格的な強盗を働こうとしていた。ジャリーが狙うのはル・アーヴルに船で運び込まれる金の延べ棒(インゴット)だ。船から降ろされた荷はバンに積まれ、銀行へ運ばれることになっている。その一瞬の隙を狙うのだ。
 ジャリーとフランソワらは巧みな計略でバンの運転手になりすまし、インゴットの強奪に成功した。運転を務めるはずだった2名の警官が縛られた姿で後に発見され、そこには「イーヴ・ジャリー夫妻」と書かれた名刺があった。
 新聞はまたしても沸騰した。いったい「夫妻」とはどういうことか。ハリー・ブリュスの殺害者が未亡人と協同して犯行に及んだというのか。そもそもハリー殺害の真犯人は誰なのか? ル・アーヴルのシャモー判事のもとにロシア人船長ウラジミールが現れ、ブリュス夫人は死んだが彼女は無実だと訴えていた。英紙がジェシーの行方を突き止め、パリにいると公表し、彼女のもとにも捜査が入ったが、ジェシーは「自分は何も知らない」と主張するだけだった。事態が激しく混乱するなか、エージェントN.49だけが黙々と、ジャリーの行方を追っていた。N.49は大柄で重々しい男だ。彼は決して諦めることはなかった。

第五部 狩られるカップル

 ジャリーはエレオノールやフランソワとともに、ドーヴィルの白亜のヴィラへ戻っていたのである。N.49は粘り強い捜査によって、その事実を突き止めていた。無人と思われていたヴィラに、ジャリーは隠れている──その確信をシャモー判事に伝え、ついに夕刻、警官たちがヴィラを取り囲んだ。
 しかしジャリーは逆にN.49を人質に取り、マシンガンを持って2階のテラスに姿を現し、外の警官たちに向けて発砲した。誰ひとりとして死んではいない。巧みな威嚇だが、いったいジャリーはどうするつもりなのか。警察署長が手をこまねいていると、不意に爆発音が起こった。警官らが怯んだそのとき、ジャリーは再びテラスに登場し、N.49が無事であること、5時に金のインゴットを自由に提供することを告げた。
 騒ぎを聞きつけて集まった群衆が歓喜の声を上げる。そして5時になったとき、金のインゴットの一部が上階からばら撒かれて、人々が奪い合うこととなった。
 さらにジャリーたちは籠城を続ける。エレオノールは寝室で眠っている。新聞各紙は速報を発し続ける。ヴィラでの攻防は2日間に及んだ。朝が明け、現場に出ていたシャモー判事のもとに、ひとりの女が来た旨が伝えられる。それはジェシーだった。ジェシーはヴィラの前まで進み、「上階へ連れて行って」とテラスのジャリーに懇願した。
 ジェシーがヴィラへ入る。「静かに!」とジャリーは叫ぶだけだ。従者のフランソワにすら、主人の心の内がわからない。いったい主人はこれからどうするつもりなのか。
 ヴィラの下階に警官たちも足を踏み入れる。上階へ辿り着きジャリーと向かい合ったジェシーは、「早く逃げないと!」と彼を急かす。だがジャリーは肩をすくめた。「ぼくは逃げないよ!」
 そのときジェシーがいった。「わたしはあなたの望むことなら何でもするわ……」それを聞いたジャリーの目に涙が溢れる。「それは本当かい?」ふたりは見つめ合う。
「ご主人! 奴らがやって来ます!」
「法の名に於いて、イーヴ・ジャリー、降伏せよ!」
 声が響く。だがそのとき不意に、笑い声が爆発した。ジャリーの声だった。彼は叫んだ。「ぼくはここだ!」
 そして彼はテラスからジャンプした! 従者のフランソワが止めようとしたが遅かった。
 シャモー判事が飛び出る。彼を含む4人の男たちが、灰色の影を抱え上げた。群衆はジャリーの死体がストレッチャーで運ばれてゆくのを見て取り、やがて散っていった。警官らは報道関係者が押し寄せるのを止めるのに精いっぱいだった。

 ──そして物語は1ヵ月後へと飛び、最後の5章が展開される。ジャリーはずっと意識を失っていたのだった。そして目を開けたとき、自分がどこにいるのかさえわからなかった。手当てをする看護婦に、「ぼくは重傷なのか?」とジャリーは尋ねる。看護婦は「医師(せんせい)がいなかったら死んでいたでしょうね」と微笑みを返す。やがて医師もやって来て、ジャリーの包帯を交換した。彼はその医師を知っていた。有名な外科医だ。「ぼくはル・アーヴルにいるのか?」とジャリーはようやく悟った。彼は特別なクリニックで治療を受けていたのだ。その間、新聞はこう報じていた。曰く、ジャリーはあのヴィラで自分にとって最期の居場所を見つけようとしていたかのようだった。彼はずっと姿をくらましてきたが、最後はフランスに帰ってきたのだ。これは悲劇的なことではないか。この事件はわれわれに道徳の教訓を与えてくれる。彼を殺してはいけない! ジャリーは人を殺した。正当な罰が下るだろう。だがわれわれは哀れみを前にして強張り、ただ後悔するのみだ。ふたりの女性の行方は不明である。彼女たちは事件の仲間か、犠牲者か? ふたりが秘密を抱えていることは疑いない。だがそれは決して明かされることはないだろう。バルザックの大いなる悲劇が思い出される。すなわち家族の悲劇だ。
 ──ジャリーは看護婦にいった。「煙草をくれないか?」
 物語はさらにあと4章続く。

 あらすじをお読みになって、どのように感じられただろうか。シムノンの作家としての成長を伝えられたらと思うが、うまくいったことを願う。そうするつもりはなかったのに、最終的には長い、長いあらすじを、こうして書き下すこととなった。いつも私はシムノンの未訳作品を読むとき、B5判のレポート用紙に概要を書きながら進むのだが、今回もこれまでとほぼ等しい24枚もの大作となった。
 本作は、ある面ではまるで納得のいかない物語である。結局のところ、ジャリーはいったい何者で、なぜ年上の夫人と年下のアメリカ娘に入れ上げ、なぜインゴットの強奪など企てたのか、どうしてヴィラに籠城して人々を翻弄したのか、最後まで読み終えてもはっきりしない。だが一方ではふしぎととても納得のゆく物語なのである。
 まず注目に値するのは、これまでのペンネーム作品と比較して、物語の筋が非常に単純になったことだ。イーヴ・ジャリーという青年が、性格のまったく異なるふたりの女を同時に愛してしまい、それゆえに事件に巻き込まれる。愛する者を救おうとして彼の置かれる立場はどんどん複雑になってゆくが、最後に彼はふたりのうちどちらを本当に愛しているのか見出し、その最愛の女性と幸せな、かつ慎ましい人生を手に入れて終わる。ただそれだけの話であり、ストーリーの基盤だけを取り出せば、後年のメグレものと同じように、極めてシンプルな小説なのである。
 途中、何度も時制があっちへこっちへと行き来し、それが物語を複雑に見せかけている。前回の『殺す女』でも途中でそのような記述があったが、時制をシャッフルしてサスペンスを醸し出そうとするのは、ちょっと手慣れてきた素人の書き手が好んで用いる愚策であり、シムノンはその罠に嵌まっている。だが時制のシャッフルという虚飾をひとつひとつ剥がしてゆけば、実にシンプルなストーリーだけが残り、それは心を打つラブストーリーとなっている。すなわち、これまでと違って本作には、後の作家シムノンの萌芽が見られる。
 さらにいくつも注目すべき点がある。たとえば、早くもオセアニアやアメリカへの憧憬がここにはある。後にシムノンが旅する遥かな地だ。ニューヨークに渡って摩天楼を見上げ、胸を躍らせたであろう若きジャリーは、そのままシムノンの未来の姿でもある。作中に登場するアレオイという民族の名は、ゴーギャンの絵画「アレオイの種」のタイトルに残るものと同じだろうか。そしてもっとも重要と思われる一点を述べよう。これまでイーヴ・ジャリーは作家兼探偵冒険家だと作品内で紹介され、実際そのように描かれてきた。2作目の『殺す女』では作家という側面が後ろへ引っ込んでしまったが、それでも犯罪捜査のスリルに身を投じる探偵冒険家であることに変わりはなかった。
 ところが本作で、初めてジャリーは犯罪行為に手を染める。すなわち怪盗紳士となるのである。明らかに作者シムノンは、先達モーリス・ルブランの創造したキャラクター、アルセーヌ・ルパンを意識して書いている。本作におけるジャリーは自らすすんで出頭し、牢に入る。だが一方では軽々と脱獄してしまう。犯行現場に名刺を残し、自分がやったと手際のほどを誇示してみせる。ルブランが書いた初期のルパン像、連作集『怪盗紳士ルパン』で描かれた若々しいルパンそのものだ。ここまでジャリーのキャラクターがはっきりとルパンに寄ったことはこれまでなかった。
 そしてイーヴ・ジャリーがルパンになったことで、初めて本作ではそのキャラクターと対置する存在として、大柄で粘り強く追跡捜査に当たる刑事、N.49が創造された。これまでジャリーの好敵手は保安部のエージェント、L.53という匿名刑事だった。L.53はガストン・ルルーのジョゼフ・ルールタビーユの面影を残すキャラクターである。しかし今回、はっきりとジャリーがルパンになったことによって、初めてシムノンは彼自身の独創的なキャラクターを生み出すことができた。
 このN.49というキャラクターは、L.53やG.7と同じく匿名である。だが彼こそ後のメグレのルーツであることは明白だろう。どうやらN.49はこれ1作のみでシムノンの舞台から退場したらしい。だがそのキャラクター性はソンセット刑事へと受け継がれる。ソンセットもまたcent sept(ソン・セット)、すなわちフランス語における107という数字から渾名された人物だが、もはやアルファベと数字の記号としての匿名性は手放し、「ソンセット」というひとりの人物像として起ち上がってくる。匿名の名探偵から地に足の着いた一個人への変貌。やがてメグレという唯一無二のまさしく“生きた”人物を創造する過程で、まったくのたまたまであったかもしれないが、結果的にシムノンにはN.49というキャラクターを舞台に上げる必要があったのである。ルパンという既存のキャラクターがいたからこそ、シムノンは他の誰にも書けないおのれのキャラクターを生むことができた。寡黙に、しかし確固たる信念を持ってぴったりと尾行し、決してくじけない岩のような大男のN.49は、後の『怪盗レトン』におけるメグレにそっくりだ。
 そして本作におけるイーヴ・ジャリーは、ルブランが『カリオストロ伯爵夫人』で描いた若き日のルパンのように、初めて本当の愛を知る。よく考えてみればこれはふしぎなことだ。これまでの2作で、ジャリーはやがて最愛の女性を見つけ、その女性とともに暮らすことを選ぶ未来があることを、私たち読者はすでに知っているからである。本作はそんな前提などいっさい忘れてしまったかのように、ジャリーは純粋な愛を見つけ、そしてラストではその女性とともに暮らすことを選ぶ。このラストシーンが前作『殺す女』以上に、ルパンの実質的最終エピソード、『虎の牙』のラストとそっくりなのである。ジャリーは最愛の女性と田舎の農場で暮らしている。そこにシャモー判事が訪れる。犯罪から卒業したジャリーは朗らかに判事と会話を交わし、そして最愛の女性との婚約を祝う。本作は今後も邦訳されることはないと思われるので結末を明かすと、ジャリーはアメリカ娘のジェシーと愛を誓い合うのである。
 ドーヴィルでの攻防から1ヵ月経って、ジャリーが目を醒ました後も物語は5章分続く。後年すぱっと短く鮮やかな幕切れを描くようになるシムノンの筆致は、ここではまだ完成を見ていない。5章にわたってこれまでの種明かしが子細に語られるのが、やはりいかにも長く感じられる。結局のところ富豪のハリーを殺したのはエレオノール・ブリュス未亡人であり、彼女は真実の告白を文書にしたためて残し、ジャリーの無実を証明して舞台から去る。一方、この世に再生したジャリーは過去の自分を棄て、「ジャリーは死んだんだ……」と呟き、そして次のような観念へと至るのだ。「結局、自分の人生を決めるのは、自分のキャラクター(個性)ではないか?」と。そして自分は肉体的にも精神的にも傷ついたが、それはすなわち自分が負けたのだということ、そして生まれ変わったのだということを確信するのである。
 これまで読んできたペンネーム作品には登場することのなかった人生論が、ここに現れるのである。ひとりの人間として幸福とはいったい何であるのかとジャリーはおのれに問い、そして答を見出している。私は最後の数章を読みながら、概要をレポート用紙に書き出しつつ、次第に自分の書いた文にアンダーラインを引く箇所が増えてきていることに気づいた。次の部分にも私はアンダーラインを引いている。ジャリーはこのようにいうのだ。「ぼくはひとりの人間以上の何ものでもない。心を持つ男、弱さを心に持つ男のひとりだ! ぼくはヒーローを演じようとした! 幸せを摑もうとした! でも真実は、ジェシー、ぼくは何も得られなかった!」
 でもぼくは、きみが愛してくれているのを知っていた。だから逃げた──それでもきみはまだぼくを愛していた! とジャリーは続ける。ジャリーはジェシーと言葉を交わす。互いがずっと相手を愛していたこと、それこそが互いにおのれの支えであったことを確認し、ここにこそ本当の愛があるのだと確信する。ふたりの唇が触れ合い、そしてジャリーはジェシーをきつく抱きしめる。壊れるほどに。
 大仰なラブロマンスではある。だがここまでまっすぐにジャリーが人生を語り、本当の自由とは何かと考え、愛を宣言したことに、私は読んでいて感銘を受けた。後のシムノンはこのようには書かない。だからこれは大人へと成長するまさにその瞬間のシムノンが本に刻んだ、きらきらと輝くかけがえのない、奇跡のような記録である。

 当時のシムノンは、フランスの大衆小説、ミステリー文芸のなかで、どのような位置にあったのだろうか。読み終えてそんなことを考えた。
 本作の原著を私は入手していないが、その外観、すなわち表紙と背表紙、裏表紙の様子がわかる写真はウェブ上にあり、裏表紙に印刷された叢書の既刊一覧が興味深く思えてくる。
 ざっと眺めると、まずはエミール・ガボリオの『首の綱(有罪無罪)』(1873)、『書類百十三』(1867)、『ルコック探偵』(1869)、『ルルージュ事件』(1866)、『湖畔の悲劇』(1867)、『他人の銭』(1874)、 ガストン・ルルーのLe Roi Mistère(1911)、Un Homme dans la Nuit(1911)、La Reine du Sabbat(1913)、『怪盗シェリ・ビビChéri-Bibi(不明)、ウージェーヌ・シューの『パリの秘密』(1842-43)、『さまよえるユダヤ人』(1844-45)が目に留まる。だが他の作家はどれも私のまったく知らない名前である。それでも根気よくウェブ検索すると、辛うじて日本語でも引っかかってくるのはアルベール・ボアシェールAlbert Boissière、ポール・フェヴァルPaul Féval、ジョルジュ・ル・フォールGeorges Le Faure、エドモン・ルペルティエEdm. Lepelletier、ジョルジュ・マルダーグGeorges Maldague、ジュール・マリーJules Mary、シャルル・メルヴェルCharles Mérouvel、グザヴィエ・ド・モンテパンXavier de Montépin、ルネ・ド・ポン゠ジェストRené de Pont-Jest、ミシェル・ゼバコMichel Zébacoといった面々だが、はたして皆様はどれほどご存じであろうか。フランスミステリーを極めるためにこれらの作家を読むか? と問われたら、申し訳ないが、うーん、たぶん読まない。
 まあしかし、それでも当時のシムノンは、こういった流行作家たちと同じ叢書から書き下ろし長篇を出せるくらいの人気はあったということだろう。この《一般小説》叢書は造本もまともであるし、その名も示すように、セーヌ河岸の露店で売られる大衆娯楽本のなかではそれなりに高級なほうだったと思われる。いっときの廣済堂文庫や青樹社文庫、講談社ノベルスのような立ち位置のキオスク本を想像するとよいかもしれない。
 本作をミステリー小説の新人賞に投稿したならば、ひょっとすると一次予選くらいは通るかもしれない。つまり本作はそのくらいの出来映えではあるが、読んでよかったといまは感じている。先に述べたように他では見られないシムノンの奇跡の一瞬が、ここには残されているように思えるからである。そしてこうして皆様にそれを伝えられることを幸せに思う。もしも今回くじけて読むのをやめていたなら、日本におけるシムノンの理解はきっとしばらく停滞を続け、他の誰かが本作を手に取って読むその日まで、メグレという人間像への手がかりは埋もれ、ひいてはフランスミステリーへの考察も立ち遅れることになっただろうと思うからだ。
 ジャリーが登場する作品は、あと1作残っている。

 さて、イーヴ・ジャリーものの第1作『美の肉体』第23回)と第2作『殺す女』第71回)で顔を見せたエージェントL. 53が、同時期のペンネーム短編「“ムッシュー五十三番”と呼ばれる刑事」(第23回)にも登場していたことはすでに紹介した。実はもう1作、L. 53が探偵役の物語がある。1930年にジョルジュ・シム名義で連載され、単行本未収録のまま埋もれていた中編『紫の文書Le document violetがそれだ。本連載でも近いうちに取り上げる。

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。
 文理の枠を超えた「パンデミックと総合知」をテーマに、母校・東北大学の研究者らとの対話連載を展開中。記事構成は翻訳家・サイエンスライターの渡辺政隆氏(https://web.tohoku.ac.jp/covid19-r/people/)。
《日本ロボット学会誌》2020年1月号に寄稿した小説「鼓動」の無料PDF公開が始まる。中篇「ポロック生命体」の前日譚にあたる(https://doi.org/10.7210/jrsj.38.78)。




 
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