書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がその月に読んだ中から三冊ずつをお薦めする動画配信「翻訳メ~ン」、ちょっと今はお休み中。まだちょっと再開は難しいのですが、2020年度ベストテンをこちらで公開しております。よかったらご覧ください。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

千街晶之

『憐れみをなす者』ピーター・トレメイン/田村美佐子訳

創元推理文庫

 船上ミステリというとアガサ・クリスティーの名作『ナイルに死す』のような、優雅でゆったりした船旅の最中に殺人が……というのが王道パターンだろう。しかし、「修道女フィデルマ」シリーズの一冊である本書の場合、なにせ舞台が七世紀なので、船が嵐にでも襲われればひとたまりもないわ、海賊や襲撃船の危機はあるわ……と、船旅は優雅どころではない。事件関係者は修道士と修道女ばかりながら、ケルト教会は「肉欲の罪」に厳格なローマ教会と教義が異なるため、聖職者なのに世俗的な動機を持つ容疑者がやたら多いのも異色だ。逃げ場のない船上、いけすかない初恋の相手の登場、険悪な人間関係、次々と見つかる死体……危機また危機の連続を、法の専門家でもあるフィデルマがいかに捌いて(裁いて)みせるかに注目だ。

 

吉野仁

『父を撃った12の銃弾』ハンナ・ティンティ/松本剛史訳

文藝春秋

 ちらほらと評判が耳に入ってきたあたりでこの本を手にとったところ、たちまち物語にのめりこんでしまい、そうした声があがるのも当然という極上の作品で、ひたすら堪能いたしやした。帯裏に「最高級の文芸サスペンス」てな文句があったけど、昨年のその手の収穫『ザリガニの鳴くところ』はどちらかといえば「文芸」の力が支配していたと思うのに対し、こちらはクライム・サスペンスの部分も圧倒的な読みごたえで、「文芸」と「B級娯楽」が区別のつけようなく際立って両立しており喝采をあげた。満身創痍となった悪党の愛と家族と人生が、神がかった面白さ、匠の技の域で物語られているではないか。そのほか、今月はなぜか老人ものが二作。マルコ・マルターニ『老いた殺し屋の祈り』は、イタリアン・ノワールとあるが、還暦をとうにすぎた爺さんの殺し屋によるアクションにはじまり、『父を撃った12の銃弾』でも出てきた「学校におけるいじめ」のエピソードが扱われているなど、良い意味で通俗娯楽の要素をつめこんでおり、楽しんだ。もう一作のダニエル・フリードマン『もう耳は貸さない』は、89歳の元殺人課刑事バック・シャッツが主人公をつとめるシリーズの三作目ながら、単に認知症じじいの毒舌をギャグとして面白おかしく読ませるものにととまらず、死刑制度をめぐる問題に容赦せずに踏み込んでいて、読み応えがある。耳は貸さなくとも、目があるならば読んでほしい。

 

北上次郎

『老いた殺し屋の祈り』マルコ・マルターニ/飯田亮介訳

ハーパーBOOKS

 還暦を過ぎた殺し屋が、40年前に生き別れた恋人と娘に会いたいと願い、訪ねていく話だ。新味のない話だなと思って読み始めると、突然謎の男が襲ってくる。なぜ自分が狙われるのか、彼にはまったくわからない。というところから、話はテンポよく展開していく。畳みかけるアクションが素晴らしい。
 今月は、ローレン・ウィルキンソン『アメリカン・スパイ』も超おすすめだが、こちらは温かく迎えられそうな気がするので、ここでは『老いた殺し屋の祈り』の方を推しておきたい。イタリアン・エンタメを見直した一冊だ。

 

川出正樹

『ロンドン謎解き結婚相談所』アリスン・モントクレア/山田久美子訳

創元推理文庫

 ハンナ・ティンティ『父を撃った12の銃弾』(松本剛史訳/文藝春秋)は読み応えのある作品だ。北米大陸各地を転々とした末に、亡き妻の故郷であるマサチューセッツ州の小さな漁村に移住してきた父娘。煌めきと影り、強さと脆さ、暴力と善意とが危ういバランスを保つ家族と恋愛と血と銃の物語は、2021年の翻訳ミステリ・シーンを代表する作品だと思う。

 ゆえに今月はこれで行こうかと思っていたのだけれども、最後に読んだ『ロンドン謎解き結婚相談所』が、あまりにもツボにはまってしまったために急遽予定変更。すみません、完全に趣味です。第二次世界大戦終戦直後という時代設定に目がない上に、対照的な性格の女性ふたりがコンビを組んで活躍する話がとても好きなもので。

 大空襲による戦禍が随所に残る1946年6月のロンドンで、結婚相談所を開業したふたりの女性――戦時中に軍の秘密任務に従事していたアイリスと、イタリア戦線で夫を亡くした上流階級出のグウェン――が、殺人事件の謎を追う。新規会員の女性が殺され、しかもふたりが紹介した男が容疑者として逮捕されてしまったためだ。世知に通じ、頭の回転が速く、闘いの心得もあるアイリスと、善良で人に対する勘が良いグウェンが、それぞれの特性を活かして、無実と信じる男と経営危機に陥った相談所を救うために、ロンドン市中を、時に勇ましく、時にしなやかに奔走する。

 思わずにやりとしてしまうウィットと際どいユーモアの効いた会話、緩急自在にテンポ良く展開するストーリー、大胆かつ絶妙に配された伏線と手掛かり。謎解きミステリであり、軽快な冒険譚であり、戦争で心に深手を負ったふたりの女性が再起すべく奮闘する物語でもある小味な逸品。シリーズ第二弾がこの秋刊行ということで、今から待ち遠しい。

 

霜月蒼

『父を撃った12の銃弾』ハンナ・ティンティ/松本剛史訳

文藝春秋

美しかったり奇妙だったり印象的だったりする風景が出てくる小説というのは忘れがたく、例えばS・クレイグ・ザラーの『ノース・ガンソン・ストリートの虐殺』とか、去年の話題作『ザリガニの鳴くところ』とかがそうで、その『ザリガニ』がしばしば引き合いに出される本書もそのひとつ。ものすごい氷河の見える海辺とか、静かな湖畔とか、プレーリードッグがうじゃうじゃいる野っ原とか、いずれも見事に描き出されていて、今後もずっと記憶に残りつづける気がする。

少女を視点人物とするメインの物語の随所に、その父の過去の物語が挟まれる構成で、この過去の章の一つ一つが短編小説のように美しい。個人的には犯罪小説感のほとんどないハロウィンの夜の挿話「銃弾#11」が好きでした。そしてラスト2章の自然描写と、最後の最後の2行──これはきっと忘れないだろうなあと思う。『拳銃使いの娘』『ローンガール・ハードボイルド』なんかが刺さったひとにもおすすめです。

 

酒井貞道

『父を撃った12の銃弾』ハンナ・ティンティ/松本剛史訳

文藝春秋

この物語は、ロードノベルであり、恋愛小説であり、青春小説であり、ミステリであり、そして何よりも主人公の物語である。様々な人々と様々な要素が交錯する、タペストリーのような物語の中から、中心軸がくっきり浮かび上がっていく様を見ることができる。しかも時空を超えて、だ。これこそ小説の醍醐味で、私は何の不満もない。あまり内容を知らずに、しっかりじっくり読み込んでもらいたい一冊だ。

 

杉江松恋

『少年は世界をのみこむ』トレント・ダルトン/池田真紀子訳

ハーパーコリンズ・ジャパン

 朝日新聞の文庫紹介欄で書いたとおり、2月に出た探偵小説のベストはピーター・トレメイン『憐れみをなす者』で決まり。ひさしぶりのフィデルマもの長篇は船上ミステリーで、これがつまらないはずがない。朝日では文字数の都合上ちょっと違った表現になってしまったのだけど、フィデルマ修道女は現代ミステリー屈指の名探偵だと思う。あそこまで際立ったキャラクターというのは7世紀を舞台にした歴史ミステリーだからできるわけで、ちょっと比肩する者はいない。

 また、2月の必読はたぶん上で全員が挙げていると思われる『父を撃った12の銃弾』で文句なしである。年間ベストでも上位にくるであろう作品なのだが、よそでちゃんと書評するつもりだし、他の人が思いっきり内容について語っているだろうからいいや。なので、『少年は世界をのみこむ』を推しておく。これ、いい小説なんですよ。

 オーストラリアの小説で、主人公はイーライ・ベルという12歳の少年だ。父親不在で母親は薬物中毒という壊れた家庭で暮らす少年だが、彼はすくすくとまともに育っていて、空想を膨らませてそれを言葉にするのが大好き、将来そういう職業に就くことをぼんやりと夢見ている。父親代わりになってくれている男性・ライルが麻薬組織の人間らしい怪しい男たちに連れ去られてしまい、イーライは自分の力で世界に立ち向かわなければならなくなる、というお話だから、ミステリー・冒険小説風味もちゃんとあるのだが、基本は教養小説だ。なんといっても素晴らしいのは、主人公の導師役を務めるスリムという初老の男性である。彼はタクシー運転手を殺害した罪で長く服役していたことがあるのだけど、大胆な手段で脱獄に成功したことから「ボゴ・ロードのフーディニ」の異名を奉られている。ボゴ・ロードというのは刑務所の名前だ。スリムを通じてイーライはいろいろなことを学ぶ。世界との付き合い方も学ぶ。人間が単純な存在ではなく、表裏のある多面体だということも学ぶ。スリムだって前科者という側面と常識ある大人の顔の二つを持ち合わせているのだ。犯罪の巷で育った少年の半生記とでもいうべき構成で、ボーイ・ミーツ・ガールなどさまざまな青春小説の要素が詰め込まれている。読後感も非常にいいので、ぜひお薦めしておきたい。

どうやら年間ランキングにも顔を出しそうな『父を撃った12の銃弾』を含め、犯罪小説が強い月間となりました。3月はどんな風向きになることやら。また来月お会いしましょう。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧