田口俊樹

 思い立ったらすぐ行動しないと必ず忘れる。老人の悲しい法則ですが、先日、私、夕食後に老妻に風呂洗いを命じられた際にこの法則の克服法を発明しました。食後に薬を飲まねばならなかったのですが、ずっと唱えつづけたのです。風呂を洗いながら。「クスリ、クスリ、クスリ」と。それも心の中だけでは忘れかねません。実際にもごもごと口にしながらスポンジごしごし。これは効果覿面でした。風呂洗い後もちゃんと覚えていました。自らの創意工夫の才にいっとき酔いしれましたね、私。でも、ずっと酔いしれていてはまた忘れます。で、すぐに薬を飲もうとしました。すると―― 「あなた、さっき飲んでたわよ」 「……」

(たぐちとしき:ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズ、バーニイ・ローデンバー・シリーズを手がける。趣味は競馬と麻雀)

 


白石朗

 レネー・ゼルウィガー主演の映画『ジュディ 虹の彼方に』を周回遅れで自宅鑑賞。ご存じジュディ・ガーランドの、薬物とアルコールで落魄した最晩年に焦点をあわせた見事な(そして容赦ない)伝記映画を堪能しました。ガーランドといえば映画『オズの魔法使』。小説の翻訳では『オズ』がらみの言及にはしじゅう出会うんですが、困るのは題名表記。言及が明らかに映画なら前述の公開題、原作小説のことなら送り仮名を添えて『オズの魔法使い』で決まりです(邦訳は複数ありますが題名はほぼどれも同一表記です)が、どちらとも区別できない困った場合もあるんですね。作品は忘れましたが、原文で Starship Troopers がハインラインの原作小説『宇宙の戦士』か映画化の『スターシップ・トゥルーパーズ』か決めかねるケースもありました。  作品内で言及される作品に複数の訳題があったら、基本的に新しさか知名度で選ぶようにしていますが、迷う場合もあります。『ライ麦畑でつかまえて』『キャッチャー・イン・ザ・ライ』か、『長いお別れ』『ロング・グッドバイ』か。最近もまた遭遇したレイ・ブラッドベリの短篇“A Sound of Thunder”は「雷のような音」「雷のとどろくような声」「いかずちの音」と既訳題名が三つあって、伊藤典夫訳の三つめの訳題を選びました。ちなみに映画化版は『サウンド・オブ・サンダー』。類似ケースでは、リチャード・マシスンの長篇 I Am Legend がありますね。副題つきを別カウントすれば邦題は4種、映画化は3回されていて日本公開題はそのつど異なっていました。

(しらいしろう:老眼翻訳者。最近の訳書はスティーヴン・キング&オーウェン・キング『眠れる美女たち』。〈ホッジズ三部作〉最終巻『任務の終わり』の文春文庫版につづいて不可能犯罪ものの長篇『アウトサイダー』も刊行。ツイッターアカウントは @R_SRIS)

 


東野さやか

 引っ越して三年、ようやく本の整理を始めました。といっても、諸事情あって、実際に手を動かすのはわたしではなく、夫です。本をあまり読まず、書店で本を買ったり、図書館で本を借りたりという経験がほとんどない夫には、本の整理は未知の領域。でも、膨大な数のCDコレクションを整理しているのだから、それとやり方は同じだよ、作家名の五十音順にしてくれればいいからと言ってまかせました。
 最初のうちは、海外の作家の並びがファーストネームの五十音順になっていたり(CDはラストネームのアルファベット順に並べているのになぜ?)、アンソロジーを編者名で並べてしまったり(CDのオムニバス盤は別枠にしているのになぜ?)と、ダメ出しもしましたが、とりあえず五分の一まで終わりました。
 自分で整理したら、どの本にも思い入れがあるぶん、時間がかかったと思うので、まかせてよかったのかもしれません。岸本佐知子さんのエッセイ集『気になる部分』(白水社)とスティーヴン・キングの『任務の終わり』(白石朗訳/文藝春秋)を同じ“か”の棚に入れられてしまったけど。自分だったら日本人作家と海外作家は分けるけど。ま、いいですよね。

(ひがしのさやか:最新訳書はジョン・ハート『帰らざる故郷』(ハヤカワ・ミステリ)。その他、チャイルズ『ラベンダー・ティーには不利な証拠』、クレイヴン『ストーンサークルの殺人』、アダムス『パーキングエリア』、フェスパーマン『隠れ家の女』など。ツイッターアカウント@andrea2121)

 


加賀山卓朗

この長屋の原稿を書くようになって、1カ月のたつ早さにおののいています。もう1年の3分の1が終わったなんて。自分の身のまわりは相も変わらずで、春になってから仕事の合間によく聴いているのは、イシュトヴァン・ケルテスが指揮するウィーン・フィルのモーツァルト、シューベルト、ブラームスなど。ウィーン・フィルの音が本当にきれい。しかもただきれいなだけではなく、世界最高レベルのオケが本気出してる感じです。老化で高音が聞こえにくくなってきた自分でさえブラインド・テストで当てられるのではないかと思うくらい。ケルテスはイスラエルのテルアビブで仕事をしたあと、海で泳いでいたときに流されて、亡くなってしまった。43歳。もっと生きていたらどれだけの名演を残したことか。本当に惜しい才能でした。春になるとウキウキするはずなのに、なんとなくこういうことも考えてしまいません?

(かがやまたくろう:ジョン・ル・カレ、デニス・ルヘイン、ロバート・B・パーカー、ディケンズなどを翻訳。最近の訳書はスウェーデン発の異色作で意欲作、ピエテル・モリーン&ピエテル・ニィストレーム『死ぬまでにしたい3つのこと』)

 


上條ひろみ

 連休中にディーパ・アーナパーラの『ブート・バザールの少年探偵』(坂本あおい訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)を読もうと思っていたところ、エドガー賞最優秀長編賞受賞との知らせが! ナイスタイミングでますます読むのが愉しみになりました。

 プチ読書日記、たまには国内編。 『むかしむかしあるところに、死体がありました。』につづく、青柳碧人の本格推理おとぎ話シリーズ第二弾『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』(双葉社)は、前作よりさらにおもしろかった。今回は洋モノで、おとぎ話でおなじみの赤ずきんちゃんが、シンデレラやヘンゼルとグレーテル、眠れる森の美女をめぐる謎を解く。最終決戦の相手は、野望に魂を売りわたしたマッチ売りの少女で、幻想を見せるマッチが麻薬さながらに人を廃人にするなど、ブラックな設定とファンタジーなおとぎ話のミスマッチ感がクセになる。

『死ぬまでに行きたい海』(スイッチ・パブリッシング)は、いつも読むのが楽しみで仕方がない岸本佐知子さんのエッセイ集。エッセイというより芥川賞作家の作品のようなプチ前衛感がある。そこはかとなく変、でも、ああこういうのを読みたかったんだよなあ、と震えるほどの感動。かつて住んでいた街やなじみのある街。そこをあらためて訪れることでよみがえる思い出や、逆に増す空虚感。岸本さんが描写するととたんに街が異世界感を増す。「行ったことがないのに◯◯みたいだと思った」という感覚、すごくよくわかる。

 海外編では、スコーンと抜けた感じが一周まわってヤバいオインカン・ブレイスウェイトの『マイ・シスター、シリアルキラー』粟飯原文子訳/ハヤカワ・ミステリ)にやられた(うっ、バタン)。軽妙さとシリアスさのバランスが絶妙なアリスン・モントクレアの『ロンドン謎解き結婚相談所』(山田久美子訳/創元推理文庫)も謎あり恋あり友情ありでよかったなあ。

(かみじょうひろみ:英米文学翻訳者。おもな訳書はジョアン・フルークの〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、ジュリア・バックレイ『そのお鍋、押収します』、カレン・マキナニー『ママ、探偵はじめます』など。最新訳書はハンナシリーズ第21巻『ラズベリー・デニッシュはざわめく』)

 


高山真由美

 くさくさする気分のうちに過ぎてしまった4月、ひょんなことから読んだコミック〈うるわしの英国シリーズ〉全5巻がしばし憂さを晴らしてくれました。伯爵家の跡取り息子の妻探し、という大枠をとりつつ、自由闊達な(=時代にそぐわない言動がときに問題とされる)女子たちが次々ハッピーエンドを迎える連作集。2002~2007年くらいの旧作なんですが、英国好き、猫好きのかた、未読ならぜひどうぞ。
 そこからの流れで手に取ったのが『ロンドン謎解き結婚相談所』(アリスン・モントクレア/山田久美子、東京創元社)。え、結婚相談? 世話焼きおばさん的な話ならノットフォーミーかな……と思ったならそれはちがいます。これもまた、不自由な時代を生きる女性たちが、それでもなんとか自分らしく、納得のいくように生きようとする姿を描いた一作なのです。会話中心にテンポよく小気味よく進む小説で、個人的にはグウェンとサリーのやりとりが好き。オンライン開催の浜松読書会で課題書として取りあげる予定だとか。読書会参加に興味のあるかたは、折々こちらもチェックしてみてください。

(たかやままゆみ:最近の訳書はサマーズ『ローンガール・ハードボイルド』、ブラウン『シカゴ・ブルース(新訳版)』、ベンツ『おれの眼を撃った男は死んだ』など。おうち筋トレはじめました。ツイッターアカウントは@mayu_tak)

 


武藤陽生

今年のゴールデンウィークは地獄でした。コロナの変異株が怖くてほとんど外出できず、かといって小さい子供を1週間も家に閉じ込めておくこともできず……ポケモンスナップを買って一緒にやったり、たこ焼き器を買ってたこ焼きを量産したり、カーシェアで借りた車でドライブしたり、花火をするなどしました。まあ、これを書いている時点ではまだゴールデンウィーク中なので、がんばって乗り切ります……

(むとうようせい:エイドリアン・マッキンティの刑事ショーン・ダフィ・シリーズを手がける。出版、ゲーム翻訳者。最近また格闘ゲームを遊んでいます。ストリートファイター5のランクは上位2%(まあ、大したことないんですが…)で、最も格ゲーがうまい翻訳者を自負しております。

 


鈴木 恵

 陸秋槎『文学少女対数学少女』(稲村文吾訳・ハヤカワ・ミステリ文庫)を読みおわったところ。アレックス・パヴェージ『第八の探偵』とテーマがみごとに共通していて、ちょっとうれしい。陸さんの言葉で言えば、そのテーマとは「推理小説の”恣意性”」。ことに集合論を下敷きにした最初の一篇「連続体仮説」の最後には思わずにやりとさせられました。パヴェージさんも作中で登場人物に、結末は恣意的なんだと語らせていますからね。
 それにしても陸さん、大学では古典文学を専攻していたのに、劉慈欣『三体 Ⅱ』のすばらしい解説を書いたかと思えば、高度な数学の教養に裏うちされたこんな作品集まで書いちゃうんだから(しかも百合オタ)、脱帽です。

(すずきめぐみ:働きものの翻訳者・馬券散財家。映画好き。最近のおもな訳書は『第八の探偵』『拳銃使いの娘』『その雪と血を』など。ツイッターアカウントは @FukigenM)