今回は、アレックス・フィンレイの Every Last Fear (2021)をご紹介します。

 ニューヨーク大学に通うマット・パインに訃報が届いた。旅行でメキシコのトゥルムを訪れていた家族――両親、妹、弟――が死亡したというのだ。メキシコ当局の調べでは、滞在していたコテージでのガス漏れ事故によるものだという。この一件はアメリカでもニュースで報じられたが、マットが世間の注目をあびるのはこれが初めてではなかった。
 7年まえ、兄のダニーがガールフレンドのシャーロットを殺害するという事件が起きていた。ふたりの共通の友人宅で開かれたパーティで、シャーロットがダニーに妊娠を告げたことが原因で口論となり、殺人事件に発展したとされていた。ダニーは罪を認め、終身刑に服すことになったが、自供は刑事たちに強要されたからだと無罪を訴えるようになっていた。しかし、マットは事件のあった夜に、ダニーが荷車を押して近隣の小川へ向かう姿を目撃しており、ダニーが犯人であることを疑っていなかった。以来7年間、ダニーには会っておらず、両親たちの訃報を受けても頼れる身内はいなかった。

 マットに家族の死を伝えたのは、FBI金融犯罪捜査課の特別捜査官、サラ・ケラーだった。マットの父親エヴァンは〈マルコーニ・LLP〉という会計事務所に勤めていたが、2週間ほどまえに解雇されていた。FBIは〈マルコーニ・LLP〉がメキシコの犯罪組織のマネーロンダリングを請けおっているとみて捜査しており、エヴァンたちがメキシコで死亡したのは単なる事故ではなく、犯罪組織が関わっているのではないかと疑念を抱いていた。
 マットから見ても、家族のメキシコへの旅行には首を傾げるところがあった。エヴァンが事務所を解雇されて無収入になっていることにくわえ、旅先のトゥルムはセレブが訪れるようなリゾート地で、中流家庭が気軽に行ける場所ではなかったからだ。

 サラが捜査を進めていたある日、ドキュメンタリー番組の製作者であるジュディとアイラのアドラー夫妻が彼女のもとに現われる。夫妻は以前、ダニーの事件を番組化しており、このたびその続篇をつくる予定を立てていた。その関係でエヴァンたちの死亡事故を調べたところ、不可解な点が見つかったとのことだった。現場の写真を確認すると、マットの母親はまるでうたた寝をしているような状態で、ガスを吸って苦しんだ様子は見られず、おまけに胸のうえに伏せて置かれていた本が上下逆さになっていたという。そして、マットの妹は手首に小さな傷があり、父親のエヴァンは家の外で倒れていて、体には野犬に食われた痕が認められ、周囲には血が飛び散っていた。伝手をたどって現場に足を踏み入れたアドラー夫妻は、エヴァンの死体の近くにあった植木から血痕のついた葉を持ち帰っていた。ガス漏れ事故が起きたとは思えない現場の状況に、サラは不審の念をつのらせ、アドラー夫妻から預かった葉をDNA鑑定にまわすことにした。

 ダニーの殺人事件と、犯罪組織が背後にいるかもしれないエヴァンたちの死というまったく関連のなさそうな事柄が、物語の冒頭で提示される。どちらかひとつに絞っても充分作品が成り立ちそうなので、これは下手をすると話が破綻するのではないだろうかと、少々不安に思いながら読み進めたが、それは杞憂に終わった。このふたつの事件がどのように絡むのか、あるいはほとんど絡まず二本立てで最後まで行くのかに関心がまず向くが、右へ曲がると思えば左に曲がり、意外な点と点がつながり、それぞれが思わぬ展開を見せる。
 主人公はマットだろうが、犯罪捜査に焦点をあわせて、サラの視点から読むのも一興だ。マットの両親と妹はダニーの無実を信じて、事件のことを調べつづけていた。そのことを両親の死後に知ったマットは、ダニーは有罪だと思っていた自分に疑問を投げかけはじめる。本作をマット中心に読めば家族の物語として、サラの視点からストーリーを追えば犯罪小説として楽しめるだろう。

 本書は著者アレックス・フィンレイのデビュー作になる。“アレックス・フィンレイ”はペンネームとのことだが、ネットには「実績のある作家の別名義では?」、「ほんとうにデビュー作なのか?」といった読者の声があがっている。これも作品の出来がいい証しだろう。ペンネームの使用について、フィンレイはあるインタビューで「成功するか失敗するか、読者の期待に応えられるかどうか、そういったことに対する懸念を抱かずに執筆できるからだ」と述べている。本作がほんとうにデビュー作か否かはさておき、早く次作を読みたいと思わせる作家である。

高橋知子(たかはしともこ)
翻訳者。訳書にチャールズ・ブラント『アイリッシュマン』、ジョン・エルダー・ロビソン『ひとの気持ちが聴こえたら 私のアスペルガー治療記』、ジョン・サンドロリーニ『愛しき女に最後の一杯を』、ジョン・ケンプ『世界シネマ大事典』(共訳)、ロバート・アープ『世界の名言名句1001』(共訳)など。趣味は海外ドラマ鑑賞。お気に入りは『シカゴ・ファイア』『THIS IS US』

 

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