書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

川出正樹

『三時間の導線』アンデシュ・ルースルンド/清水由貴子・喜多代恵理子訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 ポーランド・マフィア、南米麻薬カルテルときて、今回はアフリカからの密航業者だ。『三秒間の死角』『三分間の空隙』に続く『三時間の導線』で、三度国際的な犯罪組織と対峙するエーヴェルト・グレーンス警部は、二度と会わないと約束した人物のもとを訪れざるを得なくなる。このシチュエーションへと至る筋運びが実に巧い。読者の意表を突くと同時に説得力が強く、マンネリズムを回避した上で、緊迫感を与えページを繰る手が一気に早まる。あとがきで述べているように、Who、What、How、Whyに加えてWhenの効果を重視している作者の面目躍如たるシーンだ。

 若者に死を取り戻す為に、幼い子供に平穏な生活を取り戻す為に普段にまして体を張って奮闘するエーヴェルトのなんとかっこ良いことか。

 ベリエ・ヘルストレムを失ったアンデシュ・ルースルンドが単独で書いた本書は、これまでの作品と比して軽みとエンターテインメント性が強くなった。シリーズ未読の方も、これを機会に手に取ってみて欲しい。

 今月は、幼い子供が重要な役割を担うシリーズ作の秀作が他にも二作ある。狡猾な児童誘拐事件がメインとなるイタリア発21世紀版〈87分署〉のマウリツィオ・デ・ジョバンニ『P分署捜査班 誘拐』(創元推理文庫)と、『氷結』の続編となるベルナール・ミニエ『夜』(ハーパーBOOKS)。前者の愛すべき“ろくでなし刑事”たちの公私にわたる悲喜交々を、後者の冒頭の猟奇殺人からはまるで想像できない中盤以降の展開を味わってみて欲しい。

 

千街晶之

『夜の獣、夢の少年』ヤンシィー・チュウ/圷香織訳

創元推理文庫

 ベルナール・ミニエとアンデシュ・ルースルンドとピエール・ルメートルとユーディト・W・タシュラーの新刊が刊行され、しかもクラシックからはD・M・ディヴァインまで出た五月。当然、これらの中からベストを選ぶことになるだろうと事前に予想していたけれども、あに図らんや、一番鮮烈な印象を残したのは日本初紹介の作家、ヤンシィー・チュウの幻想ミステリ『夜の獣、夢の少年』だった。一九三○年代のマラヤ(現在のマレーシア)で、ダンスホールで働く女性が、ふとしたことから人間の指が入ったガラス瓶を手に入れてしまう。一方、イギリス人の老医師に仕えていた少年は、主人の死に際の言葉に従い、四十九日以内に墓に埋めるために指を探そうとしていた。運命に操られるように二人の主人公は接近するが、彼らの周囲では次々と変死事件が起こる。人食い虎の恐怖、交錯する陰謀、恋と冒険、そして現世と霊界を往還する謎解き。豊饒で瑞々しい物語の醍醐味を存分に堪能できる、本年度ベスト級のミステリだ。

 

酒井貞道

『P分署捜査班 誘拐』マウリツィオ・デ・ジョバンニ/直良和美訳

創元推理文庫

《グーレンス警部》シリーズ史上最高に物語がシャープなアンデシュ・ルースルンド『三時間の導線』、《警部セルヴァズ》シリーズ史上最高に盛り上がるベルナール・ミニエ『夜』、そして1999年当時のアメリカに向けた笑えるはずの風刺が、鋭すぎて時代を貫通し、2020年を生き抜いた我々には特に終盤が笑うに笑えないクリストファー・バックリー『リトル・グリーンメン』。

 これらに後ろ髪引かれつつも、今月は『P分署捜査班 誘拐』を挙げておきたい。事件捜査と人間ドラマ双方において、長所も短所も多いレギュラー陣の個性が存分に活かされており、絵面が地味なシーンでも、ページを繰る手が止まらない。素晴らしかった第一作に続き、第二作の『誘拐』でもその好調は完璧に維持されている。事件内容が一層派手になって、誘拐事件の帰趨に手に汗握りつつ、脇筋のストーリー――別の小さな事件だったり、恋のさや当てだったり、成長や停滞の描写だったりと色々だ――でもしっかり楽しめてしまう。事件に興味を吸い取られ過ぎると、脇のエピソードが邪魔に感じられて、飛ばしたくなるものですが、そういうことが一切ない。上手い。実に上手い。21世紀最高峰の警察小説シリーズに発展する可能性を秘めていると思います。未読の方は、まだ2長篇しか訳されていない今が、波に乗るチャンスですよ。あと、《引き》が異様に上手い。シリーズの主役が刺されたり撃たれたり殴られたりして意識を失う「結末」には正直なところ食傷気味なのですが、デ・ジョバンニは別のタイプのショックを用意してくれます。第一作も良かったけれど、第二作もまた感心するような幕切れでした。こんなの第三作が読みたくなるに決まってる。早く、早く訳して。

 

 

北上次郎

『帰らざる故郷』ジョン・ハート/東野さやか訳

ハヤカワ・ミステリ

 いつものジョン・ハートだが、しかしいつものジョン・ハートでもない。それが今回の特色だ。

「いつものジョン・ハート」は、まず兄弟小説で、さらに家族小説であることだ。

「いつものジョン・ハートでない」点は、刑務所に君臨するXだ。何を考えているのかわからない、この不気味な人物像は、ジョン・ハートにしては珍しい。本当の悪とは何なのか、というモチーフを描くのにこの男が必要であったということだろうが、何を考えているのかわからないので、物語の転がる方向もわからず、とてもスリリングであった。

 

霜月蒼

『三時間の導線』アンデシュ・ルースルンド/清水由貴子・喜多代恵理子訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 アンデシュ・ルースルンド描くエーヴェルト・グレーンス警部といえば、いつも悲惨な犯罪に相対し、沈鬱な面持ちを崩さぬ中年男という印象があった。ところが本書での警部は、幼い男の子ふたりとトランプのダウトで遊んだり「料理は得意じゃないんだ」と言いながらワッフルを焼いてやったり、「親戚になってくれればいいのに」というちっちゃな男の子の誘惑に負けちゃおうかと思ったりしている。

 ルースルンドが長年の相棒のヘルストレムと離れて単独で書いた本書は、『三秒間の死角』『三分間の空隙』に続いて、元潜入捜査官ピート・ホフマンの登場する「シリーズ内シリーズ」3作目であり、白熱の一気読みミステリーである。上記のようにグレーンス警部の優しい側面をいつになく押し出しつつ、同時に移民を食い物にする犯罪は卑劣で、警部の怒りはいつも以上に高温だ。かつて膝に銃創を受けて走ることができないはずの警部が、怒りと焦燥に駆られて全力疾走すること3度! 熱いぞ!

 もちろん『三秒間』『三分間』で犯罪者相手の命がけの冒険を演じたホフマンの冒険行も熾烈で、綿密な犯罪組織撃滅計画もスリリング。本書は見事な冒険小説でもあるといっていい。事件解決のために辺境の死地に送り出されるホフマンと、ホフマンをハンドルしつつ母国で必死の捜査を行なうグレーンスの構図は、『闇の奥へ』など往年のクレイグ・トーマス作品でのパトリック・ハイドとケネス・オーブリーに通じるものがあって、だから冒険小説ファンも必読だ。

 それでいてちゃんと意外な犯人が用意されているのにも驚く。つまり本書はきっちりミステリーしている。しかもその犯人の動機や目的はミステリー史上類を見ないもので、ミステリー的な驚きと問題提起を同時にやってのけるルースルンドの巧みさをまざまざと見せつけてくれる。間違いなく今年のベスト1候補である。

 なお今月は大豊作で、フランスの俊英ベルナール・ミニエによる一気読みサイコ・スリラー『夜』、台湾産の奇妙な私立探偵小説『台北プライベートアイ』も他の月ならベストに挙げただろう。話題の『三体Ⅲ 死神永生』(劉慈欣)は、「スリラー」とか「ミステリー」っぽいと強弁できた前2作からスケールアップしたぶん「SF」としか言いようがないかと思って自制したが、おもしろさという点では今月のベストだったので、みなさんも是非お読みなさい。

 

吉野仁

『僕が死んだあの森』ピエール・ルメートル/橘明美訳

文藝春秋

 ルメートルの新作は、話の骨格だけを見るとひねりのないストレートな犯罪小説だが、12歳の少年を容赦なく追いつめていく展開が圧巻で、どこまでも深いアリ地獄にはまったかのような暗黒の人生が語られていく心理スリラーだ。ページをめくりながら、これほどの息苦しさを覚える読書もめずらしい。ベルナール・ミニエ『夜』は、〈警部セルヴァズ〉シリーズ第4弾。ノルウェーの教会で発見された女性惨殺体、捜査のため乗り込む北海の石油プラットフォーム、第一作『氷結』に登場した連続殺人鬼との対決など、例によって例のごとく、全編にわたり派手でケレン味あふれた舞台や趣向による大作スリラーである。もう一作、マウリツィオ・デ・ジョバンニ『P分署捜査班 誘拐』は、イタリアのナポリを舞台にした21世紀の〈87分署〉シリーズ第2弾だ。警察捜査小説としても警察官群像劇としても、『集結』より面白みが増しており、なによりラストで驚かされた。

 

杉江松恋

『台北プライベートアイ』紀蔚然/舩山むつみ訳

文藝春秋

 なんだよ、台北行きたいなあ、とたまらない気持ちになってしまった、というのは措くとしても、だ。

 これを選ばないわけにはいかないのではないか。うん、そうだ。

 というのも理由があって、私はプロットにバリエーションを付け加えた作品というのに弱いのである。ミステリーにはいろいろな型があって、こういう展開でくるとそういう話になる、みたいなものが予想できる部分がある。そういう読みを書き手も承知していて、じゃあ、こういう展開になるとは思ってなかっただろう、と意表を衝いてくる。それがあまりに無理筋だったりすると逆に鼻白んでしまうのだが、時にこちらの予想の五ミリ横ぐらいをすっと通り抜けてくるような場合があるのだ。そしらぬ顔をして、なんなら口笛とか吹きながらすっと通り過ぎていく感じ。そういうのにとても弱い。紀蔚然はやってくれたんですよね、この小説で。こうくればそうなる、という大方の筋はだいたい変えずに、そこに至るロジックで予想もしていなかった新しい手を繰り出してきた。ああ、その手があったか、と感じ入るわけである。弱いのですよ、本当にこういうのに。話の内容はすっかり忘れてしまっても、プロットにおもしろい点があった、ということは未来永劫覚えている。コリン・デクスター『ジェリコ街の女』がずっと好きでいるのと同じ理由でこの小説も好き。

 もちろんこれは題名通り、そして『私家偵探』という原題通り、台湾発の私立探偵小説である。主人公の呉誠は演劇作家兼大学教授であったが、すべてを投げうって私立探偵事務所を開業してしまった。はっきり言って変人である。その変人さゆえに事件に巻き込まれてしまうという性格喜劇の要素も本作は備えている。このへんももちろん好み。もうあらすじを紹介することなんてあまり期待されていないと思うから書きたいことだけ書いてしまうが、私立探偵のキャラクター性を重視しているという点で、大昔のネオ・ハードボイルドと呼ばれた小説群を私は連想したのである。そうですよ。あのころのハヤカワ・ミステリから出ていたら〈元大学教授のタフガイ探偵〉とか〈燃え尽き症候群ハードボイルド〉とか書かれていたんじゃないの、帯に。そういう小説なの、つまり。小鷹信光さんがもしご存命だったら、この作品をどう思うか伺ってみたかったと思う。日本のハードボイルド小説の夜明けは遠いかもしれませんが、もしかすると台湾のそれは近いのかもしれませんよ、コタカノブミツさん。

 今月は他にもいい作品が多かった。上のほうで言及されていないと思われる作品では、『国語教師』のユーディット・W・タシュラー『誕生日パーティー』が出ている。これはポル・ポト政権下の大量虐殺を背景にした物語で、ホロコーストの歴史を背負ったドイツ語圏で書かれた作品であることを考えながら読むとたいへんに味わい深い。もう一冊、ローレンス・ブロック編のアンソロジー『短編回廊』もお薦めで、前作『短編画廊』はエドワード・ホッパーがテーマだったが、今回はアート全般に対象を広げて作品が書かれている。ジョイス・キャロル・オーツ「美しい日々」がとにかくいいんですよ。ぜひお読みいただきたい。

 

 作風のまったく違うものが並んで、どうにもこうにも実り豊かな5月だったようです。ここのところ点数も控えめでしたが、一気に爆発した感じ。この調子でいきますと6月はどうなるものか。次回もお楽しみに。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧