今月は、大当たりの月で、いつもなら看板を張れるような作品がいくつも揃った。その中でも特に感銘を受けたのは、エラリー・クイーンの創作の内幕を明らかにするジョゼフ・グッドリッチ編『エラリー・クイーン 創作の秘密』である。

■ジョゼフ・グッドリッチ編『エラリー・クイーン 創作の秘密』


 エラリー・クイーンがフレデリック・ダネイとマンフレッド・B・リーの従兄同士の合作ユニットであることは広く知られているが、その創作方法は長く秘密にされていた。今では、フランシス・M・ネヴィンズJr『エラリー・クイーン 推理の芸術』で、ダネイが詳細な梗概を書き、リーが小説的な肉付けを行ったことは明らかにされている。本書『エラリー・クイーン 創作の秘密』(2012)は、『十日間の不思議』『九尾の猫』『悪の起源』といったクイーン中期の代表作が書かれた時期のダネイとリーの間で交わされた往復書簡を中心に編集したものであり、名作が生まれる瞬間に立ち会うような貴重なドキュメントになっている。
 著者は、米国の劇作家・作家で、『災厄の町』舞台化の脚本も手がけている人。先の三作については、梗概が付されているし、訳者による詳細な注もあるから、その内容を覚えていなくても本書を読む妨げにはならない。

 最初の方で衝撃を受けるのは、リーという人物についてだ。グッドリッチは「リーの野心は二十世紀のシェイクスピアになることだった」と書く。しかし、リーには養うべき多くの家族があり、高血圧と心臓病気、10年以上も続いた作家としてのスランプがあった。リーの息子のランドは「僕のこれまで会った中で、父は最も幸福に縁遠い人間の一人だったと思う」と述懐しているし、1962年の手紙ではリー自身が「僕は一度も幸福ではなかった」と書いている。
 リーの不幸の要因の一つは、おそらくは、ダネイが詳細なプロットをつくり、リーが肉付けする、ダネイが「頭」で、リーが「手」という共同作業からきている。
 リーは書く。「おそらくは双方が生きている限り、われわれはお互いにお互いを必要とし続けるだろう。だが、その必要性は不健全なものだ」
 プロット創造者がいなければ作品を完成しえない恥辱の感覚。このような文章を眼にすると『シャム双生児の謎』『ニッポン樫鳥の謎』が別の意味合いをもって浮上してこないだろうか。
 リーの欲求不満はたまり続ける。

「君が仕事を始めるとき、さらに自分の担当部分の仕事をしている間、君は一切、何の束縛も受けることはない」
「梗概の外まではみ出て、僕が梗概に対してやろうとすることを侮辱して、最後まで才気をひけらかす」
「君にも、僕が物語に何らかの影響を及ぼさないことを期待する権利はない」

 「手」である自らは拘束だらけなのに、「頭」の君はプロット作成に何らの拘束を受けていないではないかというリーの言い分。後の二つの文章は、「手」の反逆とでもいうべきものだ。
 ダネイは、ダネイで、家族の病気や雑誌EQMMの編集等のオーバーワークで不幸の種を抱えているが、おそらくは自らが作成したプロットに何らの称賛が得られないことにいらだち、傷ついている。

「君は梗概を読み、私が君から得た唯一のものは疑問点の提出だけだ」
「君は根本的にこの仕事が好きではないのだ」
「君は私のすることすべてを引き裂く」

 ここまで来ると、ののしりあいに近いが、リーも黙ってはいない。

「僕らは独房でわめく二人の偏執狂で、お互いをズタズタに引き裂こうとしている」
「君の手紙には毒がある。君は小型の原子爆弾を僕の上に落とし続けている」

 二人は、まるで「合作という呪い」を続けているかのようで、ファンには偶像崩壊のように映るかもしれないが、この敵対に近いような緊張関係が名作の背景にあったのだ。
 もちろん、作品に即したディスカッションの部分も十分にあり、どれもが興味深い。『十日間の不思議』が実はエラリー最後の事件として構想されていたこと、リーが加えた精神分析的アプローチにはダネイが反対し、両者で激しいやりとりが行われていること、『九尾の猫』で連続殺人の犠牲者に黒人女性を加えることの是非が激しく議論されている。
 『九尾の猫』に関し、エラリーの推理は憶測だとするリーに対し、「事実も推理もなしのエラリーはここから始まる」として、「私がやろうと試みていることは、X氏、X氏だけが犯行をなし得たことを証明する古い〈クイーン方式〉から離れることなのだよ」とダネイは応酬している。しかも、この古い〈クイーン方式〉には、中期の幕開けとなった『災厄の町』まで含まれているのだ。
 また、通常は公にされないお金の問題も、手紙には書かれている。二人には、金が必要だった。ダネイは、『九尾の猫』をスリック雑誌に売ろうと汲々とし、リーの雑誌向けではない改変をなじっている。

 小説はほぼ一人の人間により書かれるものであり、人間の頭の中を覗けない以上、創作の真の内幕が明らかになることは、まずない。クイーンの創作の秘密が明らかになったのは、それが「複数の人間によって書かれ」「遠隔地に住んでいたため手紙にやりとりをし」「その手紙が保存され」「それを編纂した人物がいる」という特殊な事情によるところが大きい。本書には創作一般を巡る多くの論点が内在しているようでもあり、クイーンやミステリファンに限らず、小説や創作に関心をもつ人に広く読んでほしい本だ。
 
 相互依存とそこから解き放たれない煉獄のような苦しみ、凄まじいまでの緊張関係、身を切るようなディスカッションの中から中期のクイーン作品は立ち上がっていった。本書によって、クイーン神話が崩壊したのではない。クイーンの神話に新たな名誉が付け加えられたのだ。

■エラリー・クイーン『消える魔術師の冒険』


 1939年に開始されたエラリー・クイーンのラジオドラマが、リーの収入源であり、その延命のために、リーが努力したことは、『エラリー・クイーン創作の秘密』でも明らかにされている。
 クイーンのラジオドラマ集で、活字化されたものは少なく論創海外ミステリから出た三冊(『ナポレオンの剃刀の冒険』『死せる案山子の冒険』
『犯罪コーポレーションの冒険』
)で、「出来の良い活字化作品は、ほぼ紹介されたと言って良い」と編訳者の飯城勇三氏は、書いている。
 しからば、なぜ本書が存在しているかというと、ラジオドラマの脚本そのものから直接訳されたものだからだ。活字化されていない作品だからといって侮ってはいけない。さすがは、クイーン。読者は、謎解きミステリとしてのクォリティの高さに驚かされるだろう。
 翻訳は、活字化作品同様、エラリー・クイーン、秘書のニッキ―・ポーター、クイーン警視、ヴェリー部長といったおなじみの面々が捜査に当たり、ドラマの後半には、「聴取者への挑戦」が差し挟まれるという構成だ。
 「見えない足跡の冒険」は、雪の上の足跡のない不可能犯罪物。トリック、手がかりと犯人指摘の論理が一体となった作。「不運な男の冒険」は、自らが関わった不慮の事故で相次ぎ伯父を亡くし、巨万の富を得たかにみえた青年が最後の伯父の殺人犯として逮捕される。この連続殺人犯に見える男は有罪か否か。有罪でなければ真相は?陪審員の評決の直前に開陳されるドラマティックな展開で披露されるエラリーの推理は、意外性に富むもの。「消える魔術師の冒険」は、奇術のトリック破りを趣味にしている富豪と往年の魔術師との対決。魔術師の消失トリックはいかなるものか。トリックそのものより、これまた手がかりの提示が巧妙。「タクシーの男の冒険」は、直前まで動いていた車の中に、エラリーとニッキーが運転手の死体を発見するという冒頭。しかも、運転手は著名なセレブで、同じ下宿屋に住む三人の女の下宿代を負担していたという意想外の展開が興味をそそり、しかも単なる犯人当てに終わらない仕込みがあるという秀作。「四人の殺人者の冒険」は、設定の異色さも極まり、殺人を犯した四人の共犯者の中から、新たな殺人の犯人を探す。エラリーはほとんど手がかりのないような事件から唯一の犯人を指摘する。「赤い箱と緑の箱の冒険」は、色盲の研究者が色盲の人を公募し実験を試みるが、応募者が犯人としか思えない盗難事件が発生。色盲は、クイーンのみならず、多くの作家がミステリの題材として使っているが、本作はそうした作品群のパロディのような作品。クイーン警視が最初に謎を解く第一の挑戦状、エラリーが真相を見抜く第二の挑戦状という構成も面白く、警視のはしゃぎぶりも楽しい。赤と緑のクリスマスカラーで、最後はクリスマスミステリーになっているのも粋だ。
 他の作品が30分作なのに対し「十三番目の手がかりの冒険」は60分作。それだけに自ラマ性も豊かで読み応えもある。占いやトランプ手品、蛇遣いなど一座の芸人が芸を競うブロードウェイのサイドショーでの殺人事件。一見不要な物が次々と盗まれるといういかにもクイーン的な出だしから、密室での小人芸人の死の謎が提出される。密室の謎はすぐに解決されるが、これまた犯人指摘の手がかりと解明の論理が鮮やか。
 本書には、2019年に日本の劇団ピュアマリーがクイーンのG・I慰問上演脚本を原作として舞台化した「13番ボックス殺人事件」も写真入りで紹介されている。
 フェアプレイに徹しながら意外な手がかりと推理で驚きを演出するクイーンの手際が存分に発揮された作品集であり、マンネリズムを回避したストーリー展開のユニークさともども満喫したい。

■D.M.ディヴァイン『運命の証人』


 D.M.ディヴァインの長編13作品だが、我が国での評価は高く、邦訳が進んできた。この『運命の証人』(1968) は12作目、ついにあと1作を残すのみとなった。最後から2番目の翻訳だけに、出来のほうが心配だったが、これは杞憂だった。残り物に福ありというのはこのことだ。
 本書は、殺人事件の裁判を中心に据えて意外な進行を見せる。主人公のジョン・プレスコットは事務弁護士だが、今は二つの殺人事件の被告人として法廷で裁かれている。六年前に起きた殺人と数か月前に起きた二件の殺人の罪で。しかし、弁護士も被告人の無罪を信じていないようだ。駆け出しの事務弁護士だったジョンは、友人のピーターの屋敷でノラ・ブラウンという美貌の女性と出会う。その出会いからピーターの運命は狂いはじめる。筋は、この辺にとどめておくほうが楽しめるだろう。
 本書は、四部構成でできているが、本の惹句は「四部構成の四部すべてに驚きが待つ」。その驚きは、第四部を除き、ストーリー展開上の驚きである。第一部では、ジョンの過去が回想形式で語られるが、彼が裁かれている事件の被害者は誰か明かされない。第二部は現在時間でジョンが陥った苦境に至る事情が語られ、ようやく事件の概略が見えてくるという具合に、四部の色分けがされており、時間を往還しながら意外な展開を積み上げるテクニックが読者を引っ張る。主人公が窮地に陥るサスペンスであり、悪女物でもあり、法廷物であり、最後は、主人公自身が謎を解く本格物であるというミステリのサブジャンル横断的な作品になっていることは、本書の最も大きな魅力だろう。
 一方で、不満がないでもない。主人公を含め、登場人物の彫りが浅い点。ディヴァインの人物描写は巧みということになっているが、その描写にはかなり紋切り型な面があり、強く印象に残ったり、共感するようには書けてはいない。特に、本書の悪女の描写は、手のひらを返したようで、一面的にすぎないか。ディヴァインの作品によく出てくる「二人で探偵を」のモチーフが本書でも出てきて、男にとってのハーレクインロマンス的な展開はいささか鼻白む。裁判の意外な展開についてほぼ説明がないのも、物語としての説得力を落としているように思える。
 こうした不満は、多くの作品が紹介され、作者の手のうちが見えてきたせいでもある。読者のハードルも上がってきてもやむを得ないのかもしれない。

■ナイオ・マーシュ『オールド・アンの囁き』

 
 ナイオ・マーシュ『オールド・アンの囁き』(1955)は、久しぶりに翻訳されたナイオ・マーシュの長編。『道化の死』から14年ぶりの刊行だ。クリスティー、セイヤーズ、アリンガムと並んで英国女性「四大作家」と称させられるのに、その著書の3分の1程度しか訳されていない現状は、不遇といってもいい。1955年度の英国推理作家協会賞の最終候補となったこの秀作で、紹介が勢いづいてほしいものだ。
 『オールド・アンの囁き』は、英国の田舎を舞台にした田園ミステリ。作家は、演劇界などの小集団の中の事件を好んで描いているが、本書もそうした作品の一つ。
 四つの旧家が住むスウェヴニングズという村で、サー・ラックランダーが自叙伝の原稿を託し病死するが、その原稿を託された大佐が頭を殴られて殺される。その傍らには、地元の伝説的な巨大魚「オールド・アン」が釣り上げられて転がっていた。レディ・ラックランダーの要請で、ロデリック・アレン主任警部が呼び寄せられるが、事件の背後には何やら容易ならぬ隠しごとが横たわっているようだ。アレン主任警部の地道な捜査は、魚の鱗という意外なものを手がかりにして、入り組んだ事件を丹念に解きほぐしていく。
 スウェヴニングズ村の住人が個性豊かだ。何もかも見通しているかのような迫力を感じさせるレディ・ラックランダー、その夫妻の息子で貴族の継承者だが人妻と火遊びを続ける男ジョージ、その愛人的役回りの死んだ大佐の妻、無類の猫好きで周囲とのもめごとのタネになっている住人、アルコール中毒の一人身の男、結婚への障害が立ちはたかる若い男女…。冒頭から出てくるケトル看護婦といった庶民にも、その人物にふさわしいユニークな性格と「声」が付与されている。看護婦は、冒頭で村を眺め、家や木や職業を示す小さな挿絵が周囲に描かれる古風な「絵地図」を思い起こす。
 本書は、スウェヴニングズという村が主人公といってもいい。マーシュは、いかにも英国風な階級への信仰が根付いている村、「全員がおたがいの顔を知っており、何世紀もその状態を続けている」小世界を設定し、厳密な性格付けをされた面々を放り込み、そこで発酵・醸成していく愛憎や葛藤、秘密を自然に練り上げ、ミステリとして構成している。
 曖昧な書き方になるが、犯人が、プロットが指し示していそうな方向とは、別の角度から登場してくる点に意外性があり、同時に、小説全体の完成度を高めてもいる。犯人の「声」は、やはりこの村という舞台でしか生じ得ないものなのだ。
 実は、本作は、今年4月に、ナイオ・マーシュ『裁きの鱗』(風詠社)として、松本真一訳が出たばかり。久しぶりのマーシュなだけに、企画がかぶってしまったのは残念だ。

 『裁きの鱗』』
 出版社:風詠社
 著者:ナイオ・マーシュ
 訳者:松本真一
 発売日:2021/04/07
税込: 1,540 円

■J.S.フレッチャー『ベッドフォード・ロウの怪事件』

 『ベッドフォード・ロウの怪事件』
 出版社:論創社
 著者 J・S・フレッチャー
 訳者:友田葉子
 発売日:2021/06/07
税込: 2,860 円

 本書『ベッドフォード・ロウの怪事件』(1925)は、論創海外ミステリでは、単独の長編としては『亡者の金』(1920)、『ミドル・テンプルの殺人』(1919)に続く3冊目。戦前に『弁護士町の怪事件』として抄訳がある。
 長編探偵小説を量産した英国の長老で、戦前には我が国でも人気を誇ったフレッチャーだが、その後の邦訳は乏しいので、フレッチャー流を味わうには適した一冊だろう。
 弁護士事務所が多くあるロンドンのベッドフォード・ロウで、ヘンリー・マーチモントという老弁護士が殺された。マーチモント弁護士は、かつて株の取引で地方都市の住民に大損害を与えた男ランズデイルと遭遇し、その夜、彼の弁明を聞くことになっていた。主人公のクリケット選手リチャード・マーチモントは、老弁護士の甥で遺産継承者、彼には結婚を約束した恋人がいたが、彼女はランズデイルの娘だった。果たして、婚約者の父は殺人者なのか。そんな疑いのさなか、ランズデイル父娘は失踪してしまう。
 『ミドル・テンプルの殺人』と同様、アマチュアを主人公にしているが、とにかく、フレッチャーの長編は、スピーディーで「調子がいい」。父娘の失踪後も、すぐに娘から監禁されている旨の通信があり、リチャードは、地方の町へ単身乗り込み、厳重な警戒がされている邸宅にたどりつく。怪しげな男たちとの一幕を経て、再びロンドンへ。なかなか迫力のある死因訊問の法廷へとストーリーは続いていく。もう一方の探偵役、リヴァースエッジ部長刑事との共同の探索のうち、関係者の意外なつながりが浮かび上がり、最後に真犯人は姿を現す。この流れるような、停滞のないストーリー展開は、フレッチャー長編の強みである。一方で、本格的な謎解きは顧慮されない。真犯人が捕まるのは、遅すぎる目撃証言によるものにすぎない。部長刑事が捜査情報を惜しげもなくリチャードに伝え、共同捜査のようになるのも現代の読者には了解しがたいだろう。
 こうした謎解きよりも捜査に重点を置いた小説は、映画やドラマなども含め、フレッチャー以降も連綿と量産されてきたおかげで、捜査小説の元祖ともいえるフレッチャーは埋没してしまった感は否めない。
 ただ、現代の捜査物が何らかの新味を加えるべく汲々としているのを横目でみると、リアリズムは取っ払って滑らかに進む捜査小説に一種の爽快さがあるのも事実だ。フレッチャーの小説はこうしたミステリの原初的愉しみを体現しているともいえるのだ。 

■レックス・スタウト『ネロ・ウルフの災難 外出編』


 論創海外ミステリのネロ・ウルフ短編集第二シリーズは、ウルフの嫌いなものをテーマにしている。第一集は、『ネロ・ウルフの災難 女難編』だったが、本集は、「外出編」。三編の中編にスタウト作品から「外出を巡る名言集」を収める。
 大の外出嫌いで、巨漢の安楽椅子探偵のイメージが強く、助手のアーチー・グッドウィンばかりが駆け回っているような印象が強いネロ・ウルフ作品だが、訳者のあとがきによれば、「意外なことに、実際には事件の半分ほどでウルフは外出している」とのこと。それでも、外出自体を呪っていることは確かで、このコロナ禍にあってもビクともしなかっただろう。
 そんなウルフだから、外出するのにも強力な理由がいる。「死の扉」では、ウルフ邸の屋上の蘭の世話係セオドア・ホルストマンが母親の危篤で実家に帰ってしまい、蘭の専門家がどうしても必要になってしまった、というウルフにとっては深刻な理由。ウルフは、決死の覚悟を決めて、アーチーとともにお目当ての専門家が働く富豪の家に繰り出すが、当然のごとく殺人事件に遭遇してみせる。ウルフらは邸から一度追い出されるが、冬の森を何度も転倒しながら行軍するという涙ぐましい努力を経て、再度邸を訪問し、少々荒っぽい訊問を経て、殺人犯をつきとめる。よほど空腹だったのか、大量の食事を外食し、皮肉の一つもいわないウルフがおかしい。
 「次の証人」では、ウルフが外出しているのは、裁判の検察側証人として。これはウルフにとってもやむを得ない外出だ。しかし、証言の為に法廷に詰めていたウルフは、隣の女の香水がきついという理由で、あろうことか裁判所を抜け出し、被害者の女性が勤務していた電話応答サービスの事務所に捜査に赴くことになる。実際には、裁判の被告人が真犯人かどうか疑問を抱いたのだ。ウルフには法廷侮辱罪で逮捕状が出され、家にも帰れない。ファミリーの一員である探偵ソール・パンサーの家で一夜を明かしたウルフは、法廷で自らの嫌疑を晴らすとともに、被告人の無罪を証明する賭けに出る。
 「ロデオ殺人事件」では、ウルフは、アオライチョウの雛の料理を食べたさにアーチーの恋人リリー・ローワン邸まで出向く。ビルのペントハウスにあるローワン邸のテラスでは、投げ縄競技会が開催されている。カウボーイが馬に乗ってNYの街中を走り、地上100フィートの高さからの投げ縄の腕を競うという催しだ。ウルフは、お目手当の昼食をたいらげてさっさと帰ってしまうが、女癖の悪い資産家が物置小屋で絞殺されているのが発見され…。カウボーイ、カウガールらが容疑者になるが、お約束のウルフ邸の関係者集合で、ウルフは謎を解き明かす。カウガールの一人が攪乱要素になり、アーチーも困り果てるのだが、最後の手紙を読めば、アーチーならずとも彼女を赦してしまうだろう。

■ジョージ・シムズ『女探偵 ドーカス・デーン』


(http://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca15/741/)
(画像をクリックすると〈書肆盛林堂〉の該当ページに飛びます)

 ホームズの女性ライヴァルたちの紹介にも精力を注ぐ「ヒラヤマ探偵文庫」12は、ジョージ・シムズ『女探偵 ドーカス・デーン』。1897年に刊行されたDorcas Dene,Detectiveは、『クイーンの定員』22番目として選定されている。本書は、この第一作品集と合わせて1898年に刊行された続編Dorcas Dene,Detective,Second Seriesを収録した決定版。一つの事件は、2~3の章で構成されており、第一短編集では5編、第二短編集では4編の短編が収録されている。
 ヴィクトリア朝時代の女探偵は、最近多く発掘・紹介が進んでいるが、この職業探偵ドーカス・デーンはその代表的存在といってもいいだろう。
 ドーカスは、元女優だったが、画家のポールと結婚して引退。しかし、夫が病で失明するという不幸に見舞われ、仕事に就くことを迫られる。近隣の老私立探偵に探偵の才を見込まれた彼女は、職業探偵として自立したという経歴をもつ。元女優だけあって変装はお手の物、花売り娘にも、老婆にも、小間使い、ジプシー女にも扮し、事件の核心に迫っていく。冒頭の作品では、盲目の夫と義母、愛犬のブルドッグで「四人委員会」で謎を解いていくと説明しているが、その設定は以降の作品ではあまり生きていない。後半に向かうに連れ、彼女の活躍の範囲は広がり、警察はもとより、全英や米国にも、協力者のネットワークを築いているほどだ。彼女が扱うのは上流階級に起きた事件が多いが、時には一文無しの老婦人の依頼にも応じる懐の広さをもつ。ワトソン役は、かつて劇作家としてドーカスと知己のあった私(サクソン)が担当している。
 作者シムズはコナン・ドイルの友人だったそうだが、ドーカス・デーンをシャーロック・ホームズの女性ライヴァルの代表と目されるのは、その設定だけではない。この時代の女性像に典型的なか弱さはなく、その推理にはキレがあり、行動は迅速、決断力に富んでいる。
 事件は、家庭の秘密を題材にしたものが多いが、変装で重要な証言を引き出し事件の真相をすぐに掴むという類の作品ではなく、同時代の探偵小説としては、相当の水準にある。
 例えば、冒頭の「四人委員会」「ヘルシャム事件」では、貴族の失踪事件を扱っているが、その失踪の理由は杳としてしれない。ドーカスは独自の調査を進めるのだが、その真相はトリッキーで意外性の強いものだ。「ダイヤモンドのトカゲ」「ピンの刺し跡」では、宝石盗難の事件で継息子の犯行が疑われるが、その盗まれた宝石をある若い女性が身に着けて現れるという意外な出だし。「ハーヴァーストック・ヒル殺人事件」「茶色の熊のランプ」は、殺人容疑の男をドーカスが救い出すという話。近所で捕まったコソ泥事案や謎の紙幣の発見が事件に関わりがあるのは確かだが、その関係を容易に掴ませず、大胆な真相を暴いてみせる。「バンクホリデーの謎」「茶色の紙切れ」では結婚間近の娘の失踪を、「女王陛下の御前に」「名無しの権兵衛」では過去の罪を暴く脅迫事件を扱うが、やはり事件の構図はおぼろに見えても、真相にはなかなかいきつけない。手がかりにも気を配られ、例えば、不倫事件を扱った「不倫の相手」「ハンカチの袋」でみせるハンカチの袋という意外な手がかりの解釈には感心させられる。
 「行方不明の王子」「貴賤結婚」「リージェンツ・パークの家」は、王子の失踪とアナーキストとの攻防を描いた世紀末大捜査網的作品で、「謎の億万長者」「空き家」「戸棚の洋服」では、空き家で息を呑むような場面が用意されているなど作品ごとの見どころも多彩。
 センセーショナル・ノベル的題材に理知と行動で立ち向かって、常に勝利を得る女探偵ドーカス・デーンは、忘れてはいけない存在だろう。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita


 『裁きの鱗』』
 出版社:風詠社
 著者:ナイオ・マーシュ
 訳者:松本真一
 発売日:2021/04/07
税込: 1,540 円

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