Les Rescapés du « Télémaque », Gallimard, 1938/3/19(1936/12執筆)[原題:《テレマック号》の生存者たち]
・« Le Petit Parisien » 1937/6/25-7/24号
The Survivors, Black Rain所収, translated by Stuart Gilbert, Penguin Books, 1965 (Black Rain/The Survivors)[英]*[生存者たち]
(無題), Les romans durs 1937-1938 T3所収, 2012* 1ページ足らずの端書き。上記の英訳版『Black Rain』には未収載。解説文に拠ると« Le Petit Parisien »紙で連載が始まる前日、1937年6月24日号の同紙に掲載された文章とのこと。
Tout Simenon T20, 2003 Les romans durs 1937-1938 T3, 2012

 何事にも因果関係があるというが、世界中の港において、帰港する船があれば出港する船も同じようにある。フェカン港のニシン漁船もまた同じだ。
 実際、《ケンタウロス号》が帰港するまでどのような出来事があったのかは、ごく些細な違いを除けば、言及の価値もないだろう。
 いうまでもなく、そのトロール船が水平線に姿を現す前から、誰もがその船が帰途についていることは知っていた。東の空にぼんやりとした光が見えたが、まだ夜明けというには早かった。船は、遠くの沖合でうねりに揺れ、マストの先のランタンが朝の煙りに曇っていた。そして、まだ開店しておらずシャッターの閉まった《アドミラル・カフェ》の店内では、ランプが灯り、椅子やテーブルが積み上げられ、タイル張りの良質な床の中央には、黒ずんだバケツが置かれていた。
「急げ!《ケンタウルス号》はあと1時間もしないうちに来るぞ!」と店主のジュールは店員のバベットにいった。
 汚れた雑巾を持ってひざまずいていたバベットは、その両足が木靴からはみ出し、濡れたエプロンは彼女の小さな腰にぴったりとまとわりついていたが、店主の声で顔を上げた。(仏原文/英訳文から瀬名の試訳)

 おお、面白いじゃないか! 読書の楽しみが帰ってきた! 
 今回からシムノン第二期のロマン・デュール作品(ノンシリーズの硬質長編小説)を読み始める。最初の1冊は、1936年12月にシムノンがオーストリアの山岳リゾート、チロル地方のイーグルス村Iglsで執筆した『Les Rescapés du « Télémaque »[《テレマック号》の生存者たち](1938)だ。
 経緯を振り返っておこう。シムノン第一期の集大成、長篇『ドナデュの遺書』第58回)が書かれたのは1936年7-8月、シムノンがしばしば訪れていた南仏ポルクロール島でのことだった。このときスペイン内戦が勃発している。
 その後、シムノンは久々にメグレシリーズを思い出して筆を執った。同年10月、短篇のメグレものを一気に9作(おそらくは1日1作のペースで!)書き上げる(第61回)。後の中短篇集『メグレの新たな事件簿』(1944)に収録される冒頭9篇の第1シーズンがそれだ。
 そして2ヵ月後の同年12月、シムノンはチロルへ冬のバカンスに赴き、その地で本作を書いたと考えられる。
 第二次大戦前から戦時中にかけてシムノンはガリマール社と出版契約を交わしていた。よって本作もガリマール社から出たのだが、このガリマール時代は執筆と刊行の順番が錯綜している、という特徴を心に留めておきたい。その原因がシムノン側の指示や要望にあったのか、ガリマール社側の戦略ゆえだったのか不明だが、『ドナデュの遺書』のような勝負作が率先して早めに刊行されたことを除けば、あとはてんでんばらばらの順番に本が出たように見える。だが幸いにしてこのころから、各作品がそれぞれいつころどこで書かれたのか、先達研究者らの丹念な調査によって判明しているので、本連載では基本的に執筆順で読んでゆくことにしよう。
 それで本作だが、読んでいてふしぎな昂揚感にとらわれた。既視感があるのに、新しい。先月までペンネーム時代の若い作品を読んでいたわけだが、本作にはその面影が感じられる。というのも、本作は殺人事件の犯人を捜すひとりの男の物語であり、彼は真実を求めてあちこち動き回るので、その過程がペンネーム時代の探偵ものの構造によく似ているからだ。彼は何度も予審判事や、事件を追う警視と遭遇し、ときに互いに疑念を抱き、ときに協同し合うので、メグレ前史のころに戻ったかのような物語構成なのである。
 それでいて、舞台である北の港町フェカンやディエップの描写が、ペンネーム時代とは見違えるほど素晴らしい。また各キャラクターの掘り下げも実に豊かだ。ここにはやはり年月を重ねて青春時代を通り抜けた、大人のシムノンの筆致がある。これぞシムノン、まさにシムノン! と歓声を上げたくなる。
 すなわち本作は狭義のミステリーとして読めるが、同時にやはりシムノンならではのロマン・デュールなのだ。『ドナデュの遺書』を書き、メグレの短篇に戻って遊んだ後の、作者の心の余裕が感じ取れる。本作は脇役として登場する警視役をメグレに置き換えても充分に成立する。ということは、ロマン・デュールとメグレものの幸福な融合のかたちがここにある。
 そして何より、本作は良質のエンターテインメントだ。シムノンは第二期のメグレ長篇群でもエンターテインメントとしての充実した才能を開花させたが、ロマン・デュール分野でもその娯楽性が宿ってくるようになったのではないか。
 本作は、ふだんのシムノン作品より、少し枚数が多い。こんなところにも大作『ドナデュの遺書』の熱気が残っている気がする。だが物語自体はシンプルだ。はたして沈没した《テレマック号》の生き残りのひとりであるフェヴリエという男を殺したのは誰か? 話の焦点はこのひとつに尽きる。

 北の港町フェカンに、ニシン漁船《ケンタウロス号》が帰ってきた。船主のパサール氏をはじめ、多くの人が帰港を歓迎した。また数日経てば、《ケンタウロス号》は準備を経て次の漁へ出向くことになる。だがそこで騒動が起きた。警察署長が船員のピエール・カヌー33歳を逮捕したのだ。この唐突な事態に、ピエールの双子の弟、シャルル・カヌーは驚く。市庁舎へ連行される兄を追い、シャルルは署長が市長らと話し込むのを立ち聞きした。兄のピエールは手錠を嵌められている。予審判事ラロシュ氏からの報せによると、フェカンに数年前から住みついていたエミール・フェヴリエという老人が前夜、2月2日に自宅のヴィラで喉を切られて殺され、その第一容疑者がピエールだというのだ。市長はピエールに「本当におまえが……?」と尋ねるが、ピエールは「いえ、私はフェヴリエ氏を殺していません」と答えただけで、あとは何も釈明しようとしない。ピエールはルーアンの刑務所へと送られることになり、弟のシャルルにとってはまったく納得がいかなかった。
 兄弟ふたりはフェカンで育ったが、性格や能力は対照的だった。兄のピエールは少年期から力も強く、町の誰もが尊敬する一流の船長となったが、弟のシャルルは生まれつき体が弱く、しかし頭脳は兄よりも勝っていたので、いまはフェカンの鉄道員として働いている。家には老いた母がおり、ときおりルイーズおばや従姉妹のベルトらが世話をしに来てくれる。シャルルは先ごろ《アドミラル・カフェ》の金赤毛の店員バベットと婚約し、近く結婚することになっていた。シャルルの毎日は船乗りの兄と違って判で捺したように規則的だったが、仕事帰りに《アドミラル》へ立ち寄って隅のテーブルに座り、そして夜が更けて客が少なくなったころ、手の空いたバベットと談話するのを楽しみにしていた。
 治安判事は、《ケンタウロス号》が帰港してピエールが自宅に戻ったその夜、彼がこっそり家を抜け出してフェヴリエ老人宅に行き、ジャックナイフで相手を切り裂き、金品の盗みを働いたのだと推察していた。現場に残されていたナイフは船員のものだった。しかし弟のシャルルには、その夜に兄が出て行った気配はまったく感じられなかった。
 シャルルは兄を心配し、自分の力で何とか事件を解決できないものかと願い、独自の調査を始める。どうやら兄は、帰港した日の夜に《アドミラル》へ行き、主人のジュール気付で届いていた手紙を受け取ったそうだが、内容はわからない。だが事件が大きく新聞報道され、シャルルはそれら一連の記事を読んで、亡くなった自分の父も関係する忌まわしい過去の因縁があったことを知った。
 1906年、《テレマック号》という漁船がリオ・デ・ジャネイロで沈没し、6名の船員が同じ小舟で脱出した。そのうちひとりはすぐに命を落とし、残りの者たちも食糧が尽きて衰弱していった。4週間後、英国貨物船が彼らの舟を発見したとき、生存者は4人しかいなかった。5人目の船員は手首に深い切り傷があり、救助時にはすでに死んでいたのだ。
 生き残った4名とは、当時36歳で甲板長だったエミール・フェヴリエ、20歳の船員マルタン・ポーメル、26歳のジャック・ベルニケ、36歳の船大工アトワーヌ・ル・フルム。そして死者は24歳だったピエール・カヌー、すなわちピエールとシャルル兄弟の父親である。なぜカヌーは死んだのか? 事情聴取が当時個別におこなわれたが、カヌーは精神錯乱のため自分の手首をナイフで切り、数日間生き延びたものの、救助の手が差し伸べられる前に亡くなったと判断された。しかし、生存者のひとりフェヴリエはなぜか数年前に密かにフェカンへ移転して暮らしており、彼の喉を切ったナイフは当時のカヌーのものだった。
 すなわち今回の事件でピエールに容疑がかかったのは、本当は当時の生存者4名が共謀してカヌーを殺し、その血を啜って生き延びた、だから父の復讐のために息子のピエールが生存者を殺したのではないか、と思われたためだった。
 この因縁はいまのフェカンに複雑なかたちで残っている。生存者のひとりポーメルは後にフェカンへ居を移し、その20歳の息子は「波止場の溝鼠」と渾名される田舎青年に育ち、バベットに気があって《アドミラル・カフェ》によく顔を出している。残りの2名は遠方に隠居して、もはや今回の事件とは無関係だが、つまり3名の関係者とその家族はフェカンに集まっていたことになる。
 フェヴリエは当時、いったんグアヤキルに身を隠し、そこでジョルジェット・ロビンという女性と結婚したらしい。その後離婚してフェカンに移ってきたものの、フランスの法律上ではその離婚が証明できないらしく、彼女は資産目当てに彼を追ってフランスにやって来ていた。フェヴリエが死ねば遺産相続の手続きが発生する。彼の自宅だったヴィラも資産に入る。だが何者かがフェヴリエの遺書を入手し、ルーアンの判事宛に郵送していた。そこには遺産のすべてはカヌー未亡人に譲ると書かれていたという。このように複雑になってくると、誰が何の目的でフェヴリエ老人を殺したのかわからなくなってくる。
 シャルルは兄が収監されているルーアンへ行って裁判を傍聴したり、当時の事情を知る者を捜したりして、兄の容疑を晴らそうと努力を続ける。ルーアンで事務処理に当たるラロシュ判事や、事件担当者としてフェカンに通うジャンティル警視とも話し合い、疑惑をひとつずつ払おうとする。だが生来の頭のよさのためもあって、シャルルは何度も自問自答しながら状況を整理し直すものの、ときには弱気に駆られ、また病弱でベッドに寝たきりの母の容体も気遣い、どうすればよいかわからなくなる。
 だがついに事件解決の糸口となる話を聞き出し、警視からも電話の情報を得て、彼は犯人が誰であるかを直感した。その人物は夜汽車で別の港町ディエップに向かおうとしていた。そこから英仏海峡を渡るニューヘイヴン行きのフェリーに乗って逃走するつもりに違いない。シャルルは間一髪のところで汽車に間に合い、相手を追跡する。彼は兄の汚名を晴らすことができるか。雨のディエップでシャルルは何を目の当たりにするのか? 

 シムノンは新聞連載に先立って、ごく短いエッセイを同紙に寄せ、本作『《テレマック号》の生存者たち』を書き始めた経緯を回想している。当時シムノンは雪原の広がるチロルに滞在していたのだが、そうした光景を眺め、理想的な澄んだ空気を吸っていて、不意にニシンの塩焼きの匂いとは切り離せない、かつて自船《オストロゴート号》を建造した、他地方の冬景色へのノスタルジーが湧いてきた。ニシンの匂い、若いノルマン人の船員たち、つねに雨で黒く染まった町……。そこでシムノンは窓のブラインドを閉め、大きな土鍋のストーブの横で、この物語を書くことになったのだ。すぐ近くで他の観光客がスキーを楽しんでいる場所で、塩水の匂いを思い出しながら書いたのだという。
 小説のタイトルにもなっている「テレマックTélémaque」とは何だろう? テレフォンとマッキントッシュの合いの子か? 読み始める前にウェブ検索して初めて知ったのだが、テレマックとはギリシア神話の登場人物のひとりで、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』に登場する英雄オデュッセウスの息子、テレマコス王子のことである。17世紀から18世紀にかけて生きたフランソワ・フェヌロンという聖職者が、自分の生徒であった少年期のブルゴーニュ公のために書いたとされるのが、このテレマコスを題材にした長篇小説『テレマコスの冒険』(1717)だ。テレマコスはトロイ戦争から帰って来ない父を捜すため、父の家臣であるメントルと長い冒険の旅に出て諸国を巡り、さまざまな話を聞き、そして最終的に父と再会する、という物語で、作者のフェヌロン自身も当時ルイ14世から宮廷追放の艱難辛苦に見舞われており、専制政治の批判書として、あるいは家父とその息子の関係性を説く道徳の書として、いまに至るまでフランスで広く読まれ続けているそうだ。また日本でもいっときは翻訳がやはり広く読まれたという。
 全訳『テレマックの冒険』(全2冊、現代思潮社)も出ているが、私は『ユートピア旅行記叢書4』(岩波書店)所収の抄訳版「テレマコスの冒険」で読んだ。父と子、というモチーフではなるほど繋がりがあるとはいえるが、それ以上に本作と何か深い意味があるかどうかは私には読み取れなかった。本作で沈没する船の名は《テレマック号》でなくてもまったく構わないだろうし、わざわざその船名をタイトルに掲げる必要もない。だから英訳版ではたんに『The Survivors[生存者たち]となっている。シムノンが船の名を《テレマック号》にしたのは、書いている途中で頭に閃いたちょっとした連想、思いつきにすぎなかったのかもしれない。
 もうひとつフェヌロンの古典とは別に、フランスのルイ・アラゴンという作家が、同じタイトルの『Les Adventures de Télémaque[テレマックの冒険](未訳)という小説を1922年に出している。シムノンよりやや先輩の作家だが、1982年に亡くなる最晩年まで作品を発表したので、シムノンとは活動時期が重なっており、実際『《テレマック号》の生存者たち』が執筆された1936年にも、アラゴンは自身の代表作のひとつとなる長篇『お屋敷町』(集英社)を発表している。私はアラゴン版『テレマックの冒険』を読んでいないのでわからないが、ひょっとするとシムノンはルイ・アラゴンの本のことも知っていて、連想のきっかけになったかもしれない。
 さて、物語の大半は、主人公シャルルが真実を求めてフェカンやルーアンをうろうろ歩き回る描写に費やされる。その点ではペンネーム時代の探偵ものと同じなのだが、やはり成熟したシムノンの筆は、そうした行ったり来たりの繰り返しであってさえ充分に読ませる。そこにときおり挟まれる港町フェカンや、古い歴史を持つ内陸の都市ルーアンの風景描写が抜群によい。フェカンはニシンの匂いが漂っているが、決してそれは腐臭ではない。夜は霧で街灯が滲むが、朝になったからといって明るくなるわけではない。つねに曇った空と湿った空気が町に満ちている。それでもシャルルが事態に行き詰まって夜の港へ赴くと、穏やかだが鋭い洞察力の持ち主であるジャンティル警視が肩を叩き、「気晴らしかい?」と優しく声をかけてくる。目に浮かぶとはまさにこのことだろう。殺されたフェヴリエのヴィラは町の外れにあり、中年の家政婦タティーヌはまだそこに住んでいるので、夜には窓に灯りが点る。その周囲は暗闇だが、少し行った先に50歳代のフラマン女、エンマが経営しているタバーンがあり、フェヴリエはそこに通っていて、夜にはやはりその窓が灯る。闇のなかの孤独な光が、実際に遠くに見えるかのようだ。その色合いや灯りの大きさ、明るさまでも、私たちはありありと感じ取れる。ルーアンでシャルルはある人物を追って豪華なホテルに泊まり、やはりいままで入ったこともないほど高級なカフェに行ったりするのだが、客の多い店内で後ろに座る相手の会話に耳を欹てつつ、そのときバンドが「Blue Danube(美しく青きドナウ)」を演奏していた、などといったひと言のディテールが、そっけないほどでありながら、揺蕩う雰囲気を一瞬で私たち読者に伝えてくれる。
 これまで読んできたシムノン作品のモチーフが、随所に登場することに気づかれることだろう。ディエップとニューヘイヴンを繋ぐフェリーは『倫敦から来た男』(第41回)であるし、フラマン女といえば『メグレ警部と国境の町』第14回)だ。本作を読んでいるとそれら既存の作品の印象が重なって、簡潔な文章であるのにもかかわらず、深い奥行きが感じられる。しかもそれらの印象がたんなる焼き直し、繰り返しではなく、さらに厚みが加わって響いてくるのだ。物語のクライマックス、シャルルが相手を追う雨のディエップのシークエンスは、ひとつひとつのシーンが実に豊かに生命を湛えている。そうしたなかでときおりシャルルがまったく不意に、フラッシュバックのように、あるシーンを何度も思い出す。それが何であるかを書いてしまうのは野暮なのでやめておくが、これが見事な効果を上げている。
 警視役のジャンティルは、全体を通してごく控えめな活躍しかしないが、その名の通り(Gentil=親切な、感じのよい、善良な)渋い優しさを湛えたバイプレイヤーである。年季の入った名俳優でなければ決してこなせない役だろう。
 そしてピエールとシャルルというふたりの関係性だ。第1章で、彼ら兄弟のことを、次のように表現している場面がある。

「まるでシャム双生児のようだった。一方がいなくなればもう一方も生きられない。ふたりは完璧なチームだったんだよ。逞しい筋肉は兄が、明晰な頭脳は弟が担っていた」

 物語を読んでいる最中は、このふたりがさほど似ているとは思えないのだが、ラストシーンに至ってこの何気ない冒頭部分が効いてくる。どれほど強くふたりの心の絆が繋がっていたか、最後になれば読者にもはっきりと感じられるようになっているのだ。
 すなわち、すべての登場人物が生きている。ペンネーム時代のシムノンとは大きく異なる素晴らしい特長だ。彼らの呼吸が、その吐いた息が小さな渦をつくって寒々しい港町の大気をほんの少し動かすそのさまさえもが、手に取るようにわかるのである。それでいて本作はエンターテインメント、すなわち犯人捜しのミステリーなのだ! たとえば海外ミステリー小説ファンに薦める最初のシムノンとして、本作はまさにうってつけの一冊だと確信する。
 しかも、この物語は、なんとハッピーエンドで終わる。ささやかだが清々しい希望と未来への期待とともにポワン(ピリオド)が打たれる。シムノン作品としては珍しいことだ。
 そして続編は書けない。だからこそ本作はメグレものではなくて単発のロマン・デュールなのだ。空は曇って太陽は見えなくとも、主人公シャルルは本を閉じた後に一歩踏み出す。私たち読者も同じ気持ちで、明日の朝を迎えるだろう。

 今回で、シムノン全集第20巻の攻略を完了した。全27冊のうち16巻から20巻までの5冊を読み終えたことになる。あと22冊残っている!

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。
 文理の枠を超えた「パンデミックと総合知」をテーマに、母校・東北大学の研究者らとの対話連載を展開中。記事構成は翻訳家・サイエンスライターの渡辺政隆氏(https://web.tohoku.ac.jp/covid19-r/people/)。




 
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