■レジス・メサック『探偵小説の考古学』

 解題・索引まで含めると800頁近い探偵小説史の大著が刊行された。快挙である。
 本書『「探偵小説」の考古学』(1929)は、フランスの小説家、ジャーナリストであるレジス・メサックの手による。原題は、『「探偵小説」および科学的思考の影響』、博士論文として800部自費出版された。メサックは、自伝小説、SF等多分野にわたって執筆をしたが、二次大戦でフランスがドイツに占領されると、レジスタンス運動に参加、ドイツの複数の強制収容所を経た後、消息を絶ったという。
 本書は、日本でもその存在を知られ、江戸川乱歩が晩年、世界探偵小説史を書く構想を抱いたときに、下訳をさせたという曰くある本。本書がベンヤミン『パサージュ論』やカイヨワに与えた影響は解題に詳しく、探偵小説史でありながら、都市論や文学論などの射程も備えた本だ。
 本書に与えられた訳題『「探偵小説」の考古学』は適切だ。本書は、副題に「セレンディップの王子たちからシャーロック・ホームズまで」とあるように、ポー以前の探偵小説の淵源を探り、おおよそホームズで終わっている。
 それにしても、本書は、博引旁証にして、自らいうように「衒学趣味が横溢しすぎている」。読み進めるうちに、圧倒的威容を誇る大伽藍の各部屋を彷徨うような気分になってくる。
 序論において、筆者は、「探偵小説(ディテクティヴ・ストーリー)」(以下「探偵小説」と略す)を「謎物語(ミステリー・ストーリー)」とを厳密に分け、「探偵小説」を次のように定義する。
 「合理的方法によって、ある謎めいた出来事の正確な状況を、体系的かつ段階的に発見する過程に割かれている物語を指す」
 乱歩の探偵小説の定義との共通性を感じさせるではないか。
 
 全体は、六部構成。第一部「フィラーサの秘宝」は、ヴォルテール「ザディーグ」( 1747)の元ネタを探す旅。「ザディーグ」の第三章は、探偵小説の起源とする人もいる(クイーンも『クイーンの定員』で黎明期の番外として同書を挙げている)。主人公が逃げ出した犬と馬の特徴を観察と推理で言い当てる話。この話は、「セレンディップの王子たち」の寓話を下敷きにしているが、それにはイタリア語の原典、さらにペルシア語の原典があり、『千夜一夜物語』まで行きつく。さらにその先にはアラブのテクスト、ユダヤのテクスト、インドのテクストがあり、探求はギリシャにまで届く。著者は、探偵小説の最も遥かな起源の時点で、科学および科学的精神と面と向かい合うことになる、としている。
 ちなみに、ゴシック小説の祖ウォルポールが「セレンディップの王子たち」の寓話から、「セレンディピティ」(素敵な偶然に出会う、予想外のものを発見する)という新しい英語の語彙をつくったという、いい話が本書にも書かれている。
 第二部は、悪漢小説や『セビリアの理髪師』の著者ボーマルシェのエッセイ(見事!) に見られる「ザディーグ」の方法論を紹介し、シラーのいまだ未成の探偵小説の方へ接近した『見霊者』(1789。降霊術があり、トリックがあり、推理がある)を分析する。続いて、これも今日的探偵小説に接近しているラドクリフ夫人の『ユードルフォの謎』(1794)などを詳述。(著者は、探偵小説の形成に彼女が果たした役割については、「買いかぶり」とする)、さらには、ゴドウィン『ケイレブ・ウィリアムズ』(1794。「終わりから物語を作る(ウォーキング・バックワーズ)という方法を明確に意識し、体系化した」)、アメリカの作家C・B・ブラウンの『ウィーランド』へ。
 第三部は、「ザディーグの方法」のような帰納的推論が古代の観相学に由来していることを確認しつつ、クーパー『最後のモヒカン族』(足跡に対する推論がなされる)、バルザック「コルネリウス卿」『暗黒事件』(「彼は最もわれわれの形式に近づいた」)、『ヴィドック回想録』さらには、バルザックの登場人物ヴォートランへ記述はつながっていく。幾つかの道筋をたどって探偵小説の完成に向け沸点に達しそうな作品を分析、概観した後、第四部でイギリスのニューゲイトノヴェルに続き、いよいよポーが登場だ。ポーがコドウィンの方法に強い影響を受けたことを再度強調し、W・H・ライト(ヴァン・ダイン)の見解も交え、ディケンズの小説に対する評論や「メルツェルのチェスプレイヤー」などからポーの方法を探る。
 「盗まれた手紙」「モルグ街の殺人」に至る以前において、探偵小説は形成過程にあり、「この二篇の小説の後には、探偵小説が完成していた」と著者はいう。これは、今日では常識の類だと思われるが、形成過程の探偵小説を博捜し、その成熟と未成熟を分析してきた著者ならではの重みがある断定だ。
 ホームズに関しては「デュパンの後継者のうち、最も有能かつ有名なのはホームズであるが、彼は、しばしば盲目的にデュパンを真似しているだけである」と手厳しい。「ポーの後では、こうした添え物以外に新機軸としてなにが残されているというのか」「デュパンの登場以降、科学的思考の直接的影響はその内実にほとんど変化がない」
 ここまでは、ポーの作品という一点に向かって収束していく諸力を検討してきたのに対し、第五部と第六部は、探偵小説がこれ以降は広範な人々に開かれ、分散していく姿を概観・分析する。
 第五部は主として、フランスの新聞小説に多く言及されている。フランス人によるポーの「モルグ街の殺人」翻案が盗作の汚名を着せられ、翻案者は、これはポーの作品だという抗弁で、一躍この米国作家の名前が響き渡ったというエピソードなども面白い。第六部は、アメリカのダイム・ノヴェルという形式で誕生したニック・カーターやシャーロック・ホームズの輝かしい成功を扱っている。
 結論部では、刑事小説の将来について、「瀕死のジャンルとして、遠からずその過剰と凡庸さによって死に絶える運命にあるのか、それとも逆に、このジャンルの運命はいまだその序章の段階にすぎないのか」と自問しているが、90年を経た今日、その結果は明らかだろう。
 本書は、「このジャンルはあまり真面目に受け取られてこなかった」1929年という時期に書かれた論考で、その後の研究で部分的には乗り越えられたところも多いのかもしれないが、遥かギリシャの時代までを望み、科学的思考と探偵小説の関係を体系的に跡付けた先駆的で、マイルストーン的な研究だ。
 やや自国びいきを感じるところもあり、レ・ファニュへの言及がなかったり、コリンズの低評価など気になるところもあるが、30代半ばでこの大著を物した著者の知的体力には畏敬の念すら覚える。
 縦横に張り巡らされた知識と調査、衒学的な書きぶりは、もっぱらこちらの力量不足によって、論の筋が追いきれなくなるところもあるが、逸脱と迂回それ自体を楽しむというのも、本書の読み方の一つだろう。

■ドリス・マイルズ・ディズニー『黒き瞳の肖像画ポートレート


 まこと、ミステリの紹介は難しい。「意外な解決がある」「サプライズがある」と書くだけで、意外性やサプライズの何割かは減じてしまうかもしれない。だから、予備知識なしでお読みください、とだけ告げたくなる作品がたまにあるが、本書『黒き瞳の肖像画ポートレート(1945)には一層それが当てはまる。どんな種類のミステリなのかさえ、明かすのはまずいような気がする。賢明な読者には、文章はここまでにして本書を手に取っていただくことをお勧めする。警告はしましたよ。

 コネティカット州の小さな町に住む資産家の老女ハリエット・ローデンが病死するところから物語は始まる。生涯独身を貫き、親族を毛嫌いしたハリエットは、その遺言状で一銭も親族には残さなかった。大叔母ハリエットの遺品を整理していたスーザンは、彼女が遺した14冊の日記を発見し、彼女の生涯に興味を抱く。スーザンは、夢中になって大叔母の日記を読み始める。
 手記をもとに安楽椅子探偵的に推理を進めていく手法は、パットマガーの初期作を思わせるところがある。
 ここからは、おおむね日記の記述に沿って、大叔母の生涯が辿り直される。1877年、15歳で日記をつけ始めたハリエットは、両親は亡くしているものの、感受性豊かで溌剌とした少女だ。自らが知っている気難しい老女との落差に驚くスーザンは、ページを捲る手が止まらない。
 19世紀末、ニューイングランドの時代色も豊かに綴られる少女ハリエットの青春は、騎兵隊の若者ロジャーとの初恋と婚約で絶頂を迎える。そして、訪れる悲劇。ハリエットの運命は暗転する。しかし、4年のときが流れ、再び始められた日記には、新たなロマンスが綴られていく。
 恋の高揚、周囲との軋轢、別れの悲しみ等、女性の運命の変転を巧みに綴って、ミステリを読んでいることを忘れさせさせるくらいだ。
 しかし、作者は、一人の女性のロマンスと悲劇を描いた小説で終わらせる気は毛頭なかった。本書の終幕には飛び切りの驚きが待っている。その驚きは、ハリエットの生き方の謎をはじめ読者が抱くであろう数々の謎を氷解させ、日記の中に隠された物語を鮮やかに浮上させる。真相が明らかになるにつれ、題名に示されたエピソードの意味が肺腑にしみわたる。 
 不満もないではない。驚きを小出しにしない書き方もあったのではないか、登場人物のとりうる別の方法もあったのではないか。しかし、一見、サプライズを持ち込み難い小説にみえるだけに、その効果は絶大だ。
 ドリス・マイルズ・ディズニーは、47冊の長編小説がある作家だが、日本への紹介は、2年前の『ずれた銃声』のみ。作者は、『ずれた銃声』のドメスティック/スモールタウン物という明確な特色はそのままに、警察小説であった同作とはまったく違う貌をみせてくれた。

■アーサー・アップフィールド『ボニーとアボリジニの伝説』


 オーストラリアの代表的ミステリ作家アーサー・アップフィールド作品の38年ぶりの翻訳である。邦訳は4冊あり、1982-83年にはハヤカワミステリ文庫で3冊訳されていたが、最近ではネット古書店では高値がついているようだ。本書『ボニーとアボリジニの伝説』(1962) は、29冊のナポレオン・ボナパルト(ボニー)警部シリーズの後期に属する作品。
 舞台は、西オーストラリア。砂漠の巨大な隕石跡〈ルシファーのカウチ〉で死後数日経った白人の死体が発見された。周囲に足跡はない。誰がなぜ、どのようにして死体を運びこんだのか。先住民アボリジニたちに知られることなく、どうやって男は現場にたどり着いたのか。ボニーは、上層部からその男の名前も知らされぬまま、死体の謎を追う。
 広大な砂漠のクレーターの中の謎、そんな舞台だから、ボニーの捜査は、都市の捜査とはまったく異なる。近隣の牧場に食客のように住み込み、荒野をうろつくことになる。
 牧場は、牧場主家族、アボリジニの養女、白人の牧夫、アボリジニの使用人らが住む運命共同体。近くには、アボリジニの部族の野営地があり、さらに周囲には文明化していないアボリジニの部族がある。先住民も一様ではなく、白人と共同生活するアボリジニ、彼らの出身母体である周囲に野営するアボリジニ、そして「野蛮な」アボリジニと、白人との距離や文明化の度合いで、グラデーションがある。それぞれのアボリジニの立ち位置が様々に捜査の壁になる。
 ボニーは、白人の父親とアボリジニの母親の間に生まれ、「アボリジニのように考え、白人のように推論することのできる」男。ボニーの行動が監視されていることが判明すると、酋長ガプガプらは若い男女を連れてきて謝罪するが、ボニーはアボリジニの風俗に関する知識から虚偽であることをあっさり見抜く。
 ボニーの能力は事件の捜査にはうってつけだが、出自ゆえの葛藤もある。(「混血の警官で、それゆえに白人と黒人の両方からさげすみの目で見られてきた男」というくだりがある) 野営地の酋長や呪医も真相を語ろうとはしない。溝は越えられず、遮断幕が下ろされたままだ。マージナルな存在のボニーが自らの力を駆使して、あるときは罠を仕掛け、アボリジニの思考、論理に分け入っていくところに、本書のミステリとしての異色さがあり、妙味がある。
 アボリジニたちによる馬の解体、場違いな仏陀像の発見等を経て、謎はときほぐされていく。事件の解決に、不可能犯罪的な謎解きを期待すると肩透かしではあるが、異色の舞台、環境ならでは解決が施されている。
 謎解き物語よりも生彩を放っているのは、白人とアボリジニ間の立ち位置に苦しむアボリジニの男女。牧場主夫妻の養女テッサは、幼いころ夫妻にひきとられ、白人として育てられているが、最近では部族のウォークアバウトという儀式に参加してしまう。牧場主の馬の調教師キャプテンは、白人から教育を受け牧場主の信頼も厚いが、彼は酋長の孫としての顔ももっている。後半に繰り広げられる命がけの追跡で、テッサが着衣を一枚ずつ脱いで逃げていく場面は、彼女の桎梏からの解放を描いてことに印象深い。
 登場人物が大地の中で息づき魅力的に描かれていること、作中で披露される伝説が物語に深みを与えていること等、本書の美点は多い。ミスター・ラムという羊が主要人物並みに活躍することも付け加えておこう。

■ジョージ・R・シムズ他『英国犯罪実話集』


(http://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca15/773//)
(画像をクリックすると〈書肆盛林堂〉の該当ページに飛びます)

 ヒラヤマ探偵文庫14は、ストランド・マガジンに掲載された犯罪実話記事5編を独自にまとめた一冊。最後の複数執筆者による「史上最も狡猾な犯罪はどれか? 有名犯罪者によるシンポジウム」を除いて、ジョージ・R・シムズの手による記事だ。シムズは、前々回に紹介した『女探偵ドーカス・デーン』の作者で、作中で爆破テロ等の題材をリアリスティックに扱っていたことを思い起こさせる。その文章によれば、刑事や犯罪者にも知己が相当いたようだ。
 「犯罪と犯罪者」は、1894年にストランド・マガジンに発表された記事で、ロンドン警視庁(ニュー・スコットランドヤード)のミュージアムにある犯罪関係の所蔵品を写真で紹介しながら、「ダイナマイトと爆破犯人」「窃盗と金庫破り」「偽金と偽金作り」など犯罪タイプごとに事件を紹介している。「殺人における独創性」は、浴槽の花嫁のスミス事件等を扱っている。シムズが、ポーに「モルグ街の殺人」を書かせ、ルルー『黄色い部屋の謎』がこの謎を解決しようとしているという 「ローズ・デラクール殺人事件」という密室殺人が紹介されているのに注目 (訳者解説によれば、江戸川乱歩「D坂の殺人事件」では明智小五郎がこのシムズの言を引いている)。
「未解決犯罪事件」では、著名な「カスパール・ハウザー事件」、コナン・ドイルが冤罪を晴らすために尽力した「オスカー・スレーター事件」などが扱われ、ポー「マリー・ロジェの謎」の下敷きとなった「メアリー・ロジャース事件」にはかなり筆が割かれている。 
 コメディのような犯罪もある。「史上最も狡猾な犯罪~」でマーチン・ヒューイット探偵物を書いたアーサー・モリスンが挙げている保険金詐欺事件は、その過剰なスケールに呆れる。医者、牧師、葬儀屋、ホテル経営者、保険会社員らが手を組み、保険をかけた人間とは、別な死体を用意して保険金を詐取するというもの。保険をかけられた男は自分の葬儀に参列した。一回の葬儀のためにわざわざつくった葬儀屋が好調で、かなりの投資を回収したというのもなんともおかしい。結局は瓦解したことをみると、「最も狡猾」といえるかは疑問が残るが。
 180頁と薄い本で、雑誌記事という性格上、個々の犯罪の記述は物足りない面もあるが、19世紀から20世紀にかけての犯罪の諸相は、草創期のミステリの培地となっていることがよく窺われる。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita


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