田口俊樹

 今年の春、齢七十にしてスマホデビューを果たし、びっくりしました。なんとか割引きなんとか割引きといろいろ説明され、結局、定価五万円ほどの本体がただになり、月額料金もそれまでのガラ携のときより安くなったんです。これってガースーさんのおかげ? よくわからないけど。以来、どうでもいいネットのニュースをよく見てます。ほんとにどうでもいい情報ばかりなのに。なんで見ちゃうんでしょうね?
 現代とはネットの普及で情報が氾濫することで、権威が見えづらくなってしまった時代、というのは内田樹氏の至言ですが、わたしもつくづくそう思います。若い頃には権威なんぞくそくらえなんて思ってましたが、今はちょっとぐらいあったほうがいいんじゃないの? なんて思ってます。歳のせいですかね? でも、コロナ対策なんかにしても、専門家と称する人たちの誰の話に耳を傾ければいいのか。まったく世の中、もうめちゃくちゃ……いかん、いかん、また老人の繰り言になってますね。しかし、そうは言っても、今の世の中……いかん、いかん、また……しかし、そうは……いかん、いかん……(以下同文)

〔たぐちとしき:ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズ、バーニイ・ローデンバー・シリーズを手がける。趣味は競馬と麻雀〕

 


白石朗

 翻訳者の越前敏弥さんから新刊『「英語が読める」の9割は誤読』(ジャパンタイムズ)をいただいた。書籍封筒からとりだすと版元の方が貼ったとおぼしき付箋が天からちょこんと突き出ていて、そのページをひらくとですね、拙訳のジョー・ヒル『ファイアマン』(小学館文庫)の書影があるじゃありませんか。てっきり「この訳書の9割は誤読」とめった斬りされたかと恐る恐る本文に目を通したら……いや、ほっとひと安心。それどころか、おとりあげいただき感謝でございました。紹介されている同書の該当部分、訳した当人も忘れておりました。
 そんなこんなで、きょう(9月2日)はファイザー製ワクチン二回めの接種にいってきます。  

〔しらいしろう:老眼翻訳者。最近の訳書はスティーヴン・キング&オーウェン・キング『眠れる美女たち』。〈ホッジズ三部作〉最終巻『任務の終わり』の文春文庫版につづいて不可能犯罪ものの長篇『アウトサイダー』も刊行。ツイッターアカウントは @R_SRIS

 


東野さやか

  ちょっと必要があって、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』を読み返しました。小学生のとき以来です。当時は何度も繰り返して読んだはずなのに、チェロを弾く男の人の話、というざっくりした記憶しか残っていません。少し考えるうち、動物が出てくる話だったようなことまでは思い出したのですが、『ブレーメンの音楽隊』とごっちゃになる始末。それでも、最初に猫が登場したところでぼんやりながら物語を思い出しました。それにしても、登場する四種類の動物のうち、猫の使われ方は理不尽ですよね。二番目に登場するかっこうもかわいそうですが、最後の最後にちょっと報われるシーンがあるのに、猫はさんざんなことをされただけで終わってしまっています。最後の演奏のところで、ちょっとは猫に感謝してやってよと突っこんでしまいました。そのシーンを書くことが猫への感謝になっているのかもしれません……が、猫好きとしては納得できん。

〔ひがしのさやか:最新訳書はジョン・ハート『帰らざる故郷』(ハヤカワ・ミステリ)。その他、チャイルズ『ラベンダー・ティーには不利な証拠』、クレイヴン『ストーンサークルの殺人』、アダムス『パーキングエリア』、フェスパーマン『隠れ家の女』など。ツイッターアカウント@andrea2121

 


加賀山卓朗

 いまジョン・ル・カレの最後の作品 Silverview を訳している。といっても、ひととおり書いたあと、先に『地下道の鳩』や『スパイたちの遺産』に取りかかって、こちらは放置していたらしい。つまり、「最後に書いた」作品ではなさそうです。
 ル・カレの場合、翻訳可能(translatable)というPDFが届いてから、何度も(ときには英語の原書が出版されたあとにまで)修正版が来る。プロのこだわりということなのだろうけれど、毎回編集上の変更などではすまないため(苦労して訳した段落がまるごと削られたり、長〜い段落のほんの1単語が変更されていたり)、そのたびに最初から原文を見直さなければならず、まことに翻訳者泣かせ(ただでさえ英語がむずかしいのに……)。
 ただ、今回はちょっと事情がちがう。ル・カレご本人も、編集を手伝っていた奥さんももういないのに、けっこう手を入れた修正版が来るのだ。誰がやってるの? 息子のニック・ハーカウェイ? 謎です。

〔かがやまたくろう:ジョン・ル・カレ、デニス・ルヘイン、ロバート・B・パーカー、ディケンズなどを翻訳。最近の訳書はスウェーデン発の異色作で意欲作、ピエテル・モリーン&ピエテル・ニィストレーム『死ぬまでにしたい3つのこと』〕

 


上條ひろみ

 ついにこの目で見てきましたよ、宝塚版「シャーロック・ホームズ」。アイリーン・アドラーがモリアーティの元カノとか、切り裂きジャックにヴィクトリア女王、鎖を効果的に使った演出など、見どころ満載で目が足りませんでした。さらに「The Game Is Afoot」の曲がかっこよすぎる件。一度聞いたら忘れられません(宝塚あるある)。ホームズの尋常ではないきゅんポイントの多さも宝塚版ならでは。同時上演のスイーツをテーマにしたショーがまた華やかさMAXで、しばし現実を忘れました。
 元気をもらったところで、八月のプチ読書日記。

 カルメン・モラ『花嫁殺し』(宮﨑真紀訳/ハーパーBOOKS)は、ソフィー・エナフのパリ警視庁迷宮捜査班シリーズやマウリツィオ・デ・ジョバンニのP分署捜査班シリーズのスペイン版という印象。事件はかなりグロいけど、個性派集団のわちゃわちゃした感じが好きな人にオススメの警察小説です。三部作の一作目ということだけど、J・D・バーカーの「四猿」シリーズのように、生殺し状態で終わっているので乾きは倍増。早く次が読みたい!
 先日の全国読書会のオンラインイベントで話題になっていたアレックス・パヴェージ『第八の探偵』(鈴木恵訳/ハヤカワ文庫HM)をようやく読んで、こういうことか!と合点がいった(「探偵小説の順列」とか)。作中作が出てくるものは『カササギ殺人事件』をあげなくてもたくさんあるけど、こういう用法は意外すぎて、「いいぞーもっとやれー!」となった。その作中作自体おもしろいうえにさまざまな仕掛けがあって、二度も三度もおいしいお得な作品。
 チョン・へヨン『誘拐の日』(米津篤八訳/ハーパーBOOKS)は、予想外の展開に最後まで目が離せないジェットコースター・サスペンス。抜群のリーダビリティで、たよりない誘拐犯と誘拐された天才少女に感情移入しながら一気に読んでしまった。壮絶なエピソードがたくさん出て来るのに、不思議と読後感はさわやか。ドラマ化も決定しているそうで楽しみ。
 C・J・ボックス『越境者』(野口百合子訳/創元推理文庫)は、前作の巨大火災から一年三ヶ月後のお話で、ジョー・ピケットは娘たちの安否を気にしながらアウェイの地で奮闘。みんな大好きなあの人だけでなく、存在感抜群のあの人も登場する豪華バージョンです。「ラブラドール独特のストイックな鈍感さ」を持つ愛犬デイジーがかわいすぎてつらい。

〔かみじょうひろみ:英米文学翻訳者。おもな訳書はジョアン・フルークの〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、ジュリア・バックレイ『そのお鍋、押収します』、カレン・マキナニー『ママ、探偵はじめます』など。最新訳書はエリー・グリフィス『見知らぬ人』

 


高山真由美

 【今月はお休みです】

〔たかやままゆみ:最近の訳書はヒル『怪奇疾走』(共訳)、サマーズ『ローンガール・ハードボイルド』、ブラウン『シカゴ・ブルース(新訳版)』、ベンツ『おれの眼を撃った男は死んだ』など。ツイッターアカウントは@mayu_tak

 


武藤陽生

 先日、映画版『屍人荘の殺人』を観ました。小説版は未読だったのですが、映画のおもしろいのなんの。ホラーとミステリーが好きな方にはたまらないんじゃないでしょうか。個人的にはヒロインとのキスシーンが観たかった! とまあそんなこんなで未読だったことを恥じ、本作と併せて続編の『魔眼の匣の殺人』、『兇人邸の殺人』も一気買いしました。

〔むとうようせい:エイドリアン・マッキンティの刑事ショーン・ダフィ・シリーズを手がける。出版、ゲーム翻訳者。最近また格闘ゲームを遊んでいます。ストリートファイター5のランクは上位1%(2%からさらに上達しました。まあ、大したことないんですが…)で、最も格ゲーがうまい翻訳者を自負しております〕

 


鈴木 恵

『ひとりぼっちの不時着』(ゲイリー・ポールセン作/安藤由紀訳/くもん出版)という児童書が面白いと聞いて、さっそく読んでみた。
 小型機の不時着事故でカナダの大森林に放り出された少年が、そこでロビンソン・クルーソーのような生活を送るというお話。ただし、物語の構造にひとつ、典型的なサバイバル物語とは決定的にちがう点があるのです。それは、生存に役立つ物資の回収を行なうタイミング。
『ロビンソン・クルーソー』でも『十五少年漂流記』でも、主人公(たち)は無人島に上陸後まもなく、難破船から銃や食料を回収する。けれど本書の場合、少年の乗っていた飛行機は湖に沈んでしまい、何も回収できない。彼は身につけていた小さな手斧一丁で隠れ家を造り、火を起こし(これがすごい。ほんとに可能なのです)、魚をとらえ、鳥をつかまえる。
 大したことではないように思えるけれど、実はこれが主人公の自然への対しかたに決定的なちがいをもたらすのです。構造的にみると、この一点において本書は『ロビンソン・クルーソー』を原型とするあまたのサバイバルものを超えるんじゃないか、とさえ思うんだけど。おおげさ?
〔すずきめぐみ:映画好きの涙腺弱め翻訳者。今年見た映画のなかではデレク・ツァン監督《少年の君》が暫定1位。最新訳書はライリー・セイガー『すべてのドアを鎖せ』ツイッターアカウントは @FukigenM