最近の翻訳ミステリを読んでいたら、二冊続けてコロンボの名が出てきた。『殺人処方箋』(1969) でTVムービーとして初登場以来、半世紀を経ても、このヨレヨレのコートを着た刑事はなお我々の胸に生きている。もはや、名探偵アイコンとしては、19世紀のシャーロック・ホームズ、20世紀のコロンボ警部というくらいの存在なのかもしれない。

■リチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンク『皮肉な終幕』


 そのコロンボの生みの親がリチャード・レヴィンソンとウィリアム・リンクという、コンビの脚本家・プロデューサー。この名コンビは、コロンボ作品のみならず、多くのドラマの脚本・原案・プロデュース等を手がけ、TVドラマの分野で巨大な足跡を残した。本書は、この二人組が1950年代から60年代にかけて残した短編小説を集めたものだ。これまで幾つか短編の翻訳はあったものの、一冊にまとられるほどの分量の短編が存在するというのが、まず意外で、本書は日本オリジナル短編集として企画賞に値するだろう。
 収録作は、一言でいうとヘンリー・スレッサーやジャック・リッチー的なアイデアに重点を置いたクライム・ストーリーが多いが、近年はあまり訳されない類の短編だけに、オールドファンには懐かしさをもって、若い読み手には半ば新鮮さをもって受け入れられるのではないだろうか。
 加えて、本書には、コロンボ作品の原型となったという短編「愛しの死体」も収録されているというのも、大いに興味をそそられる。
 冒頭の「口笛吹いて働こう」は、米国のスモールタウンが舞台。口やかましい妻をもつ郵便配達夫が今日も猛暑の中、歩く歩く歩く。町で連続絞殺事件が起き、配達夫は、被害者はいずれも黒い縁取りのある封筒を事前に受け取っていたことに気づく。彼に訪れる結末とは。これは、コンビの20歳のときの作品。学生時代には、カーやクイーンに憧れたという二人だが、本編は肩肘はらないヒッチコック劇場風の典型的なアイデア・ストーリーで、既に当時流行のクライム・ストーリーの文法を会得していることを窺わせる。
 続く「子どもの戯れ」は、夏のキャンプに送り込まれた少年を主人公にした、集中では異色の短編。いわゆるアンファン・テリブル (恐るべき子供) 物の範疇に入るのだろうが、周囲から疎外された少年の心情がいたましい。発表年代からみて、主人公の少年に作者の兵役中の心情が仮託されているのかもしれない。
 アイデア・ストーリーから離れているという面では、「ある寒い冬の日に」もそう。引退の日を指折り数えている保安官の町へ、脱獄犯が向かっているという一報が入る。雪が降りしきる中、保安官は血気にはやる新米助手とともに、男を追って出かけるが…。老若二人の価値観が対比される中で迎えるクライマックスの緊迫と静かな余韻。良質の人間ドラマ風味もある佳編。
 不倫する妻と男を銃殺するというドラマ仕立ての夢、TVディレクターが幾度となく見るその夢とその顚末を描いた「夢で殺しましょう」、演技を酷評された俳優が演劇批評家の前に立ちはだかる「最後の台詞」は、作家ならではの業界内幕物。後者は、“最後の台詞”のダブルミーニングが、ビタリとはまり皮肉な終幕が訪れる。作中の俳優の行動は、常に批評にさらされる運命にあるクリエイターの切ない願望でもあろう。「強盗/強盗/強盗」は、銀行強盗に遭った銀行員が単独で犯人に目星をつけ、強盗をしかえすが、さらに因果は巡って。こちらもツイストが決まっている。
 「ジェシカって誰?」寝言でジェシカというようになった夫の浮気を疑う妻。いわゆる「夫と妻に捧げる犯罪」物だが、緊張と緩和それに続くショックというプロセスがいかにも語り巧者らしい。
 「幽霊の物語」「ジョーン・クラブ」艶笑コントともいえそうな軽いタッチの作品が2本。
 「愛しい死体」は、コロンボ物の原型作品。妻殺しに当たって完璧なはずのアリバイをつくった男の前に現われた警部。いわゆる「千慮の一失」物だが、これだけ大きな偶然で破綻する計画も珍しい。犯人の前に現われるのは、四十五分署のフィッシャー警部補。推理により犯人を追い詰めるわけではないが、登場した際の存在感は大きい。作者は、これを原案としてTVドラマ化し、さらに戯曲版「殺人処方箋」、ピーター・フォークがコロンボを演じる同名のTVドラマに発展させていったとのことだ。
 
 数々のドラマで名を残した名コンビの若き日の軌跡を追うも良し、軽妙かつそれを超える視点も持った作品のバラエティを味わうも良し、コロンボの原型に注目するも良し、幾重にも愉しめる短篇集だ。
 なお、編集部の冨田健太郎氏によるツイッター情報によると、本書は、レヴィンソン&リンクの短編全集として出したかったが、出版契約上それができず、半分に絞って出版して経緯があるとのこと。今回、漏れた作品も、陽の目を見ることを願わずにいられない。

■ヒュー・コンウェイ『ダーク・デイズ』


 ヒュー・コンウェイは、19世紀後半の英国作家だが、その名を知る人は、少ないだろう。実は、ホームズ前夜のミステリ史においては、ファーガス・ヒューム『二輪馬車の秘密』(1886) に次ぐ大ベストセラーとなったという本書『ダーク・デイズ』(1884) を書いた重要人物(といっても、浩瀚なミステリ史、ハワード・ヘイクラフト『娯楽としての殺人―探偵小説・成長とその時代』、ジュリアン・シモンズ『ブラッディ・マーダー―探偵小説から犯罪小説への歴史 』の索引にもその名はない)。
 『英文学の地下水脈―古典ミステリ研究 黒岩涙香翻案原典からクイーンまで』で、この作家を詳しく論じ、本書の解説も務める小森健太朗氏が、同書で紹介した様々な未訳作品の中で本書が最も面白いと太鼓判を押している。
 もう一つ、本書が重要なのは、乱歩以前に、数々のミステリ翻案を行った黒岩涙香が最初に手掛けたミステリ翻案『法廷の美人』(1888) が本書を基にしていることだろう。(原著は『法庭の美人』表記 ) 当時の海外ミステリの廉価本を読み漁った涙香が最初に手掛けたという事実からも、作品の大衆性や質の高さを窺うことができる。
 しかし、質が高いといっても、一世紀半も前の作品。現代の読者にも訴えかけるものがあるのか。はてさて。

 この小説の体裁は、一人の男の回想録だ。青年医師バジル・ノース(私)は、ある女性をひと目みただけで、恋に落ちることになる。
 「神よ! なんとフィリッパは清らかで美しいことか! その豊かな黒髪はなんと艶やかに輝いていることか! 美の極みといわれる白い肌とピンクの頬を持つ金髪人形などとはまったく異なる美しさだ!」
 彼女は、英国人の母親とスペイン人の父親の間に生まれ、情熱的で激しい性格や女王のような物腰と威厳をもつ。おそらくこれらは父親譲りのものというエキゾティズム漂う美女。
 母親の診察をきっかけに、彼女の家に出入りすることになった私は、ほどなく結婚を申し込むが、拒絶されてしまう。やがて、私は、フィリッパが放蕩者の准男爵の妻となったことを知るが、ある日、失意のどん底にある私を訪ねてきて、助けを求める。フィリッパが準男爵にもてあそばれたことを知った私は准男爵と命を賭けた決闘をしようと思い詰めるが、その矢先、准男爵は、田舎の路上で殺害されてしまう。状況からフィリッパが一時的錯乱で記憶をなくした中、罪を犯したとしか思えない。フィリッパを守り抜くと決意した医師の苦悩に満ちた「ダーク・デイズ」が始まる。
 本書の美点の一は、そのストーリーの強度にある。主人公は、フィリッパを救えるか、そして彼女は私の愛を受け入れるか。語り口は、現代の眼からみると、大仰なところもあるが、主人公のフィリッパへの純愛は紛れもなく、物語はストレートにして、登場人物も少ないシンプルなもの。この時代のミステリは、コリンズの長編にしても、『二輪馬車の秘密』にしても、ストーリーの曲折をつくるため、脇筋や登場人物が多く、ミステリとしては冗長で求心力に欠ける面があるが、本書の筋は興味の焦点が明確で、人に訴えかけるものだ。
 黒岩涙香は、『法廷の美人』の序文で、原作を一読した後で、すべて記憶によって自由に書き、一度も原作本を開かなかったという趣旨のことを述べているのは大胆とはいえ、本書の一読忘れ難いストーリーの強みを物語っている。
 美点その二は、サスペンスの盛り上げ方だ。殺された准男爵は、すぐには発見されない。それは、記録的な大雪で、死体が覆い尽くされるからだが、いつ死体が発見されるのかという宙づり状態の時間で、二人が脱出できるかという興味につながっている。英国を後にしてからも、フィリッパに真実を知られる恐怖が私を苛み、浸す。デッドラインを敷き、読者の緊張が終幕の法廷の場面で頂点に達する構成も巧みだ。
 その三は、謎解きミステリ的興味の扱いだ。何があったのかという興味は、終盤に至って一挙に浮上する。ここに推理による謎解きがあればさらに点が高かったのだが、そこは残念なところ。しかし、真相は予想を裏切るものだ。ヨーロッパに逃げた後の殺人事件の情報がほとんどないのも、最後まで真相を繰り延べし、サスペンスと一体化する工夫で、後年訪れる謎解き主体のミステリの時代を予感させる。
 これらの美点から、『ダーク・デイズ』は、この時代における先鋭性を感じさせる作品になっているし、現代の読者にも、時を超えたミステリの興趣を提供するものになっている。作者は、この作品の発表の翌年、37歳で早逝したというが、20世紀まで書き続ければ、英国ミステリを牽引する作家の一人になっていたかもしれない。
 なお、『法廷の美人 ダーク・デイズ[明治翻案版]』は、近日中に扶桑社から出版される予定とのことだ。
 今月は、ミステリ史的にも興味深いアン・ラドクリフ『ユドルフォ城の怪奇 上・下』の刊行があったが、本の入手が遅れ、次回廻しということでお許しを。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita




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