田口俊樹

  出ました、老人ミステリーの傑作。話題の『木曜殺人クラブ』(ロバート・オスマン著/羽田詩津子訳/早川書房)。笑いと涙、ユーモアとペーソス。エンタメのこの二大要素は永劫不滅です、なんてね。ま、そんなふうに思うのは歳のせいかもしれないけれど、いやあ、それにしても面白かった。何度もにやにやうるうるさせられた。謎解きもしっかりしてるし、語りも巧みで、よどみがなくて、とっても心地いい。爺さん婆さんのキャラ造形もいい塩梅で、無理がなくて実に愉快。早川のネットに載っている訳者、羽田さんのあとがきの見出しに「老いることの切なさによってより深い物語に」とあるけれど、そう、老いるって誰がなんと言おうと、やっぱり切ないことだよ。と同時に、犯人捜しのために使い慣れないマッチングアプリを開いて、「正直なところ、スクロールしていくと胸が張り裂けそうになる。電柱に貼られている迷い猫の写真を連想させるから。どちらも必死の期待が伝わってくるせいね、きっと」なんて心やさしい感傷にひたれるのは老いならでは、なんて思ったりしないでもない。今引いたのは主要登場人物のひとり、ジョイスの感慨なんだけれど、いいなあ、ジョイス。茶飲み友達になりたいなあ、私。彼女ならきっとなってくれるはず。賢い眼をくりくりっとさせて笑顔で迎えてくれるはず。そんな妄想もふくらむ、久しぶりに、最後まで読むのがもったいなく思えた一冊でした。

〔たぐちとしき:ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズ、バーニイ・ローデンバー・シリーズを手がける。趣味は競馬と麻雀〕

 


白石朗

  たまたまAmazonのPrime Videoで見かけて、いわゆる“ハマった”状態になったのが連続ドラマ《カルテット》(2017)。ぽんぽんと小気味よく跳ねては(ときにあさってへ)転がる会話に引きこまれたんですね。そののちおなじ坂元裕二脚本の《Mother》(2010)《Woman》(2013)《anone》(2018)という、いずれも田中裕子がすばらしいドラマが日本映画専門チャンネルで月イチで一挙放送されたのを録画して一日一〜二話ペースで鑑賞。あちこち泣いたぜ。で、いまは《問題のあるレストラン》(2015)を経由後に《大豆田とわ子と三人の元夫》を就眠前に一日一〜二話ペースで楽しく見ています。ぼくも網戸が外れるのは大きらいなのはどうでもいいんですが、《カルテット》とおなじように凝ったエンディング映像をながめていて、挿入歌“All The Same feat. Gretchen Parlato、BIGYUKI”の英語詞担当としてLEO今井の名前がクレジットされていることに気づきました。たまさか、そのLEO今井参加の音楽ユニットMETAFIVEのセカンド発売中止が今夏の私的落胆事。でも……And waiting……Still waiting……です。

〔しらいしろう:老眼翻訳者。最近の訳書はスティーヴン・キング&オーウェン・キング『眠れる美女たち』。〈ホッジズ三部作〉最終巻『任務の終わり』の文春文庫版につづいて不可能犯罪ものの長篇『アウトサイダー』も刊行。ツイッターアカウントは @R_SRIS

 


東野さやか

  先日ようやく、スティーヴン・キングの『アウトサイダー』(白石朗訳/文藝春秋)を読みました。上下二段のしかも上下巻。キングですからアクセル全開で一気に読みたいところですが、例によってお風呂でちまちまと。
 目撃証言と物的証拠から残忍な殺人事件の犯人として逮捕された人物が、犯行時刻前後に離れたべつの場所にいて、それを証言する証人も複数いる。そんなことがなぜ可能なのか。それはもちろん、キングだからなんですが、そのべつの場所というのがハーラン・コーベンの講演会というところで思わずにんまり。なぜハーラン・コーベン? べつに架空の作家でもいいのに、あえて実在の作家にしたのはなぜなのかと考えはじめたら、気になって気になって夜しか眠れません。
 ところで、ご好評をいただいたM・W・クレイヴンの『ストーンサークルの殺人』の続編、『ブラックサマーの殺人』がいよいよ今月十九日に出ます。タイトルに使われているブラックサマーとはなんでしょう? 答えは読んでのお楽しみ。

〔ひがしのさやか:最新訳書はジョン・ハート『帰らざる故郷』(ハヤカワ・ミステリ)。その他、チャイルズ『ラベンダー・ティーには不利な証拠』、クレイヴン『ストーンサークルの殺人』、アダムス『パーキングエリア』、フェスパーマン『隠れ家の女』など。ツイッターアカウント@andrea2121

 


加賀山卓朗

  スウェーデン大使館の広報・文化担当官アダム・ベイェさんが薦めておられたドラマ『カリフェイト』を観る。おもしろかった、と簡単には言いきれない重い内容でした。アラブ系の顔立ちの人たちがスウェーデン語をしゃべっているので、最初はどこの国で何が起きているのか混乱(恥)。ですが、事情がわかってからはスリルの連続でした。全8話で、ラスト2話の展開はちょっと予測できなかった。しかしこれをお薦めするベイェさん、大胆というか、すごい。
 興味が湧いたので、スウェーデンの人口統計を見てみると、国外にルーツを持つ人(国外で生まれたか、両親のどちらかが国外生まれ)が総人口の2割ほどになっている。ルーツの国でいちばん多いのはフィンランドですが、2位、3位はイラクとシリア。『カリフェイト』に出てくる風景はなんら特別なものではないということですね。でも、それより驚いたのは、スウェーデン統計庁による将来の人口推計がこの先何十年も右肩上がりであること。わが国の状況から考えると、別世界のようで……。

〔かがやまたくろう:ジョン・ル・カレ、デニス・ルヘイン、ロバート・B・パーカー、ディケンズなどを翻訳。最近の訳書はスウェーデン発の異色作で意欲作、ピエテル・モリーン&ピエテル・ニィストレーム『死ぬまでにしたい3つのこと』〕

 


上條ひろみ

  今年度ベスト本の投票締め切りが近づいているという大義名分のもと、九月は読み残していた大量の翻訳ミステリを読む日々。でも、読む本すべてがベスト級で、順位を決めるのはかなりはいへんそう。

 というわけで、全部は書ききれないので九月の読書日記はひとこと(またはふたこと)書評でいきます(読んだ順)。
『老いた殺し屋の祈り』マルコ・マルターニ:老いた殺し屋の苦悩と愛の深さに胸を打たれるエモーショナルなノワール。
『僕が死んだあの森』ピエール・ルメートル:シンプルさを逆手に取った、見事と言うしかない展開と着地点。
『自由研究には向かない殺人』ホリー・ジャクソン:フェアで素直で決してブレないピッパは好きにならずにはいられないヒロイン。
『黄金の檻』カミラ・レックバリ:復讐は蜜の味。魔法がとけてからの強烈リベンジは軽く引くレベル(いい意味で)。
『チェスナットマン』セーアン・スヴァイストロプ:目が追いつかないほどのリーダビリティ。読み進むにつれて刑事コンビの魅力が増していき、どんどん感情移入してしまう。
『誠実な嘘』マイケル・ロボサム:女性への視線が温かく、読んでいてすごく心地よい。逆に男性には手厳しい?
『すべてのドアを鎖せ』ライリー・セイガー:これ絶対ヤバいやつ!とわかっているけど乗らずにはいられないヒロインの事情に同情。真相がわかってからのほうが怖いかも。
『死ぬまでにしたい3つのこと』モリーン&ニィストレーム:ページをめくる手が止まらない(Kindleだけど)! ワケありすぎる捜査官のジョンにハラハラさせられっぱなし。
『彼と彼女の衝撃の瞬間』アリス・フィーニー:終始「えっ、どゆこと?」と思いながら読んだ、牽引力抜群の謎解きミステリ。
『木曜殺人クラブ』リチャード・オスマン:人生の酸いも甘いも知り尽くした素人探偵たちの自由さ、ほろ苦い読後感が味わい深い。
『ヒロシマ・ボーイ』平原直美:複雑な立ち位置にありながら、激動の時代をたくましく生きたマス・アライ(86)の静かな自信がかっこいい。
『誕生日パーティー』ユーディト・W・タシュラー:壮絶だけどどこまでもやさしい家族の物語。意外なところからくる衝撃に身構えるべし。
『ヨルガオ殺人事件』アンソニー・ホロヴィッツ:期待を裏切らない、贅を尽くしたコース料理のような完成度の高さ。

〔かみじょうひろみ:英米文学翻訳者。おもな訳書はジョアン・フルークの〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、ジュリア・バックレイ『そのお鍋、押収します』、カレン・マキナニー『ママ、探偵はじめます』など。最新訳書はエリー・グリフィス『見知らぬ人』

 


高山真由美

  先月はワクチン接種後の副反応で寝込み(38℃以上の熱が出たのはおよそ三年半ぶり)、お休みをいただきました。ちょうどそのころに書いたあとがきが、10月5日発売の新刊『女たちが死んだ街で』(アイヴィ・ポコーダ著、ハヤカワ・ミステリ)のものでした。どこかで見かけたらお手に取ってみてくださいませ。

 ここのところ仕事の合間に読んでいるのは “Only the Good Die Young” という、ジョシュ・パクター編纂のアンソロジーです。タイトルからピンときたかたもいると思いますが、そう、これは寄稿者がビリー・ジョエルの曲の歌詞にインスパイアされて書いた短篇を集めた本です。”Piano Man” とか “It’s Still Rock and Roll to Me” とか “Easy Money” とか “A Matter of Trust” とか、いわれてみれば、そのままクライム小説のタイトルになりそうなものも多いかも。いそいそプレイリストをつくって聴きながら読み、一篇読むごとに歌詞を再確認して「なるほど」「うまい!」と膝を打っています。これ訳して、CDとセットで発売できたらいいのに(夢見るだけなら自由……)

〔たかやままゆみ:最近の訳書はヒル『怪奇疾走』(共訳)、サマーズ『ローンガール・ハードボイルド』、ブラウン『シカゴ・ブルース(新訳版)』、ベンツ『おれの眼を撃った男は死んだ』など。ツイッターアカウントは@mayu_tak〕

 


武藤陽生

  先日、『刑事ショーン・ダフィ・シリーズ』の4作目『ガン・ストリート・ガール』に重版がかかりました。このシリーズでは初の重版で、うれしさのあまり宅配でお寿司を頼み、妻に1万円あげて、子供には1万円するレゴを買ってやりました(自分には6万円のカメラレンズを……)。1作目『コールド・コールド・グラウンド』の翻訳の打診があった当時は、息子がちょうど生まれようかというタイミングで、そんなにお金にはならないだろうけど、請けてもいいだろうかと妻にも相談したことをよく覚えています。

 いろんな苦労がありましたが、5年越しでシリーズに重版がかかったことで、少し報われた思いがしました。第5作『レイン・ドッグズ』も年内発売予定です。

〔むとうようせい:エイドリアン・マッキンティの刑事ショーン・ダフィ・シリーズを手がける。出版、ゲーム翻訳者。最近また格闘ゲームを遊んでいます。ストリートファイター5のランクは上位1%(2%からさらに上達しました。まあ、大したことないんですが…)で、最も格ゲーがうまい翻訳者を自負しております〕

 


鈴木 恵

  当かわら版のトップでいつも老人自虐ネタを披露している田口さん、今月は老人ミステリー『木曜殺人クラブ』を絶賛なさっていますが、そういえば田口さんが小説を取りあげるときって、やけに老人ものが多いような。ダニエル・フリードマン『もう年はとれない』(野口百合子訳/創元推理文庫)のバック・シャッツ・シリーズとか。
 かたや、当かわら版のどん尻にひかえしわたくし、振り返ってみると少年少女小説を取り上げる回数が多いのに気づきました。やっぱり心が若いんでしょうかね。
 というわけで前フリが長くなりましたが、今月は、これまた少年少女を主人公にしたホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』(服部京子訳/創元推理文庫)と、紫金陳『悪童たち』(稲村文吾訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)を読んで、すっかりむかしの自分に返ったような気分を味わいました。
『悪童たち』でむかしの自分に返るってどういうことだよ、とお叱りを受けそうですが、わたし、中学生のころは半分本気で知能犯になりたかったのです。あのまま知能犯を目指していたら、いまごろどうなっていただろう。遠い目をしてそんなことを考えました。今からでも遅くないかな。
〔すずきめぐみ:映画好きの涙腺弱め翻訳者。今年見た映画のなかではデレク・ツァン監督《少年の君》が暫定1位。最新訳書はライリー・セイガー『すべてのドアを鎖せ』ツイッターアカウントは @FukigenM