書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

酒井貞道

『亡国のハントレス』ケイト・クイン/加藤洋子訳

ハーパーBOOKS

 アンソニー・ホロヴィッツ『ヨルガオ殺人事件』こそが私の月次ベストにして年度ベスト。未読者に言えることは同書の解説に全て書いた。以上!
 ……で終わるには、例によって豊作過ぎるので、ここでは『亡国のハントレス』をセカンド・チョイスとして挙げておきます。文庫で本編が760ページ近くと、かなり分厚い長篇ですが、非常に読みやすいので恐れることは全くないです。中身は、1.父親の再婚相手が何者かを娘が探るサスペンス(1946年ボストンからスタート)+2.ドイツの戦争犯罪者をアメリカ人が追うマンハント(1950年の実質ウィーンからスタート)+3.ソ連のある女性パイロットの戦争小説(第二次世界大戦前のバイカル湖畔スタート)と、三つのパートが並行して進みます。タイトルロールの戦争犯罪者ハントレス自身は、ほとんど掘り下げられず、代わりに、1~3の各主役自身の物語が活き活きと描かれていく。特に1と3では、女性の社会的地位が低い時代において、女性が活躍することの難しさをしっかり描きます。ただし境遇は1と3では全く違うし、問題の中身や方向性も異なります。というか、1は困難に直面して悩みが生じます(要は普通の人なの)が、3は全てをぶっ飛ばしていく凄みがあって凄い(語彙崩壊)。
 また、この強烈なキャラ付けの3の主人公は、他のパートでも超重要キャラクターとして登場し、1・2の主人公の視点でも描かれます。そっちもまたいいんですよ、正直なところ彼女が登場している場面では、目線が釘付けになったことを告白しておきます。なお、彼女のみで面白くなっているようなヤワな小説ではなく、3抜きにしても、1・2の物語は十分に面白い。総合すれば、最高水準のエンターテインメント大作だと断言します。唯一この作品に問題があるとすれば、それはハントレスを深掘りしなかったがために、ラスト50ページがやや弛む点です。気にならない人には気にならない程度ですが、個人的にはあまりにも惜しい。これさえなければ、私の年度ベストは『ヨルガオ殺人事件』ではなく『亡国のハントレス』でした。それぐらい気に入った。

 

千街晶之

『ヨルガオ殺人事件』アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭訳

創元推理文庫

 改めて感じたことだが、どうやら私は「ホーソーン&ホロヴィッツ」シリーズより、『カササギ殺人事件』に始まるこちらのシリーズ(何と呼べばいいのだろう?)のほうがずっと好きなようだ(どうもダニエル・ホーソーンというキャラを生理的に受けつけないらしい)。そういう個人的な好みの問題を別にしても、『ヨルガオ殺人事件』は文句なしに面白かった。作中作もの(しかもその作者は死んでいる設定)をシリーズ化するという無茶な発想を実現し、しかも一定の水準を保っているというだけで尋常ではないが、伏線の張り方は前作以上の見事さだし、それらが回収されることで作中作が指し示す真犯人が暴かれるプロセスはまさに圧巻だ。なお九月の翻訳ミステリでは、他にもジョセフ・ノックス『スリープウォーカー マンチェスター市警 エイダン・ウェイツ』や、リチャード・レヴィンソン& ウィリアム・リンク『レヴィンソン&リンク劇場 皮肉な終幕』といった作品が印象に残った。

 

川出正樹

『スリープウォーカー マンチェスター市警エイダン・ウェイツ』ジョセフ・ノックス/池田真紀子訳

新潮文庫

 今年も現役作家による謎解き翻訳ミステリが好調だ。それも『ヨルガオ殺人事件』を初めとする所謂〈名探偵〉を主人公にした伝統的な型式のものだけでなく、警察小説や犯罪小説であると同時に、精緻で入念に作り込まれた謎解きの興趣に満ちた作品が次々と訳された。ジョー・ネスボ『ファントム 亡霊の罠』、アリスン・モントクレア『ロンドン謎解き結婚相談所』、アレックス・ベール『狼たちの城』、ヨルゲン・ブレッケ『ポー殺人事件』、ホリー・ジャクソン『自由研究には向かない職業』等々。

 そんな秀作揃いぶみの2021年度の終盤に来て、ついに真打ち登場。ジョセフ・ノックス『スリープウォーカー マンチェスター市警 エイダン・ウェイツ』だ。毎回これでもかとばかりに悲惨な状況に落とされ、精神は極限まで追い詰められ、肉体は命の危険にさらされ、それでも残虐かつ複雑な事件を追い、快刀乱麻を断つエイダン・ウェイツ刑事。三部作の掉尾を飾る本書で、公私ともにこれまで以上に緊迫した絶体絶命の状況下にありながら、自己保存と良心と好奇心がせめぎ合い、狡猾に仕組まれた過去と現在の惨殺事件の真相を追う。終盤の、「名探偵、皆を集めてさてと言い」の場面が実にスマートで、謎解きミステリとしての完成度は今年訳された作品中でもトップクラスの出来映えだ。「ついにノワールの謎解きが本格ミステリーを越えた!」というアグレッシブな帯コピーに上がりまくった期待値は裏切られない。

 今月は、ギヨーム・ミュッソ『夜と少女』(吉田恒雄訳/集英社文庫)と、ジェフリー・ディーヴァー『魔の山』(池田真紀子訳/文藝春秋)もお勧め。前者は、錯綜するさまざまな思いで二重三重に封印された少女失踪の謎を巡るノンストップ・サスペンス、後者は、死地に赴き任務遂行し生還という冒険小説の常道に沿いながら、カルト集団ものの新境地を拓いた意欲作です。

 

北上次郎

『暗殺者の献身』マーク・グリーニー/伏見威蕃訳

ハヤカワ文庫NV

 最強の敵が現れる。なぜ最強か。こいつは死のうとしているのだ。死んでもいい、ではない。死にたいと考えている男だ。それが具体的に炸裂するホテルのスイートルームにおける死闘を見られたい。えーっ、と驚愕するシーンだ。グリーニーが素晴らしいのは、この見どころ十分のシーンをいたずらに引っ張らず、その結果をあっけなく明らかにしてしまうことだ。

 グリーニーの潔さに感服だ。

 

霜月蒼

『亡国のハントレス』ケイト・クイン/加藤洋子訳

ハーパーBOOKS

 今月はジョゼフ・ノックスの『スリープウォーカー』で行こうと思っていた。エルロイとデイヴィッド・ピースの双方を咀嚼して書かれたノワールの傑作である。版元の惹句どおり謎解きミステリとしても満足度が高く、三部作を暗く美しく閉じたことも手柄である。野心的な構成であるらしい次作も鶴首して待ちたい。いい作家です。必読。

 しかし今の僕はこちらを推したい。いわば『ベルリンは晴れているか』の深緑野分と『ブラック・ラグーン』の広江礼威が合作したかのような熱くヘヴィな冒険スリラーなので、両者のファンは即座に買って大丈夫。3つの物語が徐々に合流する構成で、(1) 第二次大戦中のソ連空軍の女性ヒコーキ乗りの物語、(2) 1940年代末にはじまる写真家志望のアメリカ人女性の物語、(3) 1950年に〈ハントレス〉という異名を持つ暗殺者を追うナチ・ハンターの物語、いずれも面白いのだが、(1) のニーナの物語がいい。バイカル湖のそばで父と二人で暮らしてきたニーナは、「空を飛ぶこと」と電撃的に恋に落ち、やがて女性だけの空軍部隊の一員となる。仲間とともに彼女は夜間爆撃任務につき、ドイツ軍に「夜の魔女」と怖れられるようになるが……。ここだけでも航空戦争冒険小説として素晴らしい。口を開けばカラフルな罵言が飛び出す野生児ニーナと、モスクワ生まれで育ちのいいイェリーナのシスターフッドの美しさは忘れられないし、シスターフッドというならこの女性部隊それ自体がそうだ。ニーナは今年の海外ミステリ最優秀主演女優賞にふさわしい。

 やがてニーナの物語は、上記(3)の物語の背景を激情の炎で彩って物語の温度を急上昇させ、〈ハントレス〉を追う者たちの「動機」を明かす。(2) でも自身の足で立とうとする若い女性が力強く語られて、その方向からも物語は熱く補強されるのだ。昨年話題となった『あの本は読まれているか』にも通じる傑作。こちらのほうがずっと熱く、壮大で、ドラマティックだと言っていい。片手にカミソリ、片手に拳銃を持って敵に向かって駆けるニーナのカッコよさよ!

 

吉野仁

『ヨルガオ殺人事件』アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭訳

創元推理文庫

 ご存じ『カササギ殺人事件』の続編で、本年もまたミステリランキングでトップを走るであろう小説ながら、当欄は「今月読んでいちばん面白かった」作品をあげる決まりのため、外せない。前作以上に愉しめた部分もあるし。もう一冊の話題作はリチャード・オスマン『木曜殺人クラブ』で、個性あふれる老人探偵団の面々とエピソードで読ませていく。グリシャム『狙われた楽園』は、名物書店主ブルースが活躍した『「グレート・ギャツビー」を追え』の続編で今回は学生書店員ニックがとくに魅力的。そして「刑事コロンボ」のファンであれば絶対に読み逃してはいけないリチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンク『皮肉な終幕』は切れ味のいい短編が並ぶ。ギヨーム・ミュッソ『夜と少女』は、南仏の名門高校で起きた少女の失踪事件をめぐるミステリで、ミュッソにしてはケレン味に乏しいかなと思いつつ読んでいくと、中盤から意外な事実が明かされ予想外の斜め向こうへと転じていくのはさすが。印象に残ったのが、リサ・ラッツ『パッセンジャー』で、これは夫が死んだことをきっかけに、まったくの別人になりすまし、次々と名前や姿を変えて逃亡する「わたし」の物語。そういえば前回、ウィリアム・ボイル『わたしたちに手を出すな』を挙げそこなったが、これは女ふたりの逃亡劇が最高に痛快だった。ひとつ『パッセンジャー』で疑問なのは、逃亡者であるヒロインはじっとしてれば安全なのに、逃亡先で男たちのいるバーへ行き、ナンパされ、のこのこついていく展開だ。ま、男のヒーローものでも、あえて危険な場所に乗り込むとか見るからに危険な悪女に近づくとかの展開は定番なので、そこは言ってはならぬお約束か。「とりかえばや」で化ける女の物語。

 

杉江松恋

『おはしさま 連鎖する怪談』三津田信三・薛西斯・夜透紫・瀟湘神・陳浩基/玉田誠訳

光文社

 翻訳ミステリーに私が求めることの一つに、自分の知らない世界を教えてくれるという要素がある。知らない国、知らない文化、そこにはしかし同じ人間の営みがあり、心理の極限ともいうべき犯罪という現象が起きて謎が生じる。それを読むのが楽しみなのだが、『おはしさま』は少し事情が異なる。

 本書は日本・台湾・香港の作家が参加したアンソロジーである。もっと正確な言い方をすると、日本作家である三津田信三が第一章で「おはしさま」という短篇を書き、それを引き継いだ薛西斯が第二章「珊瑚の骨」を書き、という形で、リレー形式で構成された連作短篇集なのである。全体を貫くモチーフとしては東アジア文化を象徴する器物として箸が用いられた。三津田作品は中国語文化圏に翻訳紹介されており、陸秋槎のようにそこから触発を受けたことを公言している作家もいる。初めて読む作家もいるので断言はできないが、本書に参加した書き手も日本の作品からなんらかの影響を受けている可能性はある。ミステリー文化相互伝播の状況を表した作品集ということで、極めて興味深い内容なのだ。すでに好評を得て登場キャラクターのシリーズ化が行われているという薛西斯「珊瑚の骨」は、古代神が宿った箸を巡る奇譚を道士が解決するという内容で、謎が一点に集約していく後半が美しい。章が改まり、書き手が交代するたびに風景も変化する。日本作品には存在しない異質な手触りが明確に感じられる瞬間に新鮮な驚きがあった。

 

 毎年の大本命ホロヴィッツも登場し、それ以外も冒険小説に警察小説、東アジアのアンソロジーと賑やかな九月でした。読書の秋、ますます楽しみになってきましたね。また来月お会いしましょう。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧