ホレス・ウォルポール『オトラント城奇譚』を開祖とし、18世紀末から19世紀にかけて、英国に花開いたゴシック小説は、今日のホラーや幻想小説の先駆けとなった。その英国ゴシック小説の代表的長編とされながら、邦訳に恵まれなかった、アン・ラドクリフ『ユドルフォ城の怪奇』(1794) が、ついに翻訳された。
 翻訳本の上下で、1000頁は超えるこの大長編は一大旋風を巻き起こし、ゴシック小説の流行を招いたという。一方で、この小説は、ミステリの源流とする説もある (先般出たレジス・メサック『探偵小説の考古学』では、詳細に作品を分析した上で、探偵小説の形成においてラドクリフが果たした役割は「買いかぶり」だとしているが)

■アン・ラドクリフ『ユドルフォ城の怪奇 上・下』


 物語は、心清らかな妙齢の美女エミリーを主人公とする怪奇幻想味に満ちた一大ロマンといえようか。
 1584年のフランス、ガスコーニュ地方が本書冒頭の舞台。小さな別天地ともいえる故郷で牧歌的な日々を送ったエミリーは、母親の死後、父親とともに、地中海へ向けて旅に出る。彼女はそこでヴァランクールという若い男と知り合い恋に落ちる。父親は旅の途上で死亡し、孤児となったエミリーは叔母であるマダム・シェロンのもとで暮らすことになる。叔母はモントーニというイタリア人と結婚するが、叔母夫婦は、恋仲の二人を引き裂き、エミリーを連れてイタリアはヴェネチアへ向かう。モント―ニは、エミリーとイタリア貴族との結婚を無理矢理に進めるが、婚礼の当日、突如、叔母とエミリーを連れ、山中に立つユドルフォ城に向かう。このユドルフォ城で、エミリーは様々な怪奇現象に襲われる。
 エミリーは、命からがらユドルフォ城を脱出し、フランスに戻るが、最愛の人ヴァランクールは罪を背負う身になっていた。エミリーは、父が客死した地で、ルブラン城の城主ヴィルフォール伯爵の元に身を寄せるが、この城でも閉ざされた部屋での顔の出現、人の消失といった奇怪事が続発する。エミリーの運命は、どこへ向かうのか。
 
 さすがに、18世紀の小説であり、現在とは書き方も異なる。精緻で丹念すぎる自然描写、古典からの引用、作中で差し挟まれるエミリーらが創作した詩編といった要素はいささか退屈で、ヒロインの感情描写も頻繁にすぎる (全編で、エミリーはどれだけの涙を流すことか)。こうした要素には、現代の読者は、面喰らうだろうが、本書のもつ品格や情緒をつくりあげている側面でもある。実際には、執筆時までに英国を出たことがない作者が、アルプス超えの際に急峻な山脈、深い谷といった自然を崇高な美として描写する部分は、作中で繰り広げられる怪奇幻想的なできごとと並ぶ、作者のイマジナリーの発露だろう。
 本書の通奏低音は、やはり怪奇幻想味ということになろうか。冒頭の故郷で遭遇した不思議な詩編や音楽、父が客死した地域での不思議なギターの音色といった要素など物語のはじめから、不穏な雰囲気に包まれているが、ユドルフォ城に舞台を移してから、怪奇色は、一挙に高まる。
 ユドルフォ城。イタリア山中に建てられ、雄麗なゴシック様式、崩れかけた鈍色の石の城壁の陰鬱で荘厳な城。この古城は、全体が迷路のようで、どれだけの広さがあるのか、見当もつかない。エミリーは何度もこの城で迷子になる。禁断の部屋では、エミリーは、ベールをかけられた絵をのぞき込み、卒倒する。元女城主の幽霊の噂、突然鳴り響く声、夜な夜な不可能な出現をする男の影という超自然的恐怖。部屋への謎の侵入者という現実的恐怖。義理の叔父である悪党・モント―ニの企みに関する疑念と慄き。これらの恐怖が相乗し、エミリーをさいなむ。
 監禁された叔母 (モントーニ夫人) が死んだという疑念をもつエミリーが怪しい男の道案内で城の納骨堂等を巡り、尋常ではない恐怖と遭遇する場面は実に怖い。
 作者は、terrorとhorrorとを明確に区別していたという。前者は、正体のわからない不気味なものに対しておぼえる情動、後者は恐ろしいもの、おぞましいものに直面した時に感じる情動ということらしい。物語全般に満ちているのは、terrorの雰囲気だが、この場面ではhorrorをうまく利用している。作者は、恐怖の理論家でもあったのだ。
 読後は、ユドルフォ城とルブラン城というほの黒い二つの城を崇高な自然美が取り巻き、恋愛の炎と涙の水色で細部までしっかり織り上げた一大タペストリーを眼の前にしたような充足感に包まれる。
 さて、ミステリへ引き寄せての感想だが、本作は探偵小説とはいえないにしても、その源流といわれる価値は十分あると思われる。
 その1として、超自然的事象が頻繁に起こるが、すべてに合理的な解決があることだ。その説明今日では、素朴なものにすきないものとしても、すべてが合理的に割り切れるという行き方は、怪奇幻想の文学に新たな翼を付け加えたに違いない。例えば、ルブラン城で、なぜ怪奇現象が起こるのかという説明は、現代でも通用しそうな理屈だ。
 顔の出現といった怪奇現象が起こる部屋で、その謎を解き明かすために、勇気ある若者が一夜を明かすものの、閉ざされた部屋で若者は消失するという強烈な謎も出てくるが、カーター・ディクスン『赤後家の殺人』を思わせるような挿話ではないか。
 その2として、物語が一貫したプロットをもっていることだ。
 超自然現象を除いた部分についても、例えば、父が見知らぬ女性の細密画を眺め涙したり、不審な遺言を残したりといった謎が残るが、これは、物語の終りで説明がつけられる。思うにまかせて筆を運んでいるのではなく、あらかじめ設計図面を引いたような一貫性を本書はもっている。
 その3として、物語進行上の伏線やミスリーディングといった技巧が用いられていること。
 先述の父の秘密に関しても、種明かしのための伏線が張られているし、冒頭の謎の詩編や音楽といった不可思議な事象についても物語展開上の伏線の役割を果たしている。
 エミリーが若くして死んだルブラン城主夫人とよく似ているという事実が、読者を誤った推測に導く誤導のテクニックは、より高度なものだろう。
 今ではあまりみられない技巧として、エミリーがユドルフォ城で見た黒いベールの下にあったものの正体を長い間、秘匿するというのがある。その正体は、実に大団円近くまで明かされないのだ。作者の「隠ぺい」による超ロングスパンのヒキとでもいうべき手法。
 現代であれば、主人公視点で書いている小説が主人公の遭遇した重要な事実の開示を延々と引き延ばすのは、語りが恣意的というそしりをまぬかれないかもしれない。しかし、これもterrorを引き延ばす顕著なテクニックといえよう。
 これらは、多かれ少なかれ同時代の小説でも用いられた手法かもしれないが、読書界を席巻した『ユドルフォ城の怪奇』の影響は甚大だったはずだ。アン・ラドクリフの用いた探偵小説的手法は、ポー以前の探偵小説への接近の瞬間として、やはり見逃せないものをもっている。

■M・R・ラインハート『赤いランプ』


 『赤いランプ』(1925) は、このところ、ヒルダ・アダムス(ミス・ピンカートン)物が全訳されるなど、翻訳が相次ぐM・R・ラインハートのノンシリーズ物の長編ミステリ。「もし知っていたら」(HIBK)派などといわれ、女性が主人公のサスペンス色が強い作家とイメージされるが、『大いなる過失』(1940) やミス・ピンカートン物の一部には、強い謎解き志向も窺われる作家だ。帯によれば、ホラー色が強いとみえる本作は果たしてどうか。
 ラインハートの作品としては、異色なことに、主人公は、ウィリアム・A・ポーターという男性の英文学の教授だ。ポーター教授は、妻と姪の3人で、ツイン・ホロウズと呼ばれる地所にある相続した屋敷で夏休みを過ごそうとするが、屋敷は幽霊の曰くつきの物件。怪奇現象の噂が跡を絶たない。妻に反対され、家族は、敷地内のコテージで過ごすこととし、屋敷は貸し出すことになる。
 教授一家が移り住んで以降、屋敷のある地域では不審時が続発する。牧草地で半ダースもの羊がのどを掻き切られた状態で発見、さらなる羊殺し、警察官の失踪 (やがて死体が発見される)、近所の娘の失踪と事件が立て続けに起きる。現場には魔法円が残されている。警察は教授を犯人と疑っているようだ。屋敷では、曰くつきの赤いランプが灯るという怪事が発生しているが、果たして事件との関連はあるのか。
 色々惜しい作品である。
 まず、全体の雰囲気が禍々しくて良い。不可解な羊殺しが事件の発端となるのも、意味深だ。教授の妻は、予知能力をもっているかのように描写される。教授の日記形式で語られ、一見ユーモラスな語り口が事件の暗い雰囲気を払っているが、何やら信頼できない語り手の気配がある。
 事件に加えて、赤いランプの点灯、謎の男の出現、交霊会の怪事など、回収できるのか不安になるくらいに、現代の『ユドルフォ城』並みに不可思議な事象が頻発する。
 これで、解決が素晴らしければ、というところだが、残念ながら、謎の解決という点では不満が残る。あえて作者はやっているのだろうが、怪奇が合理に遭遇した以降の探偵小説では一種のタブーを用いている。それを逆手に使った傑作もあるが、そのためには、別な書き方があったはずだ。
 犯人には意外性があり、特に動機のユニークさには眼を瞠るが、それもあまり際立つようには、書かれていない。これも、事件の構成を変えて動機を前面に打ち出す方法もあったのではないか。
 羊殺しから始まる事件の連関が緩く、犯人があまり合理的な行動をとっていないのも、推理の説得力を落としている。
 しかし、物語は尋常ではない不穏さが続き、最後の交霊会での幻視という強烈なシーンもある。結末でうまく収束していれば、1925年という時点で、米国に傑作怪奇ミステリが誕生していたかもしれないと思わせるものがある。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita


◆【毎月更新】クラシック・ミステリ玉手箱 バックナンバー◆

◆【毎月更新】書評七福神の今月の一冊【新刊書評】◆

◆【随時更新】訳者自身による新刊紹介◆

◆【毎月更新】金の女子ミス・銀の女子ミス(大矢博子◆)