—— ハイアセンのノンストップ復讐劇に酔い痴れろ!

 

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:10月に入っても30度近い日が続き、衣替えを先延ばしていたらこの寒さ。極端すぎるだろ。今のお若い方はご存知ないかもしれないけれど、その昔この国には「秋」という爽やかな季節があってじゃな……。

 さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に読みながら翻訳ミステリーを学び直す「必読!ミステリー塾」も残り10回を切りました。第91回のお題はカール・ハイアセン著『復讐はお好き?』、2004年の作品です。日本では2007年に田村義進さんの翻訳で文春文庫から発売されました。田村さんといえば、矢口誠さんがその熟練の翻訳術を深く掘り下げたこちらが素晴らしいので是非どうぞ。
 そして『復讐はお好き?』はこんなお話。

両親と前夫の死によって莫大な遺産を受け継いだジョーイは、再婚相手チャズと結婚記念旅行に出かけることに。バカンス気分も束の間、彼女は夫によって夜の海に突き落とされる。大捜索の甲斐なく発見されないジョーイはもう死んだものと思われたが、ところがドッコイ、彼女は生きていた。持ち前の悪運と根性で生きて浜にたどりつき、謎の隠遁生活者ミックに匿われていたのだ。なぜ自分は殺されなければならなかったのか。ジョーイはその理由が分からぬまま、生きていることを世間に隠し、チャズへの復讐を開始する……。

 作者のカール・ハイアセンは1953年生まれのアメリカ人作家。フロリダ出身で地元の名門紙『マイアミ・ヘラルド』では社会問題などを扱う硬派の記者として活躍したそうです。
 そんなハイアセンは、とにかくテンポが良くて痛快無比、疾走感とノリが身上です。2004年に発表された本作『復讐はお好き?』は長編第11作。英国CWAのゴールドダガー賞の候補となり、日本でも「このミス」と「文春ベストテン」で2位となった彼の代表作のひとつです。ちなみに原題の『Skinny Dip』は「全裸水泳」のことなんですって。

 ロマンチックな結婚記念クルーズの途上、飲めない酒を飲まされて、デッキから夜の海へ突き落されるジョーイ。あたりにはサメがウヨウヨです。海に落ちた時点で死んでいてもおかしくない状況で、遥か先の陸まで生きてたどりついたジョーイは、学生時代は水泳部のキャプテンとして鳴らした女。着水時にとっさに飛び込みの姿勢をとったというからスゴい。まさに芸は身をタスク。ちなみに2つ以上の特技がある場合をマルチタスクというのだそうですね。

 ボロボロになって(全裸で)浜に打ち上げられていたところを元捜査官のミックに助けられたジョーイは、やがて落ち着くと、夫チャズへの怒りと復讐欲がメラメラと湧き上がる。いい加減な男ではあったけど、口が上手くてセックスも上手かったチャズにそれなりに満足し、どれだけ外に女を作っても目をつむってきてやったのにこの始末。

 でも、どうしても分からないのがその動機です。なぜなら、ジョーイが死んでもチャズには1セントも入らないシステムになっていたから。今さら愛人とくっつくために妻が邪魔になったとわけでもないだろうし。いくら考えても意味不明。

 夫への復讐を誓いながらも、ジョーイは好奇心とイタズラ心が抑えきれず、余計なことばかりするものだから、話はどんどん複雑怪奇になってゆく。

 そんなこんなで、どう考えても酷い犯罪の被害者なのに、能天気なジョーイのキャラのせいで悲壮感はミジンもない。てか、悪党も含めて、そんな奴らしか出てこないからハイアセンは信頼できる。
 畠山さんも嫌いじゃないよね、この感じ。


畠山:
もうね、嫌いじゃないっていうか、だから小説はやめられないと思わせてくれる作品で、本を開いてから閉じるまでずっと楽しかったです。

 偶然にも先月のお題『死ぬまでお買い物』と同じ南フロリダが舞台です。フォートローダーデールにビスケーン湾とすっかり馴染んだ地名も出てくるし、全体的にテキトーでプチやばい雰囲気が漂う土地柄も変わらない感じ。ヘレン・ホーソーンがブラック職場で殺人に巻き込まれている時に、海ではジョーイが夫に殺されかけているのかぁ…と、違和感なく想像できて、面白すぎるフロリダにニヤニヤ笑いが止まらなくなります。すでに雪の便りがやってきた北海道ですが、気分は南国。

 なんといっても冒頭がいいですよね。いきなりヒロインがドボンと海に落ちたところから始まります。フツーならパニックと悲壮感でいっぱいになるはずなんですが、夫に投げ落とされたことを確信したジョーイの心のひと言は「アンチクショー」。このノリ! おかげでこちらも肩の力が抜けました。
 さらにジョーイの両親が亡くなった時のエピソードがぶっ飛び。一瞬意味がわからなくて読み返しましたよ。クマが飛行機の操縦?? 少々の戸惑いのあと、心の辞書から「不謹慎」という言葉を削除して読み進めることにいたしました。あ、何の話か気になる方は今すぐ本書をお手に。

 ジョーイのあっけらかんぶりは加藤さんの言う通り。じゃ、夫はどんな人なのよというと、これがまぁ見下げ果てた野郎なのです。倫理も道徳もかけらも持ち合わせておらず、いついかなる時も呼吸をするように嘘をつき、保身のためなら女房も殺す。頭にあるのはひたすらセックス、というking of クズ。クズもここまでくれば天晴れというか、きっとクズの星からやってきた生命体に違いない。人生のなにもかもを誤魔化しだけで生きてきた男に妻殺しがちゃんとできようはずもなく、どんどん追い詰められて「いかに殺人が難しいか」を学ぶハメになるのが、皮肉すぎて笑えます。

 ジョーイはなんでこんな男と結婚しちゃったのかなぁと思うのだけど、人間、豪快な過ちを犯すことだってありますわね。興味深いことに、ダメ要素のみで構成されているチャズの唯一の美点(?)が、ジョーイの金をアテにしていないことなんです。嘘をついて得た職は嘘をつくのが仕事という落語みたいな話ではありますが、それなりに稼ぐ努力をしているのは間違いないので、なんとなく憎めない。

 この夫婦以外にもみんなキャラが立っていて面白かったなぁ。加藤さんはどう? お気に入りのキャラはいた?

 

加藤:本作『復讐はお好き?』の大きなテーマの一つは、世界最大の湿地帯であり水鳥たちや希少植物の楽園である南フロリダ・エヴァーグレーズの自然破壊問題。フロリダ出身のハイアセンが、この問題に心を痛め続けているのが伝わってきます。

 そんなエヴァーグレーズの問題と深く関わる仕事をしているのがジョーイの夫チャズ。畠山さんが書いている通りのどうしようもないダメ男なんだけど、人間味がありすぎて完全には憎めないんですよね。そしてそのキャラクターというか肩書がおもしろ過ぎる。フロリダの自然を守る水質管理局の職員で海洋生物学者。ミスターではなくてドクターと呼ばれたがるチャラ男。愛車は黄色いハマーって、どこの世界にハマーに乗ってるナチュラリストがいるんだよw もうちょっと頑張って偽装しろ。

 そして僕がこの『復讐はお好き?』でとにかく感心したのが、キレモノ刑事ロールヴァーグという男の造形です。ジョーイ失踪事件の担当となった彼は、世間が事故か自殺と決めつけているなか、ただ一人チャズによる故殺を疑うのですね。とはいえ、ジョーイの死体が無い以上、立件は無理だろうとも思っている。それでも丹念に証拠を集め、チャズを精神的に追い詰めてゆくという役柄です。

 さて、そのロールヴァーグ、本作中ではとても珍しい普通の人かと思いきや、実は2匹の巨大ニシキヘビと一緒に暮らす爬虫類マニアだったりするんです。そしてこの話が佳境に差し掛かろうというあたりでその2匹が部屋から脱走し、やがて近所では小型犬やら猫やらの小動物の失踪が相次ぐという。さすがのロールヴァーグも焦ります。これはマズい。ヒジョーにマズい。

 ねえ、なんか凄くない? ただでさえお腹一杯にハチャメチャな話で、ハンドル操作を少し間違えれば大事故みたいなスピードでぶっ飛ばしているところにこんなエピソードぶっ込むなんて。頭おかしいんじゃないのかハイアセン。頼むからハグさせて欲しい。もう可笑しいというより感動したわ。

 とまあ、ここまでハイアセンの突き抜けたコメディー要素をさんざん紹介してきましたが、もしかしたら未読の方は「ああよくあるやつね」って思ったかも知れません。でも、ハイアセンは決して「よくあるやつ」ではありません。魅力がうまく使わっていないのではあれば、痛恨の極み。畠山さんの不徳の致すところです。
 世の中を覚めた目で見ながらフザケているようで、反面、ハッとするような純粋なものを感じさせたりもするハイアセンの世界。何より読んでいて心地よい。
 決して読者を不快にさせないというバランス感覚というか、エンタメとしての絶対的な正しさみたいなものを感じるんですよね。

 本作も最後の数ページでは、読み終わるのが惜しくて何だか寂しくなっちゃったもんな。あの感情は何だったんだろう。

 

畠山:不徳の致すところにはちょっとした自信のある畠山です。あらためましてこんにちは。

 加藤さんはロールヴァーグが気に入ったようですが、私は断然、毛むくじゃらで十字架集めが趣味の大男トゥールだなぁ。尻の割れ目に突き刺さった銃弾の痛みを紛らわすために、介護施設に忍び込んで末期ガン患者の身体からフェンタニル(鎮痛の貼り薬)を引っぺがしてくるって、一体どこからツッコんだらいいのか。

 彼がそのフェンタニル行脚で出会うのが老女モーリーンです。すでに病状は進んでいますが頭脳は明晰で、気持ちも強い。泣く子も黙る乱暴者の大男も彼女のペースにすっかりのまれてしまい、そこから少しずつトゥールは変わっていきます。この二人のやりとりが心に沁みるのです。交わす言葉は多くないのに深くて美しい。

「わたしはいま81歳だけど、それでも今日より明日のほうがよりよい人間になれると思っている」というモーリーン。私にとっては彼女が本書のヒロインです。
 そして煌めきに満ちた彼らのラストカット。やだもう、鼻の奥にツーンときちゃったぢゃないの! 油断してたわ!!

 憎めないキャラクターが多い中で、一貫して「悪い奴」なのが農業排水の垂れ流しでエヴァーグレーズの環境を破壊している悪徳農園主レッド・ハマーナットです。彼からは汚染された水の悪臭が漂ってくるようで、加藤さんの言うように、作者にとってフロリダの環境問題はライフワークなんだなぁということがわかります。利己のためだけに自然を壊すこと、それを黙認することがいかにグロテスクか見せつけられるようでした。ハイアセンって、おちゃらけるつもりなのに地元の問題になるとつい熱くなってしまうのか、真面目に問題提起しようとしてついふざけてしまうのか、どっちなんだろう??

 そうそう、人間臭さとは別の次元にいるっぽい特異なキャラを紹介しなくてはいけません。本書の中では名前がありませんが、スキンクというシリーズキャラクターです。森の中に棲むその人は、容貌魁偉、詩が好きで、なにやら含蓄があり、間違いなく腕にはおぼえがある。そして軽く“イッて”る。いや、あんまり軽くないかもしれない。わずかな登場なのに見事にいいとこ持っていく哲学を持ったアブナイ隠遁者は、ハイアセンワールドの体現者なのかもしれません。
 解説によると「ファンのあいだで「デニス・ホッパーが演じればぴったり」とも言われている」とのこと。確かに!ピッタリだ!
 彼には『大魚の一撃』『珍獣遊園地』『虚しき楽園』『トード島の騒動』などで会えるようです。これは追いかけねばなるまい!

 本書のラストは想像の余地が残ります。それぞれのキャラクターに相応しい結末が用意されていて、納得できるし気分も良かったのだけれど(世の中大体のことは金で円滑になるw)、ラストは簡単にお話(=人生)は終わらないんだよと言われた感じがしました。加藤さんが不思議な感情になったというのも頷けますね。
 もしも読書会があったら「この後“この人”はどうなると思いますか?」と問うてみたいです。

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 カール・ハイアセンほど翻訳ミステリーの編集者に愛された作家はいないでしょう。そして、その熱が読者になかなか伝わりにくかった作家も。

 いきなり内情のネタばらしのようなことを書いたのは、1990年代からずっと見てきて、編集者の苦闘をよく知っているからです。おもしろく、熱狂的なファンがいる割にはその魅力が一般層に伝わりにくく、なかなかベストセラーリストの仲間入りをさせられませんでした。最初に大売れした作品はたぶん、2003年に出たヤングアダルトの『HOOT』だったのでは。おお、ハイアセンが増刷に次ぐ増刷だ、と当時は喜んだものでした。

 こうして書くと一部のマニア向けの作家のように思われてしまうかもしれません。とんでもない。ハイアセンこそは犯罪小説、そして冒険小説の正道を行く作家です。元新聞記者のハイアセンは、世の中の不正に対する抗議の声をずっと絶やしませんでした。彼の特徴は、作品の根幹をなす犯罪を、そうした社会の不正に結び付けたところです。正面からそれを糺すのではなく、自身も犯罪すれすれの行動を取る外れもの、法の埒外にいるという意味では文字通りのアウトローたちに、ハイアセンは大きな陰謀と立ち向かう役を振ります。目には目を、歯には歯を、というやつですね。毒をもって毒を制す物語の狂言回しとなったのがみんな大好きスキンクでした。ハイアセンの登場人物たちはみな変人としてデフォルメされており、なんらかの弱点を誰もが抱えています。物語としてはスクリューボール・コメディ。変人同志のぶつかりあいがなぜかハッピーエンドに結びつくというプロットですね。主人公の恋愛はほぼこの形。社会風刺劇をスクリューボールでやる、という構造なのですから、これがおもしろくならないわけがない。

 ハイアセンの登場後、彼の影響を受けた犯罪小説家たちがぞろぞろと現れます。ねじれた人物ばかりが登場する物語はプロットの宝庫であり、真似したい誘惑に駆られたのでしょう。ニューヨーカーのエヴァン・ハンター(エド・マクベイン)とドナルド・E・ウェストレイク、あちこち移動するエルモア・レナード、フロリダのカール・ハイアセンが1990年代以降のアメリカ犯罪小説を作り上げたのですが、その中でも意外や意外、もっともねじれた話を書くと思われていたハイアセンが、実は最も熱い魂の持ち主だ、というところがおもしろいところ。変人なので感情が真っすぐに伝わりにくいのですが、ハイアセンの主人公たちはみな、曲がったことが大嫌いな人々なのです。大嫌いすぎて、時には法すらも逸脱して自分の信念を通してしまう。この魂までも真似できている犯罪小説家はそんなに出ていないと私は思います。これって冒険小説ですよね。

 最初は大笑いしながら読んでいると、次第にその中核にある怒りの感情に惹きつけられるようになり、最後は大いに溜飲の下がる大団円となる。これがハイアセン小説です。やり方がストレートじゃないからなのかな。「優しい」と「タフ」とか「さよなら」とかあまり言わないからかな。出版社が「ハイアセン・タッチ」とか命名したらよかったのかな。そんなに馬鹿売れしているわけじゃないけど、好きな人は虜になってしまうたまらない魅力の持ち主。それがハイアセンです。あと動物もいっぱい出てくる。

 さて、次回はスティーグ・ラーソン『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』ですね。これまた期待しております。

 

 

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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