実はこの作品が出ていたことを知ったのは比較的最近で、2019年に『わが愛しのホームズ』をおそれ多くも名古屋読書会で取り上げていただき、資料のペーパーを作るためにあれこれ調べていたときにひょっこり行き当たったのでした。刊行されてから2年も経っていたのに気がつかなかったとはなんという不覚!というわけで今回は『わが愛』の続編であるA Case of Domestic Pilferingを紹介させていただきます。

『わが愛しのホームズ』ではホームズに許されぬ片思いをするワトソンの(そしてホームズの)苦悩が描かれていましたが、今回は三人称で、複数の視点から描かれており、それぞれの思惑の行き違いが生み出すドタバタ(?)が中心となっており、どちらかといえばイギリス風コメディ・オブ・マナーズのような作品になっています。
 この物語の中心となるのが金持ちのドラ息子ガイ・クレメンツとその友人のマックス・ヘアハム。これがまさに坂田靖子のマンガに出てくるような、わがままだけど憎めない美青年とそれにふりまわされて迷惑をこうむる優等生みたいなパターンといいますか、ガイは母親に溺愛されているのをいいことに競馬や賭け事で莫大な借財をつくり、母親のダイヤモンドのネックレスをこっそり質にいれて、偽造品とすり替えたりするようなとんでもない奴です。世界は自分のために回っていると信じ、オスカー・ワイルドに心酔してデカダンを気取り、わざと人前で傍若無人にふるまっているけれど実は小心者で特技は泣き落とし(笑)。
 そんなガイに対して、忠実な友人マックスはひたすら真面目で堅実で、ガイの母親にも気に入られて絶大な信頼を得ていていますが、お金持ちではないので、ガイとつきあうたびに財布の中身の心配をしつつ、ガイのやりすぎをいさめるお目付け役も兼ねています。それでも惚れた弱みで、ガイのためならなんとかしてやらなくちゃという損な性分です。この二人のドタバタぶりはどことなく坂田靖子の「くされ縁」をほうふつさせます。この後に訪れる同性愛者にとっての冬の時代を考えれば、彼らにとって青春を謳歌できた最後の夏だったかもしれないことを想えば、ガイのやり過ぎも、まあ、ちょっとは許せるかもしれません。
 そしてもうひとりの重要な脇役が、アルコール依存症の母親を抱え、ガイの邸宅でメイドとして働きながら、いつかこの惨めな生活からなんとか抜け出そうともくろむマデラインと男娼をしているマイケルの姉弟。男娼として夜の街に立つマイケルは、ときたま釣り上げてくるお偉いさんを強請っては情報やお金を巻き上げ、姉はさらに弟が釣ってきた大物から軍事機密を横流しさせ、その情報を国際スパイに売りつけているというなかなかしたたかなコンビです。特に姉のマデラインは自分の知性だけを頼みに、危ない橋を何度も切り抜け、最後にはホームズも出し抜いてしまうという超絶クールなヒロインで、この作品のなかではある意味いちばん印象に残る人物です。
 そしてわれらが221Bの住人ホームズとワトソンの再登場となるのですが、読者が一番気になるのはふたりの関係が『わが愛しのホームズ』から進んだのかということではないでしょうか。あいにくとこれがまったく変わらず(笑)というよりはわからないといったほうが正しいかもしれません。舞台となる季節が夏なので、ホームズは不活性状態におちいり、暑さとホームズの相手をしているのに疲れたワトソンは散歩に出かけた先でガイとマックスに出会い、ふたりが何らかのトラブルにあるのを嗅ぎつけ、無理やり221Bに連れてきてしまいます。あいかわらず(?)美しい若者たちには寛容なワトソンですが、ホームズが当然いい顔をするわけがなく、マックスがあからさまにホームズに心酔するのを見たガイも露骨な敵愾心を燃やします。やがて盗まれた軍事機密を追っているホームズと、ガイの母親のネックレス(偽物)盗難事件がリンクし、さらにはマデラインの暗躍や、謎の国際スパイも絡んでふたつの事件は意外な展開を見せるのですが……。

 今回はローズ・ピアシー単独ではなく、シャーリー・レイヴンとの共著になっているのですが、シャーリーはローズの長年の「シャロ友」であり、ふたりの写真を見るとお洒落な貴腐人おばちゃんズという感じでなかなか微笑ましい。もともと熱烈なミステリー・ファンだったふたりは、「緋色の研究」刊行百周年のホームズ・ブームとジェレミー・ブレットのグラナダ版ホームズに刺激され、ホームズの「聖典」にどっぷりはまりこんでしまいました。とりわけふたりが惹かれたのは、控えめながらも作品中にしっかりと暗示されてているホームズとワトソンの「絆」でした。しかし当時はホームズとワトソンの関係について取り上げたものはなく「自分たちが読みたいものを書いてみよう」と生まれたのが『わが愛しのホームズ』でした。しかし1980年代のイギリスはまだこうしたものを受け入れるには早すぎ、新聞にさんざんな酷評や非難を書きたてられた上にコナン・ドイル財団のダメだしを受けるなど、続編を発表できるような雰囲気ではなくなってしまい、第二弾として予定していたシャーリーの作品もお蔵入りになってしまいます。
 しかし時代の趨勢も変わり、ガイ・リッチー監督のブロマンス色の強いシャーロック・ホームズや現代版「シャーロック」が多くの人々に受け入れられるのを見て「なあんだ、私たちだってやってもいいんだ」と思ったかどうかはともかく、30年ぶりに続編が陽の目を見ることになりました。シャーリーの原作をさらにローズが翻案脚色して発表されたのがこのA Case of Domestic Pilferingというわけです。いまやインターネット同人誌に慣れたファンからは『わが愛しのホームズ』にはラブシーンがないという不満が寄せられたそうですが(たしかに服を着たまま並んで寝てるシーンが一度あるだけですから)、抑制があるからこその、あの独特のやさしい、ちょっと生真面目でさえある世界をお楽しみいただけるのではないかと思います。

柿沼 瑛子(かきぬま えいこ)
  翻訳家。主訳書にローズ・ピアシー『わが愛しのホームズ』(新書館)、パトリシア・ハイスミス『キャロル』(河出書房新社)、アン・ライス『ヴァンパイア・クロニクルズ』(扶桑社)。共編書に『耽美小説・ゲイ文学ガイドブック』(白夜書房)。元山歩きインストラクター。ロス・マク&マーガレット・ミラー命。埼玉読書会世話人その② 腐萌え読書会影の黒幕。@sinjukueiko





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