Monsieur la Souris, Gallimard, 1938/9/6(1937/2執筆)[原題:ねずみ氏]
・« Le Jour » 1937/3/7-4/10号
The Mouse, translated by Robert Baldick, Penguin Books, 1966[英]
Tout Simenon T21, 2003 Les Romans durs 1938-1941 T4, 2012
・映画『Monsieur la Souris(Midnight in Paris)』ジョルジュ・ラコンブGeorges Lacombe監督、レイミュRaimu、エイメ・クラリオンAimé Clariond出演、1942[仏]

 所轄署の扉が開いたのは、11時12分過ぎのことだった。チェッカーをしていたふたりの自転車警邏官が顔を上げた。黒い木製の机の後ろでパイプを吸っていた巡査部長は立ち上がったが、その新たな訪問者へ目を向ける前に、馴染みのある声でこう告げられた。
「もう一度いうが、おれを急かさないでくれよ、若造! おまえさんは相手が誰だかわかってないんだろう……そこだよ! 当直しているおれの巡査部長様だ!」
 一日の勤務は終わりに近づいていた。あと四十と数分もすれば夜勤の者たち、「ヌイチュー」と仲間内で呼ぶ者たちがやって来る。太った巡査部長は制服のボタンを外し、私服刑事のロニョンは自転車警邏官たちのチェッカーを陰鬱な目で追っていた。
 夜の8時から、ひどく雨が降り続いていた。こうした滝の雨は暖かな春の日に突然降って止む雨のつねで、辺りをびしょ濡れにしてしまう。今夜はオペラ座で特別公演(ガラ)があった。それは車の数の多さでわかるし、大邸宅のお抱え運転手らが路肩でしゃべっているのが聞こえてきたことからもわかる。
 一方、オペラ座に配置されていた所轄警官の誰ひとりとして、何が劇場にかかっているのかは知らなかった。
 重要なのは雨が降っていたこと、そしていまも降っていることであり、平和の守護者たちは服を濡らして帰宅しつつあったこと、そして道が滑りやすいときはいつものように、イタリアン大通りだけで交通事故が3件発生していたことだった。
(仏原文から瀬名の試訳)

 冒頭部をご覧になっておわかりのように、何と本作『Monsieur la Souris[ねずみ氏]にはロニョン刑事が登場する! 後にメグレもののレギュラーとして活躍する、あの「無愛想マルグラシウな刑事」のデビューが本作なのだ!
 ジョゼフ・ロニョンはパリ9区の所轄私服刑事で、ふだんはモンマルトルの色町界隈を巡回し、娼婦の違法取引の取締係をしている。その彼に「無愛想な刑事」と渾名をつけたのが、他ならぬ本作の主人公、8区や9区の歓楽街をうろついている68歳の住所不定老人、通称「ねずみ氏」だったというわけだ。ねずみ氏はオペラ座など高級劇場の前に立って、車から降りてくる上流階級の人たちを劇場前まで案内することで小遣いを得ている。だがいつか大金が手に入ったなら、故郷の小さな長老派司祭館を買い取って名士になりたいと、淡い夢を抱いている。
 その彼が6月23日水曜の雨の夜、所轄署の扉を開けて入ってきたところから物語は始まる。彼は道で拾ったものを届けに来たのだ。無印の黄色い封筒に入っていたのはドルとフランの高額紙幣で、合計すればなんと約6万7千フラン。もし1年経っても落とし主が現れなければ、それはねずみ氏のものになるだろう。
 財布を拾ったときに使われるちょっとしたテクニックがあって、たとえば200フラン入った財布なら、わざとそこに10フランを足して交番に届けるのだ。もし落とし主が現れても、「何フラン入っていた?」と訊かれて「200フラン」と答えたならば、届け出品と金額が違うので正規の落とし主とは認められない。1年後、その財布はまんまと拾い主のものになるというわけだ。
 しかしねずみは以前に失敗したことがあり、落とし主の女は正確に200フランと答えたのだが、事務官の判断で210フラン入った財布はそのまま返却されて10フラン損した教訓を活かし、今回その手段は使わなかった。それにもうひとつ重大な理由があったからだ。彼はその夜、いつものように小遣い稼ぎでシャンゼリゼ大通りにいたのだが、一台の車が止まっていることに気づいた。そこで運転席のドアを開けると、そこから男がずり落ちてきて仰天した。運転席の男は死んでいたのだ。驚いて彼を車に押し戻し、ドアを閉めたが、路上に財布が落ちていることに気づいた。それを持っていったんは立ち去ったものの、戻ってみると車がない。そこで彼は急いで用意した別の封筒に小切手や現金を入れておき、その場にしゃがみ込んで、いかにもそのとき初めて拾ったかのように近くの《マキシム》の店員を目撃者に仕立てて、所轄交番に届けたというわけである。拾った財布には「サー・アーチバルド・ランズビュリー」と書かれた封筒に小切手の束が入っており、さらには見知らぬ女性の写真と遊園地のチケット3枚が入っていた。ねずみ氏は封筒を別のものに入れ替え、財布と写真とチケットを隠して、あたかも無印の封筒だけを拾ったかのように見せかけて交番に届けたのである。何か写真やチケットが訳ありの物品のように思えたからだ。「サー・アーチバルド・ランズビュリー」とは誰だろう? この写真の女性はどこにいて、なぜ遊園地のチケットが財布に入っていたのだろう? ねずみは翌日から見知らぬ男と写真の女を捜し始める。
 一方、所轄刑事のロニョンはいつものように無愛想だが、家に帰れば妻と小さなひとり息子が待っている。彼は仕事のことはほとんど妻に話さない。だが以前から顔見知りだった老ねずみのことが気になった。《マキシム》はパリ8区なので、厳密にいえば自分の所轄区内の事件でもない。それでもロニョンは翌日から密かにねずみの足取りを追うことにした。ねずみはねずみの方で不安を募らせていた。新聞を見ても、男が殺されたという記事がまったく出ないからだ。まだ死体は発見されていないのだろうか? ひょっとしてあれは殺人で、自分が見えなかっただけであのとき助手席や後部座席に殺人者が潜んでおり、死体とともに行方を眩ましたのではなかろうか。となれば殺人者は被害者の男が落とした財布を追って、いつか自分を捜し当てるかもしれない……。

 久しぶりに舞台はパリ、しかも人々が行き交うシャンゼリゼ大通りやエトワール凱旋門界隈の繁華街で、まさに日本の私たち読者にとっては「待ってました!」と声を上げたくなるほどフランス気分を存分に味わえる物語だが、何よりも目を瞠らされるのは各キャラクターが本当に魅力的でいきいきとしているということだ。老浮浪者のねずみ氏だけでなく初登場の「無愛想な刑事」ロニョンが実にいい。彼はこれまで12年間、所轄刑事を務めてきた。地方警察にも警視の階級があり、3度試験を受けたが合格しなかった。若いときの学業が足りないのだ。このころ娼婦は認可制であったから、免許を持っていれば客を取れる。だが違法で働く女性がモンマルトル界隈で後を絶たず、ロニョンはそうした女たちを取り締まるのが仕事なのだ。自宅のアパルトマンは18区にあって、ごくつましい生活を送っている。何度も彼が自宅で夫人の用意した夕食を摂るシーンが出てくる。「明日も遅くなるの?」と訊かれてロニョンは「ああ……」と短く答える。浮浪者のねずみを追うために、自分も駅の構内で寝て見張る必要があるからだ。つまりロニョンは歓楽街の下層階級の者たちの生活事情を承知しているのである。また一度は業を煮やしてねずみを自宅に呼びつけ、同僚には知られぬよう証言を迫ったこともある。隣の部屋で夫人が息子を寝かしつけているにもかかわらずだ。夫人はそんな夫の行動を許している。本来なら汚い老浮浪者を家に上げるなど迷惑千万だが、夫の仕事はそういうものなのだと理解している。その上で「またねずみのことを考えているの?」と、居間でぼんやりしている夫に気遣いの声をかける思いやりも併せ持っている妻であった。
 ロニョンはこの後、中篇「メグレと無愛想な刑事」(1947)や長篇『メグレ罠を張る』(1955)などに登場することになるが、それらで描かれるロニョンより、本作のロニョンはずっと魅力的だ。彼は本作でデビューしたからこそ、本作にまずその人間性が余すところなく描かれたのであろう。ロニョン刑事のファンなら絶対に本作を読み逃してはならないが、なんと嬉しいことに本作の魅力的なキャラクターはねずみとロニョンふたりに留まらない。本作では司法警察局のリュカ警視とジャンヴィエ刑事も登場し、とくにリュカ警視はこれまでで最高の活躍を見せる。もちろんメグレものにいつも登場していた、あのリュカとジャンヴィエだ。かつてペンネーム時代の作品群でときおり昇進していたのと同じように、本作のリュカも肩書きは警視である。パイプを銜え、レストラン《ドフィーヌ》からサンドイッチとビールの配達を頼み、地味だが質実剛健でまじめなリュカは、酸いも甘いも噛み分けた腹心の部下ジャンヴィエを従えて捜査に乗り出す。TVドラマ『鬼平犯科帳』でいえば与力・佐嶋忠介役の高橋悦史と同心・沢田小平次役の真田健一郎だ。ここで二代目中村吉右衛門の鬼平が下手に顔を出してはいけない。地味なリュカと脇役に徹するジャンヴィエだからこそ、本作では老浮浪者ねずみと所轄刑事ロニョンふたりの魅力がいっそう引き立ってくるのである。
 すなわち本作はメグレ外伝のひとつだが、あの大柄で怒りっぽいメグレが出てきたのでは物語全体のせっかくの「軽み」が消えてしまう。本作は単発のロマン・デュール(硬質長編小説)ではあるが、まったくお堅い(デュールな)作品ではなく、これまでのシムノンでいちばんユーモラス、いちばん軽妙な小説だ。その楽しさはもっぱら老浮浪者ねずみ氏と所轄刑事ロニョンの奇妙な友情関係によるものといえるが、さらに見逃してはならないのは、意外と本作の物語の骨格が、ミステリーとしてしっかりしていることだ。ちゃんとミステリー小説として面白いのである。
 ほどなくしてもとの封筒に書かれていた名前「アーチバルド・ランズビュリー」がパリの英国大使館に勤務する男であること、また車中で死んでいた行方知れずの男はどうやらスイスの投資会社《ベイル》グループで働いていたエドガー・ロエム氏であったらしいことがわかってくる。ロエムは秘書のフレデリック・ミュラー(フランス読みではミュレール)と高級ホテルに滞在していたが、23日に会合があるといってひとりで出て行ったまま戻らなかったのだという。そしてロエムは密かにルロイという別名を使い、パリに来ていたときは8区の狭いアパルトマンで幼い息子とふたりで暮らすルシル・ボアズヴァン婦人としばしば逢い、生活費を渡していたことも明らかになった。ねずみはそれで財布のなかに3枚の半券が入っていた意味を知った。ロエム氏は婦人と子どもを連れて遊園地に行ったのだ。
 まだロエム氏の行方はわからない。だが老ねずみが事件の鍵を握っていることがメディアに知れ渡り、記者にも追い駆けられて、ねずみは一躍パリの有名人になった。新聞に写真が載るほどで、街角の売店でも新聞に自分の写真が出ているのだから、ねずみはちょっとばかり鼻が高くなった。自分がなんだかひとかどの人間であるかのように思えてきて、駅で寝泊まりする浮浪者仲間にも自慢する。そんなねずみをロニョンは粘り強く尾行し続ける。
 やがて事件はいささか複雑な様相を呈し始めた。ハンガリーのブダペストからドーラ・サトリという若い女がミュラーたちの滞在するホテルに乗り込んできて、彼女はミュラーを指差し、「この人が殺人者よ!」と大勢の記者の前でいい放ったのである。彼女はミュラーの婚約者だが、故郷で投資家の父親と引き合わせようとしたもののうまく行かず、関係がこじれていた。確かに彼はロエム氏の側近で、第一容疑者といってよい。金欲しさに上司の命を狙った可能性はある。リュカ警視は《ベイル》グループの面倒な内部事情に頭を悩ませることになる。
 そしてねずみはねずみで、何とか自分で事件の謎を解き明かせないかと街を彷徨っていた。行方不明のロエム氏が養っていた健気なルシル・ボアズヴァン婦人に、ちょっとばかり惚れてしまったためでもある。いちばんわからないのは「アーチバルド・ランズビュリー」なる英国大使が事件とどういう関係にあるのかということだ。なるほどあの車はシャンゼリゼ通りの英国大使館からほど近い場所に停まっていた。だがロニョンもわざわざ大使館に行って面談して確かめたが、彼が殺人に関わっているとはどうしても思えない。それに引っかかる点がひとつある。相手が大使ならふつうは宛名に「ロード・アーチバルド・ランズビュリー」と書くはずだが、あの封筒には「サー・アーチバルド・ランズビュリー」とあったのだ。
 そんな折、老ねずみはあるカフェに入って、何気なく壁に貼られている広告を見て驚いた。そこには「アーチバルド」と名が書かれており、そして「夜8時に、《フーケット》の向かいに《ニューヨーク・ヘラルド》紙を持って立て」とあったのである。大使はこうやって密かに日雇い人を募集し、何かの仕事を与えていたのだろうか? その夜、老ねずみは読み慣れない《ニューヨーク・ヘラルド》をポケットに入れて、レストラン《フーケット》に行く決意をした。夜になると、ロニョン刑事もまた《ヘラルド》を手にしてレストランに来ていることがわかった。どこかで誰かが自分たちを見つめ、仕事に相応しい人間かどうか値踏みしているのだろうか? ねずみはテラスの各テーブルを回って客から小遣いをせびりつつ、これから何が起こるのかと身構える。

 パリの描写が実に豊かだ。物語のクライマックスは嵐の夜から始まる。このころには司法警察局のリュカ警視も所轄のロニョンと協力して、老ねずみの動向を探っていた。大雨のなか、ジャンヴィエ刑事を始めとする司法警察局の刑事たちが、《フーケット》で犯人からのコンタクトを待つねずみを密かに見張っている。だがここで事態は急転する。いきなり現れた暴漢どもにねずみが狙われ、車で連れ去られたのだ。刑事たちはその車を必死で追うが、大嵐のため見通しも悪く、司法警察局所有の小さな車ではとても追いつけない。
 ここで興味深いことに、捜査指揮官であるリュカ警視は自分が所属するオルフェーヴル河岸(quai des Orfèvres=司法警察局)ではなく、ノートルダム大聖堂の向かいにあるパリ警視庁(Préfecture de police)へとタクシーを走らせるのだ。というのもここに緊急出動班(Police Secours)の本部があり、何か事件があったときパリ各区の所轄から電話報告が上がってくる中央司令室がここにあるからなのである。
 パリの街角のあちこちには、制服警官がすばやくパリ警視庁へ報告できるよう、緊急連絡用の電話スタンドが設けられている。その報告を集めて壁に掲げられたパリ全20区の大きな地図上にランプが灯る。こうした報告のリレーによって、ねずみを誘拐した車の行方が刻一刻と地図に表示されてゆくのである。リュカ警視はその状況を見に来たのだ。
 司法警察局とパリ警視庁の役割分担がよくわかり、かつ物語が俄然盛り上がってゆく緊迫のくだりだ。パリ警視庁とはフランスにおいて地方警察の一部であり、所轄の刑事はここに連絡するのだということがわかる。ジャンヴィエはその一方で司法警察局の立場からねずみの行方を追っていた。ジャンヴィエの報告はリュカにもたらされる。ねずみを誘拐したのは3人の若い男たちで、アジトに到着してから「財布をどこに隠した」とねずみに詰め寄る。そのとき「無愛想な刑事」ロニョンはどうしていたか? この大捕物が進行するなか、たまたま体調を崩して家で寝込んでおり、事態を知らずにいたのだが、彼は夫人に意外なことを告げたのだった。「事件の鍵がわかったんだ。ヴィシーにいるお前の兄に連絡して、ラルース事典を調べてもらってくれ。最初の文字はL……」いったいロニョンは何の謎を解いたのだろうか? 

 ペンネーム時代のシムノンはラルース事典の記述を頼りに、自分で行ったこともない異国の地を舞台に冒険譚を書き飛ばしていた、とこれまで何度か書いたが、本当にラルース事典からアイデアを得ていたことがわかってちょっと感動した。ロニョン夫人は嵐のなか、夫の書いた手紙を必死に携えてリュカ警視のもとへ向かう。逮捕劇が終わった後、ようやくリュカはずぶ濡れのロニョン夫人と面会し、彼女が大事に持っていた手紙を渡される。そこには1913年版ラルース事典の項目の写しとともに、ロニョン刑事の推理が入っていた。
 この種明かしにはあっと驚かされた。実際にシムノンは1913年版のラルース事典を見てこのアイデアを思いついたのだろう。シムノンの小説にはろくなトリックがないとよくいわれるが、これはそんな偏見を吹き飛ばす、見事に決まった一発であろう。すなわち狭義のミステリー小説としても充分に満足できる作品なのである。
「ねずみ氏」のキャラクターは、後にたとえば『モンマルトルのメグレ』(1951)で出てくるポン引きのような、小柄でちょこまかと歓楽街を動き回る小悪党へと発展を遂げていったのかもしれない。本作の老ねずみは最後まで好人物だが、「ねずみ」という名前のイメージはパリの歓楽街にふさわしいからだ。しかし、だからこそ、といってよいだろうか。ねずみ氏と「無愛想な刑事」のコンビがこれで終わってしまったのは惜しまれてならない。
 本作はシムノン第二期に入ってから現れてきた「軽み」が最良のかたちで結実した一作だといえる。CSの時代劇専門チャンネルがかつて《鬼平外伝》というオリジナルドラマのシリーズを制作したことがあった(https://ikenami.info/news/gaiden5/)。池波正太郎には『鬼平犯科帳』の骨格とよく似ていながら鬼平の出てこない盗賊物語の短篇がいろいろあり、それらをまとめて《鬼平外伝》と銘打って視聴者の関心を掻き立てたのである。本作も《メグレ外伝》として翻訳すれば、きっとメグレ愛好家の読書人に手に取ってもらえるはずだし、その出来映えのよさに驚嘆していただけることだろう。これが翻訳されていないのはもったいないことだ。なお、リュカたちの活躍はメグレ不在の間もさらに続く。本作の次に書かれた『汽車を見送る男』(1938)にもリュカ警視は登場する。
 本作は2度映画化されており、そのひとつはレイミュRaimuというフランスでは有名な個性派俳優がねずみ氏を演じて、1942年に公開された。レイミュの容姿は「ねずみ」の役柄にぴったりだ。映画は(最後の犯人が異なるものの)おおむね原作準拠のストーリーで、ロニョンやリュカ、ジャンヴィエもちゃんと登場し、それぞれ俳優も原作のイメージに近い。
 最近出たBlu-rayディスクの特典映像に、この映画が公開された1942年当時のパリの様子が収められている。当時パリはすでにドイツ軍の占領下にあったが、興行主たちは映画をつくり続け、プロパガンダ映画に混じって公開される探偵映画や怪奇幻想映画が人気を呼んだ、とそこでは示されている。映画『署名ピクピュス』(1943)の柱の広告も映っている。先行きの見えない時代のなかで、ユーモラスな本作の映画は人々の心を明るく和ませたことだろう。
 さて、本作で緊急出動班(Police Secours)の様子が迫真の描写で記されたのは偶然ではないだろう。ちょうど本書執筆の時期にシムノンは緊急出動班に関するルポルタージュを発表しており、たぶん直前にシムノンは密着取材をおこなったと思われるのである。さほど長期の連載記事ではないが、なぜか近年になって突然そのルポが一冊の書籍として復刊されたので、次回はその本を読むことにしよう。

▼他の映像化作品(瀬名は未見)
・映画『Midnight Episode』ゴードン・パリーGordon Parry監督、スタンリー・ホロウェイStanley Holloway、レスリー・ドワイヤーLeslie Dwyer出演、1950[英]
 映像ソフト未発売。ただし英国在籍者ならAmazon.co.ukの「amazon prime」で視聴可能(https://www.amazon.co.uk/dp/B01LP42MZA/)。

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。
 文理の枠を超えた「パンデミックと総合知」をテーマに、母校・東北大学の研究者らとの対話連載を展開中。記事構成は翻訳家・サイエンスライターの渡辺政隆氏(https://web.tohoku.ac.jp/covid19-r/people/)。




 
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