Police secours ou Les nouveaux mystères de Paris, Éditions mille et une nuits, 1998/9*[警察救助隊またはパリの新たな秘密]
・初出タイトルPolice-secours ou Paris arrondissements, « Paris-Soir », 1937/2/6-14, 16号(全10回)[警察救助隊またはパリの各区]
・Francis Lacassin et Gilbert Sigaux, Simenon, pp.321-368, Plon, 1973[シムノン]
Mes apprentissages 1: À la découverte de la France, 10/18, 1987
Mes apprentissages: Reportage 1931-1946, Omnibus, 2001*[わが訓練]
Le Cinéma farine a trouvé sa levure, « Cinémonde » 1937/2/3号(n° 285), Sur le cinéma所収, Les Amis de Georges Simenon, 2000/3/24, pp.7-11, 300部*[映画の小麦粉は酵母を見つけた](映画について)復刻研究同人誌

 
 戦後シムノンの作品に、「手帳の小さな十字印」(別題「生と死の問題」「メグレとパリの通り魔」「ガラスを割る少年」)という中篇クリスマスストーリーの傑作がある。メグレではなく別の名前の警視とジャンヴィエ刑事が登場するが、話の骨格はメグレものに似ているので、日本では翻訳家の長島良三氏がメグレものに書き換えているし、フランスでもブリュノ・クレメール版でメグレものにアダプトしてドラマ放送されたことがある。
 ここで主な舞台となるのが、パリ警視庁にある「警察救助隊」の大部屋司令室なのだ。壁にはパリ20区の大きな地図が掲げられ、各所轄から連絡が届くと地図上のランプが点灯する。前回『ねずみ氏』で犯人たちの乗った車が逃走する際、各区の警官がここへ緊急電話をして目撃情報を告げ、司法警察局のリュカ警視も息を詰めてその成りゆきを見つめるシーンがあった。「手帳の小さな十字印」でもクリスマスの夜になぜか次々と街頭の警報器のガラスが割られて地図上のランプが点灯してゆく。いったい何が起こっているのか? 悪事を知った少年が、必死の助けを求めて警報器を作動させているのだと警察は気づく。
 その「手帳の小さな十字印」でもジャンヴィエ刑事が通りを隔てた司法警察局から司令室へ顔を出したと書かれているように、パリの「Police secours警察救助隊」の司令室は、オルフェーヴル河岸と通称される「司法警察局Police judiciaire; P.J.」ではなくて、ノートルダム大聖堂の向かいに建つ「パリ警視庁Préfecture de police」のなかにある。警視庁舎の裏道を一本挟んだ向こう側にパリ司法宮と司法警察局の建物がある。だからジャンヴィエは裏側から警視庁舎にやって来たわけだ。
 日本の「110番」に相当する緊急通報番号は、フランスでは「17番」だ。いまでもここに電話すると、市町村など各地方自治体の「Police secours」に繋がることになっている(参照:https://www.lyon.fr.emb-japan.go.jp/jp/pdf/chian/Chian2014fev.pdf)。事故や空き巣、死体発見といった市中で起こる事件の多くは、まず自治体警察(Police municipale; P.M.)が情報をつかむのだ。パリ20区ではそれを統括するのがノートルダム大聖堂前のパリ警視庁で、フランスの各県には別途それぞれの警視庁舎があるはずだ。
 シムノンが久々に《パリの夜》紙から依頼されたルポルタージュの仕事は、パリ警視庁や各区の「Police secours」に張りついて、その仕事ぶりをつぶさに読者へ報告することだった。そこでシムノンは「パリの秘密」──19世紀に新聞小説の大隆盛時代を築いた先達作家ウージェーヌ・シューが描き出したパリ民衆の暮らしの現代版を見ることになる。『ねずみ氏』「手帳の小さな十字印」など後の傑作を生み出すインスピレーションの源泉にもなったという意味で、久しぶりにシムノンのノンフィクションを振り返るのも悪くない。
「Police secours」の定訳は存在せず、「警察の緊急救助班」「警察救助課」といった訳語も見られるが、今回はわかりやすく「警察救助隊」で通すことにしよう。

■第1回 市民よ、警察は見ている■

「ゼロ!」とパイプを吹かした口髭の男が、ボードの地図上に電球がひとつも点いていないことを確認して声を上げる。時刻は夜11時半、そろそろ劇場や店も閉まり、地下鉄やバスの最終便が出るころだ。ここはパリ警視庁の警察救助隊本部。大きな鉄の扉、ふたつの窓、4人の警官。そこに取材者のシムノンが加わって計5人。大きな電話交換機には数百のランプが灯っている。右側の電話機は24時間通信可能だ。ラジオ通信装置もある。初めてここを訪れたシムノンは、庁舎内で迷ってしまい、30分もうろつくことになった。
 8区のランプが点灯する。警察救助隊のバス[註:司法警察局と違って、自治体の警察救助隊は専用車両を複数台持っていたようだ。エンジン部分がフロントに突き出した小型のボンネットバスだったと考えられる]が出動したことを示す灯りだ。交換士が8区への直通電話をつかむ。「こちらP.M.(自治体警察)、殺人か、喧嘩か?」たんにバスが給油しに出ただけだとわかってほっとする。8区のランプが消えてバスが戻る。今夜、殺人はない。警官らは酔っ払いのことを「ベルシーBercy」と俗称するが、そのベルシーらの騒動もないようだ。車の盗難届なら1日に12、3件ある。劇場を出て車が見つからず、電話に走るというわけだ。よって深夜の通報が多い。
「こちらP.M.、ボージュへ緊急出動してくれ。高齢の女が車に跳ねられて、輸血が必要だ」──パリの警官は輸血提供者としての任務もあるのだ。
 真夜中を過ぎて午前1時。緊急出動した警官もやがて戻るだろう。昨日、8区のバスは17回出動した。各区の所轄署で彼らはドミノやチェッカーをしていることだろう。カードゲームは禁止されているのだ。2区のランプが灯った。花壇に誰かが突っ込んだらしい! だがそれだけだ。17区の患者は病院へ。16区の盗難車は河岸で見つかった。4人の警官はコーヒーを飲み、パイプを吹かす。パリは眠っている、少なくともいまは……。8時か9時になれば用務員が新聞を届けに来るだろう。4時を過ぎ、5時を過ぎて、空が淡く明けてくる。パリの気温は零度のままだ。

■第2回 モンマルトルの静かな町……■

 ここはモンマルトルの8区庁舎、土曜の朝8時。酔っ払い──「ベルシー」保護の連絡が来て、救助隊の車が出動する。
 路上保護者たちの年齢は58歳、62歳、67歳、72歳……そう! モンマルトルは困窮した老人が多いのだ。しかし今回は18歳の若いベルギー人だった。パリに幸運を探しに来て食い詰めたのだ。ここには20万人が住んでおり、それぞれの生活とドラマがある。1935年の記録に拠ると、8区では9件の殺人があった。パリ全体の8分の1だ。土曜にはあちこちから電話が入る。たいてい問題のもとはポルトガル人やアラブ人などの移住者だ。中央司令室にランプが灯ることだろう。娼婦はいつも同じだが、自殺者は増えた。困窮によって老人や恋路の果ての男女が死ぬのだ。これがモンマルトルの現実だ。

■第3回 3発は当たり、ひとつの剃刀、5発はさほど重要ではない■

 真夜中、8区の庁舎。「ヌイチューnuiteux」と呼ばれる夜番の警官が詰めており、やかんの湯が沸いて若手がコーヒーを淹れる。6人のうちふたりはバックギャモン、ふたりはチェッカー、残りのふたりはそれを見ている。
 路上にいるのは老娼婦と物乞いの浮浪者だ。浮浪者は臭いでわかる。郵便局に入ってその臭いがすれば彼らがいる。巡査は欠伸をする。「シャロンヌ通り? 何番地ですか?」すべては静かで、大気は穏やかだ。
 巡査たちがバスで出動した。粗末なビルの4階。弾薬の臭い、ドラマの臭い、血の臭い、浮浪者の臭い。女が叫んでおり、夫がなだめている。「3発の銃声が聞こえたの。それで……」「医者は?」「呼びに行った」寝室で3人の子どもたちが頭を撃たれて死んでいた。「隣家のヴィノー夫人が私の前に立って……、彼女は剃刀を持っていて、狂女のように私を見て……」「もう手遅れだ」と医者が言う。刑事たちがやってきて、巡査の仕事は終わりとなった。
 そんな夜もあるんだね、といっていたところへ電話だ。現場のビストロの前に乗りつけると、床が血にまみれて、男が座り込んでいる。店長がいうには、閉店間際に3人の男が入ってきて、ポケット越しに発砲したようだ。5発のうち1発だけが辛うじて標的に当たった。その後は大混乱だ。5発すべてが当たっていれば、かえって大きな悲劇とならずにすんだのかも……。向こうでは3発がすべて3人の子どもに命中していた。
 5歳の子を持つ巡査は家に戻った。

■第4回 自殺区と犯罪の臭い■

 私は長いことかけて調べてみた。確かに18区のモンマルトルにはくたびれた老人がたくさんいる。11区や20区にもセーヌ河岸に浮浪者がおり、13区は未来のない異人たちでいっぱいだ。15区にはロシア貧民がいる。だが自殺を試みるものはいない。
 しかしパッシー16区では日に1、2度、電話がある! 「何かおかしいんです」との通報で駆けつけると、若娘の自殺死体が見つかる。死後5日経っており、猛暑による異臭で誰も近づきたくない。男に捨てられ、両親への見せしめのために5錠の睡眠薬ベロナールを頓服して浴槽に沈んだのだ。ブーローニュでも若い男女が森を散策した末に、夜を待って服毒する。16区でかつて自殺はなかった。だがいまはあらゆる区からやって来て16区で自殺するのだ。
 夜11時、通報が入る。フランクヴィル通り7番地、現行犯だ! 建物の当該の部屋へ入ると、かわいい女が居間で目を閉じて座っており、通報してきたと思しき男が「お入りください」と声をかけてくる。男は片眼鏡をかけ、リボルバーを手に持ち、伯爵だと名乗る。見ると銃口の先には40歳くらいのもうひとりの男が立っている。彼は女の夫で、靴工場を営んでおり、伯爵を名乗る男は彼女の愛人だったのだ。夫は金を無心し、伯爵は代わりに女を愛人にした。進退窮まった夫が伯爵を始末するため偽の警官を立ち入らせて揉めごととなったのだという。「(妻に)戻ってきてほしかったんだ……」と夫はうなだれる。女と伯爵を残して、巡査たちは夫を連行した。

■第5回 ムーラン゠ヴェールの狂女■

 朝7時、ムーラン゠ヴェールへの出動要請。モンパルナスのオアシスともいえる場所へ、こんな早朝に出向く意欲が高まるはずもない。だがバスで行ってみると建物の前に30名ほど喪服姿の人が集まっている。このアパルトマンに住む70歳のブレトン女、オギュスティーヌが、夫の葬式の招待状を家族や友人に出したのだ。しかし夫はまだ生きているではないか! 彼女は正気ではないらしい。夫はアレジア通りに住む77歳の義理の姉に相談することにした。
 そして午後4時。今度はバスがアレジア通りに呼ばれた。ビルの管理人がいう。「恐ろしい! ブレトンの老女が妹に絞殺されました」その妹とはオギュスティーヌで、姉の側に立っていたという。「私は自分の魂を救わないといけないの。いまは平穏だわ……。姉はいま夫といっしょにいます」
 現場からすぐ先のゲテ通りといえば、パリでいちばんの景観といわれた場所だ。かつては金持ち女が住んでおり、モンパルナスに楽隊を毎夜連れて来た。彼女はよく飲み、制服警官が嫌いで、ギャングが街を跋扈していた。いまはそのような光景は見られない。
 さて姉を殺した老女は夫に引き取られ、14区の帳簿にはないが、16区の自殺者として記録が残されている。彼女は憂鬱に陥り、ウィスキーをフルボトルで飲み、そしてベロナール錠を頓服した。酒で寝たのか、薬で寝たのかはわからない。制服を着たハンサムな警邏官の髭を引っ張る夢でも見たのだろうか。

■第6回 失踪者追跡■

 再び警視庁の広間。夜は静かだが、それも電話が鳴るまでの話だ。12区でバスが出た。酔っ払いの喧嘩。パリでいちばん貧しい場所だ。17区で2件の車両盗難。夜の生活の中心地。そして1区……。私は開いている帳簿を何気なく見た。レオニー・B…、16歳、18区で失踪、4日後に22区で発見。その間何があったのか? 誰にもわからない。10歳、11歳……たくさんの子どもの名前。多くはポーランド、ハンガリア、ドイツといった外国名。日付を見てみろ、と警官に諭された。7月14日、革命記念日(巴里祭)があった日だ。人混みに紛れて子どもは失踪する。たいていはフランス語がわからず、多いときは日に30人から40人もいなくなる! 
 ジャック・H…、12歳、最後の目撃情報では杖をついた黒髪の老女と連れ立って歩いていた……。まるでウージェーヌ・シューの一章のようではないか? 
 14歳の娘は病院の前まで行き、呼び鈴を鳴らし、管理人がドアを開けると手にしていたリボルバーで自分を撃った。なぜ、何のためにわざわざ病院まで来て自殺した? 別のある男は街頭の警報器のガラスを叩き割って「M…」とだけ電話で告げ、その後3発の銃声が響いて話が途切れた。バスで警官が駆けつけると男は警報器の下で倒れて死んでいた。
「娘が消えたんです」と親が訴え出ることもある。「恋人はいましたか?」数ヵ月か数年経って、もうその娘にはふたりの子どもができている。
 だが他の人々はどこへ消えるのだろう? 
「いま13区のバスが出ましたか?」そして警官は受話器を置いて呟く。「また酔っ払いだろうよ!」

■第7回 「テロリスト」を夢見る者たち■

 ドゥエー通りやテルヌ広場の近くのバー。50歳代か60歳代の男たちがいつも同じ席に集まって、ブロットbeloteやマニラmanille[:どちらもカードゲームの名で、とくに前者のブロットはシムノン作品によく登場する]に興じつつ政治の話に興奮している。カウンターでは18歳の若者が凭れかかり、彼らビッグ・ボスたちを尊敬の眼差しで見ている。若者は夜な夜なバーを飲み渡り、いつもナイフとリボルバーを持ち歩いている。彼はビッグ・ボスたちに認められたいと願っているのだ。
 あるとき、若者は強引に他人の家へ押し入ろうとした。だが住人に警察救助隊を呼ばれて失敗した。若者は愚かにも、銃の弾倉を確認していなかったので、空砲を撃って慌ててしまった。
 ドゥエー通りのボスたちはいう。「また別の《鳩》か……」
 3軒の宝石店が強盗に遭っていた。すべて同じ手口だ。だが1ヵ月か半年後には捕まって、ギヨーム警視が彼らをオフィスに招き入れるだろう。
 彼らに憧れた若い《鳩》は、刑務所でその惨めさゆえに女性の弁護士を選んだ。より優しくて、母性的だから……。

■第8回 ひとりで死にたくない者たち■

 5月の昼、モンマルトル大通りで22歳の若者がテーブルに就き、アペリティフと水を頼んだ。そして水に白い錠剤、すなわち睡眠薬のベロナールを入れて自殺した。理由は前夜、上司から娘の結婚を断られたからだった。
 彼以上に平静だったのは、朝5時にオスレルリッツ橋に来た警官だった。彼はかさばる荷物を持っており、そこからロープを取り出した。以前に彼は目測で橋の高さを調べ、ロープが充分に川の底まで届くことを確認していた。橋の欄干にロープをくくりつけ、足首に5キロの重石をつける。そして欄干に上がり、自分の頭を撃った。彼は落ちて溺死した。数年前から妻が精神衰弱を来し、彼も不安定になったのだ。
 恋人たちは通常、ひとりで死ぬことを好まない。互いの腕のなかで死にたいと願う。相手を撃って、自分を撃つ。だがいつもうまくいくとは限らない。
 ある男は、ずっと前から別居していた妻に何度も手紙を書き送っていた。そしてある日、妻が子どもたちを連れてようやく彼のもとを訪れた。彼は妻を撃ち、取り乱して辺りに乱射し、別の弾倉に入れ替えて自分のこめかみを狙った。残されたのは日曜のベストを着たふたりの子ども、テーブル上のケーキ、グレナデンシロップの瓶……。男はずっと妻から返事をもらえなかった。彼女は別の男と3人目の子どもを持ったからだった……。
 駅の待合室で5人が寝ている。やがて男が不意に起き上がり、何の前触れもなく妻の首を絞め、今度は子どもの足をつかんで床に叩きつけた。2番目の子も同様で、目を醒ました3番目の子は、生きていると思っていた母親にしがみついたが、やはり同じ運命を辿った。男のポケットには2フランも残っておらず、北部の鉱山で働いていたがフランス語はほとんどしゃべれなかった。
 彼は刑務所でスプーンの使用を許可されたが、床で研いで先を尖らせ、3週間後に食事をしてから自分の頸動脈を切って死んだ。家族は1ヵ月近く待ったのだろう。彼は通訳を介して判事の質問にも答えていたが、つねに冷静で、非人間的な静けささえ湛えていた。

■第9回 喉切りと渡り者■

 最近、アメリカ映画で、前世紀のフランスを舞台にしたものがあり、ヒロインはひとりでバスティーユに行く。危険な場所として描かれるのだが、現在の観衆にはショッキングだ。1936年のいまならヒロインはもっと遠くへ行けるはずだ。地下世界は少しずつ居住区に押されて郊外へと後退した。街は清潔になり、プチブルジョワはよく働く。パリにはモダンなビルが並び、人々はアパルトマンに住むようになった。18区には年間95件の事件があり、ほとんどはポルトガル人やエジプト人が関係していた。19区は8件で、関与していたのは海外労働者だ。1935年にパリ全体では69件の殺人があったが、事件の数なら100万人都市のパリよりスイスの方がずっと多い。しかもパリ市内の殺人は69件だが、郊外では47件の殺人があった。
 もしウージェーヌ・シューがもう一度『パリの秘密』を書くのなら、門を開けて彼はカーペッドバガー、すなわち渡り者の移住者を訪れなければならない。郊外の方が組織化されたギャングがいる。なるほど、パリでは毎日10件から15件の車両盗難報告があるが、それらは郊外のマフィアがパリの外へ乗って出て行き、売り捌くか捨て去るのだ。
 犯罪はファッション化している。それが問題なのではない。本当のドラマはそこにはない。マイノリティに問題があるのでもない。本質は別にある。愛と嫉妬。自殺。子ども殺し。エレベーターボーイとして一日中働く男はヴォージュ広場の閑静なアパルトマンで眠りたかった。だがガス会社に勤める隣人の電気掃除機がうるさい。その隣人は一日の終わりにいつも6曲だけ入った蓄音機を鳴らし続ける。ある晩ついに彼は隣人の部屋に押し入って撃った。ガス会社の男は死ななかったが、人工胃をつけることになった……。

■第10回(最終回) ギャングスターの時代はアパッチの時代より危険が少ない■

「13区!」と私の仲間が伝える。私はソーセージを噛んでいたところだった。これが警視庁の電灯掲示板の前にいる最後の日だ。暗い室内には5人。以前なら私は事件の内容を知ろうと電話番のところへ走ったものだが、いまは椅子に座ったままだ。土曜日、警察救助隊のバスはどこかのバーの前に停まり、飲んだくれたちが喧嘩しているのだろう。10区でランプが点いたが、私はもう興味がない。私はわかっているからだ! 犯罪のほとんどは、宝石店で強盗するため若者が老女を殺したとか、もっぱらアマチュアによるものであって、プロは互いを殺すだけだ。「犯人が捕まるのは明日か、明後日か、1年後か……」と仲間がいう。ある警視は殺人犯を追ってバルセロナに向かったが、「それでどうなったと思う?」と警官仲間が私に訊く。「警視は他に5人もの殺人犯を捕まえてきたんだ。ひとりを追って、さらに5人が網にかかったのさ。犯罪シンジケートだよ!」しかもこの殺人犯は事件から17年後に捕まったのだという、たった1枚の交通切符をきっかけに追い詰められた。
 見ろ、4区のランプが点いた! だがもう私はベルシー(酔っ払い)には驚かない。犯罪が起こるとしても、すべてリフレイン、いつもアマチュアだ。殺人が起きるのは、プロが誤った場合か、狂った若者のためだ。
 私たちはギャングスター(悪漢)の時代を生きているのだ、というだろうか? いや、あなたは間違っている! 1900年や1913年にはいまよりもっと犯罪が多かった。彼らのことをギャングスターとは呼ばず、アパッチと呼んだ。
 パリはアマチュア犯罪と自殺の都市だ。仲間のひとりが17区のバス出動を告げる。私は思う──「酔っ払いさ!」「あるいはアルジェリア人の喧嘩だ!」
 パリ全20区で警察救助隊のバスが往来する。夜は更け、ランプも疲れて、やがてすべてのバスも戻り、一日が終わるだろう。
「もしもし、警察救助隊?」
 しかし朝6時には終わらせることにした。もう私には関係ない。

 ──以前のルポより筆致も向上して、ひとつひとつの逸話がそれなりに生きている。第9回で「1936年のいまなら……」という表現が出てくるので、取材と執筆がおこなわれたのは発表の前年かもしれない。よく読むと後年の小説作品に活かされたと思われる記述が見つかって興味深い。街頭の警報器のガラスを割る男は、「手帳の小さな十字印」の元ネタとなったかもしれないし、前回『ねずみ氏』冒頭の所轄所内で警邏官がチェッカーをやっていたのは、カードゲームが禁止されていたからなのだと理解できる。
 読んでいると1936年ころのパリの犯罪景色が鮮やかに起ち上がってくる。パッシーと呼ばれる16区は、いまではおしゃれで閑静な住宅街として人気だが、当時は自殺者が多かったという事実に驚かされる。パリ中心地の1区では1件も殺人が起こっていないという記述も途中で出てくる。犯罪の多くはフランス語も満足に話せない困窮した海外移住者によって引き起こされ、しかもそれは中心街ではなく郊外で発生する。シムノンは19世紀半ばに大衆を熱狂させたウージェーヌ・シューの新聞小説『パリの秘密Les mystères de Paris(1842-1843)を引き合いに出して、当時とは民衆の生活が大きく変わったことを読者に示す。
 シューの新聞小説『パリの秘密』はフランス大衆文学の時代を切り拓いたとされ、バルザックやデュマが彼に対抗意識を燃やして数々の長篇を書き上げていったことは知られているが、日本では残念ながら完訳版がなく、私も読んだことはない(幻戯書房の《ルリユール叢書》から全5巻で完訳が出ると第1回配本の巻末の広告に載ったことがあるが、まだ実現されていない)。だが小倉孝誠『『パリの秘密』の社会史』(新曜社)に詳しい解説と概要が載っており、『パリの秘密』だけでなくフランス大衆文学の歴史の理解にとても役立つので、この分野に興味のある人はぜひとも読んでおきたい一冊だ。小倉孝誠氏はルコック探偵やアルセーヌ・ルパンなどフランスのミステリー小説文化も研究している人なので、『『パリの秘密』の社会史』にもシムノンの名が一度だけ登場する。

(前略)コナン・ドイルのホームズ物が、霧に霞むロンドンという都市空間なしには語りえないように、フランスの推理小説はパリという空間なしには構築されなかっただろう。それは二十世紀に入って、ジョルジュ・シムノンの作品がしばしばパリの下町の哀愁をただよわせていることにも、よく示されている。近代作家たちは、パリで展開する激しい野心と苦い挫折を、波乱に富んだ愛と友情を、社会を揺るがす革命と反動を、闇の中で行われる犯罪とその捜査を語ってやまなかった。シューの『パリの秘密』は、こうした大衆文学におけるパリの表象の起源に位置づけられる重要な作品であり、その後の大衆小説は『パリの秘密』が創始した物語の構図を変奏させていくことになる。

 シムノンはひょっとしたら、シューの作品をそれなりに読んでいたかもしれない。というのもシューはもともと海軍医だったらしく、初期には海洋小説を書いており、そのひとつに『プリクとプロクPlik et Plok(1831)という作品があった(未訳、未読)。フランスでは後に『プリックとプロックの悪ふざけLes Malices de Plick et Plock(1893-1904)というふたり組の悪漢が活躍する漫画が人気を博し、ふたりの名は悪漢の代名詞となったので、そちらとも関係するのかもしれないが、シムノンはペンネーム時代にほんの少しだけ「プリックとプロックPlick et Plock」というペンネームを使ったことがあるのだ。海好きのシムノンのことだから、シューの海洋小説を読んでいた可能性はある。
 シューは『パリの秘密』『さまよえるユダヤ人』(1844-1845)の大成功によってさまざまな階層の多くの読者から手紙をもらい、それらを通して貧困に喘ぐパリ労働者階級の現実をさらに知って社会主義に傾き、読者の正義感を満足させる理想的なヒーローをいっそう作中で活躍させるようになっていったのだという。
 だが興味深いことにシムノンはこのルポで、もはや現代のパリはシューの書いた時代とは変わったのだと結論づける。小倉氏は上記のようにシューの作家としての姿勢が後の大衆小説作家に受け継がれていったと示唆しているにもかかわらず、シムノンはシューの時代の社会主義と決別している。しかしその上でシムノンは彼の時代のパリを描き、それは「下町の哀愁をただよわせている」と多くの人に評されることとなった。
 このルポにはシムノンの気質がよく表れていると私は思う。本作はもともとフランス大衆文学研究者として名高いフランシス・ラカサン氏が1960年代にシムノンへの取材でスイスの自宅を訪れた際、その存在を教えてもらって発掘し、作家のジルベール・シゴーとともに編纂した本格的な研究書『シムノンSimenon(1973)に再録したものだ。それを読んだジョゼ゠ルイ・ブーケという人が、シムノンのルポルタージュの面白さに惹かれ、1998年に小冊子のかたちで再刊した。簡単な経緯がブーケ氏のあとがきで記されている。
 シムノンはラカサン氏のインタビューで、「将来作家になりたいという人には、小新聞社に勤める以上の訓練はないと勧めよう。何もかも自分でやらないといけないから勉強になる」「ルポルタージュだけが私の好奇心を調達できる仕事なのさ」と応えたという。そう、シムノンは非常に強い好奇心の持ち主である。ペンネーム時代から船でフランスを、そして隣国を回り、そして作家として成功を収めると今度はアフリカへ、東欧と地中海へ、そしてさらには世界旅行へと出かけた。彼は自分で体験して感じないと気がすまないのだ。ブーケ氏のあとがきに拠るとシムノンは作家アンドレ・ジッドへの手紙で「人間を嗅ぐSentir les hommes」【註1】という表現を使ったことがあるそうだが、そういうことだ。
 そしてここが重要なのだが、シムノンは一度「嗅ぐ」とすべて“わかって”しまう気質の持ち主でもあった。これは決してわかった“つもり”になって自己満足に陥る心理状態ではない。本当にすべて“わかって”しまい、もうそれ以上は体験する必要がないと、わかりきってしまうのだ。するともうその対象物への関心はなくなる。心は無になる。これはニヒリズム(虚無主義)と似ているが、同じではない。シムノンの読者なら理解できると思うが、わかった瞬間に物語は終わるのだ。それと同時に世界も終わる。すなわち本は最終ページを迎えて世界は閉じる。
 つねに世界の向こうへ行って体感したいという好奇心に満ちているのに、いったん嗅いだらすべてを“見切って”しまう。粘り強く対象に食らいついて何年も離さないとか、体験をもとに社会をこの手で変えようと行動に移すとか、シムノンはそういうことをいっさいしない。アルベール・カミュとジョルジュ・シムノンの決定的な違いである。シムノンがノーベル賞を獲れなかった理由であり、膨大な作品を書きながらこれぞといった代表作を遺さなかった理由でもある。
 だがこの気質が最良の状態で作品に投射されたとき、シムノンの作品はこの世界に生きる大多数の作家がほぼどうやっても到達できない凄みを湛える。
 いったん体験したらすべて“わかって”しまうことの恐ろしさを、このころのシムノンは自分でもわかっていただろうと思う。本作の最終文の素っ気なさを見よ。「もう私には関係ない」──あまりに深い、宇宙の深淵へ呑み込まれるかのように深い、心の虚無だ。この“無”にはよいか悪いかの価値さえない。
 シムノン作品のラストで私たちは“無”と対峙する。そのとき私たちの心はそれを「下町の哀愁」と表現する──そうしないと心が壊れてしまうからだ。私たちの心にはそうした“力”が存在する。これが人間の持つ“力”でもある。
 だからシムノンを読むと、私たちは人間に“なる”のだ。

【註1】
『ジョルジュ・シムノン‐アンドレ・ジッド往復書簡──謙遜しすぎずにGeorges Simenon André Gide … sans trop de pudeur(Omnibus, 1999/9)を見ると、シムノンからの1939年1月の手紙にこうある(手紙番号4番)。「Sentir」とは「嗅ぐ」「感じる」の意味。

「とりわけ“観察するobservés”ことはないのです。観察は嫌いです。“試すessayer”のです。“感じるSentir”のです。ボクシングをしたこと、嘘をついたこと、盗まれたことを書こうとしました。何もかもやりました、ただし徹底的にではなく、充分に理解したと思えるまで。だからこそ私は何に対しても平凡で、庭仕事も乗馬もできず、ラテン語もゼロです。
 人が何を考えているかよりも、何を“感じて”いるかsent l’hommeに執着します。その者の言葉や、ちょっとした行動にも。畑を調べずに収穫量はわかりません。農夫がどんな食事をして、どのように妻を愛しているのかも知らない限りは。」(瀬名の試訳)

 
   
 
 もうひとつ、この時期に発表された短いエッセイがあるので読んでおこう。映画誌らしき媒体に発表された「映画の小麦粉は酵母を見つけたLe Cinéma farine a trouvé sa levure」で、ベルギーに拠点を置く「ジョルジュ・シムノン友の会」の研究同人誌として復刊された『映画についてSur le cinéma(2000)再録の一篇。このころ欧州は次の大戦を予感し緊張が高まっていた時期で、一方大衆娯楽のために映画人たちは何とか新作を小屋にかけ続けていた。シムノンも映画会社と交渉し、自作の映画化権を売ろうと水面下で努力していたはずだが、そんな時期の皮肉めいた態度がよく出ている。

 親愛なる仲間の皆様へ。映画の問題について、私は少なくとも10の揺るぎない意見を持っています。今年のフランス映画は吉と出るか凶と出るか。マグロ釣りの話でたとえましょう。まずたくさんカモメがいたら、イワシの群が通過したことになる。イワシの後ろからはサバが餌を狩っているだろう。そしてサバの後ろには、サバが大好物のマグロが控えている……。
 ですからシャンゼリゼ大通りに行けば、まずカモメがそこにいることがおわかりいただけます。だからイワシが……。サバが……。よってマグロは……。
 ということで映画も同じです。ベルリンが映画を主導してセンセーショナルな作品を送っていた年もありました。その後しばらくはウィーン。そして突如としてロンドンが奇跡のように目醒めた……。私はドイツ映画黄金時代のベルリンやウィーンで、あるいはロンドンでも、なぜか同じ人たちに会いました。彼らはどこからか“引っ越して”きたのです。私がカモメ、イワシ、マグロと呼ぶこれらの人々は、今日シャンゼリゼのバーやレストランやビルで会うことができます。さあ、私たちの番が来ましたよ。
 つまりこれは小麦粉と酵母の問題です。いまは小麦粉の時代ですが、やがて酵母菌の人たち、すなわち知名度が低く、ルールも守らず、ときにはずるをするような人たちがやって来るわけです。なんと目まぐるしい! 朝には生まれ、夕方には設立し、翌日には「××有限会社」などと称する会社が、いくつも酵母菌のように溢れ出ています。3ヵ月や6ヵ月後、実際に酵母が発酵したときには、私もあなたに同意しましょう。そうして若い監督やスター、ブルジョワ映画が恐れをなした野心的テーマの作品が波のなかから生まれました。ですが彼らはまた別のところで小麦粉を発酵させます。カモメたちのチャンスは尽きることがありません。
 作家? 監督? スター? オリジナル脚本? いい映画ができるかどうかなど、どうでもよいことです。倍額になるか、全損するか、それだけなのですから。その日まで、おそらく、映画は絶え間なく変化する芸術なのでしょう。
 カモメたちが次の海岸に移動して行った後、私たちはブルジョワ映画をリメイクするのでしょう。それは小麦粉映画で、石でできた取締役会と動かしようのない部門長がおり……。ですが文学や絵画、音楽でも、似たようなものだったのではないでしょうか? 

 おそらくこのような小稿を映画誌に寄せること自体、業界人からは物事をわきまえない行為と受け取られたと思われる。
 カモメたちがシャンゼリゼに群れてくるのがよいことなのか、悪いことなのか、いずれにせよ商業主義と先陣争いによって劇場は荒らされ、真にその犠牲となるのはふつうの釣り人──映画を愛する観衆なのだとでもいいたげに、シムノンはいつもの調子で書き綴っている。

【追記】
 本連載第78回で、各国のメグレ作品の人気と評価が意外とまちまちであることを示し、ひょっとするとその国でごく初期に翻訳紹介されたものが歴史的経緯として定着し、いまに至るまで高評価を支えてきたのではないかと推測した。そのなかで韓国のウェブ投票の結果でなぜか『死んだギャレ氏』第2回)の得票が集中的に多いことに注目し、2011年から韓国で刊行開始されたメグレ全集の第1巻はこの作品だったのではないかと予想を立てた。
 しかし確認したところ、韓国の全集の第1巻は通常通り『怪盗レトン』第1回)であったことが判明した。お詫びして訂正する。ではなぜ『死んだギャレ氏』に票が集まったのかは不明だ。こればかりは主催者や投票者らに当時の事情を聞くほか謎を解く手立てはない。

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。
 文理の枠を超えた「パンデミックと総合知」をテーマに、母校・東北大学の研究者らとの対話連載を展開中。記事構成は翻訳家・サイエンスライターの渡辺政隆氏(https://web.tohoku.ac.jp/covid19-r/people/)。




 
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