「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

 サン・アントニオ『フランス式捜査法』(1959)を初めて読んだ時は笑いどころがいまいち分かりませんでした。
 面白くなかったという意味ではありません。
 というより、笑える、笑えなかったで言えば、これでもかというくらいに笑えました。
 大犯罪を追う主人公たちの破天荒な捜査をエスプリの効いた文章で綴っていく愉快なミステリです。
 ただ、ここにある笑いは、登場人物たちが笑わせようとしているものではないのです。作中のキャラクターはあくまで真剣で、それが傍から見たら変という可笑しさなのです。
 そこが問題です。
 『フランス式捜査法』の冒頭にこんな一文があります。「私はこの本によって諸君を必ずや笑わせてみる覚悟なのである」
 主人公であるサン・アントニオ警視(作者と同名という趣向なのです)が語り手なので、作中人物が「どうだ可笑しいだろう」と笑わせようとしているわけです。
 そうなると、上で僕が感じたものとは違う。
 じゃあ、どこが〈笑いどころ〉なんだ。
 そこが分からずに少しモヤモヤした気持ちで読み終えてしまったことを覚えています。
 今回、数年ぶりに読み返してみて、ようやく理解しました。
 『フランス式捜査法』でアントニオ警視が意図していた〈笑いどころ〉は、多分、ラストシーンだ。
 そして、それは単純に「この場面、笑えるだろう」というだけじゃない。
 アントニオ警視は、そして作者は、もっと大きな笑いどころを示している。
 人生というもの、それ自体が可笑しいのだ、と。
 
   *
 
 サン・アントニオは、フレデリック・ダールの別名義です。
 作品数としてはアントニオ名義の方が圧倒的に多いみたいですが、日本では本名のダール名義の方が有名でしょう。
 アントニオ名義は『フランス式捜査法』一冊しか訳出されていないのに対し、ダール名義の小説は(フレデリック・シャルルというまた別の名義で発表された作品を含めて)七冊訳されてます。
 その七冊全てが今なお読む価値も意味もある名品です。
 死刑囚による回想の先にとんでもないツイストと愛と呼ぶしかない決着が待つ『絶体絶命』(1956)、巻き込まれサスペンスが謎解きミステリに組み替えられていく捻りの利いた構成の『並木通りの男』(1962)……一作一作趣向が凝らされていて、かつ、完成度が高い。
 どの作品がこの作者のベストと推されても納得がいく。ダールはそういう作家なのですが、僕が最も好きなのは今回紹介する『生きていたおまえ…』(1958)です。
 この作者が何度も描こうとしていたものが凝縮されている作品だと感じるからです。
 
   *
 
 ベルナールは追い詰められていた。
 ステファンから借りた八百六十三万フランの借金について、返す当てがない。
 経済的な問題として重大であったが、それ以上にベルナールにとっては自尊心の問題でもあった。
 これまで歩んできた誤った人生がこの状況に象徴されているように思えたのだ。
 ウンザリするような我が家、そこに住む最早愛情を持てない妻アンドレ。借金以外にも、嫌なことが山ほどある。
 ステファンから催促を喰らった瞬間に、ベルナールはこのどん詰まりの生活から抜け出す決意を固めた。
 邪魔なものを全て消し去る、完全犯罪を実行するのだ……
 物語は、倒叙ミステリ風に始まります。
 ベルナールが立てた作戦は、変にアリバイを作ったり逮捕されぬように細工を施したりはしないストレートでシンプルなものです。ここには彼の抱えている鬱屈と、そこから脱出しようとする思いがそのまま反映されています。
 これまで人生において、何一つ良いことがなかった。ステファンやアンドレをはじめとする、他の連中たちはお気楽に上手くやれているのに。俺だって、あいつらみたいにやってやる。
 犯行計画を辿ることによって、ベルナールの人間性を理解させるという構造になっているわけです。
 このあたりの筆の運び方が大変に上手い。
 ダール作品としては初期に分類される一作ですが、小説家としての腕は既に円熟しているといってしまって良いでしょう。
 計画が一通り遂行され、読者に彼がどんな人間か分からせたところで……ダールは最初の方向転換を行います。
 第一部の終わりで、ベルナールの鼻をへし折るような強烈なことが起こるのです。
 
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 本書は三部構成で、それぞれのラストに衝撃的な出来事が起こって物語の雰囲気が切り替わるようになっています。
 「なるほど、これはこういうタイプのストーリーなんだな」と思っていたところ、新事実の開陳や新展開が起こって、向かう先がガラリと変わる。「じゃあ、こっちか」と思ったらもう一発食らわされて、更に別の方向へ。
 そして、ただあちらこちらへ読者を引きずり回すだけではない。
 方向転換をしながらも、物語の根底にある部分はブレていない。
 最後のツイストを経たところで、実は一番深いところにあった目的が変わっていなかったこと、そこへ向けてひたすらに掘り下げを行っていただけであることに気づかされるのです。
 その掘り当てられたテーマこそが、ダール作品に通底するものです。
 それは〈宿命〉です。
 
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 フレデリック・ダールの小説は詰まるところ〈宿命〉の物語です。
 その〈宿命〉を具体的に言うと〈死〉になります。彼の作品には常に「人間はいつか死んでしまう」というペシミズムあるいはニヒリズムがある。
 それに気づいた時、立ち向かわざるを得なくなった時にどうするか、というのが眼目になるのです。
 本書での最大の大転回も、やはりこのラインで起こります。
 犯罪や偽装工作、いくつもの裏切り、裏切られを繰り返した末、ベルナールは気づくのです。
 何も考えずお気楽に過ごしているとしか思えなかった、ステファンやアンドレをはじめとした周囲の人間らがみんな、必死に生きていたことに。自分と同じ、どうにもならない〈宿命〉に対して立ち向かっていた人間であることに。
 そこで彼が呟くセンテンスがタイトルになっている『生きていたおまえ…』なのです。
 ここがただただ、素晴らしい。
 ちょっと皮肉な言い回しになりますが、ダールが何度も書いてきた〈死〉を前にして平等になる人間たちを表す言葉として「おまえも生きていたんだな」という一言ほど、相応しいものはない。
 全てを悟ったベルナールの最後の感情に僕は心を揺さぶられてしまいました。
 そして、思います。
 人生というものは、それ自体が哀しいのだ、と。
 
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 〈宿命〉の物語、というのはダール名義の作品にだけ言えることではありません。
 アントニオ名義の小説でもそうです。
 『フランス式捜査法』の〈笑いどころ〉も実は、どうにもならない〈宿命〉を象徴するようなシーンなのです。
 全ての謎を解き明かしたと自信満々のアントニオ警視が決着をつけようとした時、自分が読み切れなかった幾つかの事実を知り、苦笑する。笑ってから、事件で死んでいった敵や味方について考え、どうにもならない〈宿命〉を前に奮闘する自分たちのバカバカしさを想う。
 ここが可笑しい。
 そして、同時に哀しくもあるのです。
 人生それ自体を描いた作家。それがフレデリック・ダールなんだと感じます。

 

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人五年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby