書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

千街晶之

『死まで139歩』ポール・アルテ/平岡敦訳

ハヤカワ・ミステリ

 マルセル・F・ラントーム『騙し絵』、ピエール・シニアック『ウサギ料理は殺しの味』、ユベール・モンテイエ『悪魔の舗道』、ジャン=マルセル・エール『Zの喜劇』等々、フランス産ミステリには、英米産のものには見当たらないような奇想天外な着想に基づく怪(快)作がしばしば見受けられるが、ここに『死まで139歩』という、新たな問題作が加わった。「足跡の死体」というシチュエーションはアルテの作品ではちょっとやりすぎなくらい繰り返し描かれているけれども、その中でも不可能状況の提示では一、二を争うほど魅惑的だし、解決がまたとんでもない。どう見ても一瞬で崩れてしまいそうなのに、何故かギリギリのバランスを保ち続けているカードの城に譬えるべきか。アルテが敬意を捧げ続けている巨匠カーの作品で言えば『孔雀の羽根』や『テニスコートの殺人』あたりの、B級だがどこか歪な魅力を放つ系譜に通じるものも感じる。

 

川出正樹

『レイン・ドッグズ』エイドリアン・マッキンティ/武藤陽生訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 この十年来、主人公の警察官が、これでもかとばかりに酷い目に遭うシリーズが目立って増えてきている。ジョー・ネスボの《オスロ警察ハリー・ホーレ》、ベルナール・ミニエの《トゥールーズ署警部セルヴァズ》、アルネ・ダールの《ストックホルム市警サム&潜入捜査官モリー》、ジョセフ・ノックスの《マンチェスター市警エイダン・ウェイツ》等々。いずれも主人公を追い詰めて物語に緊張感と奥行きを持たせた上で、入念な謎解きを展開する味わい深いミステリ・シリーズだ。

 なかでも1980年代の北アイルランドを舞台にしたエイドリアン・マッキンティによる《王立アルスター警察隊ショーン・ダフイ警部補》シリーズは、過酷度において群を抜いている。宗教・民族対立による紛争激化により権謀術数が張り巡らされ、人の命が恐ろしく安く、常に暗殺の脅威にさらされている日常下、所属組織すら信用できないなかで殺人事件の捜査をしなければならないのだ。この四面楚歌ぶりは、スターリン体制下のレニングラードを舞台にしたベン・クリードの『血の葬送曲』と双璧をなす。

 シリーズ五作目の『レイン・ドッグズ』で、ダフィは“再び”密室殺人に遭遇する。高い城壁に囲まれた堅固な古城の中庭で発見された死体。「こういう事件が同じオマワリの身に二度も降りかかるとしたら、偶然にもほどがあるというものだ」と腑に落ちないダフィが、「頭脳明晰ではあるけれども統計学的に不運なギデオン・フェル博士」でもないのにと嘆くところが、ご愛敬。MWA賞最優秀ペイパーバック賞を受賞したのも納得の、現時点でシリーズ最高の逸品だ。

 

北上次郎

『クライ・マッチョ』N・リチャード・ナッシュ/古賀紅美訳

扶桑社ミステリー

 妻も子も仕事を失って失意のどん底にいる中年男(それを91歳のイーストウッドが演じるのだからすごい)がメキシコから少年を誘拐してくる物語。映画化のおかげで、1975年の原作が翻訳された波乱万丈のロードノベルだ。

 ふーんと思って読み始めたら、なかなか面白い。

 こういう小品が世界にはまだまだたくさんあることを教えてくれる一冊です。

 

霜月蒼

『レイン・ドッグズ』エイドリアン・マッキンティ/武藤陽生訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 エイドリアン・マッキンティはずっと好きではあったし、あの独特の饒舌な語りを楽しんではいたのだけれど、その饒舌さが構成にまで波及してガチャガチャとっちらかっている感じが否めなかった。あの饒舌さは日本の本格ミステリ直系の稚気とも根底で通じているのだと思う。そんな饒舌な稚気とアイリッシュの厭世的な皮肉さが混然となった魅力的な語りを、ついにマッキンティは本作で制御しえた。見違えるように筋肉質の快作である。古城を大道具/小道具とした密室殺人と、時代背景ゆえにポリティカルな色彩を帯びる事件の苦み――すなわちマッキンティの稚気と皮肉が見事なバランスをとっているわけである。警察小説、ハードボイルド・ミステリ、古風な密室ミステリ、いずれのファンにもおすすめできます。

 なおカリン・スローター新作『凍てついた痣』は全力で推しきるまでには至らなかったものの、スローターのこのシリーズは「レナ・アダムズ」というミステリ史上でも稀有な反ヒーローを主役としたものなのではあるまいかという気づきをもたらしてくれた。なのでスローター・ファンは必読。ただし先行作『開かれた瞳孔』『ざわめく傷痕』を読むのは必須です。

 

酒井貞道

『レイン・ドッグズ』エイドリアン・マッキンティ/武藤陽生訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 80年代、IRAの活動が激しかった頃の北アイルランドを舞台にした、刑事《ショーン・ダフィ》シリーズの第5作である。

 本シリーズの魅力は、北アイルランド情勢のリアルな描写、体制側でもあり北アイルランド人でもある主人公のアンビバレンツな立ち位置、それにへこたれない主人公のユーモアセンスである。そして、これらリアリスティックな特徴を備えたミステリであるにもかかわらず、人工的とまで言える本格ミステリのガジェットを盛大に作品に盛り込んでいることである。今回も素晴らしい。何せ起きる事件が「古城での密室殺人」なのである。しかも、この密室殺人に加えて、警察高官の爆殺という、テロにしか見えない事件も起きる。これらに主人公は、名探偵然としてではなく、孤立気味の刑事然として臨むのだ。推理も伏線配置もまずは万全であり、そこに社会派要素や警察小説要素がふんだんに盛り込まれる。圧巻の完成度とリーダビリティだ。しかも本作では、主人公自身の人生に大きな動きがある。いやこれまでも毎回そうだったのだが、今回はネタが対個人にとって効果特大で、続きが気になってならない。現代で最も活きのよいシリーズの一つとして、高く評価したい。

 

吉野仁

『ネヴァー』ケン・フォレット/戸田裕之訳

扶桑社ミステリー

 まったく期待せずに(失礼!)手を取ったのがよかったのか、それとも自分のツボをつかれたせいなのか、もっとも面白く読んだのが全三巻の『ネヴァー』だった。とくに上・中巻で展開する中央アフリカのチャド国境をめぐる場面がいい。CIA潜入捜査官、同女性局員、そして現地チャドの女性という三人それぞれの視点で描かれていく場面に緊迫感があるばかりか、きっちりと潜入・工作・脱出という冒険活劇の三手順を踏んでいく。もっとも本作は、アメリカ女性大統領が最終戦争の決断をくだすカウントダウンまでの政治および軍事シミュレーション小説が本筋で、この部分もけっしてつまらなくはない(正直、こういう話は苦手だけど)。近年『大聖堂』の作者として有名だが原点を忘れてはないのだ。そのほか、密室殺人などミステリ読者をくすぐる要素満載のマッキンティ『レイン・ドッグズ』、同じく密室をメインにイメルダ夫人もあっと驚く靴いっぱいのアルテ『死まで139歩』、悪党たちとの対決でシリーズをしめくくるベイリー『最後の審判』、同じく勧善懲悪で巨悪の仕組んだ冤罪を暴くグリシャム『冤罪法廷』、そして、ル・カレの遺作『シルバービュー荘にて』まで読んで満足。もっとも銀色の眺めとはなんだったのか難解で分からなかった。また読み返さねば。

 

杉江松恋

『短編ミステリの二百年6』小森収編/白須清美他訳

創元推理文庫

 今月はこれについて言及しないわけにはいくまい。偉業完結である。おさらいをしておくと、本アンソロジーは小森収がwebミステリーズ!上で行っていた英米の短篇ミステリー史評論が元になっており、それを単行本化するにあたって実例として短篇を選抜した。本邦初訳の作品や新訳されたものも多く、それだけでも価値があるのだが、評論と併読することによって各篇についての理解が深まる。常に手元に置いておきたい必携の書となった。評論の内容について触れることは本欄の趣旨から外れるので現物に当たって確認いただきたいが、旧来のジャンル論的な意識にはこだわらず、厖大な作品群を検討し直して、その中にディテクションとマンハントという二つの潮流を発見したことがまず興味深い。また、エラリー・クイーンズ・ミステリマガジンを始めとする専門誌や、コリアーズなどの高級誌、いわゆるスリックマガジンの関係に着目し、媒体が短篇執筆の動向を左右したかを詳述した点にも価値がある。作品評価については従来の評に依存せず、各作者の短篇を可能な限り多く読み返して判断を下している。スタンリイ・エリンがなぜ短篇の名手なのか、という問いに、過去の多くの評者は、なぜならば短篇の名手だから、という循環論法の域を出ない答えを返していた。そうした怠慢に陥らず、小森は独自の基準による評価を明らかにしている。だからこそ収録作を安心して読めるのだ。

 長大なアンソロジーをしめくくったのは、なんとクリスチアナ・ブランド「ジェミニー・クリケット事件」の米国版・英国版の併録という大技だった。小森がなぜそうしたのかは評論の結末を読めばわかるし、この双子を再読して得るものは実に大きい。この六巻だけでもまず読んで、それから各巻に手を伸ばしてくださってもいい。必ず読みたくなるはずである。すべての巻から私のベストを選んでおく。「ジェミニー・クリケット事件」はさすがに別格として、ロイ・ヴィカーズ「二重像」(2巻)、ミリアム・アレン・ディフォード「ひとり歩き」(3巻)、マージェリー・ウィン・ブラウン「リガの森では、けものはひときわ荒々しい」(4巻)、デイヴィッド・イーリイ「隣人たち」(5巻)、スタンリイ・エリン「決断の時」(6巻)というところだろうか。ディテクションやマンハントの作品が少なくなってしまったが、こういう作品だけを収めた短篇集をもっとたくさん読みたいと切に思う。舞台裏の話をすれば、「ひとり歩き」は『ハヤカワ・ミステリマガジン』の田口俊樹さん新訳連載に狙っていたのである。取られてしまって口惜しい。しかし、このアンソロジーに入ったのなら諦めもつくというものだ。

 

 アイルランドの警察小説強し。それ以外にも大河小説あり、短篇アンソロジーあり、フランスものあり、発掘された古典犯罪小説あり、と賑やかでした。本年もどうぞ書評七福神をよろしくお願い申し上げます。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧