8月11日、中国の安徽省で22年前の殺人事件の犯人が捕まりました。これだけだと単なる難事件の解決で話題が終わるだけですが、2人組の犯人のうち1人が法人企業の代表者で、もう1人が小説家だったことが耳目を集めました。

 事件は1995年11月に浙江省の旅館で起きました。娘の目の手術代5000元が必要だった劉永彪は同郷の汪維明に誘われて浙江省湖州市の織里鎮にやって来ました。ここは当時アパレル産業が発達していてお金持ちがたくさんいたそうです。観光客として旅館に泊まった2人のうち劉永彪は同室になった山東省の商人がスーツを着ていたことからお金を持っていると考え彼を殺害しますが、十数元のお金しか得られず(商人はその時ズボンの股間の部分(?)に数千元の現金を隠し持っていたようだが2人は見つけられなかった)、ターゲットを旅館の経営者に変えます。そして経営者の60歳の夫婦と12歳(13歳という記述も)になる孫を殺害し、時計と指輪と現金100元余りを奪って逃走し、上海を経由して故郷の安徽省に帰りました。

 警察の調査で旅館の店員が「安徽省方言の2人組が泊まっていた」と証言しましたが、当時は科学的捜査の手法が限られていたため犯人逮捕にたどり着けずにいました。しかし現場に残されていたタバコの吸い殻に劉永彪の唾液が付着していたことでDNAが検出され、それが今回の逮捕につながったそうです。

 面白いのは8月8日に劉永彪の所に警察がやって来てDNA検査のために採血した直後、劉永彪が汪維明に「バレたかもしれない」と電話をしている点です。汪維明は「きっと別件だ」と取り合わなかったようですが、劉永彪はこの時点で「詰んだ」と悟って家族に別れの手紙を書いています。

 中国の捜査方法はよくわかりませんが、警察にこんな逮捕までのカウントダウンのようなことをされたら犯人が証拠隠滅したり自暴自棄になって自殺したり更に犯罪を重ねそうな気がするのですが、そういうことがないように見張っているのでしょうか。また、このDNA検査ってどういう名目でやったんでしょうかね。日本でやったら間違いなく人権侵害で叩かれそうな気がします。

 結局、劉永彪と汪維明は逮捕され、事件の内容や解決までかかった時間もさることながら犯人2人が共に社会的に成功して一角の人物になっていたことが話題になりました。

 さてここからが今回の本題です。作家が殺人犯だったというこの事件は日本でも当然話題になってネットニュースになりましたが、日本での報道のされ方が疑問の出るものでした。以下に本件を報じた日本のネットニュースの一部を載せます。

●AFP(8月19日)
中国の犯罪小説家、22年前の殺害事件に関連し逮捕

●Record China(8月21日)
中国の有名ミステリー作家、22年前の殺人容疑で逮捕される――仏メディア

●ゴゴ通信(8月29日)
【仰天】中国の有名推理小説が22年間未解決だった殺人事件の犯人で騒動に 体験談を小説化し逮捕

●NEWSポストセブン(9月8日)
中国著名ミステリー作家 22年前4人を殺害したとして逮捕

 日本の一部ニュースでは劉永彪を「ミステリ作家」として紹介していますが、中国のネットサイトを見る限りそのような報道のされ方はほとんど見当たりません。

 何故日本と中国で犯人の職業に違いが出るのか、果たして彼は本当に「ミステリ」作家なのか。中国のニュースを見ながら検証してみたいと思います。

◆彼は「ミステリ」作家なのか◆

 中国のニュース及び百度百科(ウィキペディアみたいなもの)に記載されている劉永彪の主な経歴は以下の通りです。

1985年、雑誌『未来作家』にデビュー作掲載
1994年、雑誌『清明』に短編小説『青春情懐(青春の気持ち)』発表
2005年、中編小説『一部電影(一本の映画)』出版
2010年以降、エッセイ集『心霊的舞踊(心のダンス)』、映画脚本『門与窓(ドアと窓)』出版
2011年、長編小説『難言之隠(人に言えない苦しみ)』出版
2014年、『行者武松』出版。翌年、計50回のテレビドラマの脚本として書き直す

 彼がこれまで執筆した小説やエッセイは合計200万文字以上と言われています。しかし20年以上のキャリアを持つ作家としては少ないように見受けられます。

 中国の書籍には奥付に文字数が記載されているので、そこからその本のボリュームを知ることができます。例えば、東野圭吾の『容疑者Xの献身』の中国語版文字数は15万文字、本稿第35回で紹介した『長夜難明』は17万文字、第20回で紹介した『烏盆記』は25万文字です。本1冊で最低15万文字以上必要だと考えると、10数冊の分量しか書いていないことになります(そのうち『難言之隠』は28万文字、『行者武松』は25万文字だと言われている)。

 彼が日本で「ミステリ」作家として報道されているのは長編小説『難言之隠』に原因があると思われます。

 しかしこの本がどのような内容なのか、中国のネットニュースではほとんど触れられておらず、注目されているのは主に本書に書かれている序文の内容です。以下のサイトで序文と本書の一部を試し読みできるので読んでみましょう(ちなみに3元払えば本文を全文読むことができる)。
『難言之隠』(劉永彪)閲読
 まず気になるのが序文の中に出てくる「推理」という単語の多さです。なんと14回も出てきます。しかし、だからこの本がミステリ小説だと断言するのは早計で、序文には「小説を書くにあたって推理小説の手法を使った」とかが書かれているだけです。また、本書の内容は30年間にわたる女性たちの物語を描いた写実主義的な小説のようです。

 そして問題のシーンはラストのここ。

(訳):最後に、正直に告白したいことがある。推理小説や映画やドラマを見ていたときにあるインスピレーションが湧き、映像方面に展開させられる小説を書きたいという強烈な願望が生まれた。タイトルは暫定的に『身背数条人命的美女作家(多くの人間の命を背負う美人作家)』とする。美人作家が複数の人間を殺すも逮捕されない作品を書き…

 どうやら逮捕されていない殺人犯の作家が登場する小説の構想が、劉永彪を「ミステリ」作家に見せているようです。しかし逮捕後のインタビューで彼は記者にこう話しています。

殺人作家劉永彪との対話:あの日に関する一切のことは思い出したくない

記者:以前、殺人事件を起こした美人作家の話を書こうとしていたとか?
:はい。しかし最後は書き切れませんでした。書けなかったのです。多くの殺人事件を起こした美人作家というタイトルで、数ヶ月の間に2、3万文字書きましたがそれ以降書けなかったです。

 つまり、彼は構想だけでその作品を書き上げていないわけで、書いていない小説のジャンル名を肩書きにつけて○○作家と呼ぶのはだいぶメチャクチャな気がします。そして改めて日本の報道を見ると、彼らのニュースソースに最大の問題があるように見えます。

◆翻訳から翻訳へ◆

 最初に挙げた日本のニュースサイトのうち、AFPとRecord Chinaとゴゴ通信は中国メディア以外の海外メディアを参考にしています。そのうちAFPとゴゴ通信の記事を見てみると『The Guilty Secret(ギルティ・シークレット)』というタイトルの本が出てきます。どうやらこれは『難言之隠』の英訳タイトルのようなのですが、本書の英訳版はないと思うのでこれは英語メディアが付けた仮訳でしょう。興味深いのはAFPで『The Guilty Secret』に「罪深い秘密」という邦訳タイトルが付けられている点です。

『難言之隠』から『The Guilty Secret』になって『罪深い秘密』になる。本書は翻訳を重ねるほどミステリ小説らしい名前になっています。

 さらに英語メディアの報道の内容も疑わしいです。「ガーディアン」の記事を参考にしているゴゴ通信は「中国の有名な推理小説『ギルティシークレットGuilty Secret)』」、「彼は2010年に女性作家が殺人を犯して逃げる内容を扱った『ギルティシークレット』の作家として有名になり、文学賞も受賞した」という文章を載せていますが、これは事実と異なります。

 この記述ミスの原因がガーディアンにあるのか、それともゴゴ通信の翻訳によるものか、英語の読めない私にはわかりません(英語分かる人チェックして)。ただ、このように海外メディアに報道され、本来は「人に言えない秘密、言葉に出来ない苦しみ」という意味を持つ『難言之隠』というタイトルが『The Guilty Secret』という英語タイトルに訳されたことが、日本で劉永彪を有名「ミステリ」作家として報道した最大の原因かと思います。

(ちなみに中国のアマゾンなどのサイトで『難言之隠』というタイトルの書籍を検索するとサスペンス小説以外に夫婦の性生活の本や勃起不全・EDに関する本が出てくる。確かに「人に言えない苦しみ」だ。ペレを見習ってほしい)

◆中国ニュースの伝え方◆

 日本の出版社の編集者は英語がわかるが中国語がわからないので、例えば中国語原作の本を日本語に翻訳するとしても中→日ではなく、すでに英訳された本を和訳する中→英→日の順番を好むという話を聞いたことがあります。
 ニュースの翻訳でも「英語から翻訳した方が確実だ」という状況が当てはまるのかもしれません。「英語から翻訳したほうが確実だ」と。また、今回のニュースはミステリ作家が犯罪者だったらきっと面白いだろうという記者や読者の期待が後押しした結果だとも見ることができます。

 私がこの事件を最初に知ったのが8月14日。中国のサイトでこのニュースを見たとき、犯人がミステリ作家であってくれと思いましたが、詳細を調べても劉永彪がミステリ作家という証拠は見つからず落胆させられることに。しかし不思議なことに日本では私を含む中国ミステリ読者が待望した形のニュースが流れ、日本人読者を喜ばせました。

 また、事件を受けて知人から「劉永彪という有名ミステリ作家の件で、彼の作品が面白いのか知りたい」という質問を受けましたが、今回の調査を統合すると劉永彪はミステリ作家でもなければそもそも有名作家ですらないというのが結論です。もしかしたら彼が執筆した200万文字の作品の中にミステリ小説はあったかもしれません。しかし現在でもそのようなニュースは流れていないのでその可能性は低いでしょう。また、日本のニュースでは「自らの体験を小説化」のような話も見ますが、上述した事件の概要を見てわかるように彼らの突発的な犯行からは何の知性も感じられず、そのまま文章にしてもろくなミステリ小説にはならなかったでしょう。

 劉永彪の職業ばかりがクローズアップされますが、彼らが22年前に起こした事件の一体何が悲しいのかというと、事件に関わった人間誰も幸せになっていないことなんですよね。殺された4人は言うに及ばず、劉永彪と汪維明もろくに金を得られずただ4人を殺害したという結果だけが残りました。
「事実は小説よりも奇なり」とは言いますが、今回の件は事実がつまらなかった事件をみんなが寄ってたかって面白くし、そのことわざを実現させようとしていただけです。

 本稿は毎月、中国ミステリに関する話を書くスペースを頂いておりますが、今回はニュースを検証して「中国ミステリとは全く関係ない」という結果になってしまいました。しかし誤解で中国ミステリが有名になるのも望んでいないので、偏見を解くためにこうして長々と文章を書きました。ほんと、中国だからと言って面白いネタばかりとは限りません。

 もし今後本当にミステリ作家が殺人犯だったという事件が起きた時のために、間違いは間違いだと正すほうがいいでしょう。そしてその時は中国在住のメリットを活かして犯人の作品をいち早く入手し、小説の内容及び作家の今までの言動をチェックし、犯人の心理状態や影響を受けた作品なんかを存分に推理したいものです。

阿井 幸作(あい こうさく)
 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。
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