10月18日から中国では中国共産党第19回全国代表大会(19大)が開催されます。この期間中は特に北京市の警戒や規制が厳しくなり、すでに先月から各所の地下鉄に公安警察がパトロールをし、またネットでもVPNの接続不良、日本YAHOOの検索機能使用不可など物々しい雰囲気が漂っています。
 このような非日常的空間は作家の創作意欲を刺激するかと思うのですが、いかんせんここは中国。党大会の規制をかいくぐって起こす犯罪を描いた小説など発表できるわけもなく、「敏感」な話題には触れないのが利口です。しかしこの時期の厳戒態勢は共産党が支配する中国の基盤を守るためにあり、決して一般大衆の安全を守るというためではないので、現地で暮らす者としては大衆が犠牲になる事件を対応する人手が足りず、後回しになるような気がするんですがどうなんでしょうかね。党大会が開く5年ごとに殺人を犯す、『こち亀』の日暮熟睡男みたいなキャラとか創れたら面白い警察ミステリが出来上がりそうなんですけどね。

 今回は先日もらった『莫比烏斯的圈套』(メビウスの罠)(2017年)を紹介します。
 計100本以上の作品を執筆した(この謳い文句もそろそろ変わらないかな)軒弦の新作長編で、SF要素を取り入れたループものミステリです。お馴染みの名探偵・慕容思炫が登場するも、最近はゴルゴ13みたいに全然話の本筋と絡まず単なる推理マシーンになってきた彼は今作でも脇役として出演。

 大学生の唐洛桜は友人の凌汐、その彼氏の沈靖、そして自分に好意を寄せる龍笑愚と4人で山奥にある怪しげな屋敷に迷い込む。そこには探偵を名乗る慕容思炫という不思議な先客がいたが住人の姿はなく、5人は雨宿りのためにそこに泊まることとなる。翌朝、龍笑愚が何者かに殺されており、沈靖も行方不明となり、しかも殺害現場に自身のアクセサリーが落ちていたことで唐洛桜は凌汐から疑いの目を向けられる。しかし邸内には彼らの他に正体不明な人物がいたのだ。怪しい人影を必死に追う唐洛桜らだったが、その人物は完全な密室から消失する。そして唐洛桜が偶然見つけた奇妙なリモコンのボタンを押してみると、なんと1日前にタイムスリップしてしまい、彼女は屋敷についたばかりの友人3人と自分自身の姿を目撃することに。

 帯に中国版『トライアングル』とあるように、今作は同じく軒弦の『五次方謀殺』(2015年)同様ループものです。唐洛桜がタイムスリップのできる不思議なリモコンを使い、殺人事件を食い止めるために当日の2月6日を繰り返すという話なのですが、様々な時間軸の唐洛桜がリモコンを使うせいで同次元に複数の唐洛桜が存在してしまい、彼女は「自分」が龍笑愚を殺すシーンを目撃した後にこのループから脱出すべく様々な「自分」たちと相談し、「自分」の犯行を止めるように対策を練ります。

『五次方謀殺』は殺人事件を起こした犯人に同情した主人公が、ひょんなことから殺人事件発生前にタイムスリップできる機械を手に入れて犯罪を未然に防ごうとしたところ、全く防げないばかりかタイムスリップを繰り返すうちに自分自身にも危険が及ぶという話でした。
 被害者でも犯罪者でもない主人公がタイムスリップをして、Aの犯行を止めたら今度はBが殺人を犯すと言った波状攻撃をどう防ぐかを描いたのが『五次方謀殺』なら、今作は犯罪者である主人公が自分を人殺しにさせないように対策を取ると、別次元から来た別の自分が結局殺人を犯すという内容です。

 本書は山奥の屋敷で人1人の殺人事件を止めるためだけにリープとループを繰り返すという非常に小さな世界の中で展開するSF密室ミステリであり、そのゴールは完全犯罪ではなく、過失で犯してしまった殺人をなかったことにすることです。序盤ですでに唐洛桜が犯人であることが語られ、更にあらすじに書いた「怪しい人影」の正体は別の時間軸から来た唐洛桜であり、彼女が密室から消失できたのはリモコンを押して他の次元にワープしたからであるという身も蓋もない真相が判明し、フーダニットの楽しみは早々になくなります。

 唐洛桜が何度も繰り返し過去に戻って、犯行を未然に防ぐために状況の隙間や瑕疵を見つけて解決策を試す様子が執拗に描かれますが、ループもの特有の「あちらを立てればこちらが立たず」状況が発生し、事件を防いだと思いきや予期せぬ場所で別の事件が発生して結局死人が出てしまったり、唐洛桜1の世界で未然に防いでも唐洛桜2の世界では事件が発生しているので結局事件が起こったことになってしまいます。そこで彼女たちは相談をして事件を発生させない最適な行動を導き出すのですが、その詰め将棋的な描写が本書の魅力の一つです。

■巻き込まれ型の探偵■

 コナンや金田一少年は行く先々で事件に遭遇するので、ネットでは他の登場人物に対する『死神』や『死亡フラグ』として扱われていますが、軒弦の名探偵・慕容思炫も同じく探偵的気質を発揮してどこでも事件と出会いますが、『五次方謀殺』でも今作でも彼は主人公ではなく脇役として出演しているので、むしろ巻き込まれる不幸な人物でしょう。彼の恐ろしいところは判断材料が揃いさえすればそれがどんな非現実的な結論であっても一切疑いなく推理を披露するところであり、今作でも唐洛桜が時間をループして複数の「唐洛桜」がいることを看破します。私が彼を推理マシーンと言う理由がこれであり、彼は物語の中心にはいないのに、しかし脇役として存在感を出せるという特徴を持ち、特に立ったキャラでもないのにシリーズ主人公を張れるというゴルゴ13みたいな役割を持っています。

■非中国的ミステリ■

 最近本稿で紹介したミステリはどれも「中国ミステリ」と呼べる中国的特色を持った作品でしたが、本作は、というより軒弦は今までずっと舞台が中国ではなくとも成立する非中国的ミステリ作品を書き続けています。
 中国的ミステリが主流になり、「中国要素がないミステリは売れづらい」という声も上がる中で、ストーリーよりも舞台設定やトリックを重視する作家が今後中国ミステリ業界でどのような活躍を見せるのか。軒弦がその試金石になると思います。

阿井 幸作(あい こうさく)
 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。
・ブログ http://yominuku.blog.shinobi.jp/
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現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)


現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

現代華文推理系列 第一集
(御手洗熊猫「人体博物館殺人事件」、水天一色「おれみたいな奴が」、林斯諺「バドミントンコートの亡霊」、寵物先生「犯罪の赤い糸」の合本版)









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