二〇一六年刊行の『その雪と血を』が第八回翻訳ミステリー大賞&第五回翻訳ミステリー読者賞ダブル受賞の快挙を果たしたのも記憶に新しいジョー・ネスボ。代表作ハリー・ホーレシリーズ第七作『スノーマン』が「裏切りのサーカス」のトーマス・アルフレッドソン監督、マイケル・ファスベンダー主演で映画化され、次回作にシェイクスピアの名作を現代版に翻案するシリーズ“Hogarth Shakespeare”(参加作家はマーガレット・アトウッド、ギリアン・フリン、ジャネット・ウィンターソンなど錚々たる顔ぶれ)の「マクベス」が控えている彼が二〇一五年に発表したのが、今回ご紹介する “Midnight Sun” です。

 オスロを離れ、人影もまばらな田舎町にやってきた男、ヨン。物語は彼の視点で進みます。最初に読者に明かされるのは、彼がなぜかピストルと大金を持っているらしいこと。名前を聞かれてウルフと偽名を名乗ることから、身元を知られたくないらしいこと。
 ヨン改めウルフは素性と自分がこの町にやってきた真の目的を明かすことなく、人里はなれたところにある狩猟小屋で暮らし始めます。どうも彼は追っ手を警戒しているようです。そして彼の回想の中で徐々に明かされるのは、なぜ彼がオスロを離れたのか、そもそもオスロでどのような暮らしをしていたのか、いかにして追われる身となったのか。

 狩猟小屋での暮らしはいつ追っ手が現れるか知れないという不安をはらみつつも、いかにも田舎町らしくゆっくりと過ぎていきます。しかしこの一見犯罪等起こらないような小さな町にも影の部分がないわけではありません。
 ウルフと知り合い、狩猟小屋での滞在を勧めてくれた女性レアは、その影を隠した女性です。彼女が夫と結婚した経緯というのが、ひどい。ひどすぎる。この部分、読んでいただければきっと一緒に怒っていただけると思います。そんなことがあっていいのか!

 そんな彼女の心の支えは息子のクヌート。この子、やたらウルフにまとわりつきます。最初のうちは「放っといてくれないかなあ……」という感じだったウルフも、かくれんぼをやらされたりするうちにいつのまにかすっかり仲良くなり、ふたりはやがて相撲をとるまでの仲になるのです(横綱「双葉山」「羽黒山」への言及も!)。
 やがてそれぞれの問題を抱えたウルフとレアは惹かれあっていくのですが、のどかな田舎町にも追っ手は迫っていたのでした……

 とあらすじを書くと、『その雪と血を』のような悲壮な物語に思えるかもしれません。確かに登場人物たちは心に傷を負い、冷血な追っ手に追い詰められ、あるいは望まない結婚を強いられ、幸せいっぱいとは言いがたい人生を抱えています。
 しかし。実際に読んでみると、なんでしょうか、『その雪と血を』と比較するといっそう際立つこののんびりさかげんは。舞台が田舎だからなのか、それとも出てくる人々の個性ゆえになのか。どうも後者のような気がするのですが、読んでいる最中の感触は、「意外とほのぼの」。上に挙げたレアとクヌート親子以外にも印象深い脇役たちがところどころに顔を出す本書ですが、中でもこの「ほのぼの感」に貢献している人物として特筆すべきは、そもそも親子とウルフの出会いをお膳立てするマティス。スカンディナビア半島の少数民族サーミ人である彼は、寝る場所を探すウルフに使えるベッドがないか訊かれてこう答えます。

“I burned my bed in the stove back in May. We had a cold May.”
「ベッドは五月にストーブで燃やしちまったよ。寒い五月でね」

 ……なんてワイルドな。このようにとぼけた雰囲気のマティスは登場するたび場を和ませてくれるのでした。私のお気に入りの一人です。

 もちろん本書にも追われる者の焦燥感はあるのです。切ない運命の出会いもあるのです。理不尽への怒りもあるのです。でもウルフは、暗い影を抱えた男であるにもかかわらず等身大の主人公なのでした。どれくらい等身大かと言うと、むしろなぜこの人が?と首を傾げてしまうほど。それもそのはず、彼がその影を背負うことになったのは、ある運命のいたずらが働いたから。そしてどうしてもそうしなければならない理由があったからなのです。この理由を知ったらウルフがどんな人なのかわかるはず。彼を応援してあげたくなるはず。彼が「そんなの聞いたことないよー!」な方法で追っ手をやり過ごそうとする場面に手に汗握り、更にはいろいろな人の幸せを願ってあげたくなるはずなのです。

 これといって特殊技能があるわけでもなく(失礼)、恐ろしく頭がいいわけでもめちゃくちゃに肝がすわっているわけでもない、ちょっと抜けてる主人公ウルフとワケあり親子との交流にほのぼのしつつ、その行く末がもう心配で心配で、最後の最後まではらはらできる一冊です。最後のページを読んだ後、切ない気持ちになるのか、温かい気持ちになるのか、どんよりした気持ちになるのかは、ネタバレになるので書きません。どうぞご自身でお確かめください。英語も簡単ですよ。

●”Midnight Sun” by Jo Nesbo
https://store.shopping.yahoo.co.jp/umd-tsutayabooks/mabu9781784703899w.html

河出真美(かわで まみ)

好きな海外作家の本をもっと読みたい一心で、作家の母語であるスペイン語を学ぶことに決め、大阪へ。新聞広告で偶然蔦屋書店の求人を知り、3日後には代官山蔦屋書店を視察、その後なぜか面接に通って梅田 蔦屋書店の一員に。本に運命を左右されています。おすすめ本やイベント情報をつぶやくツイッターアカウントは@umetsuta_yosho。月2回、おすすめ洋書+ミステリーをおすすめする無料イベント、コンシェルジュカフェを開催中。また不定期で翻訳者のお話をうかがうイベント「翻訳者と話そう」も開催中。詳しくは梅田 蔦屋書店HPまで

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