■ロングビーチ市警殺人課刑事、

  ダニー・ベケットが帰ってきました■

 

 13か月前に左手首を負傷し、一時は切断も危ぶまれたものの、数回の手術を経て職場への復帰を果たします。ただ、手首から肩を経由して首へと達する激痛が残り、その治療を並行させながらの復帰です。痛みはつねにあるわけではなく、わずか数秒の予兆を経て、突然やってきます。
 
 本書はダニーが疼痛治療のカウンセラーに、痛みの度合いを1から10までの数値でとらえる“ペインスケール”の概念を教わるところからはじまります。章が変わるたび、冒頭でダニーのペインスケール値が示されます。読み進めていくうちに、これは傷の痛みだけではなく、ダニーの心情も反映された数値であることがわかります。ペインスケールの値が妙に低い章がところどころありますが、さて、ダニーは傷の癒しをどこに求めているのでしょう?
 
 ダニーが現場を離れていた間、ジェンことジェニファー・タナカ刑事のパートナーをつとめていたのが、前作をお読みになった方ならすでにご存じ、コンピューター犯罪課から殺人課に異動したパット・グレン刑事です。
 
 じつはわたし、前から疑問に思っていたことがあります。ITの知識に長けた“ハッカー”ってどうして変わり者で人付き合いが悪く、引きこもり気味――という類型的なキャラにされてしまうんでしょう?  今の20代なら生まれたときからパソコンがあり、幼いころからプログラミングやネットに親しんできた人も多いはす。現代社会では、ナチュラルにITを使いこなす人たちが決して異端な存在ではなくなっています。たとえばスティーヴン・キング『ミスター・メルセデス』のジェロームくんとか。
 
 このシリーズの原書を最初に読んで好感を抱いた理由のひとつが、苦悩するダニーとコミュニケーション能力の高いジェンというコンビの魅力、そして、明るくて茶目っ気があるパットというキャラクター造形でした。『悪い夢さえ見なければ』では脇役で印象が薄かったパットが、本作から本格的に物語にからんできます。
 
 ……パット大好きなわたしは、彼についてならあと数千字は書けるのですが、ネタバレに踏みこむ危険もありますし、何よりまず、あらすじをご紹介しなければ。

 現場に復帰したダニーを待っていたのは、下院議員の長男一家強盗殺人事件。あるじのブラッドリー・ベントン三世がワシントンDCに出張中、妻のサラ、子どものベイリーとジェイコブが殺され、ベッドルームのクローゼットに据えつけられていた金庫が奪われます。
 
 現場であるベントン邸を調べていたダニーは妙なことが気になります。家族用の居間に並ぶ写真のどれもが、ブラッドリーが主役になるよう撮影されていること。幼児がふたりいる家族なら、子どもたちの写真で埋め尽くされているのがふつうなのに……。
 
 被害者が下院議員の家族であるため、市警上層部は忖度しまくってあれこれ口を挟んでくるし、議員の個人的な問題まで処理する顧問弁護士は鼻持ちならないやつだし、おまけに議員は捜査を監視するため、とんでもないところから人を派遣してくるしと、いつ痛みだすかわからない左腕を抱えたダニーのイライラはつのるばかり。せめてもの気晴らしは、ついに一戸建ての購入を決めたジェンの物件探しを手伝うこと。つらいのはわかるけど、物件探しにちょっと入れ込みすぎじゃない、ダニー?
 
 と、わちゃわちゃした感じではじまった捜査ですが、中盤から一気にハードな方向へと展開します。この事件で何人の命が失われたのか、と、ダニーが呆然とするぐらいに。
 
 シリーズものとはいえ、本作からお読みになっても十分お楽しみいただけます。第1作とはまったく趣を異にする新作『ペインスケール』にご期待下さい。解説は『週刊新潮』などでご活躍の書評家、若林踏さんです。

安達眞弓(あだち まゆみ)
 訳書にタイラー・ディルツ『ロングビーチ市警殺人課』シリーズ(東京創元社)のほか、マックス・アフォード『闇と静謐』、エリザベス・デイリー『閉ざされた庭で』(論創社)、『都会で聖者になるのはたいへんだ ブルース・スプリングスティーン インタビュー集1973~2012』(スペースシャワーネットワーク)など。Twitterアカウントは MAdachi( @Gravity_Heaven )。1月から放置気味の公式Webサイトはこちら。今期の推しアニメとドラマは『ポプテピピック』と『アンナチュラル』。久部六郎にパットの面影を重ねています。

 

■担当編集者よりひとこと■

20120628124233_m.gif 『ペインスケール――ロングビーチ市警殺人課』がいよいよ刊行となりました! この作品、前作『悪い夢さえ見なければ』より、事件の複雑さも捜査小説としての魅力もスケールアップしています。後半の展開には、「まさかこんな要素がからんでくるなんて!?」と驚かれるはずです。緻密極まりない捜査の展開も読みごたえたっぷりです。
 
 また、群像劇としての面白さが増しているのがいい! 安達先生がお書きになっているように、本作では主人公のダニーをはじめ、相棒のジェンや天才肌のパットなど魅力的なキャラクターがたくさんいます。特に、ダニーってほんとうに「いいやつ」で、親しみのもてるキャラクターなんです。でもその分、彼が抱える痛みの描写が胸に来るんですね。もう、「幸せになってくれよ……」と願わずにはいられないです。殺人課の仲間であるジェンやパットの存在がダニーにとってすごく救いとなるのもじんわり「いいな~」と思えます。ほんとうに、キャラクターの関係性を描くのがうまい作家さんだなと感じます。
 
 そうそう、殺人課のみんなでドーナツを買って食べる描写がいいんですよね。ドーナツを一気に3個食べるのってけっこう大変だと思うのですが、ダニーはふつうに食べてますね。おまけにこんな独白まで……。

わたしは二個目のバニラ・クルーラーを食べていた。自分が食べる三個目のドーナツは慎重に選び抜いてある。これがドーナツの調達を承った者の鉄則である。そうしないと、買った本人がクルーラー系のドーナツにありつけない。クルーラー系ドーナツは人気者、必ず食べられるとはかぎらない。

 なんでアメリカの警察官ってドーナツ好きなんだろうな~と思いながら編集作業をしました。海外の刑事ドラマのお約束的なこういう描写をちゃんと入れてくれているところも好きです!
 
 編集していて、とても楽しい作品でした! たくさんの方に手に取っていただけるとうれしいです。どうぞよろしくお願いいたします。

(東京創元社・S) 




 


 

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