美しい海に浮かぶヨット。甲板に横たり音楽に耳を傾けるうら若き女性。そして語られる彼女-ブルムの決して幸せとはいえない子ども時代。そんな導入部で、今回ご紹介する ”Woman of the dead” は始まります。三歳で養子として引き取られ、葬儀屋を営む養父母のもとで育てられた主人公ブルムは、幼い頃から(時には無残な状態の)亡骸の処理を手伝わされ、嫌がれば棺の中に入れられて蓋を釘付けされる(!)というあまりにもあんまりな仕打ちを受けながら育ちます。友達は死体だけ。この生い立ちだけでも引き込まれるに十分ですが、成長した彼女がいるこのヨットのシーン、一見穏やかな場面の裏で一体何が起こっているのかが判明した時、まず最初の一撃を受けました。それはもう背筋がぞっとするような衝撃。書き方が淡々としているだけに一層恐ろしさがじんわりきます。あらすじによると、これは夫を殺された女性が殺人者を一人また一人と追い詰めていく物語。ということは、この女主人公ブルムが冷徹にまた華麗に、かっこよく、きっと銃をぶっ放したりして、大活躍の末に見事復讐を遂げる、ダークな物語なのだ――ええ、導入部の数ページを読み終えた時点で、私はそう思っていました。

 違いました。

 順を追って話しましょう。まず、復讐ものであるからには、復讐者が奪われたものがどれだけ大事なものであったのかが一つのポイントになってくるかと思います。この点、本書 ”Woman of the dead” はクリアしていると言っていいでしょう。ブルムは上記のように愛のない子ども時代を送りました。だからこそ、運命的な出会いをした夫マルクと共に築いた家庭――夫婦とマルクの父カール、二人の娘ウマとネーラ――をとても大事にしています。養父母の後を継ぎ葬儀社を経営するブルムは仕事面でも充実した、幸せな日々を送っていましたが、そんな中突然襲った悲劇。出勤しようとしたマルクが見送りに出ていたブルムの眼前で無残に轢き殺されてしまうのです。

 嘆き悲しむブルム。彼女はマルクの遺品を整理していて、思いがけず、刑事だった彼が手がけていたらしい事件に関わる音声を発見します。その発見に導かれ、彼女はマルクの死をひき逃げではなく殺人だったのではと疑うようになります。そしてわずかな手がかりを頼りに、夫を殺した憎き犯人たちを一人ひとり突き止めていくのです。

 そして本書の一番ユニークな点は、ブラムによるこの追跡劇から始まるのです。首尾よく犯人1を捕まえたブルム。ここまではいいでしょう。でもその後の展開にびっくり。ええっ。純粋な「うっかり」でそんなことに? 詳しくはネタバレになるので書きませんが、ブルムはとんでもないドジを踏んで、せっかく捕まえた犯人1という、他の犯人たちにつながる何よりの手がかりをだめにしてしまうのです。私があることを悟ったのはここでした。

 あ、この人、かっこよくないんだ。

 そう、あの不穏な空気をこれでもかと漂わせ、背筋をぞっとさせる見事な導入部のみを見れば華麗でかっこいい女処刑人らしく見えたブルムは、実はそうではなかったのです。不幸な子供時代をすごし、影を背負い、しかしその後愛する人と結ばれて幸せな家庭を築いた彼女は、私やあなたとそう変わりない普通の人だったのです。

 だってそうでしょう。大事な家族が死んだ。実は殺されていたことがわかった。相手は複数。危険な連中らしい。やつらが憎い。許せない。捕まえてやる。そう思ったところで、暗殺者でもなんでもない普通の人間が、さらりと犯人たちの身元を突き止め、冷血にその息の根を止める、なんてことができるでしょうか? 冷徹・華麗・かっこよく? とんでもない。できなくて当然なのです。「うっかり」「あっしまった」「やっちゃった……」があって当然なのです。本書、”Woman of the dead” は、たとえば「バイオハザード」でゾンビどもをばったばったとやっつけていくミラ・ジョヴォヴィッチの勇姿を眺めて快哉を叫ぶように、人間離れしたヒロインの超人っぷりを楽しむタイプの物語ではありません。(ストーリーにも深く関わってくる葬儀屋という職業が一風変わっていますが)ごくごく普通の主人公ブラムが「うっかり」「あっしまった」「やっちゃった……」を繰り返しつつなんとか愛する人の敵を取ろうと奮闘する様を、「ああっ大丈夫なのか? 殺れるのか? 殺れ! 殺るんだ!」と手に汗握りつつ、応援しつつ(人殺しを応援していいのか……)、はらはらしつつ見守る、そんな物語なのです。

 著者、ベルンハルト・アイクナーはオーストリア人。本書以前にも著作は数冊あったものの英語に翻訳されたものはなく、この本こそは英語に翻訳されて世界中で読まれるようにしてやるという野望を胸に、実際に葬儀屋で半年働いてこの特殊な職業について学び、ドイツ語でこの本を書き上げました。その努力が実って本書は見事英訳されています。ドイツ語からの翻訳ということもあって英語が簡単で読みやすく、すいすい読める一冊です。ぜひ最後までどきどきしながらお読みください。

●”Woman of the dead”
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河出真美(かわで まみ)

好きな海外作家の本をもっと読みたい一心で、作家の母語であるスペイン語を学ぶことに決め、大阪へ。新聞広告で偶然蔦屋書店の求人を知り、3日後には代官山蔦屋書店を視察、その後なぜか面接に通って梅田 蔦屋書店の一員に。本に運命を左右されています。おすすめ本やイベント情報をつぶやくツイッターアカウントは@umetsuta_yosho。月2回、おすすめ洋書+ミステリーをおすすめする無料イベント、Book & Communityを開催中。また不定期で翻訳者のお話をうかがうイベント「翻訳者と話そう」も開催中。詳しくは梅田 蔦屋書店HPまで

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