みなさんこんばんは。第10回のミステリアス・シネマ・クラブです。このコラムではいわゆる「探偵映画」「犯罪映画」だけではなく「秘密」や「謎」の要素があるすべての映画をミステリ(アスな)映画と位置付けてご案内しております。
 
 フィクションにおける「ビリーバビリティ」は物語に入り込むために最も大切なことのひとつだと思います。日常描写に限らず、奇抜な設定であっても、そこに描かれた世界や人物を信じさせることができるかどうか。特にミステリにおいては主人公をはじめとしたキャラクターの能力や身体、持っているものや状況の描写によって「行動原理が不自然でない」「解決のための行動には制約があり、そこに理由がある」という部分で受け手を説得できているかはとても大事な要素のひとつ。この部分が雑に感じられてせっかくのアイデアが不自然な後出しじゃんけんに見えて鼻白んでしまった経験、あるいは逆に行動理由や限定条件を積み重ねてオチはこれしかないというところに着地する手腕にこれは凄いと唸った経験、皆さんもお持ちではないでしょうか?
 
 今回ご紹介するのは、この「行動の理由」「限定された状況設定」の作り方がとても面白いサスペンス。基本となる人物と状況の設定が、アクシデントや判明していくことによってどんどん変化していくのが楽しいロドリゴ・グランテ監督の『エンド・オブ・トンネル』です。
 

■『エンド・オブ・トンネル』 Al final del tunel)[2016.アルゼンチン・スペイン]

あらすじ:ホアキンは自宅に引きこもり、かつて事故で失った妻子の思い出に縛られたまま車椅子で生活している。唯一の心のよりどころとなっている飼い犬も最近は身体を壊したきりでずっと具合が悪く安楽死させることを考えざるを得ない悲しい状況だ。暮らしも楽ではなく、机には請求書の山。しかし思い出の残るこの家には住み続けたい……彼は、2階を貸し出すことにした。すぐに借り手が決まり、そこに住み始めたのはストリッパーのベルタとその娘。最初は距離を保っていたホアキンだが、明るい彼女たちのおかげで彼の日常は少しずつ変化していく。そんなとき、地下室にいたホアキンは奇妙な音を聞く。どうやら空いているはずの隣の家の地下室からトンネルを掘り、何かをしようと計画している悪党たちがいるようなのだ……

 設定された条件に「意味」がつけられたのか、「意味」ありきで逆算して「設定」が作られたのか……どのように書かれた脚本なのかは定かではありませんが、この映画の「画面に出てくる情報/台詞で描写されていることのほとんど全部に意味がある」語り方はきっとミステリクラスタの皆さんを惹きつけるのではないかと思います。撮影も音楽も特に凝ったことはやっていないですし、大きな「どんでん返し」を仕掛けてくる話ではありません。しかしそのぶんとにかくきっちりと脚本で楽しませてくれる作品です。
 
 この作品、「何がどうなっていくのか」もスリリングなのですが、それ以上に「主人公がどういう状況にあるか」の基本設定に始まり、「理由」の情報提示がものすごく律儀なのがポイントです。地下室で聞いてしまった会話の断片から犯罪計画を知ることとなった男の行動を裏打ちしていく「何をしたいのか」「何ができるのか」あるいは「何ができないのか」。主人公が、間借り人の母子が、悪党たちが「その時点で何を知っていて、何を知らないのか」。車椅子生活者であること/お金がないこと/この家に執着していること/頻繁に地下にいること/おそらくその地下では精密機械の修理仕事をしていること/病気の犬がいること……といった要素が主人公の基本設定なのですが、そこからさらに偶然によって付けくわえられていく条件も色々。限定条件を設定し続けることで推進されていくサスペンスには「ここでそれをそう使うのか!」という楽しさがいっぱい。難を言うなら展開を変えるイベントが「運よく」「良いタイミングで」起こりすぎる部分なのですが、その部分もまたミステリらしい楽しさがあるのではないでしょうか。最後の決着のつけ方はそのあたりへの目配せも感じられるものでした。
 
 実はこれ、序盤では少し心配していたのです。妻子を失って以来、人を避けて地下で暮らす孤独な男の涙にくれる日常に突然現れる母子、しかもその美しいシングルマザーからいきなり食事に誘われたり彼女がお仕事のストリップを「サービス」してくれたり、その娘である口をきかない少女が犬にだけは心を開いていたり……という描写に「うーん、なんか“孤独な男”が“今度こそは新しい家族を守るために戦う”ような、旧態依然とした話になるのかしら……」と不安な気持ちを抱いてしまったのです。しかし、ご安心ください、彼女たちは「守られるための記号」ではありませんし、主人公も主人公で「彼女たちを守ること」を優先順位の最上位にしているわけではありません!では何が行動理由であり、何をどのようにして危機的状況を脱するかというと……それは是非、実際に御覧になってお確かめくださいませ。
 
 一難去ってまた一難、トラブルが増えては減り減っては増えていくクライマックスの小イベントの積み重ねから『エンド・オブ・トンネル』のタイトルにふさわしいラストシーンまで、多少強引な部分もあるのですがグイグイと引っ張っていかれることは間違いない、ミステリ映画の楽しみにあふれた1作です。


■よろしければ、こちらも1/『ロスト・ボディ』



 スペイン語圏のミステリ映画といえば、「消えた女性の遺体」をめぐって容疑者である夫(若い女性と不倫中)が取り調べを受けるうちに奇妙なことが……という『ロスト・ボディ』もめちゃくちゃ強引なのにツルッと騙されてしまった面白ミステリでした。「消えた妻」を演じたベレン・ルエダの最高の嫌な女ぶり、不気味で呪わしいながらもどこか痛々しい表情が絶妙で、これは最近では〇〇、あるいは古くは××のバリエーションだな……と先入感を持って見ていたら「そっちかー!」となるオチにずっこけそうになりました、良い意味で。しかし「思い返せばヒントはそこここにあった……」と気づかせるフェアなミステリではあるのです。倫理的にはどうかと思う部分もあるのですが。オリオル・パウロ監督は昨年公開の『インビジブル・ゲスト 悪魔の証明』でも古式ゆかしい「さあカードは出そろいました」から全力でひっくり返しにきてサービス過剰な謎解きの楽しさを堪能させてくれた面白映像ミステリ作家として今後も要注目です。


■よろしければ、こちらも2/『静かなる復讐』



 2017年のゴヤ賞(スペイン・アカデミー賞)で作品賞を受賞した作品もなかなか面白いミステリアス・シネマ。タイトルどおりのある男の復讐譚なのですが、こちらは「そういう話だったのか!」ではなく「そういう話です。」と淡々と粛々と進んでいく語り方が特色。謎めいた男の「計画」というには穴だらけ、アクシデントだらけ、本人も決してタフではなく結構ボロボロな状態での復讐が、ただ迷いなく淡々と処理されていくのを見ている感覚は硬質な文体の新鋭作家の犯罪小説を一気読みしているよう。〈カフェ〉〈家族〉〈クーロ〉といった黒背景に白い文字がパンと打ち出される簡潔な章立て、「記録映像」で描かれた過去の事件、序盤のカフェでのポーカーの様子、携帯を使わせない手だての作り方……と丁寧に手札を生かした不穏な展開も見ものなのですが、ある展開からは男ふたりの物騒かつ妙にのんびりしたロードムービー状態になっていく歪さも不思議な魅力を持っています。最初から最後まで曖昧な表情をしたアントニオ・デ・ラ・トレの「身体は一応あるけど、既に現世の外の人」感がもたらす奇妙な浮遊感も忘れがたいものがありました。
(※NetflixではDVD邦題と若干異なる『物静かな男の復讐』のタイトルで配信されています。)
 
 スパニッシュ・ミステリの映像作品には独特の「薄暗さ」があるものが多いように感じられます。それは歴史的背景や現実の社会問題などの反映結果である場合も多いのですが、今回はいずれも(画面設計こそ暗い部分はありますが)そういった「知っておきたいその国の事情」の要素は薄く、比較的単純に観客を説得することに律儀なミステリの面白さを堪能できる映画をチョイスしてみました。「真実/語られていること」「嘘/語っていないこと」の位相のズレを楽しませるということは世界共通の普遍的ミステリ文法のひとつといえるのかもしれませんね。それでは今宵はこのあたりで。また次回のミステリアス・シネマ・クラブでお会いしましょう。
 

今野芙実(こんの ふみ)
 webマガジン「花園Magazine」編集スタッフ&ライター。2017年4月から東京を離れ、鹿児島で観たり聴いたり読んだり書いたりしています。映画と小説と日々の暮らしについてつぶやくのが好きなインターネットの人。
 twitterアカウントは vertigo(@vertigonote)です。



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