L’Évadé, Gallimard, 1936(1932/夏-1934/4執筆)[原題:逃亡者]
« Le Journal » 1935/1/6号-2/4号
Tout Simenon T19, 2003 Les romans durs 1934-1937 T2, 2012
The Disintegration of J. P. G., translated by Geoffrey Sainsbury, George Routledge & Sons, 1937[英]*[J. P. G.の崩壊]【写真】

 最初の軋みは5月2日の月曜日、朝8時に起こった。
 8時5分前、いつものように、学校リセの鐘を少年が鳴らし、赤煉瓦舗装の中庭にちらばっていた生徒たちは集まって教室の前に長い列をつくった。
 遠く左手にある水塔の側で、7年級か6年級の子供たちが、まだ赤く顔を火照らせて、髪をぼさぼさにしたまま走り回っていた。ひとりが右手に動いて上級生と、また最後の少年は背広姿で嗄れた声の口髭の男と鉢合わせをした。
 陽光は鋭く、空気は明るかった。城塞に向かって軍の楽隊の騒々しい音とサイレンが聞こえ、ちょうど潮時になったことを示し、ひとりの兵員を乗せた釣り船がラ・ロシェルの港から離れていった。
 ほとんど儀礼的な時間だった。それぞれのドアの前で、少年たちの列は待っていた。教師たちは広がり、手を振って、列の前に陣取った。
 各教師にはそれぞれ独自のテンポがあった。ある者はぐずぐずせずに真っ直ぐ教室のドアへと歩いて行き、生徒たちを見もせずに中へと入れた。
 ゆっくりと物事を進める教師もいた。日課をよく味わい、生徒たちひとりひとりを見つめ、親指と人差し指を鳴らして合図し列を入れた。
 徐々に中庭は空になっていった。ドアがひとつまたひとつと閉まっていった……。
 ところが、その日、4年級Bの生徒たちは外に取り残されたのだった。予期せぬ事態への期待で彼らはわくわくしていた。朝の授業を担当するドイツ語教師のJ. P. G.が、まだ姿を見せていなかったのである。(仏原文/英訳文から瀬名の試訳)

 
 今回取り上げる『L’Évadé[逃亡者]は、ちょっと特別な作品である。
 日本ではかつて、メグレ警視シリーズの第17作『自由酒場』が極めて入手困難だった。1936年にサイレン社から『倫敦から来た男』(1936/5/1)のタイトルで、またアドア社から『自由酒場』(1936/11/9)のタイトルで発行されたが、併載の『倫敦から来た男』はそれ以後何度か再刊されたのに、同時収載の『自由酒場』だけは戦後もずっと再刊されず幻の作品となっていたからである。
「メグレ警視シリーズを全部読みたい」という希望を持つ読者の多くが、この『自由酒場』を国立国会図書館で閲覧する以外にほとんど接することができないため挫折を経験してきた。2015年に論創社よりようやく『紺碧海岸のメグレ』として新訳が出て入手が容易になったが、皮肉なことに現在はそれ以外のメグレの長編がどれも書店で入手できなくなってしまった。
 さて今回の『L’Évadé』は、英語圏においてちょうど『自由酒場』のような立ち位置の作品なのである。戦前の1937年にGeorge Routledge & Sons社から『The Disintegration of J. P. G.[J. P. G.の崩壊]というタイトルで英訳が出版されて以来、一度も再刊されたことのないシムノン作品なのだ。
 フランス語圏ではごく簡単にペーパーバックで入手可能な作品だが、英語圏では本作だけが極めて読書困難な稀覯本とされてきた、と思う。私もこの連載を始めてから幾度となく海外古書販売サイトにアクセスしてSimenonと入力・検索しているが、いままで2回しか売り出されているのを見たことがない。そのうち一冊はカバー欠けで、これを何とか入手した。もう一回はカバーつきの美品だったようだが日本円にして40万円の値付だったので手が出なかった。日本の『自由酒場』は稀覯本といってもせいぜい古書価は7万5千円ほどだから桁が違う。
 私は『The Disintegration of J. P. G.』のカバーデザインをいまだに知らない。どんなに検索してもウェブ上で写真が見つからないからである。本連載でカバーつきの書影を掲載し皆様にお見せしたかったが、さすがに連載一回分の資料代にローンを組んで40万円は出せない……と思っているうちに売れてしまった(まあ、少しほっとした)。はたして意味があるかどうかわからないが、ここではカバー欠け書影を掲載しておこう。それでも立体的に撮影した(書籍全体の印象がわかる)書影写真はウェブ上でこれだけのはずである。【写真】
 今回はその貴重な英訳版で読んだ。しかしフランスでは稀覯本でも何でもないシムノン作品である。入手困難だからといって面白いとは限らない! さて、実際のところはどうか。
 
 舞台は、当時シムノンが邸宅を購入していた港町ラ・ロシェル。主人公のジャン゠ポール・ギヨームは、この土地の学校リセで18年間もドイツ語を担当している教師である。人々にはJ. P. G.の名で知られている。
 ある朝、珍しくJ. P. G.は学校に遅れた。通勤中にある理髪店で「パリからネイリストがやって来た」との広告を見て、そのネイリストがマダム・マドという名であったことに動揺したのだ。彼は少し遅れて学校に着いたが、生徒たちに対して上の空だ。悪戯を仕掛けようとした生徒のひとりについ暴力を振るいかけてしまい、校長に見咎められ、3日間の自宅謹慎を言い渡される。
 J. P. G.には妻とふたりの子供がいる。娘のエレーヌと息子のアントワーヌだ。しかしJ. P. G.は実際の名はギヨームではなかった。彼はマド夫人を見たことをきっかけに、おのれの過去を思い出す。彼はもともとジョルジュ・ヴァイヨンという名であり、パリで働いていたころポルティという男と知り合い、さらにその伝手でマドとも知り合った。ポルティは賭博稼業の男で、1905年に彼らはリエージュ博覧会に行って富裕層からギャンブルの金を巻き上げる裏稼業をしていたのである。J. P. G.はマドと共に顧客をポルティのもとへ連れて行く役目だった。
 しかしJ. P. G.は捕まり、ギアナで獄中生活を送ることになった。だがマドから密かな資金提供があり、J. P. G.は2年後、監獄から逃げ出すことに成功したのである。彼はマドとマルセイユのビュー゠ポールで落ち合った。そこで彼は「イタリアのベベール」なる男が偽造したパスポートを受け取り、ヴァイヨンからギヨームという名になったのである。
 マドにはすでに男がおり、ふたりはそこで別れた。しかし金がないJ. P. G.はそこでマドの指輪を盗んで2千フランに換え、所持金とした。そしてリヨンからオルレアンへと流れ着いたとき、いまの妻と出会い、結婚したのである。彼は過去の一切を秘密にしてこれまで生きてきた。
 だが突然のマドの出現によって、彼の心の中に過去が蘇ったのである。彼は謹慎中も心安らかになれず、過去のことを思い出し続ける。謹慎後にリセへ出て行ったが、思わず教室内で煙草に火をつけ、それも校長に咎められる始末だった。
 J. P. G.は日々落ち着かず、ふだんは行かないバーでペルノーを何杯も飲み、理髪店のマドの様子を探ったりする。彼はかつて盗んだ指輪の件が気がかりで、銀行から2千フランを引き出し、ウェイターに言付けてマドへとその金を返した。しかし妻は銀行から大金が引き出されたことに気づいて、夫が情婦を囲っているのではないかと疑い始める。J. P. G.の家庭の中でも軋みが大きくなってゆく。主治医のドゥゴワンは「きみはどこかで少し療養すべきだ」と忠告する。
 後日、J. P. G.はマドの夫からその2千フランを突き返された。マドはもはや自分のことを忘れてしまったのだろうか? 自分のことに気づいていないだけなのか? しかしそのころ、J. P. G.の正体については、村の中でも疑惑の対象になりつつあった。ある日、リセの校長がブリッジ仲間の警視を連れてJ. P. G.の家を訪れる。警視はその際、妻や子供たちに、J. P. G.の本当の名はギヨームではないと告げたのだった。翌日、J. P. G.は息子アントワーヌからの手紙を見つけた。「あの人は父さんの名前がギヨームではないといっていました。パリに手紙と写真を送って確かめるそうです」
 日曜の朝、家族がみな朝のミサに行っている間、J. P. G.はスーツケースに衣服を詰め、ひとり家を出た。彼は再び現実から逃亡したのだ。彼は列車でパリへ向かう。かつて文書を偽造してもらった「イタリアのベベール」に会うために……。

『倫敦から来た男』以来、シムノンはプロットを緊密に構成することをやめて、最初のシチュエーションからゆったりとひとつの方向性へおおらかに筆を進めるようになってきたように思える。本作も全体を見れば決してばたばたとたくさんの物事が起きるわけではない。最初にJ. P. G.はかつての知人のマド夫人がこの町にやって来たことを知る。それをきっかけに、彼は過去を思い出してゆく。少しずつ生活が軋み始める。全11章のうち9章までは、『倫敦から来た男』のときと同じように、ほとんどそうした一直線の物語だ。
 過去を捨てて人生をやり直している男の前に、思いがけず過去が暴かれるきっかけが出現する──シムノンが好んで書いたシチュエーションであり、本作はロマン・デュールでそれがおこなわれた最初期の作品のひとつといえるだろう。ただし物語構成は複雑ではなく、主人公のJ. P. G.は自ら過去の記憶を思い出し、その過程はそのまま文章に書かれてゆく。だから過去が蘇ることでサスペンスが状況的に膨らんでゆくというより、あくまでJ. P. G.の中で内省的に過去が掘り起こされてゆくに過ぎない。筆致はゆったりとして、物語らしい物語はない。地元の人たちがJ. P. G.に疑惑を向け始めるとはいえ、その過程もさほど緊迫感が高まるわけではなく、『黄色い犬』『仕立て屋の恋』のときのように村人全員がJ. P. G.を排除するということもない。だから読者である私たちは、はらはらどきどきしたり痛ましい気持ちになったりするというより、小さく静かな不安をずっと抱えながら、J. P. G.と共にページを進むことになる。
 とくに起伏のない物語の中で、やはりシムノンらしい充実ぶりが現れるのは最後の2章分だ。最後から2章目に当たる第10章は次のように始まる。

 C’était un dimanche comme il en existe dans les souvenirs d’enfance.
 それはまるで子供時代の思い出に残っていそうな日曜日だった。(瀬名訳)

 すぐに思い出した。メグレ警視ものの『第1号水門』連載第18回)第8章の書き出しだ。

 C’était un dimanche comme on n’en a que dans ses souvenirs d’enfant,
 その日は子供のころの思い出にしかないような日曜日だった。(大久保輝臣訳)

 ほぼ同じ文章だが、まさにシムノン節といえる、素晴らしい一節だ。いつか自分でもこんな文章を小説の中で使ってみたいと思うほどだ。
 この先、J. P. G.は家族が日曜の朝のミサに出掛けてゆくのを見届けると、スーツケースに衣類を詰めて家を出る。妻に渡したはずの2千フランが見当たらないので、子供たちの少しばかりの貯金を盗んで。
 スーツケースは軽い。すでに空は6月の祝祭日のムードだ。もはや春というより夏の陽気で、走り出したいような気持ちでさえある。読んでいてふしぎとJ. P. G.の足取りの軽さがこちらにも鮮やかに伝わってくる。列車を乗り換えて彼はパリへ行く。途中で彼は療養所のことを思う。主治医に少し休んだらどうかと言われたのを思い出したからだ。療養所はきっと公園に面していて、壁は白くきれいで、床はエナメル、看護師たちも白い服装をしているだろう。読んでいるこちらもまだ見たことのない療養所へ思わず気持ちを羽ばたかせるような軽やかな場面だ。
 そんな療養所を想像しながら彼はパリに着き、20年も前に過ごしていた場所を訪ねては「イタリアのベベール」の行方を訊く。ベベールは現在、別の名前でレストランの経営をやっていた。J. P. G.は彼を訪ねに行く。だが彼がベベールの昔の名を出し、パスポート偽造やマド夫人の話をした途端、態度を変えてそんな話は知らないと言い出す。彼もまた人生をやり直していた男だったのだ。しかしJ. P. G.は懇願する。もう一度文書を偽造してくれ。いまたくさんの金はないが、少しずつ払うから……。だがベベールは取り合わない。J. P. G.はウィスキーを一気に飲み干すと、そのレストランで突然の行動に出る……。

 これが最後の第11章の顛末だ。たぶんここまで書いてもこれから読む方々にとってラストの余韻は損なわれないだろうと想像していま書いている。突拍子もないラストなのだが、そこへ行き着くまでのJ. P. G.の心はわかる。悲劇なのだが、切なくて、どこか温かい気持ちにさえさせてくれる。シムノンはうまいなと思わせてくれる。
 人生から逃亡し、18年経って不意にそれが失敗したというのに、そしてまた彼はもう一度逃亡しようとしたというのに、物語を読み終えると穏やかな気持ちになるのである。
 おそらく今後もシムノンを読み進める中で、本作と似た話に巡り会うことだろう。それでも私は読んでしまうだろう。おそらくそのときも最終章で私は心をつかまれるだろうと思う。
 むしろその繰り返しを、いまの私は待ち望んでさえいるようなのだ。

▼映像化作品(瀬名は未見)
TVドラマ「The Schoolmaster」《Thirteen Against Fate宿命に抗う13人》シリーズ、Peter Potter監督、スティーヴン・マーレイStephen Murray、ヘレン・チェリーHelen Cherry出演、1966[英][教師]

瀬名 秀明(せな ひであき)/span>
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『月と太陽』『新生』等多数。

















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