■H・カーマイケル『アリバイ』■


 今月は、論創海外ミステリで楽しみにしていた二冊が揃った。
 ハリー・カーマイケルは、3年前『リモート・コントロール』(1970)
で初紹介され、その実力を見せつけた作家。昨年は、初期作『ラスキン・テラスの亡霊』(1953)bが紹介され、アクチュアルな人物造型、丁寧に伏線を張り巡らせる技巧をもとにサプライズを追求するという作家の特質が初期から一貫していることを確認できた。
 本作『アリバイ』(1961) は、19作目の作品で探偵役は二作と同様、保険調査員バイパーと新聞記者クイン。シンプルすぎるほどシンプルなタイトル(原題もAlibi)からも、読者の読みの上を行こうとする気合いのようなものが伝わってくる。
 
 深夜、帰宅途上の事務弁護士ヘイル。ヘッドライトに白いドレスの女が浮かぶ。昔から憧れていたタイプの女だ。足をひねったという女を彼女のコテージまで乗せる成行きとなる。小説家だという女はヘイルを知っており以前から惹かれていたと告げる。妻との仲が冷え切っているヘイルは「最後の火遊び」の機会と知る。彼女のバッグと靴を出逢った場所に取りに戻った後、ヘイルは葛藤する。すべてあの女が仕組んだことに違いない。ヘイルの胸にひととき怒りの炎が燃え上がる。そして、女のいる二階に向かって階段をのぼりはじめる。
 
 男のアヴァンチュールへの夢想と葛藤を描いて生々しい導入だが、コテージの二階で何があったかは伏せられる。
 ある男から別居している妻を探してほしいと依頼を受けたバイパーは、田舎のコテージに行きつき、やがて冒頭の女性が探している妻であることが明らかになる。やがて、コテージからほど近い雑木林でバイパーは女の腐乱死体を発見する。
 死体の身元が確認されるが、夫には鉄壁のアリバイがある。女が贅沢な生活ができたのは、近くに愛人がいたからではないかと推測され、容疑の対象者も広がっていき、さらなる殺人が発生する。終盤では、バイパーが協力を求めた親友クインに危機が迫る。
 流れるようなストーリーラインだが、そこに作者は大きな仕掛けを埋め込んでいる。読みなれた読者なら、ある一点にひっかかりを覚え、あれこれ真相を推測するはずだが、作者の真のたくらみに容易に気づかせないのは、ミスディレクションの技巧が冴えているからにほかならない(この「一点」に触れている解説は、読了後に読まれることをお勧めする)。読後は、仕掛けが機能するように、何をどの順番で見せるかという構成のうまさにも、膝を打つだろう。
 ただ、完全に盲点を突かれた結末の『リモート・コントロール』に比べると、真相への憶測を呼ぶ分、サプライズの度合いはやや減じるかもしれない。
 作者は、「私は常日頃からディテールの正確さに強いこだわりを持ち、“警官と泥棒の逮捕ごっこ”よりも古典的な探偵小説を好み、独創的な作品を生み出すことに心血を注いでいる」(訳者あとがきより) と言明している。
 リアリスティックな舞台、登場人物たちを用いながら、あくまで本格ミステリとしての独創性を追求したカーマイケル。実に貴重な存在ではないか。
 

■マイケル・イネス『盗まれたフェルメール』■


 昨年、犯罪ブラックコメディの秀作『ソニア・ウェイワードの帰還』が紹介されたイネスだが、このたびの『盗まれたフェルメール』(1952 ) は、『霧と雪』以来10年ぶりのアプルビイ物(本書では、警視監に昇任している)。しかも、『アプルビイズ・エンド』(1945)で、溌剌とした魅力を放ち、アプルビイと結婚した彫刻家ジュディスが重要な役割を担っているのも嬉しくなる。
 ジョンとジュディスのアプルビイ夫妻は、最近若くして死んだ抽象画家の絵の追悼展示会に出かける。警視監が絵を売りつけられるのに辟易していると、最高傑作といわれる絵が消えてしまっている。画家の死の調査をはじめたアブルビイは、さらに、『ハムレット復讐せよ』(1937)で旧知のホートン公爵所有のフェルメールの『水槽』という絵が盗まれたことを知る。若い画家の死と二つの絵の盗難は関わりあるのか。アプルビイは秘密を握ると思われる「がらくた店」に単身乗り込んでいく。
 アプルビイ物は、本格ミステリ色が強いものと冒険などに重きを置いたもの(『アララテのアプルビイ』など) があるが、本書はどちらかといえば後者に属する。先のカーマイケルの言葉を借りれば、本書の要は“警官と泥棒の逮捕ごっこ”なのだが、その言葉に含意されているリアルなものより、ずっとファンタスティックな世界が構築されている。物語全体の時間は、昼日中から翌朝まで。一日に満たず、大部分は夜。スティーヴンスン『新アラビヤ夜話』で描いたような現代のお伽噺に近い。
 ジュディスは、知人からの電話で呼び出され、夜の都会の冒険に踏み込んでいく。最後は三つどもえ、四つどもえの緊迫の追跡劇となるが、夫の身を案じてジュディスのとった思いがけない行動にはさすがにアプルビイの妻と感嘆しきり。アプルビイの部下、キャドーヴァー警部補の沈着冷静な捜査指揮、ホートン公爵の意外な活躍など各キャラクターも役割を与えられ生き生きとしている。
 読者としては、ウィットに富んだ地の文と会話に彩られた、アプルビイ夫妻の夜の冒険に付いていけばいいのだが、実は謎解きの工夫も怠っていない。おぼろげにしか想像できなかった事件の全容は、最後に警部が解明する。この絵解きが、冒頭のなにげない描写と照応し、事件のみかけをガラリと変えてしまう。冗談めいてはいても、既知が未知のものになるブラウン神父の推理ばりの詩的飛翔、ファンタスティックな味がある。
 小さな生物たちが宝石のように収まっているフェルメールの架空の絵『水槽』、骨董屋の暗闇で繰り広げられる各種ガラクタ類が宙を飛ぶ闘争、19世紀趣味のナイトクラブ(ヴィクトリア朝の著名人に扮装したバンドが演奏している) など細部には作者の趣味も詰め込まれており、花も実もある空想に身を委ねる楽しさを味わえる。
 

■中尾真理『ホームズと推理小説の時代』■


 シャーロック・ホームズをはじめミステリを愛好する英文学者が「推理小説がどのようにして生まれ、どのように展開していったかを、シャーロック・ホームズを基点に」たどった本。文庫書下ろしオリジナル。その射程は、ホームズ譚が人気を博した19世紀末から20世紀初期とその後の英米の黄金時代、日本の黄金時代に及ぶ。
 第一部「『ストランド・マガジン』とシャーロック・ホームズ」は、ホームズ誕生から最後の挨拶までの足跡をたどり、ヴィドック、ガボリオ、ポーといったホームズの先輩たちを概観する。歴史的事実とシャーロッキアン的問題設定が過不足なく整理されていて、ホームズ譚を読み終え、さらにその世界を深く知ろうという人には役に立つ本だろう。
 ただ、英米の黄金時代を扱った二部以降は、作家に関する情報はいささか古めかしい。特にアメリカ編にはそれが顕著で、作家紹介は、乱歩や延原謙らの記述に依拠している部分が多い。それぞれ一章が立っているS・S・ヴァン・ダイン、エラリー・クイーン、ジョン・ディクスン・カーらについては、大部の評伝の日本語訳が出ているのに、参照された形跡もない。
 個別の記述についても、疑問の箇所は多い。国名シリーズに関して「クイーン警視の精力的な捜査ぶりが、このシリーズの魅力である」そうだろうか。「エラリー・クイーンも、女性の助手は登場させなかった」とあるが、ニッキイ・ポーターはどうなるのか。カーとホームズの関わりを語るのなら、H・M卿の愛称がマイクロフトで、ディオゲネスクラブに所属していることなどは、まず外せないと思うのだが、そうした記述もない。邦訳があるのに別なタイトルを付けたり、タイトルの誤記が散見されるのもいただけない。
『シャーロック・ホームズの冒険』12編のうち7編は人情談である、ポアロはホームズの女性版である、ミス・マープルの造型は小説家ジェイン・オースティンを下敷きにしたものではないか、といった注目すべき指摘も各所にみられるだけに、黄金時代の代表作家を挙げた歴史的叙述という形式にこだわらないほうが良かったのではないだろうか。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita





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