——見栄と“上から善意”は悲劇のもと

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

 

畠山:来月はいよいよ翻訳ミステリー大賞の開票&授賞式。今年の候補作は『嘘の木』『その犬の歩むところ』『ハティの最期の舞台』『東の果て、夜へ』『フロスト始末』の5作です。皆さんはもう読まれました?
 私も今から開票が楽しみです。1票読み上げられるたびに貼られていくエドガー・アラン・ポーの顔シール。そして小さいポーが10人になったら大きいポーにチェンジ。ベリベリ剥がされていく小さいポー。すべてが手作業で行われるこの伝統儀式の不思議な高揚感をともにあじわいましょう。
 個人的には、一度でいいから発表会場の片隅で賭け屋を開いてみたいのですが、安産、じゃなくて暗算ができないのでどだい無理な話。ああ、そろばんの授業でトニー谷の真似ばかりしてるんじゃなかった。

 計算に弱いのはなにかと不便なものですが、現代の生活で読み書きができないと大変な不自由を強いられます。杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」、今月のお題は、まさに文盲の女性が引き起こす大きな悲劇のお話。ルース・レンデル『ロウフィールド館の惨劇』。1977年の作品です。

 カヴァデイル家に家政婦として雇われたユーニスは文字の読み書きができなかった。文盲であることを必死に隠しているユーニスだが、日々の仕事の中で何度となく秘密が露見するピンチに見舞われる。ある日、気休めに訪れた村の雑貨屋で知り合ったのはエキセントリックな女性ジョーン。友情と呼ぶにはいびつな二人の関係は事態を少しずつ異常な方向へと向かわせ、やがてユーニスが最も恐れていた瞬間がやってくる。

 ルース・レンデルは1930年ロンドン生まれ。2015年5月没。女子高を卒業後、地元紙の記者となり、1964年にウェクスフォードシリーズの第一弾『薔薇の殺意』で小説家としてデビューしました。バーバラ・ヴァインの名義でも作品を発表しており、邦訳されている長篇だけでも50作品近くあります。CWA(英国推理作家協会)賞をはじめ、たくさんの受賞歴があり、名実ともに英国を代表するミステリー作家と言えるでしょう。

 さぁ、やってきましたロウフィールド!

ユーニス・パーチマンがカヴァデイル一家を殺したのは、読み書きができなかったためである

 とにかくこの冒頭の一文です。〈ツカミの一文傑作選〉があったら上位入選まちがいなし。世に倒叙形式のミステリーは数々あれど、犯人・被害者・動機がすべて明かされていて、なおかつ強烈に惹かれずにいられない名文、いや、美文です。特に文学的な表現でもないのに、どうしてこんなに魅力があるんだろう?

 この一文で読者はブレーキを失った乗り物の座席に縛りつけられてしまうのです。何度も何度も「この時こうすれば」「あの時ああだったら」という惨劇回避の選択を逃しつづけ、事態は悲劇に向かってどんどん加速し、ついにユーニスが一家を手にかけるその瞬間まで本を閉じることを許されない、そんな強烈な作品。ノンフィクションを読んでいるような気さえします。

 札幌読書会では2015年に課題書として取り上げました。あの時は本が入手困難になっていて、全国の読書会メイトに本を集めるのを助けていただいたのです。本当にありがとうございました。そこまでしてでも読んでおきたい一冊であることは間違いありません。もしどこかで絶版本読書会が企画された暁には、不肖ハタケヤマ、札幌市内を駆けずり回ってお役に立つ所存でございます。なんなりとお申し付け下さいませ。

 

加藤:そろばんの授業でトニー谷の真似って……君、ホントに同じ歳?
 そうそう、現代科学の粋を集めて封して海の底に沈めたみたいな翻訳ミステリー大賞の票計システムは一見の価値があるよね。何がすごいって、あの臨場感がすごい。小さなポーが沢山たまってくると会場の空気が張り詰めてくるんだよね。10票目が入って繰り上がるときのカオスな慌ただしさを知っているから。焦らなくていいから、大丈夫だから、ああもうっ! みたいな。本家のエドガー賞もこうやってドタバタしながら集計しているのかしら。

 ドタバタといえば、ここ最近、暖かくなったり寒くなったり気温の乱高下が続いたけど、ここに来てようやく落ち着き、いつの間にやら桜も見頃。春の気分がいやが上にも盛り上がりる今日この頃です。
 そして、イッパシの本好きを気取って書かせてもらうなら、この季節になると思い出すのが、梶井基次郎の『櫻の樹の下には』。その美しくも不穏な出だしの一文「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」のインパクト!
 さて、そんなわけで今回の課題本。畠山さんも書いてる通り、最初の一文の衝撃度というか出オチ感では梶井基次郎にも負けていないルース・レンデル『ロウフィールド館の惨劇』の登場です。いや~、この連載で久しぶりの未読作を堪能いたしました。

 最初から犯人や犯行手段を読者に明かしたうえで話が進んでいくミステリーを「倒叙ミステリー」と呼ぶというのは、この連載で知ったけど、この話はそれとはちょっと違うんだよね。いきなり最初に、作者が「唐突に」未来に何が起こるのかを書いたうえで、その未来に向かって話が進んでゆくという構成。そして、読者はなすすべもなく、少しずつそのXデーへ至る過程を読まされるという。
 一家4人が惨殺された事件の理由が、犯人であるユーニスの文盲のためとはどういうことなのか。犯人であるユーニスを惨殺に掻き立てた事情とは? 逆にカヴァデイル一家にはどの程度、殺される理由があったのか?

 

畠山:カヴァデイル一家の「殺される理由」は確かに考えさせられるね。特に夫妻はいわゆるスノッブってやつで、ちょっと勘違いしてる姿がイタかったりする。こういうのを北海道では「いいふりこき」っていうんです。でもそれは殺されるに足る理由とはいえません。せいぜい疎まれたり、仲違いする程度ですむはずだったのに、どうしてこうなったのか。そして妻ジャックリーンの“田舎のファラー・フォーセット”みたいな服装はなんとかならんのか。あっ、すみません、他人様のお召し物に失礼なことを……。

 他方、ユーニスは恐ろしい殺人者となってしまうのですが、それは文盲というハンデ、そしてハンデに対するコンプレックスだけが理由なのだろうか。彼女がもし読み書きができたとしたら、この惨劇は起きなかっただろうか。だとしたらこの悲劇は、ユーニスに読み書きの習得機会を与えられなかった両親の責任なのか。凶行の起爆剤になったはジョーンの存在か、無邪気なカヴァデイル家の娘なのか。つまるところ「何がいけなかったのか」……読みながら読者は悶々と考え続けるのです。多分どれもYESであり、どれもNO。
 レンデル女史の人を観察する眼ってシビアだわー、怖いわー、とつくづく思うのです。

 かばうわけじゃありませんが、読み書きができないことを悟られまいとするユーニスの涙ぐましい努力には胸が痛くなりました。小さな嘘を守りとおすために必死に裏工作に励んだり、自分だけができない・知らないと言い出せずに、あいまいな笑顔で冷や汗をかき続ける……なんて経験、ありますでしょ?
 まして40代後半にもなって、できないことを(興味もないのに)克服しようなんて、そんなヤル気スイッチは絶対ないし、ここまできたら嫌なことには一生触れずにすませたいというのが、偉大なる凡人の生き方ってもんです。

 ユーニスはもともと犯罪性向のある人ではないかと私は見ているけれど、それでもやはり彼女のコンプレックスを刺激してしまったのはよくなかったと思う。そこに悪意がなかったから、いやむしろ善意だったから、痛ましいことこのうえない。相手が嫌がること、テンション上がらなさそうなことは、ゴリ押し禁物です。
 そういえばずーーっと昔、軽い気持ちで「カラオケ行こうよ!」と言った次の瞬間、加藤さんからすごい殺気が送られてきたことがあるもの。銃規制が緩かったら死んでたな。

 

加藤:アッサリすっかり人のコンプレックスを暴露してんじゃねえよ、このスットコどっこい! カヴァデイル一家と同じ目にあわせたろか!?
 いやマジで、そんなつもりもなく人のコンプレックスに触れてしまい、気まずい思いをしたことは誰にでもあるはず。得てしてコンプレックスってのは、人から見れば「そんなに気にすることじゃないのに」「てか、おいしい持ちネタあって羨ましいくらい」ってことも少なくないから始末が悪い。たとえば、ここで大矢博子さんの「冒涜的な」絵ゴコロを引き合いに出すとか、絶対しちゃダメなわけですよ、人として。(もらい事故)
 僕も過去にさんざん弄られてカラオケ嫌いになっちゃった。でも、それが原因で人を殺そうと思ったことはなかったけどな(少なくとも今日までは)。ちなみに僕の『心の旅』のサビは全部同じ音なのだそうです。

 それにしても、カラオケを避けて生きていくのはそれほど難しくないけれど、読み書きができないのはメッチャ不便じゃね? って思うんだけど、本作の主人公にして凶悪事件の犯人であるユーニスは意外なほどそうは感じていないらしい。人に文盲だってことを知られるのは死ぬほど嫌なんだけど、いまさら字を覚えようなんてつもりはサラサラない。そして、やはりというか、そりゃそーだろというか、たまにピンチは訪れる。大事な要件が手紙とか書き置きで伝えられるとか。

 未読の方は是非とも、これ以上の情報を入れずに読んでください。いつも思うんだけど、僕と畠山さんが一生懸命になって課題本の面白さを語るよりも、杉江さんがマストリードに選んでいるんだから面白いに決まってんでしょ? もう読むしかないでしょ? って話です。(この連載の存在意義とは?)

そして最後に大事な大事なお知らせ
 福岡読書会の大木さんによる翻訳ミステリー読者賞の募集が3月31日までとなりました。詳しくは ☞ こちらご覧ください。今年はツイッターとメールで一人2票の投票が可能になったそうですよ。
 翻訳ミステリー大賞との一番の違いは、出版年が2017年1/1~12/31であること、そして誰でも参加できること。昨年出た新刊を1冊でも読んでいれば、誰でも投票できるというハードルの低さが身上です。皆さん奮ってご参加を!

 

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 1964年にレジナルド・ウェクスフォード主任警部ものの第一作、『薔薇の殺意』でデビューを果たしたルース・レンデルですが、同シリーズの作者というだけでは日本での知名度がこれほどまでに高まることはなかったでしょう。

 我が国において彼女の名声を不動のものにしたのは間違いなく本作でしたが、同傾向のノンシリーズ作品にも共に着目され、サイコキラーもの流行のはしりとなりました。1976年発表の『わが目の悪魔』は地下室でマネキンの首を絞めるという退廃的な悦楽に耽る男が主人公、1982年の『荒野の絞首人』(以上すべて角川文庫)は女性が殺害され、頭を丸坊主にされた後に荒野に遺棄されるという残酷な連続殺人を描いた作品でした。

 今、振り返って思うのは、これらの作品はたしかに凄惨な犯罪を扱っていますが、読者を震撼させたのは行為そのものではなく、そこに向かわせた心のありようだったということです。人間の心の深淵を覗き込めば理性では解決しきれない原初の感情や相互に矛盾した要素が見えてしまう。それは激しい恐怖を招き寄せるものだということをレンデルは熟知していたのでしょう。他者からは理解されがたい心の動きというものは、その人を絶望的に孤独させるものでもあります。他者にとっての恐怖の要因が当人にとってはたまらない孤独の源であるということをミステリーにおいていち早く示した作家がレンデルでありました。そうした意味で彼女の作品には古びることのない現代性が備わっています。より文学性が高いと言われるバーバラ・ヴァイン名義の諸作は、不安定な状況下に投げ込まれた者たちの不安や焦燥を描いた秀逸なものが多く、どの作品を読んでも心理劇を堪能できます。高尚そう、と尻込みせずにぜひ手に取ってみていただきたいと思います。

 レンデルは2015年に亡くなりましたが、晩年の長篇はまったく翻訳されていません。最後に邦訳された1996年の『街への鍵』(ハヤカワ・ミステリ)を見ると、筆致は衰えるどころか残酷なユーモアも利かされた熟成の度合いが見事な一作であり、このあとの2000年代に作家がどのような境地に達したのだろうかと興味を掻き立てられます。どこかの出版社が訳出に名乗りを挙げてくれるといいのですが。

 さて、次回はピータ―・ディキンスン『生ける屍』ですね。こちらも楽しみにしております。

 

 

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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