こんな形の謎もあるのだとまさに心を鷲掴みされました。誰しも他人事ではないテーマを扱い、最初から最後まで引きこまれて読み切り忘れられない余韻を残す、そんな力強い作品です。語り手/探偵役の鋭い推理で真相をあきらかにするミステリとは逆に、語り手の記憶が謎の解決を助けもするし妨げもするというストーリー。イギリスの新人作家エマ・ヒーリイの『Elizabeth is Missing』です。

 80代のモードは娘のヘレンやヘルパーの力を借りて一人暮らしを続けています。でも、物忘れはひどくなるばかり。昨日近くの食料品店で桃の缶詰をたくさん買いこんで、ヘルパーにもう買い物はしないよう言われたのに、今日もまた桃の缶詰を買ってしまい、自分がそれを買ったこともすぐに忘れてしまいます。だからこまめにメモを取ってそれをポケットに入れるのが習慣。毎週木曜日は数少ない友人でやはり一人暮らしのエリザベスを訪ねるのも習慣ですが、今週は妙なことに彼女から連絡がない。電話をかけても応答なし、訪ねてみても姿がない。エリザベスは身体が弱っていて、外出できる状態ではありません。エリザベスがいない。ヘルパーが近くの町で老女が他殺体で発見されたニュースにふれて、あなたも気をつけるんですよと話していた。エリザベスも同じ目にあっていたらどうする? エリザベスに冷たい息子がなにかしたのでは? モードはエリザベスを探すよう周囲の人々に懸命に訴えかけるのですが、誰も本気で取りあってくれない。「自分の頭がおかしい」と思われているのだと、くやしくてなりません。

 そしてモードは引き金となるさまざまな言葉にふれるたびに70年ほど前を思いだします。第二次世界大戦中、10代だった彼女が母親に桃の缶詰のお使いを頼まれて、配給きっぷを手に食料品店(店主が代替わりした現在と同じ店)に行ったとき、町で有名な頭のおかしいおばあさんに追いかけられたこと。娘さんがバスに轢かれて死んで以来おばあさんは奇行を繰り返していて、なぜかよくモードと姉のスーキーに絡んでくるのです。モードは仲のよかったスーキーのことはいまでもこまかく覚えています。お気に入りの服、愛用のコンパクトや決まったブランドの口紅。現代っ子の孫娘ケイティは、祖母の若かった時代はさぞかし退屈だったに違いないと考えているけれど、モードにとっては現在がセピア色で過去こそが彩られている。戦時中で食べ物には不自由したものの、間借り人のダグラスの部屋に押しかけては蓄音機でレコードを聴き、華やかに装ってダンスホールに出かけるスーキーを見送ったものでした。結婚しても頻繁に実家を訪ねてきたスーキー。モードは父母のように心を痛めたまま誰かが死んでいくのはもう見たくないと激しい思いを抱きます。姉は終戦直後、突然姿を消してしまい、いまでもどうなったのかわからないまま。だからどうしてもいま、エリザベスを見つけなければ。

 忘れたこと、忘れたいこと、知りたいこと、黙っていたいこと、複雑な人の意識を描き、エリザベスがいない現在とスーキーがいない過去、ふたつの失踪の真相にむけて話はモードの時代の記憶の切り替わりにしたがって展開していきます。周囲から見ると、その場の話の流れに関係なく「マローかぼちゃはどこに植えたらいい?」などとモードが言いだすように思えるのですが彼女のなかではきれいにつながっていて、マローかぼちゃ、桃の缶詰、銀と青のコンパクトの割れた半分、壊れたLPレコード、手のひらで紙をくしゃっと握りつぶしたときの感覚、口紅ぎらい、おそろいの櫛、こうしたモードの記憶の断片が伏線となって回収されていくのがぞくぞくします。めまぐるしく現在と過去が切り替わりながらも、整理されていてとても読みやすいのもいい。
 モードの症状は作中でどんどん進行するのでそこはつらくてたまりません。人の何気ない動作が過去の怖い記憶と重なってつい暴れてしまい、その人を傷つけて、自分がそれをやったことを忘れて愛情深い言葉をかける場面ではしばし手がとまりました。つらいけれどそこはかとないユーモアもあり、なによりモードの青春時代が戦争やスーキーの失踪という事件があっても輝いて強烈な印象を残す。本書はコスタ賞の2014年最優秀新人賞を受賞し、BBCで単発のドラマ化されることが決定しています。

 著者のエマ・ヒーリイが本書の執筆を始めたのは20代前半。祖母を始めとする一部の身内にどんなことが起こっているのか、どんな体験をしているのか知りたい、そんな思いが出発点だったといいます。エマはロンドン生まれ。アート・カレッジで製本を学び、図書館、書店、ギャラリーで働いたのち、イースト・アングリア大学で創作の修士号を取得、現在はノリッジ在住。2作目となる『Whistle in the Dark』が刊行されたところで、そちらは10代の娘が4日間行方不明になり、そのあいだのことを話そうとしない――そんな気になる内容のようで、デビュー作が抜群におもしろかったのでこちらも期待です。

三角和代(みすみ かずよ)
 コスタ賞のスポンサー、コスタ・コーヒーの日本上陸を待ち続けています。訳書にカー『盲目の理髪師』(近刊)、バーク『償いは、今』、ダンストール『スターシップ・イレヴン』、カーリイ『キリング・ゲーム』、ハーウィッツ『オーファンX』、ジョンスン『霧に橋を架ける』、アンズワース『埋葬された夏』、テオリン『夏に凍える舟』、プール『毒殺師フランチェスカ』他。ツィッター・アカウントは@kzyfizzy

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